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第7章 サムッチャヤサンガハヴィバーガ(カテゴリーの概要

2023年1月21日

第7章 サムッチャヤサンガハヴィバーガ(カテゴリーの概要)

第1節 導入の偈文

ドゥヴァーサッタティヴィダー ヴッター ヴァットゥダンマー サラッカナー
テーサン ダーニ ヤターヨーガン パヴァッカーミ サムッチャヤン

ここまで(究極の真理の)72種類の構成要素とその性質を説明してきました。ここでは、それを分類するカテゴリーについて説明します。

第1節へのガイド

72種類の構成要素:第1~6章までで説明した四つのパラマッタダンマ(究極の真理)を詳しく分析すると、72種類の独立した構成要素(ヴァットゥダンマ)、つまり固有の性質を持つ現象(サバーヴァ、第1章、第2節参照)に分けることが出来ます。

1、 チッタは89種類に分かれますが、全てが同じ固有の性質を持つため一つの独立した構成要素とみなされます。
2、 52個あるチェータスィカはそれぞれ異なる固有の性質を持つため、52個の独立した構成要素とみなされます。
3、 ニッバンナルーパ(具体的に作られた物質的現象)18個もまた、それぞれ異なる固有の性質を持つため、18個の独立した構成要素とみなされます。
4、 ニッバーナは本質的に一つであり、単一の独立した構成要素とみなされます。

アニッバンナルーパ(具体的に作られていない抽象的な物質的現象)10種類は、パラマッタダンマ(究極の真理)の項目の中で解説されていますが、固有の性質を持っていないため、具体的な独立した構成要素とは考えません。このため洞察瞑想の対象にはなりません。

カテゴリー分類についてお話しします:四つのパラマッタダンマ(究極の真理)とそれを構成する72項目について説明した後、著者はアビダンマピタカ(論蔵)で分類に使われている様々なカテゴリーを紹介し、72個の項目がどのようにグループ分けされるかを説明します。

第2節 カテゴリーの列記

アクサラサンガホー ミッサカサンガホー ボディパッキヤサンガホー サッバサンガホー チャー ティ サムッチャヤサンガホー チャトッビドー ヴェーディタッボー

理解すべきカテゴリーは次の4通りあります。

(1) アクサラサンガハ(不善というカテゴリーについての概要)
(2) ミッサカサンガハ(善、不善、どちらでもないものを含んだカテゴリーの概要)
(3) ボディパッキヤサンガハ(悟りの必要条件というカテゴリーの概要)
(4) サッバサンガハ(具体性を持った項目の統合というカテゴリーの概要)

アクサラサンガハ(不善というカテゴリーについての概要)

第3節 アーサヴァ(流れ出る腐敗物)

カタン アクサラサンガヘー ターヴァ チャッターロー アーサヴァー
カーマーサヴォー バヴァーサヴォー ディッターサヴォー アヴィッジャーサヴォー

アクサラサンガハ(不善というカテゴリーについての概要)の最初はアーサヴァー(流れ出る腐敗物)というカテゴリーです。(1)カーマーサヴァ(官能的な欲望というアーサヴァ)、
(2)バヴァーサヴァ(存在への執着というアーサヴァー)、(3)ディッターサヴォー(真理にそぐわない誤った見解というアーサヴァ、(4)アヴィッジャーサヴォー(真理に対する無知というアーサヴァ)

第3節へのガイド

アーサヴァの文字通りの意味は「流れ出る」です。パーリ語の場合は、アーサヴァは膿瘍から染み出す膿、そして長期間腐敗した毒素です。アーサヴァに属するキレーサ(心の汚れ)は、にじみ出す膿、腐敗毒に似ているため、そう呼ばれます。注釈書によれば、アーサヴァは最も高いレベルの生存まで流れていく、あるいは聖者へと流れが変わる時点(ゴートラブー:第9章、第34節参照)まで流れていくため、その名前で呼ばれているとされています。

4つのアーサヴァの中で、カーマーサヴァ(官能的な欲望というアーサヴァ)とバヴァーサヴァ(生存に対する執着というアーサヴァ)はローバ(欲)というチェータスィカの二つの様相を示しています。一方はローバが官能的な快楽に、もう一方は生存を続けることに向かいます。ディッターサヴォー(真理にそぐわない誤った見解というアーサヴァ)はディッティ(真理にそぐわない誤った見方)というチェータスィカと同じものです。またアヴィッジャーサヴァ(真理に対する無知というアーサヴァ)は、モーハ(真理がわからず、混乱した状態)というチェータスィカと同じです。

第4節 オーグハ(激流)

チャッターロー オーグハー: カーモーグホー バヴォーグホー ディットーグホー アヴィッジョーグホー

4つのオーグハ(激流): (1)カーモーグホー(官能的な欲望というオーグハ)、(2)バヴォーグホー(存在への執着というオーグハ)、(3)ディットーグホー(真理にそぐわない誤った見解というオーグハ)、(4)アヴィッジョーグホー(真理に対する無知というオーグハ)

第5節 ヨーガ(束縛)

チャッターロー ヨーガー: カーマヨーゴー バヴァヨーゴー ディッティヨーゴー アヴィッジャーヨーゴー

4つのヨーガ(束縛): (1)カーマヨーゴー(官能的な欲望というヨーガ)、(2)バヴァヨーゴー(存在への執着というヨーガ)、(3)ディッティヨーゴー(真理にそぐわない誤った見解というヨーガ)、(4)アヴィッジャーヨーゴー(真理に対する無知というヨーガ)

第4節、第5節へのガイド

アーサヴァと呼ばれるキレーサ(心の汚れ)は生命を生存という大海へと押し流し、また渡るのが難しいことからオーグハ(激流)とも呼ばれます。さらに、ヨーガ(束縛)と呼ばれることもあります。何故なら、生命をドゥッカ(苦しみ)に繋ぎ止め、逃さないからです。

第6節 カーヤガンタ(身体へ結びつけるもの)

チャッターロー ガンター: アビッジャー カーヤガントー
ヴャーパードー カーヤガントー スィーラッバタパラーマーソー カーヤガントー
イダンサッチャービニヴェーソー カーヤガントー

四つのガンタ(身体に結びつけるもの)は、(1)アビッジャー(強欲)というカーヤガンタ、(2)ヴャーパーダ(悪意)というカーヤガンタ、(3)スィーラッバタパラーマーサ(儀式・儀礼へのこだわり)というカーヤガンタ、(4)イダンサッチャビニヴェーサ(これだけが真理であるという独善的な信条)というカーヤガンタ、です。

第6節へのガイド

カーヤガンタ(身体に結びつけるもの)は、心を身体に結びつける、あるいは現在の身体と未来の生存における身体を結び付けることから、この名称で呼ばれています。ここで使っている「身体」はパンチャカンダ(生命を構成する五つの塊)を意識しており、精神的な身体、肉体的な身体の双方を指します。4つのガンタのなかでアビッジャー(過度の貪欲)はタンハー(渇愛)、ローバ(貪欲)を意味します。そして生命を好ましい対象へと引き寄せます。ヴャーパーダ(悪意)は、ドーサ(怒り)というチェータスィカと同じです。そして、好ましくない対象を嫌うという形で表現されます。スィーラッバタパラーマーサ(儀式・儀礼へのこだわり)は、儀式を執り行うことが輪廻からの解脱の道であるという信条です。イダンサッチャビニヴェーサ(これだけが真理であるという独善的な信条)とは、自分勝手な独自の見解を唯一の真理であり、他の見解は全て誤りであると頑なに信じることです。最後の二つは、ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)の二つの側面です。

第7節 ウパーダーナ(しがみつくこと)

チャッターロー ウパーダーナー カームパーダーナン ディットゥパーダーナン スィーラッバトゥパーダーナン アッタヴァードゥパーダーナン

4つのウパーダーナ(しがみつくこと):カーマ(官能的快楽)に対するウパーダーナ、ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)に対するウパーダーナ、スィーラッバタ(儀式、儀礼)に対するウパーダーナ、アッタヴァーダ(自我があるという信条)に対するウパーダーナ

第7節へのガイド

4つのウパーダーナ(しがみつくこと)のうち、第一番目は官能的快楽に対する強い渇愛として理解しても良いでしょう。ただし、注釈書ではこのタイプのウパーダーナ(=カームパーダーナ)はもっと広い意味で理解するべきであり、この世のあらゆる物に対する渇愛を指していると指摘しています。ディットゥパーダーナ(真理にそぐわない誤った見解にしがみつくこと)とは、虚無主義、運命主義など道徳的に有害な見解、あるいは永遠の存在ないし永遠でない存在について想像だけで成り立っている見解などを正しいと考えることです。1 スィーラッッバトゥパーダーナ(儀式・儀礼にしがみつくこと)とは、儀式や儀礼をとりおこなうこと、苦行やそれに関連する伝統的な慣習にとりくむことで輪廻から解放される、という誤った見解です。アッタヴァートゥパーダーナ(自我という信条にしがみつくこと)とは、サッカーヤディッティ(実体のある自分がいるという誤った見解)を正しいと考え、パンチャカンダ(ルーパ、ヴェーダナー、サンニャー、サンカーラ、ヴィンニャーナという、生命を構成する五つの塊)のいずれかを自分ないし自分の一部とみなすことです。経典によれば、サッカーヤディッティは20種類あるとされています。パンチャカンダの一つ一つをつぎのように4通りに考えると20種類になります。ルーパ(物質)の場合は「物質を自分とみなす、自分は物質を所有しているとみなす、物質は自分の一部であるとみなす、自分は物質の一部であるとみなす。」となります。ヴェーダナー(感受)、サンニャー(認知)、サンカーラ(意思の力による形成作用)、ヴィンニャーナ(認識機能)についても同じように繰り返します(例えば中部経典 44/I,300参照)。カームパーダーナはローバ(貪欲)が表現されたものです。残りの三つのウパーダーナはディッティというチェータスィカの側面を示しています。

第8節 ニーヴァラナ(妨害)

チャ ニーヴァラナーニ カーマッチャンダニーヴァラナン 
ヴャーパーダニーヴァラナン ティーナミッダニーヴァラナン 
ウッダッチャクックッチャニーヴァラナン ヴィチキッチャーニーヴァラナン
アヴィッジャーニーヴァラナン

六つのニーヴァラナ(妨害)とは、(1)カーマッチャンダニーヴァラナ(官能的欲望という妨害)、(2)ヴャーパーダニーヴァラナ(悪意という妨害)、(3)ティーナミッダニーヴァラナ(怠惰、無気力という妨害)、(4)ウッダッチャクックッチャニーヴァラナ(不穏・興奮、後悔という妨害)、(5)ヴィチキッチャーニーヴァラナ(疑いという妨害)、(6)アヴィッジャーニーヴァラナ(ブッダ、ダンマ、サンガとブッダの教えに対する疑いという妨害)です。

第8節へのガイド

 ニーヴァラナ(妨害)は天界への再生を妨害すること、ニッバーナに達するのを妨害することという二つの点からその名前がついています。注釈書によればニーヴァラナ(妨害)とはまだ生じていない善が生じるのを妨げ、生じている善が持続するのを妨げるチェータスィカとされています。(1)~(5)はジャーナ(禅定)を得る上での主な妨害です。六番目のニーヴァラナ(妨害)はニャーナ(智慧)が生じる上での主要な妨害因子となります。
 ニーヴァラナ(妨害)にはチェータスィカが8つ含まれていますが、(4)、(5)は二つのチェータスィカを一つのニーヴァラナ(妨害)として扱っています。アビダンマの注釈書では、ティーナ(怠惰)とミッダ(無気力)、そしてウッダッチャ(不穏・興奮)とクックッチャ(後悔)は、それぞれの機能、条件、解毒剤が一緒であるためまとめて一つにしてあると説明されています。ティーナ(怠惰)とミッダ(無気力)には精神活動を緩慢にさせるという働きがあり、怠けや眠気を条件とし、エネルギーを高めることが拮抗します。ウッダッチャ(不穏・興奮)とクックッチャ(後悔)には不安・緊張・いらつきを生じさせるという共通の働きがあります。共に集中を乱す思考が条件となります。静けさを育てることで拮抗することが出来ます。

第9節 アヌサヤ(潜在的な心の傾向)

サッターヌサヤー カーマラーガーヌサヨー バヴァラーガーヌサヨー 
パティガーヌサヨー マーナーヌサヨー ディッターヌサヨー 
ヴィチキッチャーヌサヨー アヴィッジャーヌサヨー

7つのアヌサヤ(潜在的な心の傾向)とは、(1)カーマラーガ(官能的な欲望)というアヌサヤ、(2)バヴァラーガ(存在への執着)というアヌサヤ、(3)パティガ(嫌悪)というアヌサヤ、(4)マーナ(自惚れ)というアヌサヤ、(5)ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)というアヌサヤ、(6)ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)というアヌサヤ、(7)アヴィッジャー(真理に対する無知)というアヌサヤ、です。

第9節へのガイド

 アヌサヤ(潜在的な心の傾向)とは、それが所属する精神的なプロセスによりそうキレーサ(心の汚れ)で、条件が揃った時にはいつでも執着という形で表面化します。アヌサヤ(潜在的な心の傾向)という表現は、キレーサ(心の汚れ)は、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)の道の智慧で根絶しない限りいつでも現れることを強調しています。ある意味全てのキレーサ(心の汚れ)はアヌサヤ(潜在的な心の傾向)ですが、ここで挙げた7つはその中でも特に顕著なアヌサヤ(潜在的な心の傾向)です。カーマラーガ(官能的欲望)とバヴァラーガ(存在への執着)はローバ(欲)というチェータスィカの一二つの様相を表しています。残りの5つはそれぞれ同じ名前のチェータスィカに相当します。ですから、全部で6つのチェータスィカがアヌサヤ(潜在的な心の傾向)として働きます。

第10節 スッタピタカ(経蔵)に示されているサンヨージャナ(足枷)

ダサ サンヨージャナーニ カーマラーガサンヨージャナン
ルーパラーガサンヨージャナン アルーパラーガサンヨージャナン
パティガサンヨージャナン マーナサンヨージャナン ディッティサンヨージャナン
スィーラッバタパラーマーササンヨージャナン ヴィチキッチャーサンヨージャナン
ウッダッチャサンヨージャナン アヴィッジャーサンヨージャナン スッタンテー

スッタピタカ(経蔵)における10個のサンヨージャナ(足枷)とは、(1)カーマラーガ(官能的欲望)というサンヨージャナ、(2)ルーパブーミ(物質を対象にした禅定に達した人が再生する生存領域)での生存への執着というサンヨージャナ、(3)アルーパブーミ(物質でないものを対象にした禅定に達した人が再生する生存領域)での生存への執着というサンヨージャナ、(4)パティガ(嫌悪)というサンヨージャナ、(5)マーナ(自惚れ)というサンヨージャナ、(6)ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)というサンヨージャナ、(7)スィーラッバタパラーマーサ(儀式・儀礼へのこだわり)というサンヨージャナ、(8)ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)というサンヨージャナ、(9)ウッダッチャ(不穏・興奮)というサンヨージャナ、(10)アヴィッジャー(真理に対する無知)というサンヨージャナ、です。

第11節 アビダンマでピタカ(論蔵)に示されているサンヨージャナ(足枷)

アパラーニ ダサ サンヨージャナーニ カーマラーガサンヨージャナン
バヴラーガサンヨージャナン パティガサンヨージャナン
マーナサンヨージャナン ディッティサンヨージャナン
スィーラッバタパラーマーササンヨージャナン ヴィチキッチャーサンヨージャナン
イッサーサンヨージャナン マッチャリヤサンヨージャナン
アヴィッジャーサンヨージャナン アビダンメー

アビダンマピタカ(論蔵)における10個のサンヨージャナ(足枷)とは、(1)カーマラーガ(官能的欲望)というサンヨージャナ、(2)バヴァラーガ(生存への執着)というサンヨージャナ、(3)パティガ(嫌悪)というサンヨージャナ、(4)マーナ(自惚れ)というサンヨージャナ、(5)ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)というサンヨージャナ、(6)スィーラッバタパラーマーサ(儀式・儀礼へのこだわり)というサンヨージャナ、(7)ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)というサンヨージャナ、(8)イッサー(嫉妬)というサンヨージャナ、(10)アヴィッジャー(真理に対する無知)というサンヨージャナ、です。

第10、11節へのガイド

サンヨージャナ(足枷)は生命を生存の繰り返しに繋ぎ止めるチェータスィカです。第10節の10個は、スッタピタカ(経蔵)、アビダンマピタカ(論蔵)のどちらにも書かれています。第11節の10個はアビダンマピタカ(経蔵)にしか見られません。第10節の10個のうち、(1)~(3)はローバ(欲)の三つの様相を示しています。(6)~(7)はディッティ(真理にそぐわない誤った見解)の二つの様相です。残りはそれぞれが別個のチェータスィカです。第11節の(1)~(2)はローバ(欲)の一面であり、(5)~(6)はディッティ(真理にそぐわない誤った見解)の一面を示しています。残りはそれぞれが別個のチェータスィカです。

第12節 キレーサ(心の汚れ)

ダサ キレーサー ローボー ドーソー モーホー マーノー ディッティ ヴィチキッチャー ティーナン ウッダッチャン アヒリカン アノッタッパン

10個のキレーサ(心の汚れ)とは、(1)ローバ(欲)、(2)ドーサ(怒り)、(3)モーハ(真理がわからず混乱した状態)、(4)マーナ(高慢)、(5)ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)、(6)ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)、(7)ティーナ(怠惰)、(8)ウッダッチャ(不穏・興奮)、(9)アヒリカ(不善な行為を恥じない)、(10)アノッタッパ(不善な行為を恐れない)、です。

第12節へのガイド

キレーサ(心の汚れ)は、心を悩ませ(キリッサンティ)苦しめること、生命を汚してどろどろで堕落した状態へと引き摺り下ろすことからその名前が付けられています。

第13節 分類

アーサヴァーディース パネーッタ カーマバヴァナーメーナ タッバットゥカー
タンハー アディッペータ スィーラッバタパラーマーソー
イダンサッチャービニヴェーソー アッタヴァードゥパーダーナン チャ
タターパヴァッタン ディッティガタン エーヴァ パヴッチャティ

ここで説明しているアーサヴァ(流れ出る腐敗物)などの中で、カーマラーガ(官能的欲望)とバヴァラーガ(生存への執着)という二つの用語はタンハー(渇愛)を念頭に置いて使っています。何故ならタンハー(渇愛)はカーマラーガ(官能的欲望)とバヴァラーガ(生存への執着)が土台になっているからです。スィーラッバタパラーマーサ(儀式・儀礼へのこだわり)、イダンサッチャービニヴェーサ(これだけが真理であるという独善的な信条)、アッタヴァートゥパーダーナ(自我という信条にしがみつくこと)と説明されているのはアヴィッジャー(真理に対する無知)です。何故ならアヴィッジャーはそうした状態から生じるためです。

第14節 要約

アーサヴォーガー チャ ヨーガー チャ タヨー ガンター チャ ヴァットゥトー
ウパーダーナー ドゥヴェー ヴッター アッタ ニーヴァラナー スィユン
チャレーヴァーヌサヤー ホーンティ ナヴァ サンヨージャナー マター
キレーサー ダサ ヴットーヤン ナヴァダー パーパサンガホー

アーサヴァ(流れ出る腐敗物)、オーグハ(激流)、ヨーガ(束縛)、ガンタ(結び付けるもの)にはそれぞれ3つの項目があります。ウパーダーナ(しがみつくこと)は2つの項目があります。ニーヴァラナ(妨害)には8つの項目があります。

アヌサヤ(潜在的な心の傾向)に属する項目は6つだけです。サンヨージャナ(足枷)は9つあります。キレーサ(心の汚れ)は10個です。このようにアクサラサンガハ(不善の概要)は9通りになります。

第14節へのガイド

この節ではアクサラ(不善)に関する異なるカテゴリーがどのようにして14個のチェータスィカに集約されるかを示しています。表7.1はその結果をまとめたものです。

ミッサカサンガハ(善、不善、善でも不善でもないものをミックスしたカテゴリーについての概要)

第15節 へートゥ(チッタを安定させる根)

ミッサカサンガヘー チャ へートゥ ローボー ドーソー モーホー アローボー アドーソー アモーホー

ミッサカサンガハ(善、不善、善でも不善でもないものをミックスしたカテゴリーについての概要)の最初は6つのへートゥ(チッタを安定させる根)です。(1)ローバ(欲)、(2)ドーサ(怒り)、(3)モーハ(真理に対する無知)、(4)アローバ(欲から離れること)、(5)アドーサ(怒りから離れること)、(6)アモーハ(真理に対する無知から離れること)。

第15節へのガイド

ミッサカサンガハ(善、不善、善でも不善でもないものをミックスしたカテゴリーについての概要)は、道徳的に健全なもの、不健全なもの、そのどちらでもないものをミックスしたカテゴリー分類を示しているため、その名前がついています。へートゥ(チッタを安定させる根)については第3章、第5節を参照してください。

第16節 ジャーナンガ(禅定の要素)

サッタ ジャーナンガーニ ヴィタッコー ヴィチャーロー ピーティー エーカッガター
ソーマナッサ ドーマナッサ ウペッカー

7つのジャーナンガ(禅定の要素)とは、(1)ヴィタッカ(対象に注意を向わせるチェータスィカ)、(2)ヴィチャーラ(対象に注意を留めるチェータスィカ)、(3)ピーティー(対象に集中することから生じる喜び)、(4)エーカッガター(一つの対象に集中させるチェータスィカ)、(5)ソーマナッサ(精神的な楽しさ)、(6)ドーマナッサ(精神的な苦しさ)、(7)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)です。

第16節へのガイド

ここでは、瞑想での没入状態という通常の意味でのジャーナ(禅定)とは異なり、対象に意識が集中した状態(ウパニッジャーヤナ)という、もっと広い意味でジャーナという言葉を使っています。このため、瞑想という枠組みから外れるものも含めてジャーナンガ(禅定の要素)としています。ここで挙げた7つのチェータスィカは心を対象に集中させることが出来ることからジャーナンガ(禅定の要素)と呼ばれます。この中で、ドーマナッサ(精神的な苦しさ)は例外なくアクサラ(不善)であり、パティガ(嫌悪)に結びついた二つのチッタにのみ生じます。残りの6つは、それが生じるチッタにより、善、不善、善でも不善でもない状態のいずれにもなる可能性があります。

第17節 マッガンガ(道の要素)

ドウヴァーダサ マッガンガーニ サンマーディッティ サンマーサンカッポー
サンマーヴァーチャー サンマーカンマントー サンマーアージーヴォー サンマーヴァーヤーモー サンマーサティ サンマーサマーディー ミッチャーディッティ
ミッチャーサンカッポー ミッチャーヴァーヤーモー ミッチャーサマーディ

12個のマッガンガ(道の要素)は、(1)サンマーディッティ(正しい見解)、(2)サンマーサンカッパ(正しい志向)、(3)サンマーヴァーチャー(正しい言葉)、(4)サンマーカンマンタ(正しい行い)、(5)サンマーアージーヴァ(正しい生計)、(6)サンマーヴァーヤーマ(正しい努力)、(7)サンマーサティ(正しい気づき)、(8)サンマーサマーディー(正しい集中)、(9)ミッチャーディッティ(正しくない見解)、(10)ミッチャーサンカッパ(正しくない志向)、(11)ミッチャーヴァーヤーマ(正しくない努力)、(12)ミッチャーサマーディー(正しくない集中)です。

第17節へのガイド

ここではマッガ(道)という言葉を特定の目的地、つまり恵まれた生存状態、悲惨な生存状態、ニッバーナ(涅槃)へ導く道という意味で使っています。12個の要素の中で、最初の8つは恵まれた生存状態とニッバーナ(涅槃)へ導きます。残りの4つは悲惨な生存状態へと導きます。
この12個のマッガンガ(道の要素)は、9つのチェータスィカに集約することが出来ます。サンマーディッティ(正しい見解)はパンニャー(智慧)というチェータスィカのことです。サンマーサンカッパ(正しい志向)、サンマーヴァーヤーマ(正しい努力)、サンマーサティ(正しい気づき)、サンマーサマーディー(正しい集中)はそれぞれ、ヴィタッカ(対象に注意を向わせる)、ヴィリヤ(エネルギー)、サティ(気づき)、エーカッガター(単一の対象への集中)というチェータスィカに相当します。これらはサヘートゥカクサラ(チッタを安定させる根を持つ、善業を作る)チッタ、サヘートゥカアヴャーカタ(チッタを安定させる根をもつ、善でも不善でもない)チッタに見られます。サンマーヴァーチャー(正しい言葉)、サンマーカンマンタ(正しい行い)、サンマーアージーヴァ(正しい生計)は三つのヴィラティ(節制)に相当します。ロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域における)チッタにはこの三つが揃って見られます。プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人)のチッタには三つが別々に、そして特別な時だけ、生じます。

4つのミッチャーマッガンガ(正しくない道の要素)のうち、ミッチャーディッティ(正しくない見解)はディッティ(真理にそぐわない誤った見解)というチェータスィカに相当します。マッガンガ(道の要素)の中で、例外なくアクサラ(不善業を作る)であるチェータスィカはこれのみです。残りの3つの要素は順番に、ヴィタッカ(対象に注意を向かわせる)、ヴィリヤ(エネルギー)、エーカッガター(単一の対象に対する集中)に相当し、アクサラ(不善業を作る)チッタに見られます。ミッチャーヴァーチャー(正しくない言葉)、ミッチャーカンマンタ(正しくない行い)、ミッチャーアージーヴァ(正しくない生計)という項目はありません。何故なら、これらはキレーサ(心の汚れ)を動機とする不健全な行為の側面を示しているだけだからです。ミッチャーサティ(正しくない気づき)という項目がありませんが、その理由はサティ(気づき)は例外なくソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカであり、アクサラ(不善業を作る)チッタには見られないからです。

第18節 インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)

バーヴィサティンドゥリヤーニ チャックンドゥリヤン ソーティンドゥリヤン
ガーニンドゥリヤン ジヴィンドゥリヤン カーインドゥリヤン イッティンドゥリヤン
プリスィンドゥリヤン ジーヴィティンドゥリヤン マニンドゥリヤン スキンドゥリヤン
ドゥッキンドィウリヤン ソーマナッスィンドゥリヤン ドーマナッスィンドゥリヤン
ウペッキンドゥリヤン サッディンドゥリヤン ヴィリンドゥリヤン サティンドゥリヤン
サマーディンドゥリヤン パンニンドゥリヤン アナンニャータンニャッサーミーティンドゥリヤン アンニンドゥリヤン アンニャーターヴィンドゥリヤン

22種類のインドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)とは、(1)チャック(眼)というインドゥリヤ、(2)ソータ(耳)というインドゥリヤ、(3)ガーナ(鼻)というインドゥリヤ、(4)ジヴァー(舌)というインドゥリヤ、(5)カーヤ(身体)というインドゥリヤ、(6)イッタ(女性)というインドゥリヤ、(7)プリサ(男性)というインドゥリヤ、(8)ジーヴィタ(命)というインドゥリヤ、(9)マナ(精神的な活動)というインドゥリヤ、(10)スカ(身体の楽しさと)いうインドゥリヤ、(11)ドゥッカ(身体の苦しさ)というインドゥリヤ、(12)ソーマナッサ(精神的な楽しさ)というインドゥリヤ、(13)ドーマナッサ(精神的な苦しさ)というインドゥリヤ、(14)ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)というインドゥリヤ、(15)サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガに対する確信)というインドゥリヤ、(16)ヴィリヤ(頑張るエネルギー)というインドゥリヤ、(17)サティ(現象の本質をありのままに観察すること)というインドゥリヤ、(18)サマーディー(一つの対象に集中すること)というインドゥリヤ、(19)パンニャー(真理を洞察する智慧)というインドゥリヤ、(20)アナンニャータンニャッサーマ(知らなかったものを知ること)というインドゥリヤ、(21)アンニャー(最終的な智慧)というインドゥリヤ、(22)アンニャーターヴァ(最終的な智慧を得た人)というインドゥリヤ、です。

第18節へのガイド

インドゥリヤは、それぞれの領域で関連する状態をコントロールする現象です。最初の5つは、5つの物質的な感覚と同じものです。性に関連する二つのインドゥリヤ(6、7)は二つの性という物質的現象と同じです。命というインドゥリヤ(8)は2通りあり、精神的な命と、物質的な命です。精神的な活動というインドゥリヤ(9)はチッタ全体、つまり89種類あるチッタのことです。ヴェーダナー(感受)に関連する5つのインドゥリヤ(10~14)については前に説明しました(第3章、第2節)。15~ 19のインドゥリヤについては後の第27節にもう一度出てきます。また、最後の3つのインドゥリヤについては第22節で説明します。

第19節 バラ(力)

ナヴァ バラーニ サッダーバラン ヴィリヤバラン サティバラン サマーディバラン パンニャーバラン ヒリバラン オッタッパバラン アヒリカバラン アノッタッパバラン

9つのバラ(力)とは、(1)サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガに対する確信)というバラ、(2)ヴィリヤ(頑張るエネルギー)というバラ、(3)サティ(現象の本質をありのままに観察すること)というバラ、(4)サマーディー(一つの対象に集中すること)というバラ、(5)パンニャー(真理を洞察する智慧)というバラ、(6)ヒリ(不善を恥じること)というバラ、(7)オッタッパ(不善を恐れること)というバラ、(8)アヒリカ(不善を恥じないこと)というバラ、(9)アノッタッパ(不善を恐れないこと)というバラ、です。

第19節へのガイド

この9つのバラ(力)は、その反対の作用により揺るぐことがない、そしてそれに付随するものを強化するという二つの理由からそのように呼ばれています。(1)、(3)、(5)、(6)、(7)はクサラ(善)の場合とクサラ(善)でもアクサラ(不善)でもない場合の2通りあります。(8)と(9)は例外なくアクサラ(不善)です。(2)と(4)はクサラ(善)、アクサラ(不善)、クサラ(善)でもアクサラ(不善)でもない、の3通りあります。

第20節 アディパティ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)

チャッターロ アディパティ チャンダーディパティ ヴィリヤーディパティ 
チッターディパティ ヴィーマンサーディパティ

4つのアディパティとは(1)チャンダ(意欲)というアディパティ、(2)ヴィリヤ(頑張るエネルギー)というアディパティ、(3)チッタというアディパティ、(4)ヴィーマンサ(探究)というアディパティ、です。

第20節へのガイド

 アディパティはそれに関連する付随的な状態を支配する要素であり、困難であるが重要な作業に取り組み、それを成し遂げます。アディパティ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)とインドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)との相違はコントロールする程度と範囲です。アディパティはチッタ全体を強力にコントロールします。一方、インドゥリヤの場合はコントロール出来るのはそれぞれに特有の領域だけです。このため、単一のチッタに複数のインドゥリヤが同時に存在することがある一方で、アディパティの場合はいかなる時点でも一つのチッタに一つのアディパティしか存在しません。この観点からは、アディパティは王様に例えられます。国の首長として大臣全員を支配します。一方、インドゥリヤは大臣に例えられています。自分の担当する範囲のみ支配することが出来ますが、他の部署に干渉することは出来ません。
 4つのアディパティはチャンダ(意欲)というチェータスィカ(チャンダは行動したいとういう欲求であり、欲望を意味するローバと混同しないようにして下さい)、ヴィリヤ(エネルギー)というチェータスィカ、チッタ、そしてヴィーマンサ(探究)(ここではこのように呼ばれていますがパンニャー、智慧と同じものです)というチェータスィカです。チャンダ、ヴィリヤ、チッタは52種類のジャヴァナチッタのみ支配しますが、2種類のモーハムーラ(真理がわからず混乱した状態、というチッタを安定させる根を持つ)チッタとアラハッタ(最終的な悟りを得て輪廻からの解放を成し遂げた聖者)のハスィトゥッパーダ(微笑を作り出す)チッタは除きます。ヴィーマンサは32種類あるティヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる根を3つ持つ)ジャヴァナチッタのみ支配します。アディパティは一度に一つしか生じません。またそれが支配するのは精神的な状態のみです。ヴィーマンサはクサラ(善)の場合とクサラ(善)でもアクサラ(不善)でもない場合の2通りあります。他の三つのアディパティはクサラ(善)、アクサラ(不善)、クサラ(善)でもアクサラ(不善)でもない、の3通りあります。

第21節 アーハーラ(栄養)

チャッターロー アーハーラー カバリーカーローアーハーロー パッソードゥティヨー 
マノーサンチェータナー タティヤー ヴィンニャーナン チャトゥッタン

4つのアーハーラ(栄養)とは、(1) カバリーカーローアーハーラ(食べられる食物)、(2)パッサ(対象との接触)、(3)マノーサンチェータナー(精神的な意思)、(4)ヴィンニャーナ(=チッタ)、です。

第21節へのガイド

アーハーラ(栄養)という言葉は、何かを強く支えて維持させるものと言う意味で使われています。スッタンタ(経蔵)の説明によれば、カバリーカーローアーハーラ(食べられる栄養)は物質としての身体を支え維持します。パッサ(対象との接触)はヴェーダナー(苦しい、楽しい、苦しくも楽しくもない、という感受)を支え維持します。マノーサンチェータナー(精神的な意思)は三つの生存領域(カーマブーミ、ルーパブーミ、アルーパブーミ)への再生を支え維持します。何故ならチェータナー(意思)はカンマ(業)を作り出し、カンマ(業)が再生をもたらすからです。ヴィンニャーナ(=チッタ)はナーマ(精神的活動)とルーパ(物質として身体)の複合体を支え、維持します。一方、アビダンマの説明によれば、カバリーカーローアーハーラ(食べられる栄養)は4通りの方法で身体に生じる物質的現象を支え維持します。残りの三つのアーハーラはそれに関連する全ての精神的ないし物質的現象を支え、維持します。カバリーカーローアーハーラ(食べられる栄養)はクサラ(善)でもアクサラ(不善)でもありませんが、それ以外のアーハーラはクサラ(善)、アクサラ(不善)、クサラ(善)でもアクサラ(不善)でもない、の3通りあります。

第22節 明快に理解するための説明

インドゥリイェース パネーッタ ソーターパッティマッガニャーナン 
アナンニャータンニャッサーミーティンドゥリヤン アラハッタパラニャーナン
アンニャーターヴィンドゥリヤン マッジェー チャー ニャーナーニ 
アンニンドゥリヤーニ ティ パヴッチャンッティ ジーヴィティンドゥリヤン
チャ ルーパールーパヴァセーナ ドゥヴィダン ホーティ

インドゥリヤ(関連する事象を支配する要素)のうち、「私はまだ知らないことをこれから知るだろう」というインドゥリヤはソーターパッティ(悟りの第一段階を得て、悲惨な生存世界への再生が無くなった聖者)のマッガニャーナ(道の智慧)です。最終的な智慧に達した者というインドゥリヤはアラハッタ(悟りの最終段階を得て、輪廻からの解放を成し遂げた聖者)のパラニャーナ(果の智慧)です。ジーヴィティンドゥリヤ(命というインドゥリヤ)はルーパ(物質)とアルーパ(物質でないもの)の二通りあります。

パンチャヴィンニャーネース ジャーナンガーニ アヴィリイェース バラーニ 
アヘートゥケース マッガンガーニ ナ ラッバンティ タター 
ヴィチキッチャーチッテー エーカッガター マッギンドゥリヤバラバーヴァン ナ
ガッチャティ ドゥヴィヘートゥカティヘートゥカジャヴァネースヴェーヴァ
ヤターサンバヴァン アディパティ エーコーヴァ ラッバティ

ジャーナンガ(禅定の要素)は5つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、ヴィリヤ(エネルギー)を伴わないバラ(力)、アヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる根を一つも持たない)の人のマッガンガ(道の要素)には見られません。そして、ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)を伴うチッタの場合も、エーカッガター(単一の対象に対する集中)はジャーナンガ(禅定の要素)、インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)、バラ(力)の水準まで達しません。アディパティ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)は状況に応じて一度に一つだけ生じます。またアディパティ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)は状況に応じて、ドゥヴィヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる根を二つ持つ)、ティヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる根を三つ全て持つ)で生まれた人のジャバナにしか生じません。

第22節へのガイド

五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)は、それぞれの対象と単に対峙するだけの現象です。五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)の機能と物質的な基盤は弱く、また認識過程の基本的な場所を占めるため、対象を詳細に洞察する働きに関わることはありません。従って五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)に付随するヴェーダナー(感受)やエーカッガター(単一の対象への集中)はジャーナンガ(禅定の要素)の水準まで達することはありません。さらに、ヴィタッカ(対象に注意を向かわせること)はジャーナンガ(禅定の要素)の土台となりますが、五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)にはヴィタッカがありません。より高いレベルのジャーナ(禅定)に達した時にヴィタッカが脱落しますが、この場合はそれが理由ではなく、五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)の機能があまりにも原始的なためヴィタッカを含むことがないためです。

 同様に、バラ(力)の水準まで達するためには、チッタの中にヴィリヤ(エネルギー)が必要です。従ってヴィリヤ(エネルギー)を伴わない16種類のチッタでは、エーカッガター(単一の対象への集中)というチェータスィカが(ジャーナに達するレベルの)集中力としての働きを果たすことが出来ません。

 ヘートゥ(アローバ・アドーサ・アモーハというチッタを安定させる根)を持たないチッタは特定の目標に導く道として働くことが出来ません。従ってマッガンガ(道の要素)は18種類あるアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタには見られません。

 ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)を伴うチッタの場合、エーカッガター(単一の対象に対する集中)はアディモッカ(決意)によって強化されることはなく、優柔不断で安定しないその性質のため、ヴィチキッチャーに打ち負かされてしまいます。そのため、マッガンガ(道の要素)、インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)、バラ(力)の水準に達することはありません。

 アディパティ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)は一度に一つしか生じません。これはアディパティに本来備わった性質のためです。すなわち、どのチッタでもアディパティとして機能するのは一つの状態だけです。そして、ドゥヴィヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる根を二つ持つ)、ティヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる根を三つ全て持つ)で生まれた人のジャヴァナにしか生じません。「状況に応じて」というのは、四つあるアディパティのうちの一つが機能した時、という意味です。

第23節 まとめ

チャ ヘートゥ パンチャ ジャーナンガ マッガンガー ナヴァ ヴァットゥトー
ソーラシンドゥリヤダンマー チャ バラダンマー ナヴェーリター 
チャッターローディパティ ヴッター タターハーラー ティ サッタダー
クサラーディサマーキンノー ヴットー ミッサカサンガホー

独立した項目として、6つのヘートゥ(チッタを安定させる根)、5つのジャーナンガ(禅定の要素)、9つのマッガンガ(道の要素)、16個のインドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)、9つのバラ(力)について説明しました。同様に、4つのアディパティ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)と4つのアーハーラ(栄養)についても述べました。こうして、クサラ(善)とそれ以外の状態を組み合わせたミッサカサンガハ (善、不善、善でも不善でもないものをミックスしたカテゴリーについての概要)を7通りに説明しました。

第23節へのガイド

 独立した項目としては、ジャーナンガ(禅定の要素)は5つになります。なぜなら、ソーマナッサ(精神的な楽しさ)、ドーマナッサ(精神的な苦しさ)、ウペッカー(楽しくも苦しくもない状態)はヴェーダナー(感受)という一つのチェータスィカとみなされるからです。マッガンガ(道の要素)が9つに集約される理由は既に説明しました。インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)が16個になります。これは、(10)~(14)がヴェーダナー(感受)という一つのチェータスィカで代表され、(19)~(22)はパンニャー(智慧)というチェータスィカの異なる様相を示しているからです。また、ジーヴィティンドゥリヤ(命というインドゥリヤ)は2つの独立した項目になります。これは、28種類の物質的現象をルーパ(物質的現象)として一つの独立した項目にまとめ、精神的なものである残りの52種類のチェータスィカをアルーパ(精神的なもの)として一つに数えるからです。

 ミッサカサンガハ (善、不善、善でも不善でもないものをミックスしたカテゴリーについての概要)に属する項目が、道徳的な観点も踏まえてどのように分布するかを表7.2に示します。

ボディパッキヤサンガハ(覚りの必要条件)

第24節 4つのサティパッターナ(気づきの土台):

ボディパッキヤサンガへー チャッターロー サティパッターナー
カーヤヌパッサナーサティパッターナン
ヴェーダナーヌパッサナーサティパッターナン
チッターヌパッサナーサティパッターナン
ダンマーヌパッサナーサティパッターナン

ボディパッキヤサンガハ(覚りの必要条件)の中に、4つのサティパッターナ(気づきの土台)があります。(1) カーヤヌパッサナーサティパッターナ(身体を対象にした気づきの瞑想という土台)、(2)ヴェーダナーヌパッサナーサティパッターナ(感受を対象にした気づきの瞑想という土台)、(3)チッターヌパッサナーサティパッターナ(チッタを対象にした気づきの瞑想という土台)、(4)ダンマーヌパッサナーサティパッターナ(イメージなどの精神的現象を対象にした気づきの瞑想という土台)、です。

第24節へのガイド

ボディパッキヤ(覚りの必要条件):パーリ語のボディパッキヤダンマの意味は「覚りの側にある状態」です。スッタピタカ(経蔵)にはほとんど見られない言葉ですが、後代の文献においてブッダの教えを実践する上での条件を37個に凝縮したものとして広く使われる用語になりました(ディーガニカーヤ=長部経典16/ii,120、マッジマニカーヤ=中部経典77/ii,11-12参照)。この37個の要素は、覚り、すなわち4つのロークッタラマッガニャーナ(涅槃を悟った聖者たちの道の智慧)へと導くことから、「覚りの必要条件」と呼ばれています。37個のボディパッキヤ(覚りの必要条件)は、これから示すように7つのグループに別れます。

4つのサティパッターナ(気づきの土台):ここで使われているパッターナという言葉には二つの意味が込められています。一つは「準備を整える」(あるいは「適用」=ウパッターナ)という意味です。もう一つは「土台」という意味で、サティ(現象の本質に対する気づき)の土台です。4つのサティパッターナ(気づきの土台)は、気づきと洞察を培うための瞑想実践を進めるうえで完璧なシステムとなっています。この瞑想実践の方法は、長部経典22、中部経典10という二つの経典と、サティパッターナサンユッタ(念住相応)という短い経を集めた経典(サンユッタニカーヤ=相応部経典に詳細に書かれています。3

4つのサティパッターナ(気づきの土台)は、瞑想の中で現象の本質にありのままに気づくという共通の本質を持っています。4つの別れているのは、気づきの瞑想の対象にはカーヤ(身体)、ヴェーダナー(感受)、チッタの状態、ダンマ(イメージなどの精神的な対象)の4種類あるからです。ダンマに含まれるのはは5つのニーヴァラナ(障害)、5つのカンダ(生命を構成する塊)、6つのヴィンニャーナヴァットゥ(感覚基盤)、7つのサンボッジャンガ(覚りの要素)、4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)です。4つのサティパッターナ(気づきの土台)の実践は、アーリヤアッティンギカマッガ(聖なる八正道)の7番目であるサンマーサティ(正しい気づき)と同じものです。

第25節 4つのサンマッパダーナ(最高の努力)

チャッターロー サンマッパダーナー ウッパンナーナン パーパカーナン ダンマーナン パハーナーヤ ヴァーヤーモー アヌッパンナーナン パーパカーナン ダンマーナン
アヌッパーヤーダ ヴァーヤーモー アヌッパンナーナン クサラーナン ダンマーナン
ウパーダーヤ ヴァーヤーモー ウッパンナーナン クサラーナン ダンマーナン
ビッヨーバービャーヤ ヴァーヤーモー

サンマッパダーナ(最高の努力)は4つあります。(1)既に生じている不善を捨て去る努力、(2)まだ生じていない不善が生じないようにする努力、(3)まだ生じていない善を育てる努力、(4)すでに生じている善を更に高める努力、です。

第25節へのガイド

四つのサンマッパダーナ(最高の努力):ここではヴァーヤーマ(努力)というチェータスィカが4つの異なる働きをします。この4つの努力はアーリヤアッティンギカマッガ(聖なる八正道)の6番目、サンマーヴァーヤーマ(正しい努力)と同じです。

第26節 4つのイッディパーダ(目的を遂げる方法)

チャッターロー イッディパーダー チャンディッディパードー ヴィリイッディパードー チッティッディパードー ヴィーマンスィッディパードー

イッディパーダ(目的を遂げる方法)には4つあります。(1)チャンダ(意欲)というイッディパーダ、(2)ヴィリヤ(頑張るエネルギー)というイッディパーダ、(3)チッタというイッディパーダ、(4)ヴィーマンサ(探求)というイッディパーダ、です。

第26節へのガイド

4つのイッディパーダ(目的遂げるための方法):ここで使われているイッディという言葉は、ブッダの教えを努力して実践することにより達することが出来る崇高で世俗を超えた状態の全てを意味します。それを達成するための基本的な方法がイッディパーダと呼ばれます。4つのイッディパーダ(目的遂げるための方法)は、アディパティ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)(第20節)と同じものです。しかしながら、この4つの状態は、目的を達成するという機能を果たす場合、どんな時でもアディパティとみなされる一方で、ブッダの教えの目的を達成する時だけイッディパーダと呼ばれます。イッディパーダはローキヤ(涅槃を悟っていない普通の一つたちの意識)とロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識)の双方で使われます。4

第27節 5つのインドゥリヤ(関連する事象を支配する要素)

パンチインドゥリヤーニ サッディンドゥリヤン ヴィリンドゥリヤン サティンドゥリヤン サマーディンドゥリヤン パンニンドゥリヤン

インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)は5つあります。(1)サッダー(自らの経験に基づいた確信)、(2)ヴィリヤ(エネルギー)、(3)サティ(現象の本質に対する気づき)、(4)サマーディ(集中)、パンニャー(現象の本質を見抜く智慧)、です。

第28節 5つのバラ(力)

パンチャバラーニ サッダーバラン ヴィリヤバラン サティバラン サマーディバラン パンニャーバラン

バラ(力)には5つあります。(1)サッダー(自らの経験に基づいた確信)、(2)ヴィリヤ(エネルギー)、(3)サティ(現象の本質に対する気づき)、(4)サマーディ(集中)、パンニャー(現象の本質を見抜く智慧)、です。

第27~28節へのガイド

インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)とバラ(力)は同じ5つの要素からなりたっていますが、働きが異なります。インドゥリヤはそれぞれの領域でコントロールを実行します。一方、バラは、構成要素は同じですが対立する要素により動揺することが無いようにします。このため、5つのインドゥリヤはそれぞれアディモッカ(決意)、パッガハ(実行)、ウパッターナ(気づき)、アヴィッケーパ(散乱しないこと)、ダッサナ(洞察)という領域をコントロールします。そうしながら対立する要素である優柔不断、怠惰、気づきを怠ること、興奮・錯乱、真理がわからず混乱した状態を克服する手助けをします。5つのバラは同じ状態ですが、それぞれの対立要素により動揺したり、打ち負かされたりするはありません。インドゥリヤを育てる上でサッダー(確信)とパンニャー(智慧)のバランスを維持し、妄信と知識だけの理解という両極端を避けなければなりません。またヴィリヤ(エネルギー)とサマーディ(集中)のバランスを維持して、落ち着きがなく興奮した状態や怠惰でものぐさな状態を避けなければなりません。しかしながら常に強いサティ(気づき)が必要です。何故ならサティがそれ以外の4つの要素を監督し、バランスの維持を可能にするからです。

第29節 7つのサンボッジャンガ(覚りの要素)

サッタ ボッジャンガ サティサンボッジャンガ ダンマヴィチャヤサンボッジャンガ
ヴィリヤサンボッジャンガ ピーティサンボッジャンガ パッサッディサンボッジャンガ
サマーディサンボッジャンガ ウペッカーサンボッジャンガ

サンボッジャンガ(覚りの要素)は7つあります。(1)サティサンボッジャンガ(現象の本質に対する気づきという覚りの要素)、(2)ダンマヴィチャヤサンボッジャンガ(真理に基づいた諸所の状態の探究という覚りの要素)、(3)ヴィリヤサンボッジャンガ(サティを絶やさないように努力するエネルギーという覚りの要素)、(4)ピーティサンボッジャンガ(集中して現象の本質を観察することから得られる喜びという覚りの要素)、(5)パッサッディサンボッジャンガ(集中して現象の本質を観察することから得られる静寂という覚りの要素)、(6)サマーディサンボッジャンガ(現象の生滅を観察することに対する集中という覚りの要素)、(7)ウペッカーサンボッジャンガ(現象の本質を自ら観察した結果から生じる何ものにもとらわれない状態という覚りの要素)、です。

第29節へのガイド

7つのサンボッジャンガ(覚りの要素)の中で、ダンマヴィチャヤはパンニャー(現象の本質を洞察する智慧)と同義であり、精神的な現象、物質的な現象をありのままに洞察します。パッサッディはチッタと物質的な身体、両方の静寂を意味します(第II章、第5節参照)。ここで使われているウペッカーは精神的に何ごとにもとらわれない状態で、ソーバナサーダーラナ(道徳的に美しい、普遍的な)チェータスィカの一つです。ヴェーダナー(感受)におけるウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)とは異なります。ダンマヴィチャヤ、ヴィリヤ、ピーティの3つのサンボッジャンガは精神的に不活発な状態に拮抗します。パッサッディ、サマーディ、ウペッカーという3つのサンボッジャンガは精神的な興奮に拮抗します。サティはこの2つのグループがバランスが取れた状態で生じるようにし、片方が過剰にならないように維持します。

第30節 8つのマッガンガ(道の要素)

アッタ マッガンガーニ サンマーディッティ サンマーサンカッポー サンマーヴァーチャー サンマーカンマントー サンマーアージーヴォー サンマーヴァーヤーモー サンマーサティ サンマーサマーディー

マッガンガ(道の要素)には8つあります。(1)サンマーディッティ(正し見解)、(2)サンマーサンカッパ(正しい意図)、(3)サンマーヴァーチャー(正しい言葉)、(4)サンマーカンマンタ(正しい行い)、(5)サンマーアージーヴァ(正しい生計)、(6)サンマーヴァーヤーマ(正しい努力)、(7)サンマーサティ(正しい気づき)、(8)サンマーサマーディー(正しい集中)、です。

第30節へのガイド

アーリヤアッティンギカマッガ(聖なる八正道)に含まれる8つの要素のうち、サンマーディッティ(正しい見解)は、パンニャー(智慧)というチェータスィカのことであり、4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)を理解するという形で実行に移されます。サンマーサンカッパ(正しい意図)は俗世間から離れること、善意、他の生命を害さないこと、という3つの項目に向けられたヴィタッカ(対象に注意を向かわせること)というチェータスィカです。マッガンガ(道の要素)の(3)から(5)は3つのヴィラティ(節制)と同じです(第2章、第6節)。サンマーヴァーヤーマ(正しい努力)は、4つのサンマッパダーナ(最高の努力)と
同じです(第25節)。サンマーサティ(正しい気づき)は、4つのサティパッターナ(気づきの土台)と同じです(第24節)。サンマーサマーディー(正しい集中)は、スッタンタピタカ(経蔵)では4つのジャーナ(禅定)に関連して定義されています(長部経典、22/ii,313)。

第31節 理解を明確にするための説明

エッタ パナ チャッターロー サティパッターナー ティ サンマーサティ エーカー ヴァ パヴッチャティ タター チャッターロー サンマッパダーナー ティ サンマーヴァーヤーモー

チャッターロー サティパッターナー(4つの気づきの土台)はサンマーサティ(正しい気づき)を指しています。同様に、チャッターロー サンマッパダーナー(4つの最高の努力)は、サンマーヴァーヤーマ(正しい努力)を指しています。

第32節 状態による分類

チャンドー チッタン ウペッカー チャ サッダーパッサッディピーティヨー
サンマーディッティチャ サンカッポー ヴァーヤーモー ヴィラティッタヤン
サンマーサティ サマーディー ティ チュッダセーテー サッバーヴァートー
サッタティンサッパベーデーナ サッタダー タッター サンガホー

7通りに示された37種類のボディパッキヤ(覚りの要素)は、それぞれに本来備わっている性質により、次の14種類の状態から構成されます。チャンダ(意思)、チッタ、ウペッカー(何ごとにもとらわれない状態)、サッダー(ブッダ、ダンマ、サンガに対する確信)、パッサッディ(現象の本質をありのままに観察したことから生じる静寂)、ピーティ(現象の本質をありのまま観察したことから生じる喜び)、サンマーディッティ(正しい見解)、サンマーサンカッパ(正しい意図)、サンマーヴァーヤーマ(正しい努力)、3つのヴィラティ(節制)、サンマーサティ(正しい気づき)、サンマーサマーディー(正しい集中)、です。

第33節 分類の中に現れる回数に基づく分類

サンカッパパッサッディ チャ ピートゥペーッカー チャンドー チャ チッタン
ヴィラティッタヤン チャ ナーヴェーカッターナー ヴィリヤン ナーヴァッタ
サティー サマーディー チャトゥ パンチャ パンニャー サッダー
ドゥッターヌッタマサッタティンサ ダンマーナン エーソー パヴァロー ヴィバーゴー
サッベー ロークッタレー ホーンティ ナ ヴァー サンカッパピーティヨー
ローキイェー ピ ヤターヨーガン チャッビスッディッパヴァッティヤン

37個の卓越した要素を分析すると以下のようになります。サンカッパ(俗世間から離れ、善なる心を育て、生命に危害を加えないという意図)、パッサッディ(現象の本質をありのままに観察した結果生じる静寂)、ピーティ(現象の本質をありのままに観察した結果生じる喜び)、ウペッカー(何ものにもとらわれない片寄の無い境地)、チャンダ(心の汚れを根絶しようという意思)、チッタ、3つのヴィラティ(不善を慎み抑えること)、の9つは一度だけ分類の中に出てきます。ヴィリヤ(エネルギー)は9か所に見られます。サティ(現象の本質に対する気づき)は8か所に見られます。サマーディー(集中が高まり単一の対象に没入した状態)は4か所に見られます。パンニャー(現象の本質を洞察する智慧)は5か所に見られます。サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガへの確信)は2か所に見られます。
ロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)ではこれらの全ての要素が生じますが、時にサンカッパ(意図)とピーティ(喜び)が生じないことがあります。またローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域)での、6段階のヴィシュディ(心の清浄化)の中で、状況に応じて生じます。

第32~33節へのガイド

第32節では37個あるボディパッキヤ(覚りの要素)を14項目に凝縮して説明しています。チッタと13種類のチェータスィカ、合計で14個となります。第33節ではそれぞれの分類にみられる同意語を突き合わせて、分類の中に何回出てくるかという観点から分析しています。その結果は表7・3にまとめてあります。
ヴィリヤ(エネルギー)は、4つのサンマッパダーナ(最高の努力)、イッディパーダ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)、インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)、バラ(力)、サンボッジャンガ(覚りの要素)、マッガンガ(道の要素)、合計で9か所に出てきます。

サティ(気づき)は、4つのサティパッターナ(気づきの土台)、インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)、バラ(力)、サンボッジャンガ(覚りの要素)、マッガンガ(道の要素)、合計で8か所に出てきます。

サマーディー(集中が高まり対象に没入した状態)は、インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)、バラ(力)、サンボッジャンガ(覚りの要素)、マッガンガ(道の要素)、合計で4か所に出てきます。

パンニャー(現象の本質を洞察する智慧)は、イッディパーダ(関連する事象を支配的にコントロールする要素)、インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)、バラ(力)、サンボッジャンガ(覚りの要素)、マッガンガ(道の要素)、合計で5か所に出てきます。

サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガに対する確信)は、インドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)、バラ(力)、合計で2か所に出てきます。残りの要素はいずれも1か所のみ出てきます。

サンカッパ(意図)はジャーナ(禅定)の第2段階より上のロークッタラチッタ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域におけるチッタ)には見られません。サンマーサンカッパ(正しい意図)はヴィタッカ(対象に注意を向かわせること)というチェータスィカであり、ロークッタラマッガパラチッタ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域における道と果のチッタ)が第2段階以上のジャーナ(禅定)と組み合わさった場合、ヴィタッカは無くなっているからです。同様にピーティ(集中がたかまったことで生じる喜び)は第4段階、第5段階のジャーナ(禅定)で生じるロークッタラチッタ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域におけるチッタ)には見られません。

チャッビスッディ(6段階の心の浄化):これはローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域)における心の浄化の6つのステージであり、さらに進んで浄化が極まると、第7段階であるロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)に入ります(第9章、第22節参照)。ロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)の前段階としてよく知られているスィーラ(戒律)、サマーディ(集中)、パンニャー(智慧)という3つのステージを更に
膨らませたのがこの6つのステージです。続く第7段階でロークッタラマッガチッタ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域における道のチッタ)を得ます。ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域)での心の浄化の第6段階では、ここで説明した37個のボディパッキヤ(覚りの要素)が状況に応じて様々な組み合わせで生じます。

サッバサンガハ(全体の概要)

第34節 パンチャカンダ(生命を構成する5つの塊)

サッバサンガヘー パンチャッカンダー ルーパッカンドー ヴェーダナーカンド
サンニャーカンドー サンカーラッカンドー ヴィンニャーナッカンドー

サッバサンガハ(全体の概要)において、パンチャッカンダ(生命を構成する5つの塊)は、(1)ルーパッカンダ(物質としての身体という塊)、(2)ヴェーダナーカンダ(感受という塊)、(3)
サンニャーカンダ(認知という塊)、(4)サンカーラッカンダ(精神的な形成作用という塊)、(5)ヴィンニャーナッカンダ(チッタという塊)、の五つです。

第34節へのガイド

サッバサンガハ(全体の概要):アビダンマ哲学には個々の項目を統合して全体として示す部分があります。この節の目的はそのような全体像を集めて説明することです。全体像を前面に出して説明する目的は、抽象的な存在論を作り上げることではなく、観察して洞察すべき一連の現象を示すことです。これは「全体を直接知ることなしに、そして全体を完全に理解することなしに、苦しみを完全に取り除くことは出来ません(相応部経典35:26/iv,17)」というブッダの言葉として適合します。

パンチャッカンダ(生命を構成する5つの塊):カンダの意味は、グループ、集合、塊(ラースィ)であると理解されています。ブッダは生命を分析し、この5つのグループにより構成されていることを示されました。経典の中で、ブッダは「物質はどの様な物であれ、過去のものであれ、現在のものであれ、未来のものであれ、(身体の)内部のものであれ、(身体の)外部のものであれ、大きなものであれ、小さなものであれ、近くにあるものであれ、遠くにあるものであれ、ルーパッカンダ(物質という塊)と呼ばれます。」と説かれました。他の4つのカンダ(塊)についてもおなじ手法を用いて説明しています(相応部経典22:48/iii,47)
。パンチャッカンダ(生命を構成する5つの塊)とチャトゥッアーリヤサッチャ(4つの聖なる真理)との関係については既に説明しました(第1章、第2節)。

第35節 パンチュパーダーナッカンダ(執着の対象となる5つの塊)

パンチュパーダーナッカンダー ループゥパーダーナッカンドー
ヴェーダヌゥパーダーナッカンドー サンニュパーダーナッカンドー
サンカールパーダーナッカンドー ヴィンニャーヌゥパーダーナッカンドー

パンチュパーダーナーカンダ(執着の対象となる5つの塊)は、(1)ルーパ(物質)という執着の対象となる塊、(2)ヴェーダナー(感受) という執着の対象となる塊、(3)サンニャー(認知) という執着の対象となる塊、(4)サンカーラ(精神的な形成作用)という執着の対象となる塊、(5)ヴィンニャーナ(チッタ)という執着の対象となる塊、です。

第35節へのガイド

パンチュパーダーナーカンダ(執着の対象となる5つの塊):これらはウパーダーナッカンダ(執着の対象となる塊)と呼ばれています。何故なら執着の対象を構成しているからです。ブッダは「物質はどの様な物であれ、過去のものであれ、現在のものであれ、未来のものであれ、(身体の)内部のものであれ、(身体の)外部のものであれ、大きなものであれ、小さなものであれ、近くにあるものであれ、遠くにあるものであれ、アーサヴァに結びつき、執着の対象となるものは、ループゥパーダーナッカンダ(物質という執着の対象となる塊)と呼ばれます。」と説かれました。他の4つのカンダ(塊)についてもおなじ手法を用いて説明しています(相応部経典22:48/iii,48)。ここでは、4種類の執着の範疇に入るパンチャッカンダ(生命を構成する5つの塊)の構成要素は全てパンチュパーダーナーカンダ(執着の対象となる5つの塊)と呼ばれます。これに含まれるのはルーパッカンダの全てとローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域)における、4つの精神的なカンダ(塊)です。ロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)の4つの精神的なカンダ(塊)はウパーダーナッカンダ(執着の対象となる塊)ではありません。何故ならそれらは執着という範疇を完全に超越しているからです。つまり、それらはローバ(欲)やミッチャーディッティ(真理にそぐわない誤った見解)の対象にはなりません。5

第36節 12個のアーヤタナ(感覚の基盤)

ドゥヴァーダサーヤタナーニ チャッカーヤタナン ソーターヤタナン ガーナーヤタナン
ジヴァーヤタナン カーヤーヤタナン マナーヤタナン ルーパーヤタナン サッダーヤタナン ガンダーヤタナン ラサーヤタナン ポッタッバーヤタナン ダンマーヤタナン

12個のアーヤタナ(感覚の基盤)は、(1)チャッカーヤタナ(眼という感覚の基盤)、(2)ソーターヤタナ(耳という感覚の基盤)、(3)ガーナーヤタナ(鼻という感覚の基盤)、(4)ジヴァーヤタナ(舌という感覚の基盤)、(5)カーヤーヤタナ(身体という感覚の基盤)、(6)マナーヤタナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚の基盤)、(7)ルーパーヤタナ(眼に見える形という感覚の基盤)、(8)サッダーヤタナ(音という感覚の基盤)、(9)ガンダーヤタナ(臭いという感覚の基盤)、(10)ラサーヤタナ(味という感覚の基盤)、(11)ポッタッバーヤタナ(触覚を生じさせるものという感覚の基盤)、(12)ダンマーヤタナ(イメージなどの精神的な対象という感覚の基盤)、です。

第36節へのガイド

12個のアーヤタナー(感覚の基盤)は、全体を俯瞰するもう一つの見方です。このように全体像を眺めることで、チッタの門と対象という観点から個別の具体的な項目を観察することが出来ます。アーヤタナ(感覚の基盤)の(1)~(5)は5種類の感覚物質という物質的現象と同じです。(7)~(11)は5つの感覚の対象という物質的現象と同じです。一方、(6)のマナーヤタナ(イメージなどの精神的現象を感じ取る感覚の基盤)はマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門)よりも広い範囲をカバーします。マーナーヤタナはヴィンニャーナッカンダ(チッタという塊)全体と同一であり、81種類のチッタ全てが含まれます。ダンマーヤタナ(イメージなどの精神的な対象という感覚の基盤)は、ダンマーランマナ(精神現象という対象)と完全に一致するわけではなく、他のアーヤタナに見られない項目のみを含みます。ですから、最初の5つの感覚対象となる物質というアーヤタナと5つの感覚物質はダンマーヤタナには含まれません。チッタはマーナーヤタナと同じであり、これもダンマーヤタナには含まれません。またパンニャッティ(概念)も含まれません。何故なら、アーヤタナはパラマッタダンマ(究極の真理)、つまりそれ自体に本来備わっている性質(サバーヴァ)により存在する物だけに使われる言葉であり、概念により創り出さないと存在できないものには使われないからです。ダンマーヤタナに含まれるのは52種類のチェータスィカ、16種類の微細な物質、そしてニッバーナ(涅槃)です。6

第37節 18種類のダートゥ(基本要素)

アッターラサ ダートゥヨー チャックダートゥ ソータダートゥ ガーナダートゥ
ジヴァーダートゥ カーヤダートゥ ルーパダートゥ サッダダートゥ ガンダダートゥ
ラサダートゥ ポッタッバダートゥ チャックヴィンニャーナダートゥ
ソータヴィンニャーナダートゥ ガーナヴィンニャーナダートゥ
ジヴァーヴィンニャーナダートゥ カーヤヴィンニャーナダートゥ マノーダートゥ
ダンマダートゥ マノーヴィンニャーナダートゥ

18個のダートゥ(基本要素)は、(1)チャックダートゥ(眼という基本要素)、(2)ソータダートゥ(耳という基本要素)、(3)ガーナダートゥ(鼻という基本要素)、(4)ジヴァーダートゥ(舌という基本要素)、(5)カーヤダートゥ(身体という基本要素)、(6)ルーパダートゥ(眼に見える形という基本要素)、(7)サッダダートゥ(音という基本要素)、(8)ガンダダートゥ(臭いという基本要素)、(9)ラサダートゥ(味という基本要素)、(10)ポッタッバダートゥ(触覚を引き起こす物質という基本要素)、(11)チャックヴィンニャーナダートゥ(眼に視覚を感じたという意識、という基本要素)、(12)ソータヴィンニャーナダートゥ(耳に聴覚を感じたという意識、という基本要素)、(13)ガーナヴィンニャーナダートゥ(鼻に嗅覚を感じたという意識、という基本要素)、(14)ジヴァーヴィンニャーナダートゥ(舌に味覚を感じたという意識、という基本要素)、(15)カーヤヴィンニャーナダートゥ(身体に触覚を感じたという意識、ダンマダートゥ(イメージなどの精神的な認識の対象、という基本要素)、(18)マノーヴィンニャーナダートゥ(イメージなどの精神的な対象を感じたという意識、という基本要素)、です。

第37節へのガイド

ダートゥ(基本要素)は、本来備わっている独自の性質を持つ(ダーレンティ)ことからそのように呼ばれています。12個のアーヤタナ(基盤)のうち、マナーヤタナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚の基盤)を7つのヴィンニャーナダートゥ(感覚を感じたという意識、という基本要素)に分けると18個のダートゥになります(第3章、第21節参照)。それ以外の点では、アーヤタナ(基盤)とダートゥ(基本要素)は同じです。カンダ(塊)、アーヤタナ(基盤)、ダートゥ(基本要素)と4つのパラマッタダンマ(究極の真理)との関係については表7.4をご覧ください。

第38節 4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)

チャッターリ アーリヤサッチャーニ ドゥッカン アーリヤサッチャン
ドゥッカサムダヤン アーリヤサッチャン ドゥッカニローダン アーリヤサッチャン
ドゥッカニローダガーミニパティパダー アーリヤサッチャン

4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)は、(1)ドゥッカ(苦しみ)という聖なる真理、(2)ドゥッカ(苦しみ)の原因という聖なる真理、(3)ドゥッカ(苦しみ)の滅尽という聖なる真理、(4)ドゥッカ(苦しみ)の滅尽に至る道という聖なる真理、です。

第38節へのガイド

4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)は、ブッダの教えの根本です。覚りを得た夜に発見し、その後の長期間にわたる伝道の中で、繰り返し説かれました。この4つの真理がアーリヤ(聖なる)と呼ばれるのは、聖者の洞察を通して観察され、至高の聖者であるブッダにより説かれた真理だからです。またこの真理を発見することにより聖者の段階に達することが可能であり、存在についての誤りがなく、変えることが出来ず、疑いの余地がない真理だからです。

ドゥッカアーリヤサッチャ(苦しみという聖なる真理)は、詳しく分けると12通りになります。ジャーティ(誕生)という苦しみ、ジャラー(老い)という苦しみ、マラナ(死)という苦しみ、ソーカ(悲哀)という苦しみ、パリデーヴァ(悲嘆)という苦しみ、ドゥッカ(身体的な苦痛)という苦しみ、ドーマナッサ(悲痛)という苦しみ、ウパーヤーサ(絶望)という苦しみ、不快なものに出会わなければならない苦しみ、心地よいものから離れなければならない苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、 パンチュパーダーナーカンダ(執着の5つの塊)という苦しみ、です。簡潔にまとめるとドゥッカアーリヤサッチャ(苦しみという聖なる真理)は、ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たち)の3つの生存領域における、タンハー(渇愛)以外の全ての現象のことです。

ドゥッカサムダヤアーリヤサッチャ(苦しみの原因という聖なる真理)は、タンハー(渇愛)という単一の要素で、ローバ(欲)というチェータスィカと同じものです。しかしながら、タンハー(渇愛)には3つの側面があります。カーマタンハー(感覚的な快楽に対する渇愛)、バヴァタンハー(生存を続けることに対する渇愛)、ヴィバヴァタンハー(再生や輪廻は無いという誤った見解に基づいて、存在することを止めようという渇愛)、です。

ドゥッカニローダアーリヤサッチャ(苦しみの滅尽という聖なる真理)はアーリヤアッティンギカマッガ(聖なる八正道)です。4つの真理についての教えでは、これは8つのみちの要素に相当する8つのチェータスィカをまとめたものであり、4つのロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)における道のチッタに生じます。注意しなければならないのは、覚りの必要条件の場合は8つの道の要素はローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域)、ロークッタラ(涅槃を聖者たちの意識の領域)の二つがありますが、4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)の教えではロークッタラ(涅槃を聖者たちの意識の領域)だけであるという点です。7

第39節 明確に理解するための説明

エッター パナ チェータスィカクスマルーパニッバーナヴァセーナ エークーナサッタティ ダンマー ダンマーヤタナン ダンマダートゥ ティ サンカン ガッチャティ
マナーヤタナン エーヴァ サッタヴィンニャーナダートゥヴァセーナ ビッジャティ

52個のチェータスィカ、16種類のスクマルーパ(微細な物質)、ニッバーナ(涅槃)、合わせて69種類はダンマーヤタナ(イメージなどの精神的な対象という感覚の基盤)、ダンマダートゥ(イメージなどの精神的な認識の対象、という基本要素)とみなされます。マナーヤタナ(イメージなどの精神的現象を感じ取る感覚の基盤)は、7つのヴィンニャーナダートゥ(チッタという基本要素)に別れます。

第40節 まとめ

ルーパン チャ ヴェーダナー サンニャー セーサー チェータスィカ タター
ヴィンニャーナン イティ パンチェーテー パンチャッカンダ ティ バースィター
パンチュパーダーナッカンダ ティ タター テーブーマカー マター
ベーダーバーヴェーナ ニッバーナン カンダサンガハニッサタン
ドゥヴァーランバナベーデーナ バヴァンターヤタナーニ チャ
ドゥヴァーランバタドゥッパンナパリヤーイェーナ ダートゥヨー
ドゥッカン テーブーマカン ヴァッタン タンハーサムダヨー バーヴェー
ニローダ ナーマ ニッバーナン マッゴー ロークッタロー マトー
マッガユッター パラー チェーヴァ チャトゥサッチャヴィニッサター
イティ パンチャッパベーデーナ パヴットー サッバサンガホー

ルーパ(物質)、ヴェーダナー(感受)、サンニャー(認知)、残ったチェータスィカ、チッタの5つがパンチャッカンダ(生命を構成する5つの塊)です。

上記と同じですが、3つのローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの生存世界)に関連する場合は、パンチュパーダーナーカンダ(執着の対象となる5つの塊)と呼ばれます。

ニッバーナは(例えば、過去、現在、未来などのように)区別することが出来ません。このため、カンダ(生命を構成する塊の範疇には入りません。ドゥヴァーラ(感覚を感じ取る門)とアーランバナ(感覚の対象)が区別されていることにより、アーヤタナー(感覚の基盤)は12になります。ダートゥ(基本要素)は、ドゥヴァーラ(感覚を感じ取る門)、アーランバナ(感覚の対象)と、それらに対応するヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、合わせて18となります。

3つのローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの世界)で生存を繰り返すのは苦しみです。タンハー(渇愛)がその原因です。生存の繰り返しを止めることがニッバーナ(涅槃)です。マッガ(道)はロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの世界)とみなされます。

マッガ(道)、パラ(果)に関連する精神的な状態は4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)から除外されます。

こうして、サッバサンガハ(全体の概要)が5通りに説明されました。

第40節へのガイド

マッガ(道)に関連する精神的な状態:8つのマッガンガ(道の要素)に相当する8つのチェータスィカを除くと、ロークッタラマッガチッタ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域における道のチッタ)は、チッタ自身とそれに伴うチェータスィカを含め、げんみつな
意味でアッティンギカマッガ(8つの正しい道)には含まれません。従って、4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)の範疇には入りません。同様に、4つのパラ(果)も4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)の枠組みから外れます。

イティ アビダンマッタサンガへー サムッチャヤサンガハヴィバーゴー
ナーマ サッタモー パリッチェードー

これで、アビダンマッタサンガハ(アビダンマの概要)の第7章、サムッチャヤサンガハ(カテゴリーの概要)を終わります。

-dhamma