第4章 ヴィーティサンガハヴィバーガ(認識過程の概要)
第1節 導入の偈文
チットゥッパーダーナン イッチェーヴァン カトヴァー サンガハン ウッタラン
ブーミプッガラベーデーナ プッバパラニヤーミタン
パヴァッティサンガハン ナーマ パティサンディッパバッティヤン
パヴァッカーミ サマーセーナ ヤターサンバヴァトー カタン
素晴らしく説かれたチッタの状態についての概要についての説明が終わりました。続いて、これまでの流れからチッタがどのように生じるのかについて簡単に説明しておかなければなりません。パティサンディ(生存と次の生存を結びつける過程)および生存中にどのようにチッタが生じるかを、生存領域および個人の観点から、そして前後に何が(どのような様態が)生じるかを踏まえて説明します。
第1節へのガイド
簡単に説明しておかなければなりません:第3章で著者はチッタの状態とそれに付随する精神現象について、ヴェーダナー(感受)、ヘートゥ(チッタを安定させる根)、キッチャ(機能)などの点から分類しました。続く第4章、第5章では、生存の過程でのチッタの挙動をダイナミックに説明します。そしてこの第4章ではチッタヴィーティ(認識過程)においてチッタがどのように生じるか、次の第5章では、ヴィーティムッタ(意識の流れのうち認識過程が機能していない部分)、すなわちパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)においてチッタがどの様に生じるかを詳しく説明します。
前後に何が(どのような様態が)生じるか(プッバーパラニヤーミタン):これは、どのような認識過程においても一群のチッタとその前後の過程は自然法則に従い、決まった順番で生じることを意味しています。
カテゴリーについての説明
第2節 六つの六
チャ ヴァットゥーニ チャ ドゥヴァーラーニ チャ アーランバナーニ チャヴィンニャーナーニ チャ ヴィーティヨー チャダー ヴィサヤッパヴァッティ チャー ティ ヴィーティーサンガへー チャ チャッカーニ ヴェーディタッバーニ
ヴィーティムッターナン パナ カンマ カンマニミッタ ガティニミッタ ヴァセーナ
ティヴィダー ホーティ ヴィサヤッパヴァッティ
タッタ ヴァットゥドゥヴァーラーランバナーニ プッベー ヴッタナイェーネーヴァ
チッタヴィーティ(認識過程)の概要に関しては、六つのクラス分けについて理解しておく必要があります。それぞれのクラスに六つの項目があります。
(i) 六つのヴァットゥ(チッタを支える物質)
(ii) 六つのドゥヴァーラ(感覚門)
(iii) 六つのアーランバナ(対象)
(iv) 六種類のチッタ
(v) 六つの過程
(vi) 六通りある対象の現れ方
ヴィーティムッタ(意識の流れのうち認識過程が機能していない部分)においてチッタの認識対象がどのように現れるかには3通りあります。カンマ(業)、カンマニミッタ(業のイメージ)、ガティニミッタ(これから再生しようとしている生存領域のイメージ)の三つです。ヴァットゥ(チッタを支える物質)、ドゥヴァーラ(感覚門)、アーランバナ(対象)については既に説明しました。
第3節 六種類のチッタ
チャックヴィンニャーナン、ソータヴィンニャーナン、ガーナヴィンニャーナン(、ジヴァーヴィンニャーナン、カーヤヴィンニャーナン、マノーヴィンニャーナン チャー
ティ チャ ヴィンニャーナーニ
六種類のチッタとは、チャックヴィンニャーナン(眼に感覚を感じたという意識)、ソータヴィンニャーナン(耳に感覚を感じたという意識)、ガーナヴィンニャーナン(鼻に感覚を感じたという意識)、ジヴァーヴィンニャーナン(舌に感覚を感じたという意識)、カヤーヴィンニャーナン(身体に感覚を感じたという意識)、マノーヴィンニャーナン(イメージなどの精神現象を感じ取ったという意識)のことです。
第4節 六つの過程
チャ ヴィーティヨー パナ チャックドゥヴァーラヴィーティー
ソータドゥヴァーラヴィーティ ガーナドゥヴァーラヴィーティ
ジヴァードゥヴァーラピーティ カーヤドゥヴァーラヴィーティ
マノードゥヴァーラヴィーティ チャー ティ ドゥヴァーラヴァセーナ
ヴァー チャックヴィンニャーナヴィーティ ソータヴィンニャーナヴィーティ
ガーナヴィンニャーナヴィーティ ジヴァーヴィンニャーナ ヴィーティ
カーヤヴィンニャーナヴィーティ マノーヴィンニャーナヴィーティ チャー ティ
ヴィンニャーナヴァセーナ ヴァー ドゥヴァーラッパヴァッター
チッタッパヴァッティヨー ヨージェータッバー
ドゥヴァーラに基づいて分類すれば認識過程は次の六つとなります。
(i) チャックドゥヴァーラヴィーティー(眼という感覚門に結びついた認識過程)
(ii) ソータドゥヴァーラヴィーティ (耳という感覚門に結びついた認識過程)
(iii) ガーナドゥヴァーラヴィーティ (鼻という感覚門に結びついた認識過程)
(iv) ジヴァードゥヴァーラピーティ (舌という感覚門に結びついた認識過程)
(v) カーヤドゥヴァーラヴィーティ (身体という感覚門に結びついた認識過程)
(vi) マノードゥヴァーラヴィーティ (イメージなどの精神現象を感じ取る門に結びついた認識過程)
チッタに基づいて分類すれば認識過程は次の六つとなります。
(vii) チャックヴィンニャーナヴィーティー(眼という感覚門に結びついた認識過程)
(viii) ソータヴィンニャーナヴィーティ (耳という感覚門に結びついた認識過程)
(ix) ガーナドゥヴァーラヴィーティ (鼻という感覚門に結びついた認識過程)
(x) ジヴァードゥヴァーラピーティ (舌という感覚門に結びついた認識過程)
(xi) カーヤドゥヴァーラヴィーティ (身体という感覚門に結びついた認識過程)
(xii) マノードゥヴァーラヴィーティ (イメージなどの精神現象を感じ取る門に結びついた認識過程)
ドゥヴァーラ(感覚門)に結びついた認識過程はそれぞれ対応するヴィンニャーナと協調する必要があります。
第4節へのガイド
認識過程は次の六つとなります:ヴィーティの文字通りの意味は街路ですが、ここでは過程という意味で使われています。パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)ないしマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)にチッタが生じて対象を認識する場合、チッタは無作為に現れたり、単独で現れたりすることはありません。次から次へと規則正しく、そして同じ法則に従って発生する異なる事象の一部として生じます。この法則はチッタニヤーマと呼ばれ、例外のないチッタの法則です。
認識過程が生じる際には、全ての基本的な条件が揃っていなければなりません。注釈書によれば、それぞれの認識過程における基本的な条件とは以下のようになります。
(i) チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)におけるチッタヴィーティ(認識過程):
① チャックッパサーダ(視覚)
② ルーパーランマナ(見に見える対象)
③ アーローカ(光)
④ マナスィカーラ(注意)
(ii) ソータドゥヴァーラ(耳という感覚門)におけるチッタヴィーティ(認識過程):
① ソータッパサーダ(聴覚)
② サッダーランマナ(音)
③ アーカーサ(空間)
④ マナスィカーラ(注意)
(iii) ガーナドゥヴァーラ(鼻という感覚門)におけるチッタヴィーティ(認識過程):
① ガーナッパサーダ(嗅覚)
② ガンダーランマナ(臭い)
③ ヴァヨーダートゥ(風という物質の基本要素)
④ マナスィカーラ(注意)
(iv) ジヴァードゥヴァーラ(舌という感覚門)におけるチッタヴィーティ(認識過程):
① ジヴァーッパサーダ(味覚)
② ラサーランマナ(臭い)
③ アーポーダートゥ(水という物質の基本要素)
④ マナスィカーラ(注意)
(v) カーヤドゥヴァーラ(身体という感覚門)におけるチッタヴィーティ(認識過程):
① カーヤッパサーダ(身体感覚)
② ポッタバーランマナ(触れることができる対象)
③ パタヴィーダートゥ(土という物質の基本要素)
④ マナスィカーラ(注意)
(vi) マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)におけるチッタヴィーティ(認識過程):
① ハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える物質)
② ダンマーランマナ(精神現象の対象)
③ バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)
④ マナスィカーラ(注意)
6種類の認識過程は二つのグループに分けるのが便利です。一つは、パンチャドゥヴァーラヴィーティ(五つの感覚門における認識過程)で、五つの感覚器官のそれぞれに生じる認識過程が含まれます。もう一つはマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る門における認識過程)で、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)だけに生じる認識過程の全てを含みます。バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)もパンチャドゥヴァーラヴィーティ(五つの感覚門における認識過程)が現れるチャンネルとなることがあります。この場合はマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る門における認識過程)とパンチャドゥヴァーラヴィーティ(五つの感覚門における認識過程)の両方に関係する場合があり、ミッサカドゥヴァーラヴィーティ(マノードゥヴァーラとパンチャドゥヴァーラを混合した認識過程)と呼ばれます。これに対比してマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)だけに生じる認識過程はスッダマノードゥヴァーラヴィーティ(マノードゥヴァヴァーラだけの認識過程)と呼ばれます。何故ならそれはバヴァンガ(生存を持続させるチッタ)だけから生じ、感覚器官というドゥヴァーラ(感覚門)を必要としないからです。ご覧になればわかるかと思いますが、パンチャドゥヴァーラヴィーティ(五つの感覚門における認識過程)については、感覚器官が違っても全て同じ単一の過程を経ます。一方で、六番目のマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る門における認識過程)の場合は様々な異なる過程からなりたっており、共通しているのはその全てが外部の対象に対するドゥヴァーラ(感覚門)に依存することなく生じるという点だけです。
第5節 六通りの対象の現れ方
アティマハンタン マハンタン パリッタン アティパリッタン チャー ティ
パンチャドゥヴァーレー マノドゥヴァーレー パナ ヴィブータン アヴィブータン
チャー ティ チャダー ヴィサヤッパヴァッティ ヴェーディタッバー
対象の六通りの現れ方についてか以下のように理解してください。
a. パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)においては(i) アティマハンタ(大変大きい)、(ii)マハンタ(大きい)、(iii) パリッタ(小さい)、(iv) アティパリッタ(大変小さい)の四通りです。
b. マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)においては(v) ヴィブータ(明瞭)、(vi) アヴィブータ(不明瞭)の二通りです。
第5節へのガイド
対象の現れかた:パーリ聖典におけるヴィサヤッパヴァッティの意味は六つのドゥヴァーラのいずれかにチッタの対象が現れること、あるいは対象が現れた時のチッタの状態です。パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)においては、アティマハンタ(大変大きい)、マハンタ(大きい)、パリッタ(小さい)、アティパリッタ(大変小さい)の四通り、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)においては、ヴィブータ(明瞭)、アヴィブータ(不明瞭)の二通り、合計六通りの現れ方があります。ここで使われているマハンタ(大きい)、パリッタ(小さい)という言葉は、対象の大きさではなく、チッタに対する印象の強さを表しています。大きな対象がチャックヴィンニャーナ(眼という感覚門)に現れても、眼の感覚物質が弱かったり、対象が最も鮮明な時期を過ぎてから感覚門に現れたり、暗かったりした場合、その対象は強い印象を与えることなくパリッタ(小さい)ないしアティパリッタ(大変小さい)に分類されます。逆に、対象が小さくとも、それが最も鮮明な時に感覚門に現れ、眼の感覚物質が強力で、明るい環境にあれば、対象は強い印象を残し、マハンタ(大きい)ないしアティマハンタ(大変大きい)に分類されます。
ですから、マハンタ(大きい)、パリッタ(小さい)などの表現は、対象の大きさではなく、その対象がドゥヴァーラ(感覚門)に現れた瞬間から、チッタに対する対象の暴露が止まるまでの間に生じるヴィーティチッタ(認識過程のチッタ)の数を表しています。マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)における対象についても同じ原則に基づいてヴィブータ(明瞭)、アヴィブータ(不明瞭)の二通りに分離されます。
パンチャドゥヴァーラヴィーティ(五つの感覚門における認識過程)
第6節 アティマハンタ(大変大きい)アーランバナ(対象)
カタン? ウッパーダッティティバンガヴァセーナ カナッタヤン
エーカチッタッカナン ナーマ ターニ パナ サッタラサ チッタッカナーニ
ルーパダンマーナン アーユ エーカチッタッカナーティーターニ ヴァ
バフチッタッカナーティーターニ ヴァ ティティッパッターネーヴァ
パンチャーランバナーニ パンチャドゥヴァーレー アーパータン アーガッチャンティ
対象の現れ方の強さはどのように決まるのでしょうか?一つのチッタッカナ(チッタが生じてから消滅するまでの時間)は三つの部分に分けられます。生起(ウッパーダ)、存続(ティティ)、消滅(バンガ)の三つです。物質的現象の持続時間はチッタッカナ17個分です。パンチャーランバナ(五つの感覚対象)は1~数個のチッタッカナが経過した後、ティティ(存続)の相に入り、そこでパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)を通して認識過程に組み込まれます。
タスマー ヤディ エーカチッタッカナーティータカン ルーパーランマナン
チャックッサ アーパータン アーガッチャンティ タトー ドゥヴィッカットゥン
バヴァンゲー チャリテー バヴァンガソータン ヴォッチンディトゥヴァー タン
エーヴァ ルーパーランマナン アーヴァッジャンタン パンチャドゥヴァーラヴァッジャナチッタン ウッパッジトゥヴァー ニルッジャンティ タトー タッサーナンタラン
タン エーヴァ ルーパン パッサンタン チャックヴィニャーナン サンパティッチャンタン サンパティッチャナチッタン サンティーラヤマーナン サンティーラナチッタン ヴァヴァッタペーンタン ヴォッタッパナチッタン チャー ティ ヤターッカマン ウッパッジトゥヴァー ニルッジャンティ
ですから、もしルーパーランマナ(眼に見える形という対象)がチッタッカナ(チッタが生じてから滅するまでの時間)一つ分経過する間に(i)眼の認識過程に入ると、バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)がチッタッカナ二個分の間振動し、停止します(ii),(iii) 。パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタが生じ、次いで同じそのルーパーランマナ(眼に見える形という対象)に注意を向ける作業が停止します(iv)。その後直ちに次のような順番でチッタが生じては滅します。
(v)そのルーパーランマナ(眼に見える形という対象)を見るチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)
(vi)その ルーパーランマナ(眼に見える形という対象)を受け止めるサンパティッチャナ(対象を受け止める)チッタ
(vii)その ルーパーランマナ(眼に見える形という対象)を調べるサンティーラナ(対象を調べる)チッタ
(viii) その ルーパーランマナ(眼に見える形という対象)を決定するヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタ
タトー パラン エークーナティンサカーマーヴァチャラナヴァネース ヤン キンチ
ラッダッパッチャヤン イェーブッイェーナ サッタッカットゥン ジャヴァティ
ジャヴァナーヌバンダーニ チャ ドゥヴェー タダーランマナパーカーニ
ヤターラハン パヴァッタンティ タトー パラン バヴァンガパートー
次いで、29種類あるカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作るチッタ)のうち、条件が整ったいずれかのチッタが、通常チッタッカナ(チッタが生じてから滅するまでの時間)7個分の間、認識過程の中を走るように連続して生じます(ix)~(xv)。ジャヴァナの後にタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタが二つ続いて生じます(xvi),(xvii)。そして認識過程が終了し、バヴァンガ(生存を持続させる)チッタの流れが再開します。
エッターヴァター チュッダサ ヴィーティチットゥッパーダー ドゥヴェー
バヴァンガチャラナーニ プッヴェーヴァティータカン エーカチッタッカナン ティ
カトヴァ サッタラサ チッタッカナーニ パリプーレンティ タトー パラン ニルッジャンティ アーランバナン エータン アティマハンタン ナーマ ガチャラン
ここまで17個のチッタッカナ(チッタが生じて滅するまでの時間)が経過しています。すなわち、認識過程の前に1個、認識過程が始まった後バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)の振動が2個、認識過程が14個です。その後アーランバナ(対象)は停止します。このような対象をアティマハンタ(大変大きい)と呼びます。
第6節へのガイド
物質的現象の持続時間:アビダンマではチッタが生じてから滅するまでの時間をチッタッカナと呼んでいます。大変短い時間であり。注釈書によれば稲光ないし、瞬きの間に数十億のチッタッカナが経過することがあると言われています。チッタッカナは極めて短い時間に見えますが、さらに三つの部分に分かれます。ウッパーダ(生起)、ティティ(存続)、バンガ(消滅)の三つです。チッタッカナ1個分の間に、一つのチッタが生じ、何らかの働きをしてから、消滅します。その間に条件が整えられ、直ちに次のチッタが生じます。このように、チッタッカナの連続を通して、小川の流れのように絶えることなく意識の流れが続きます。
チッタッカナの中にティティ(存続)の相は無いと主張する意見もあります。アーチャリヤアーナンダ(アビダンマピタカの注釈書であるムーラティーカーの著者)もその一人で、ヤマカという著作のチッタヤマカの章でウッパーダ(生起)とバンガ(消滅)のみが語られていることを支持する見解を示しています。しかし、アーチャリヤ・アヌルッダはこのような意見や注釈書を支持していません。ヴィバーヴィニーという注釈書は、ティティ(存続)はウッパーダ(生起)やバンガ(消滅)とは異なるステージであり、その間にチッタは自身の生滅に直面する(バンガービムカーヴァター)と指摘しています。レディ・セヤドーは、ティティ(存続)はウダーヤヴァヤ(生滅)という二つの相の中間点であるとみなしています。石を上に向かって投げた場合、下に落ち始める前の一瞬が必要ですがまさにそのようなものであるとしています。そしてまた、チッタが最初に現れる時点と最後に消え去る時点との間全体がティティ(存続)であると考えることも出来ると述べています。注釈書の著者の多くは、「条件付けられた現象には条件付けられた三つの相があります。生起、消滅、そしてその間の移行期間です」というブッダの言葉に示されているのがティティ(存続)であると考えています(A3: 47/i, 152)。それに従えば移行期間(ティタッサ アンニャタッタ)がティティ(存続)に相当することになります。
物質的現象にもウッパーダ(生起)、ティティ(存続)、バンガ(消滅)の三つの相があります。しかし、物質的現象の場合、この三つの相に要する時間は17個のチッタが生滅する時間に相当するとされています。ウッパーダ(生起)とバンガ(消滅)に要する時間は物質的現象もチッタも同じですが、物質的現象の場合ティティ(存続)、はチッタッカナ(チッタが生起してから生滅するまでの時間)を三つの相に細分した場合の時間49個分となります(訳者注:一つのチッタに3つの相があるので17個のチッタの場合、全部で51個の相があることになり、そのうち最初のチッタの生起と最後のチッタの消滅を除いた49個の相が経過する時間が物質的現象の存続時間となります。)2
パンチャーランバナ(五つの感覚対象)は1~数個のチッタッカナが経過した後、ティティ(存続)の相に入り、そこでパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)を通して認識過程の引き金を引きます:ルーパ(眼に見える形)などのパンチャーランバナ(五つの感覚対象)は物質的現象であり、チッタッカナ(チッタが生起してから消滅するまでの時間)17個分続きます。ウッパーダ(生起)の段階にあるパンチャーランバナ(五つの感覚対象)はまだ弱いため認識過程は始まりません。るパンチャーランバナ(五つの感覚対象)はティティ(存続)の段階に入って初めてチッタに働きかけ、認識過程が始まります。
ですから、もしルーパーランマナ(眼に見える形という対象)が:積極的な認識過程が機能していない時には、バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)という同じ種類のチッタが次から次へと流れるように連続して生じます。バヴァンガはただ一つの対象にしがみつきます。その対象は直前の生存における最後のジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)の対象と同じです。アーランバナ(感覚対象)がドゥヴァーラ(感覚門)に入った瞬間にアティータバヴァンガ(認識過程の最初に現れるバヴァンガ)と呼ばれるバヴァンガが生じて滅します。そしてアーランバナ(感覚対象)からの衝撃により、それに続く二つのバヴァンガが振動します。振動した二番目のバヴァンガを最後にそれまでのバヴァンガの流れが止まります。注釈書の注釈書はこの二つのバヴァンガをそれぞれバヴァンガチャラナ(振動するバヴァンガ)、バヴァンガウパッチェーダ(停止するバヴァンガ)として区別しています。その後パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタが生じて認識過程が始まります。そして意識の流れは、ヴィーティムッタ(意識の流れのうち認識過程が機能していない部分)からヴィーティ(意識の流れのうち認識過程が機能している部分)へと移行します。
29種類あるカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作る一連のチッタ):クサラ(善業を作る)チッタが12種類、マハークサラ(=カーマーヴァチャラソーバナクサラ)チッタが8種類、マハーキリヤ(=カーマーヴァチャラソーバナキリヤ)チッタが8種類、ハスィトゥッパーダ(微笑みを作る)チッタ1種類、合計で29種類となります。
このような対象をアティマハンタ(大変大きい)と呼びます:とても大きい(アティマハンタ)対象(アーランバナ)の認識過程においては、対象はアティータバヴァンガ(認識過程の最初に現れるバヴァンガ)のウッパーダ(生起)の相が生じると同時に生じます。感覚対象と感覚器官の感覚物質の両方ともチッタッカナ17個分の時間持続します。そして両方とも2番目のタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタが滅すると同時に消滅します。この種の認識過程においてはチッタッカナ17個分の時間をフルに使って認識過程が進みます。17個のチッタの中でパンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタから始まる14個のチッタは真のヴィーティチッタ(認識過程に携わるチッタ)と考えられています。このような認識過程はまたタダーランマナヴァーラ(対象を記憶に留める働きとともに滅する過程)とも呼ばれています(表4.1参照)。
認識過程と「六つの六」がどのように結びつくのかについては次のように理解することが出来ます。身に見える形(ルーパ)が視覚に衝突すると、チャックヴァットゥ(眼に感覚が生じたという意識を支える物質)の助けを借りて、眼にぶつかった身に見える形(ルーパ)を対象とするチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)が生じます。チャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)の場合は、視覚がヴァットゥ(チッタを支える物質)でありドゥヴァーラ(感覚門)となります。そして眼に見える形(ルーパ)が対象(アーランバナ)となります。認識過程における他のチッタ、すなわちパンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ、サンパティッチャナ(対象を受けとめる)チッタ、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、ヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタ、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、流れるように対象をつかみ取り、業を作り出す一連のチッタ)、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタはそれぞれがマノーヴィンニャーナ(イメージなどの精神現象を感じ取ったという意識)の状態を表しています。それらはルーパ(眼に見える形)を対象にし、視覚をドゥヴァーラ(感覚門)とする点ではチャックヴィンニャーナ(眼に感覚が生じたという意識)と同じですが、ハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える物質)の助けを借りる点が異なります。認識過程に関わる全てのチッタにとってバヴァンガ(生存を持続されるチッタ)はドゥヴァーラ(感覚門)の一つとみなすことが出来ます。なぜなら認識過程全体がバヴァンガ(生存を持続されるチッタ)から現れるからです。このように、パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)を介する認識過程にはドゥヴァーラ(感覚門)が二つあることになります。物質的な感覚が個別のドゥヴァーラ(感覚門)であり、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)ないしバヴァンガ(生存を持続されるチッタ)が共通のドゥヴァーラ(感覚門)となります。認識過程が特異的にチャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)に生じれば、それはチャックドゥヴァーラチッタヴィーティ(眼という感覚門における認識過程)と呼ばれますが、チャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)により特徴づけられるためチャックヴィンニャーナチッタヴィーティ(眼に感覚を感じたという意識に関連した認識過程)とも呼ばれます。チッタッカナ(チッタが生じて滅するまでの時間)一つだけ経過した時点で感覚器官に衝突することが出来る大変大きな対象(アティマハンタアーランバナ)とともに生じる認識過程であるため、アティマハンタ(大変大きな)アーランバナ(対象)を伴うチッタヴィーティ(認識過程)と呼ばれます。
昔のアビダンマの教師たちは、マンゴーの例え話を使ってパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)に生じる認識過程を説明しています3。男が一人、実をつけたマンゴーの木の根元で寝ています。そして熟したマンゴーが枝から離れて、彼の耳元をかすめて地面へと落ちます。マンゴーの実が落ちる音を耳にした男は目を覚まし、マンゴーの実を見ます。そしして、手を伸ばし、そのマンゴーの実を手に取り、それを握りしめ、臭いを嗅ぎます。そうしてから、男はマンゴーを食べ、飲み込み、味わいます。その後男はまた眠りに戻ります。
ここでは、マンゴーの木の根元で男が寝ている時間が、バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)が生じている時間に相当します。熟したマンゴーの実が枝を離れ、男の耳元をかすめて地面に落ちた瞬間が、例えば眼などの感覚器官にアーランバナ(対象)が衝突した瞬間に相当します。音を聞いて目を覚ました時が、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタがそのアーランバナ(対象に)注意を向けた時に相当します。男が目を開けてマンゴーを見た時が、チャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)がその機能を果たしたことに相当します。手を伸ばしてマンゴーの実を手にとった時が、サンパティッチャナ(対象を受け止める)チッタがアーランバナ(対象)を受け止めた時に相当します。マンゴーの実を握りしめている時が、サンティーラナ(対象を調べる)チッタがアーランバナ(対象)を調べている時に相当します。マンゴーの臭いを嗅いでいる時が、ヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタがアーランバナ(対象)が何であるかを決定する時に相当します。マンゴーの実を食べている時が、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)がアーランバナ(対象)の風味を経験している時に相当します。マンゴーの実を味わいながら飲み込んでいる時が、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタがジャヴァナの対象と同じアーランバナ(対象)を取っている時間に相当します。男が再び眠りにつく時が、認識過程が止んで意識の流れが再びバヴァンガ(生存を持続させるチッタ)に戻る時に相当します。
注意していただきたいのは、認識過程自体の外で、それを経験したり、調節したり、「知ったり」する、自我や変わらぬ主体は存在しないということです。瞬間瞬間生じては消え去る一連のチッタそのものが認識に必要な全ての機能を果たします。そして、条件に基づく結びつきの法則に従って複数のチッタが共同作業することにより、一つのまとまった認識活動が生じます。認識活動においては、それぞれのチッタは厳格なチッタの法則(チッタニヤーマ)に従って生じます。チッタは先行するチッタ、アーランバナ(対象)、ドゥヴァーラ(感覚門)、ヴァットゥ(チッタを支える物質)などの様々な条件に依存して生じます、生じたチッタは認識過程の中で独自の機能を果たし、滅し、そして次のチッタが生じる際の条件となります。
第7節 マハンタ(大きい)アーランバナ(対象)
ヤーヴァ タダーランマヌッパーダー パナ アッパホーンターティータカン アーパータン アーガタン アーランバナン マハンタン ナーマ
タッタ ジャヴァナーヴァセーナ バヴァンガパートー ヴァ ホーティ ナティ
タダーランマヌッパードー
アーランバナ(対象)がチッタッカナ数個分の時間が経過した後に感覚の道筋に入り、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタが生じる前に滅してしまう場合、そのアーランバナ(対象)をマハンタ(大きな)と呼びます。この場合、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)が終わると認識過程が消褪してバヴァンガ(生存を持続させるチッタ)の流れに戻ります。タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは生じません。
第7節へのガイド
そのアーランバナ(対象)をマハンタ(大きな)と呼びます:この種の認識過程では、アーランバナ(対象)が生じた後、その衝撃によりバヴァンガ(生存を持続されるチッタ)が振動する前に、2個ないし3個のアティータ(認識過程の最初に現れる)バヴァンガ(生存を持続させる)という名前のチッタが生じて滅します。アーランバナ(対象)もドゥヴァーラ(感覚門)もチッタッカナ(チッタが生じてから滅するまでの時間)17個分しか続きません。従って、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタが生じる時間の余裕がありません。アティータ(認識過程の最初に現れる)バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)が二つの場合はジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作る一連のチッタ)が終了した後、チッタッカナ一個分の時間が残っていますが、それでもタダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは生じません。何故なら、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは常に二つ組になって生じ、一つだけで生じることは無いからです。
アティータ(認識過程の最初に現れる)バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)が二つの場合、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタからジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作る一連のチッタ)の終了までの14個のチッタが生じます。この場合はジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)の後に生じたバヴァンガチッタ(生存を持続させるチッタ)が滅すると同時に、ドゥヴァーラ(感覚門)とアーランバナ(対象)が共に滅します。アティータバヴァンガ(認識過程の最初に現れるバヴァンガ)が三つの場合でも上と同じ14個のチッタが生じる時間が残っています。そしてこの場合は最後のジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)が滅すると同時に、ドゥヴァーラ(感覚門)とアーランバナ(対象)が共に滅します。これはジャヴァナヴァーラ(ジャヴァナと共に終了する認識過程)とも呼ばれています。
第8節 パリッタ(小さな)アーランバナ(対象)
ヤーヴァ ジャヴァヌッパーダー ピ アッパホンターティータカン アーパータン
アーガタン アーランバナン パリッタン ナーマ タッタ ジャヴァナン ピ
アヌッパッジトゥヴァー ドゥヴァッティッカットゥン ヴォッタッパナン エーヴァ パヴァッタティ タトーパラン バヴァンガパートー ヴァ ホーティ
アーランバナ(対象)がチッタッカナ数個分経過してから感覚の道筋に入り、ジャヴァナが生じる前に滅してしまう場合、その対象をパリッタ(小さな)と呼びます。この場合、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉え、業を作る一連のチッタ)は生じません。しかしヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタは2個ないし3個生じます。そしてその後認識過程が消褪してバヴァンガの流れに戻ります。
第8節へのガイド
そのアーランバナ(対象)をパリッタ(小さな)と呼びます:パリッタ(小さな)アーランバナ(対象)の場合、最初に4~9個のアティータバヴァンガ(認識過程の最初に現れるバヴァンガ)が生じます。そしてジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉え、業を作る一連のチッタ)は生じません。その後、ヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタが2~3個生じ、認識過程が消褪して、バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)の流れに戻ります。この認識過程では、生じるアティータバヴァンガ(認識過程の最初に現れるバヴァンガ)の数に応じて6タイプがあります。
第9節 アティパリッタ(とても小さな)アーランバナ(対象)
ヤーヴァ ヴォッタパヌッパーダ チャ パナ アッパホーンターティータカン アーパータン アーガタン ニローダーサンナン アーランバナン アティパリッタン ナーマ
タッタ バヴァンガチャラナン エーヴァ ホーティ
ナッティ ヴィーティチットゥッパードー
チッタッカナ数個分経過し、これからまさに消滅しようとしている段階のアーランバナ(対象)が感覚の道筋に入り、ヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタが生じる前に滅してしまう場合、そのアーランバナ(対象)をアティパリッタ(とても小さな)と呼びます。この場合、バヴァンガの振動だけが生じ、認識過程は生じません。
第9節へのガイド
そのアーランバナ(対象)をアティパリッタ(とても小さな)と呼びます:この認識過程では認識を実行するチッタは生じません。バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)が振動するだけです。アーランバナ(対象)が生じてから滅するまでの時間(チッタッカナ17個分=17個のチッタが生滅する時間)のうち、10~14個分をアティータ(認識過程の最初に現れる)バヴァンガ(生存を持続させる)チッタが占めます。そしてチッタッカナ(チッタが生じてから滅するまでの時間)2個分をバヴァンガチャラナ(振動するバヴァンガ)が占めます。その後に続く残りのチッタッカナは通常のバヴァンガ(生存を持続させるチッタ)が占めます。このタイプの認識過程も6種類あり、別名モーグハヴァーラ(役に立たない過程)とも呼ばれます。
第10節 アーランバナ(対象)の4通りの現れ方
イッチェーヴァン チャックドゥヴァーレー タター ソータドゥヴァーラーディース チャ ティ サッバター ピ パンチャドゥヴァーレー タダーランマナ ジャヴァナ ヴォッタッパナ モグハヴァーラ サンカーターナン チャトゥッナン ヴァーラーナン
ヤターッカマン アーランバナブーター ヴィサヤッパヴァッティ チャトゥッダー
ヴェーディタッバー
ソータドゥヴァーラ(耳という感覚門)その他もチャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)の場合と同様です。従って、パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)全てにおいて、アーランバナ(対象)の現れ方は以下の四通りあることを順番どおりによく理解してください。
(i) タダーランマナヴァーラー(対象を記憶に留めるチッタと共に終了する認識過程)
(ii) ジャヴァナヴァーラー(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタと共に終了する認識過程)
(iii) ヴォッタッパナヴァーラー(対象を決定するチッタと共に終了する認識過程)
(iv) モーグハヴァーラー(役に立たない認識過程)
第10節へのガイド
従って、パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)全てにおいて:この四通りの分類をさらに亜分類すると一つのドゥヴァーラ(感覚門)において15種類の認識過程があることになります(表4.2参照)。ドゥヴァーラ(感覚門)は 5つあるので、合計75種類(15 x 5)となります。
第11節 まとめ
ヴィーティチッターニ サッテーヴァ チットゥッパーダー チャトゥッダサ
チャトゥパンニャーサ ヴィッターラー パンチャドゥヴァーレー ヤターラハン
アヤン エッタ パンチャドゥヴァーレー
ヴィーティチッタッパヴァッティナヨー
チッタヴィーティ(認識過程)には7つのモードと14の異なるチッタの状態があります。
詳しく分ければパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)における認識過程に関係するチッタは54種類です。
第11節へのガイド
7つのモード:認識過程に関わるチッタが生じるさいの7つのモードとは、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)、ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識:眼、耳、鼻、舌、身体のうちのどれか)、サンパティッチャナ(対象を受け止める)、サンティーラナ(対象を調べる)、ヴォッタッパナ(対象を決定する)、ジャヴァナ(対象を捉えて、業を形成する)、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)の7つのことです。ジャヴァナは7つ連続で現れ、またタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタは2つ連続で現れるので、上記の7つのモードに、ジャヴァナ6つとタダーランマナチッタ1つを加えると14になります。14の異なるチッタの状態というのはこのことを指しています。パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)に生じる認識過程に現れる54種類のチッタとは、54種類あるカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における)チッタのことです。
マノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門における認識過程)
第12節 限定されたジャヴァナの過程
マノードゥヴァーレー パナ ヤディ ヴィブータン アーランバナン アーパータン
アーガッチャティ
タトーパラン バヴァンガチャラナ マノードゥヴァーラーヴァッジャナ
ジャヴァナーヴァサーネー タダーランマナパーカー二 パヴァッタンティ
タトーパラン バヴァンガパートー
ヴィブーターランバナ(明瞭な対象)がマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門)の道筋に入ると、バヴァンガチャラナ(振動するバヴァンガ)、マノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に注意を向ける)チッタ、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタが順に生じ、その後認識過程が消褪してバヴァンガ(生存を持続させるチッタ)の流れに戻ります。
アヴィブーテー パナーランバネー ジャヴァナーヴァサーネー バヴァンガパートー
ヴァ ホーティ ナッティ タダーランマヌッパードーティ
アヴィブーターランバナ(不明瞭な対象)の場合はジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)の段階が終了するとともに認識過程は消褪し、その後認識過程が消褪してバヴァンガ(生存を持続させるチッタ)の流れに戻ります。タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタは生じません。
第12節へのガイド
マノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門における認識過程):パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)のどれかで認識過程が生じる際には、実際には二つのドゥバーラ(門)が関係しています。一つは眼、耳、鼻、舌、身体という物質からなるドゥヴァーラ(感覚門)そしてもう一つはマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)です。マノードゥヴァーラはバヴァンガ(生存を持続させるチッタ)であり、そこから認識過程が現れます。マノードゥヴァーラチッタヴィーティー(イメージなどの精神現象を感じ取る門に生じた認識過程)と呼ぶ場合、それは物質としてのドゥヴァーラ(感覚門)に関係なく、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)だけに生じる認識過程のことを指します。この認識過程は、他の認識過程と区別するために、スッダマノードゥヴァーラヴィーティ(純粋にマノードゥヴァーラだけの認識過程)と呼ばれることがあります。マノードゥヴァーラヴィーティー(イメージなどの精神現象を感じ取る門を介した認識過程)はカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)ないし「有限の」認識過程(パリッタヴィーティ)と、マハッガタ(禅定に関連する意識)に関連する没入状態ないしロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識)に関連する認識過程の二つがあります。前者については第12~13節で、後者については第14節~16節で説明します。
カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)ないし「有限の」マノードゥヴァーラヴィーティー(イメージなどの精神現象を感じ取る門を介した認識過程)それ自体にも2通りあります。
(1)パンチャドゥヴァーラヌバンダカー(五つの感覚門における認識過程の結果として生じるもの
(2)ヴィスンスィッダー(独立して生じるもの)
鐘を棒で一度叩くと、叩くのを止めてもその鐘から反響が持続的に発せられるように、パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)のいずれかに感覚対象が一度衝突すると、その感覚門での認識過程が終了しても、過去の感覚対象がマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)の守備範囲に現れて、たくさんのマノードゥヴァーラヴィーティー(イメージなどの精神現象を感じ取る門を介した認識過程)を引き起こします。こうした認識過程はパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)での認識過程の結果として生じるため、「結果として生じる過程」という名称で知られています。パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)のどれに続いて生じるかにより5通りあります。
レディーセヤドーの説明によれば、対象が何であるかを明確に理解するのはまさにこの「結果として生じる過程」であるとされています。純粋にパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)だけの認識過程の場合はこうした理解は生じないと説明されています。例えばチャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)の場合、続いて対象が何であるか確認するマノードゥヴァーラヴィーティー(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門における認識過程)が生じます。これはタダヌバッティカーマノードゥヴァーラヴィーティと呼ばれます。次に、その対象を全体として掴み取る過程が生じます(サムダヤガーキカー)。その次に、色を理解する過程が生じます(ヴァンナサッラッカナー)。そしてその実態を掴み取る過程が生じます(ヴァットゥガーヒカー)。次にその実態を理解する過程が生じます(ヴァットゥサッラッカナー)。続いて名前を掴み取る過程が生じます(ナーマガーヒカー)。そしてその名前を理解する過程が生じます(ナーマサッラッカナー)。
「対象を全体として掴み取る過程(サムダヤガーキカー)」は、先行する二つの異なる認識過程、つまりもともとのヴィンニャーナドゥヴァーラ(感覚門)における認識過程と対象が何であるか確認する認識過程(タダヌバッティカーマノードゥヴァーラヴィーティ)において繰り返し認知された複数の形態情報を全体として認知するマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る門における認識過程)のことです。この過程は統合という機能を持っており、一つの対象から認識された複数の異なる認知情報をまとめ上げます。松明をぐるぐる回すと火の輪のように見えるのはその働きの一例です。色についての認識はこの過程が生じて初めて可能になります。色についての認識が生じたときには、「青い色を見た」と色を認識します。形についての認識が生じたときには、形を認識します。名前についての認識が生じた時には、名前を認識します。このため、人は、対象の特徴に関する認識過程が生じた時に初めて「私はこれこれの特徴を見た」と、その特徴を認識する、とレディ・セヤドーは主張しています。
(2)独立したマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に生じる認識過程)は、六つの感覚対象(眼に見える形、音、臭い、味、接触感、イメージなどの精神現象)のいずれかが、先行するヴィンニャーナドゥヴァーラ(感覚門での)ヴィーティ(認識過程)の結果としてではなく、それ自体が完全に独立してマノードゥヴァーラヴィーティの守備範囲に入った時に生じます。ここで疑問が生じるかと思います。対象は、どのようにして感覚器官に衝突することなしに独立してマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に生じる認識過程)の守備範囲に入ることができるのでしょうか。レディ・セヤドーはたくさんの事例を引用しています。①過去に直接認知した物事を通して入ったり、過去に認知したその物事の影響を受けて入る場合;②人から聞いて学んだ事を通して入ったり、人から聞いて学んだ事の影響を受けて入る場合;③信条、意見、推論、熟慮の末に受け入れた見解などを理由として入る場合;④業の力、超能力、身体的活力の障害、神々からの影響、把握、理解などにより入る場合、があるとされています。ある対象を鮮明に経験すると、時間が経ってから、時には何百年も経ってから、その対象に依存して、バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)を振動させる条件が整うことがある、とレディ・セヤドーは説明しています。そうした過去の数々の経験により醸成された心は、それらの経験からの影響を極めて受けやすい状況になっています。そのような心がなんらかの感覚対象に遭遇すると、その対象が引き金となって心の波が過去に認知した数千という対象に瞬時に広がる可能性があります。
意識の流れは絶えずこうした影響による刺激に晒されています。そして常に、バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)から抜け出て、なんらかの対象を明瞭に認識する機会を窺っています。このため、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の中にあるマナスィカーラ(対象に注意を向ける)というチェータスィカが繰り返しバヴァンガを振動させます。そして、生起する条件が整った対象にチッタを向けて、それを何度も繰り返します。バヴァンガチッタはそれ自体の対象を持ちますが、他の対象に注意を向ける体制が整った状態で生起するとレディ・セヤドーは説明しています。このようにバヴァンガは絶えず活動を続けており、なんらかの対象が他の働きの助けを借りて顕著になり条件を満たすと、その対象が意識の流れをバヴァンガから引き出します。そしてその対象はマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に生じる認識過程)の守備範囲に入ります。
独立した認識過程は6通りに分類されます。①直接認知したものに基づいた過程、②直接認知したものからの干渉に基づいた過程、③口伝に聞いたことに基づく過程、④口伝に聞いたことからの干渉に基づく過程、⑤認識したものに基づく過程、⑥認識したものからの干渉に基づく過程です。「認識したもの」の中には信条、意見、把握、理解が含まれます。「認識したものからの干渉」には、誘導的な推論ないし演繹的な推論により到達した判断が含まれます。
ヴィブーターランバナ(明瞭な対象)がマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門)の道筋に入ると:カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)に関連するマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門での認識過程)には2種類あり、対象の強さにより区分されます。ヴィブーターランバナ(明瞭な対象)とともに生じる認識過程においては、対象がマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門)の道筋に入るとバヴァンガ(認識と認識の間にあり生存を持続させるチッタ)が振動し、続いてバヴァンガの流れが停止します。マノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に注意を向ける)チッタが対象に向かい、次いでジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作る一連のチッタ)が7つ連続して生滅し、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタが二つ生滅します。その後認識過程は消褪しバヴァンガ(認識と認識の間にあり生存を持続させるチッタ)の流れが再開します。これはカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める意識に関連した生存領域)に住む生命の場合です。ルーパブーミ(物質を対象とした瞑想の意識に関連する生存領域)やアルーパブーミ(物質でないものを対象にした瞑想の意識に関連する生存領域)に住む生命の場合は対象がどんなに明瞭でもタダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは生じません(下の第19~20節を参照)。
アヴィブーターランバナ(不明瞭な対象)の場合は:アヴィブーターランバナ(不明瞭な対象)とともに生じる認識過程においては、どのような条件下でもタダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは生じません。
レディ・セヤドーは、ジャヴァナの終了後直ちに認識過程が消褪してバヴァンガ(認識と認識の間を埋め、生存を持続させるチッタ)の流れに戻るのは、アヴィブーターランバナ(不明瞭な対象)とともに生じる認識過程の中で最も強いタイプのものと考えるべきである、と主張しています。アヴィブーターランバナ(不明瞭な対象)の場合はマノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に注意を向ける)チッタが2~3個生滅して、認識過程が終わる場合もあるとしています。バヴァンガが振動するだけで終わってしまう認識過程もあり得るとしています。従って、純粋なマノードゥヴァーラヴィーティ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門における認識過程)の場合は、対象が認識領域に入ってもバヴァンガが2~3回振動するだけで、認識に関わる他のチッタが生じることなく、認識過程が終了してしまう場合が無数にあるとしています。このように、レディー・セヤドーによれば、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じとる感覚門)においても対象の現れ方は4通りあることになります。タダーランマナが生じる認識過程の場合はアティヴィブータ(大変明瞭)な現れ方、ジャヴァナと共に終了する認識過程の場合はヴィブータ(明瞭)な現れ方、マノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に注意を向ける)チッタで終了する認識過程の場合はアヴィブータ(不明瞭な)現れ方、バヴァンガの振動だけで終わる認識過程の場合はアティアヴィブータ(大変不明瞭な)現れ方となります。現れ方の明瞭度は対象の鮮明さないしチッタの強さに依存します。鮮明な対象はチッタが弱くても明瞭に生じることがあります。一方強力なチッタはかすかで分かりにくい対象でも明瞭に認識することが可能です。
第13節 まとめ
ヴィーティチッターニ ティーネーヴァ チットゥッパーダー ダセーリター
ヴィッターレーナ パネーッテーカ エーカチャッターリ―サー ヴィバーヴァイェー
アヤン エーッタ パリッタジャヴァナヴァーロー
認識過程におけるチッタの3つのモードと10種類の状態について説明しました。さらに細かく説明すれば41種類となります。
これで有限のジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)の過程を終了します。
第13節へのガイド
3つのモード:認識過程に関わるチッタの三つのモードとはマノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に注意を向ける)チッタ、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタの三つのことです。
この三つのモードのうちジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)は7つのチッタが、タダーランマナは二つのチッタが現れるので合計で10種類となります。41種類のチッタとはカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める)チッタ54種類のうち、五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)のペアー(2x5=10)、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ、サンティーラナ(対象を調べるチッタ)2種類を除いた41種類のチッタのことです。マノードゥヴァーラヴィーティー(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門における認識過程)においては3種類のサンティーラナチッタがタダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタとして機能します。ヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタはマノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に注意を向ける)チッタとして働きます。
アッパナージャヴァナ・マノードウゥヴァーラヴィーティ
(瞑想の没入状態のジャヴァナにおける、イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門での認識過程)
第14節 瞑想の没入状態での認識過程
アッパナージャヴァナヴァーレー パナ ヴィブーターヴィブータベードー ナッティ
タター タダーランマヌッパードー チャ
タッタ ヒ ニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラジャヴァナーナン アッタッナン
アンニャタラスミン パリカンモーパチャーラーヌローマゴトラブ ナーメーナ
チャトゥッカットゥン ティッカットゥン エーヴァ ヴァー ヤターッカマン
ウッパッジットゥヴァー ニルッデー タダナンタラン エーヴァ ヤターラハン
チャトゥッタン パンチャマン ヴァー チャッビーサティ
マハッガタロークッタラジャヴァネース ヤタービニーハーラヴァセーナ ヤン キンチ
ジャヴァナン アッパナーヴィーティン オータラティ タトーパラン アッパナーヴァセーナ バヴァンガパートー ヴァ ホーティ
アッパナー(瞑想の没入状態)においてジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)が生じる時には、アーランバナ(対象)をヴィブータ(明瞭な)、アヴィブータ(不明瞭な)と分けることはありません。同様にタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタも生じません。この場合(つまり瞑想の没入状態における認識過程においては)、八つあるニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラジャヴァナ(智慧が付随する、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、認識過程の中心にあり対象を捉えて業を作り出す一連のチッタ)のいずれかが、四つないし三つ現われて消えます。その順番は決まっていて、準備、接近、協調、意識の系譜の変更(カーマーヴァチャラからマハッガタ、ないしローキヤからロークッタラ)、となります。これらのジャヴァナが終了した直後、4番目ないし5番目(これはジャヴァナがいくつ生滅したかによります)のチッタとして、29個あるマハッガタ(瞑想に関係する意識の領域)ないしロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)のうちのいずれかがアッパナー(没入状態)の認識過程に入ります。どのチッタが生じるかは心がどの方向に向けられたかに依存します。その後、アッパナー(瞑想の没入状態)が終わるとともに、認識過程は消褪し、バヴァンガ(生存を持続させるチッタ)の流れに戻ります。
第14節へのガイド
アッパナー(瞑想の没入状態):アッパナーの元の意味は、ジャーナ(禅定)の最初の段階で注意を対象に向かわせる役割を持つ、ヴィタッカというチェータスィカが高度に高まった状態です。関連するチッタ、チェータスィカを対象に深く突き刺して、没入状態へと導く働きがあります。ジャーナ(禅定)の第二段階以上になるとヴィタッカ(注意を対象に向かわせるチェータスィカ)は生じません。何故なら、ジャーナ(禅定)に入った心は対象という一点に固定されるからです。しかしながら、アッパナーという言葉は、カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)、ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)、アルーパーヴァチャラ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する意識の領域)全ておいて、瞑想が高まって集中した状態全体に広く使われています。
アーランバナ(対象)をヴィブータ(明瞭な)、アヴィブータ(不明瞭な)と分けることはありません:この区分は瞑想の没入状態に関して使われることはありません。なぜなら、対象を明瞭に把握しないとジャーナ(禅定)、マッガ(道)、パラ(果)得ることは出来ないからです。
この場合(つまり瞑想の没入状態における認識過程においては)、八つあるニャーナサンパユッタ(智慧が付随する)カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)のいずれかが、四つないし三つ現われて消えます:瞑想者がまさに、ジャーナ(禅定)、マッガ(道)、パラ(果)を得ようとしている時には、まずマノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門に注意を向ける)チッタが生じます。そして、同じ認識過程の中、ジャーナ(禅定)、マッガ(道)、パラ(果)を得る直前に、カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)が素早く、そして連続して生じます。プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)、セーッカ(涅槃を悟り、解脱を目指して修行中の聖者たち)の場合、このジャヴァナは四種類あるニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラクサラ(智慧が付随する、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、善業を作る)チッタのうちのいずれかとなります。最終的な悟りを得て解脱を果たしたアラハントの場合は、このジャヴァナは四種類あるニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラクサラ(智慧が付随する、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、機能だけの)チッタのうちのいずれかとなります。
その順番は決まっていて:平均的な能力の人たちはこれらの予備的なジャヴァナが4回生じます。その一つ一つが異なる機能を担います。一番目はパリカンマ(準備)と呼ばれます。なぜならジャーナ(禅定)、マッガ(道)、パラ(果)の獲得に向けて心の流れを準備させるからです。二番目はウパチャーラ(接近)と呼ばれます。何故ならジャーナ(禅定)、マッガ(道)、パラ(果)が近くなった時に生じるからです。3番目はアヌローマ(協調)と呼ばれます。何故なら、直前に生じたウパチャーラ(接近)と、すぐ後に生じる没入状態を協調させるからです。4番目はゴートラブー(意識の系譜の変更)と呼ばれます。ジャーナ(禅定)を得る時は、カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)という意識の系譜を乗り越えて、マハッガタ(禅定に関連した意識の領域)の意識の系譜へと発展し乗り変わるため、こう呼ばれています。初めてマッガ(道)を得る時にはプトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)からアーリヤ(涅槃を悟った聖者)へと意識の系譜が乗り変わるためこう呼ばれます。さらに高いレベルのマッガ(道)、パラ(果)を得る時も、比ゆ的にゴートラブー(意識の系譜の変更)という言葉が使われますが、時に「浄化」を意味するヴォ―ダーナという言葉が使われることもあります4。
極めて鋭い能力を持った人の場合は、パリカンマ(準備)が省略されますそして没入状態に入る前の予備的なジャヴァナの数は3つだけとなります。
これらのジャヴァナが終了した直後:意識の系譜を変えるゴートラブー(意識の系譜の乗り換え)チッタが生じたすぐ後、鋭い能力を持った人はジャヴァナの4番目、普通の能力の人はジャヴァナの5番目として、没入状態のレベルのジャヴァナチッタが生じます。このジャヴァナチッタはルーパーヴァチャラクサラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、善業を作る)チッタ5種類ないしルーパーヴァチャラクサラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、機能だけの)チッタ5種類(合計10種類)のうちのいずれか、アルーパーヴァチャラクサラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における、善業を作る)チッタ4種類ないしアルーパーヴァチャラクサラ(物質でないもの対象にした禅定に関連する意識の領域における、機能だけの)チッタ4種類(合計8種類)のうちのいずれか、マッガ(道の)チッタ4種類ないしパラ(果の)チッタ4種類(合計8種類)のうちのいずれかとなります。このように、没入状態のレベルのジャヴァナチッタは26種類(10+8+8=26)となります。
注意すべきは、没入状態の認識過程においてはジャヴァナの各チッタが異なるタイプであったり、異なるアヴァチャラ(意識の領域)のチッタであったりすることです。一方、カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)の認識過程の場合はジャヴァナのプロセスのチッタは全て同一です。
どのチッタが生じるかは心がどの方向に向けられたかに依存します(ヤタービニーハーラヴァセーナ):これは、瞑想の没入状態で生じるチッタは、瞑想者が自分自身の心に与える方向性に左右されるという意味です。もし、瞑想者がジャーナ(禅定)の第一段階を得ようとしたら、サマタ瞑想(単一の対象に集中する瞑想)の習熟に努力することにより、自分の心をそのジャーナ(禅定)に向けます。より高いレベルのジャーナ(禅定)の場合も同じです。瞑想者が、マッガ(道)、パラ(果)を得ようとしたら、ヴィパッサナー瞑想(生滅の観察により真理を洞察する瞑想)の習熟に努力することにより、自分の心をマッガ(道)、パラ(果)に向けます。
アッパナー(瞑想の没入状態)が終わるとともに:この場合、没入状態が終了すると直ちにバヴァンガ(認識と認識の間を埋める、生存を持続させるためのチッタ)の流れに戻ります。タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタは生じません。
第15節 ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉えて、業を作り出す一連のチッタ)とアッパナー(瞑想の没入状態)との関係
タッタ ソーマナッササハガタジャヴァナーナンタラン アッパナー ピ
ソーマナッササハガター ヴァ パーティカンキタッバー
ウペッカーサハガタジャヴァナーナンタラン ウペッカーサハガター ヴァ タッター ピ クサラジャヴァナ―ナンタラン クサラジャヴァナンチェーバ ヘッティマン チャ
パラッタヤン アッペーティ クリヤージャヴァナーナントラン クリヤージャヴァナン
アラハッタパラン チャ ティ
この認識過程においては、ソーマナッササハガタジャヴァナ(精神的な楽しさを伴うジャヴァナ)の直後に続く没入状態はソーマナッサ(精神的な楽しさ)を伴うと予測されます。ウペッカーサハガタジャヴァナ(苦しくも楽しくもない状態を伴うジャヴァナ)の直後に続く没入状態はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うと予測されます。
また、クサラジャヴァナ(善業をつくるジャヴァナ)の直後は、クサラジャヴァナ(善業をつくるジャヴァナ)を通して没入状態が生じます。キリヤジャヴァナ(機能だけのジャヴァナ)の直後は、キリヤジャヴァナ(機能だけのジャヴァナ)ないしアラハントのパラ(果)を通して没入状態が生じます。
第15節へのガイド
この節では、没入状態へとつながる認識過程の、予備段階のチッタと、没入状態のチッタそのものとの関係を明らかにすることを目的にして書かれています。最初の部分には一般的な原則が、そしてそれに続く偈文にはその具体例が示されています。
第16節 まとめ
ドゥヴァッティムサ スカプンニャンハー ドゥヴァーダソーペーッカカー パラン
スキタクリヤトー アッタ チャ サンボーンティ ウペッカカー プトゥッジャナーナ
セーッカーナン カンマプンニャー ティヘートゥトー ティヘートゥカーマクリヤトー
ヴィータラーガーナン アッパナー
アヤン エッタ マノードゥヴァーレー ヴィーティチッタッパヴァッティナヨー
ソーマナッササハガタクサラ(精神的な楽しさを伴い、善業を作る)チッタに続いて、32種類の没入状態のジャヴァナが生じます。ウペッカーサハガタクサラ(苦しく楽しくもない状態を伴う、善業を作る)チッタの後には12種類の没入状態のジャヴァナが生じます。ソーマナッササハガタキリヤ(精神的な楽しさを伴う、機能だけの)チッタの後には8種類のジャヴァナが、ウペッカーサハガタキリヤ(苦しく楽しくもない状態を伴う、機能だけの)チッタの後には、6種類のジャヴァナが生じます。
プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人たち)とセーッカ(涅槃を悟り、解脱を目指して修行中の聖者)場合は三つのヘートゥ(チッタを安定させる根)を持つカーマーヴァチャラクサラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、善業を作る)チッタの後に没入状態が生じます。タンハー(渇愛)が無くなったアラハントの場合は、三つのヘートゥ(チッタを安定させる根)を持つカーマーヴァチャラキリヤ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、機能だけの)チッタの後に没入状態が生じます。
これがマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る感覚門)における認識過程です。
第16節へのガイド
ソーマナッササハガタクサラ(精神的な楽しさを伴い、善業を作る)チッタに続いて:プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人たち)とセーッカ(涅槃を悟り、解脱を目指して修行中の聖者)場合、2種類あるソーマナッササハガタニャーナサンパユッタクサラ(精神的な楽しさを伴い、智慧が付随し、善業を作る)チッタのいずれかが、没入状態の準備段階の機能を果たすと、それに続く没入状態の中で32種類のチッタがジャヴァナとして生じます。そのチッタの内訳は、ジャーナ(禅定)の第1~第4段階のマハッガタクサラ(禅定に関連する意識の領域における、善業を作る)チッタ(身体的な楽しさ、スカを伴います)、ジャーナ(禅定)の第1~第4段階の各レベルそれぞれに現われる4つのマッガ(道の)チッタ、ジャーナ(禅定)の第1~第4段階の各レベルそれぞれに現われる3つ(悟りの第1~第3段階)のパラ(果の)チッタです(4+16+12=32)。
ウペッカーサハガタクサラ(苦しく楽しくもない状態を伴う、善業を作る)チッタの後には:プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人たち)とセーッカ(涅槃を悟り、解脱を目指して修行中の聖者)の場合、2種類あるウペッカーサハガタニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラクサラ(苦しさも楽しさも感じない状態を伴い、智慧が付随し、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、善業を作る)チッタのいずれかが、没入状態の準備段階の機能を果たすと、それに続く没入状態の中で12種類のチッタがジャヴァナとして生じます。そのチッタの内訳は、ジャーナ(禅定)の第5段階とアルーパジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)第1~第4段階のマハッガタクサラ(禅定に関連する意識の領域における、善業を作る)チッタと、ジャーナ(禅定)の第5段階のレベルに現われる4つのマッガ(道の)チッタ、ジャーナ(禅定)の第5階の各レベルに現われる3つ(悟りの第1~第3段階)のパラ(果の)チッタです(5+4+3=12)。
ソーマナッササハガタキリヤ(精神的な楽しさを伴う、機能だけの)チッタの後には:アラハント(最終的な悟りを得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)の場合、2種類のソーマナッササハガタニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラキリヤ(楽しさを伴い、智慧が付随し、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、機能だけの)チッタに続いて、没入状態の中で8種類のチッタがジャヴァナとして生じます。そのチッタの内訳は、最初のジャーナ(禅定)の第1~第4段階のマハッガタキリヤ(禅定に関連する意識の領域における、善業を作る機能だけの)チッタと、最初のジャーナ(禅定)の第1~第4段階のレベルで現われる、アラハッタパラ(アラハントの果の)チッタです(4+4=8)。
ウペッカーサハガタキリヤ(苦しく楽しくもない状態を伴う、機能だけの)チッタの後:2種類のウペッカーサハガタニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラキリヤ(苦しく楽しくもない状態を伴い、智慧が付随する、感覚的楽しみを追い求める意識の領域における、機能だけの)チッタに続いて、没入状態の中で6種類のチッタがジャヴァナとして生じます。そのチッタの内訳は、5種類のマハッガタキリヤ(禅定に関連する意識の領域における、機能だけの)チッタと、第5段階ジャーナ(禅定)のレベルで現われる、アラハッタパラ(アラハントの果の)チッタです(5+1=6)。
プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人たち)とセーッカ(涅槃を悟り、解脱を目指して修行中の聖者)場合は:プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人たち)と悟りの第1~第3段階を得たセーッカ(涅槃を悟り、解脱を目指して修行中の聖者)の場合、4種類のニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラジャヴァナ(智慧が付随する、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域におけるジャヴァナチッタ)のいずれかの後に、上で説明した44種類(32+12=44)の没入状態のジャヴァナのいずれかが生じます。アラハント(悟りを最終段階を得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)の場合、4種類あるニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラキリヤジャヴァナ(智慧が付随する、感覚的楽しみを追い求める意識の領域における、機能だけのジャヴァナチッタ)に続いて、上で説明した14種類(8+6=14)の没入状態のジャヴァナのいずれかが生じます。
タダーランマナニヤマ(対象を記憶に留める手順)
第17節 タダーランマナ(対象を記憶に留める働き)の分析
サッバッタ― ピ パネーッタ アニッテ アーランマネー
アクサラヴィパーカーネーヴァ パンチャヴィンニャーナ サンパティッチャナ
サンティーラナ タダーランマナーニ;イッテー クサラヴィパーカーニ
アティイッテー パナ サマナッササハーガタネーヴァ サンティーラナ
タダーランマナーニ
どのような状況であれ、対象が好ましくない物である場合は、(眼、耳、鼻、舌、身体という)五通りのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、サンパティッチャナ(対象を受け止める)チッタ、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは全てアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタです。対象が好ましい物である場合は、クサラヴィパーカ(善業の結果として生じる)チッタです。対象が極めて好ましいものである場合は、サンティーラナ(対象を調べる)チッタとタダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタにソーマナッサ(精神的な楽しさ)が伴います。
タッター ピ ソーマナッササハガタクリヤージャヴァナーヴァサーネー
ソーマナッササハガタネーヴァ タダーランマナーニ バヴァンティ
ウペッカーサハガタクリヤージャヴァナーヴァサーネー チャ
ウペッカーサハガターネーヴァ ホーンティ
このような関係の中では、ソーマナッササハガタクリヤージャヴァナ(精神的な楽しさを伴う、機能だけのジャヴァナチッタ)の終わりに生じるタタダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタにはソーマナッサ(精神的な楽しさ)が伴います。ウペッカーサハガタクリヤージャヴァナ(楽しくも苦しくも無い状態を伴う、機能だけのジャヴァナチッタ)の終わりに生じるタダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタにはウペッカー(楽しくも苦しくもない状態)が伴います。
第17節へのガイド
対象が好ましくない物である場合は:感覚対象は3つのクラスに分けられます。アニッタ(好ましくない)、イッタ(中程度に好ましい:イッタマッジッタ=中立的に好ましい、とも呼ばれます)、アティイッタ(極めて望ましい)の3つです。このように好ましい対象はイッタ、アティイッタの2つに分かれますが、好ましくない対象は全て単純にアニッタという一つのクラスにまとめられています。
アビダンマ哲学によると、このような対象の質の区分は、対象自身の持つ性質に関連します。経験する人個々人の気質や好みにより決まるものではありません。サンモーハヴィノーダニーというヴィバンガの注釈書によれば、人が好ましい対象を好ましくないものと見なしたり、好ましくない対象を好ましいものとみなしたりするのは、認知の錯誤(サンニャーヴィパッラーサ)によるとされています。しかしながら、認知する人の個人的な好みに関係なく、対象そのものが好ましい、好ましくないという固有の性質を持っているとされています。サンモーハヴィノーダニーによれば、好ましい、好ましくないという固有の性質は平均的な生命(マッジマサッタ)により決まります。「会計士、政府の役人、市民、地主、商人などの平均的な人たちが好ましいと感じるか、好ましくないと感じるかに従いって区別することが出来ます。」と書かれています5。
ある状況で、アニッタ(好ましくない)、イッタ(中程度に好ましい)、アティイッタ(極めて好まし)のいずれの対象を経験するかは、過去のカンマ(業)によって決まります。経験する対象はヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタと言う形でカンマ(業)が熟する機会をもたらします。ヴィパーカチッタは対象の性質をそのまま反映します。鏡に映った顔がもとの顔の形と一致するのと全く同じです。
人はアクサラカンマ(不善業)の力により、アニッタ(好ましくない)に分類される対象を経験します。その対象を経験する認識過程におけるヴィパーカチッタは、熟したアクサラカンマ(不善業)が作り出します。その場合ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、サンパティッチャナ(対象を受け止める)チッタ、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは当然、アクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じた)になります。それに伴うヴェーダナー(感受)はウペッカー(苦しくも楽しくもない)です。ただしカーヤヴィンニャーナ(身体に感覚を感じたという意識)だけはドゥッカ(身体的な苦しさ)を伴います。
逆にイッタ(中程度に好ましい)、アティイッタ(極めて好ましい)に属する対象は、クサラカンマ(善業)の力により経験することになります。その対象を経験する認識過程におけるヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタは、熟したクサラカンマ(善業)が作り出します。その場合ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、サンパティッチャナ(対象を受け止める)チッタ、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、タダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは当然、クサラヴィパーカ(善業の結果として生じた)になります。それに伴うヴェーダナー(感受)はウペッカー(苦しくも楽しくもない)です。ただしカーヤヴィンニャーナ(身体に感覚を感じたという意識)だけはスカ(身体的な楽しさ)を伴います。そしてアティイッタ(極めて好ましい)に属する対象の場合、サンティーラナ(対象を調べる)チッタとタダーランマナ(対象を記憶に留める)チッタは、ソーマナッサ(精神的な楽しさ)を伴います。
対象が好ましくない(アニッタ)ものである場合、タダーランマナ(対象を記憶に留める)働きは、もっぱらアクサラヴィパーカサンティーラナ(不善業の結果として生じる、対象を調べる)チッタが担います。中程度に好ましい(イッタ)対象の場合は、ウペッカーサハガタクサラヴィパーカサンティーラナ(苦しくも楽しくもない状態が伴う、善業の結果として生じる、対象を調べる)チッタ、あるいは4種類あるがウペッカーサハガタマハーヴィパーカ(苦しくも楽しくもない状況を伴う、業の結果として生じる、偉大な)チッタのいずれかがタダーランマナ(対象を記憶に留める)の働きをします。[マハーヴィパーカチッタとはカーマーヴァチャラソーバナチッタ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しいチッタ)に含まれるヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタの事です。] 極めて好ましい(アティイッタ)に属する対象は、一般的にソーマナッササハガタサンティーラナ(精神的な楽しみを伴う、対象を調べる)チッタないし4種類あるソーマナッササハガタマハーヴィパーカ(精神的な楽しみを伴う、業の結果として生じる、偉大な)チッタのいずれかがタダーランマナ(対象を記憶に留める)の働きをします。
注意していただきたいのは、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタはアーランバナ(対象)の性質に支配されますが、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、対象を捉え、業を作り出す一連のチッタ)はこの支配を受けないことです。ジャヴァナは対象を経験する人の気質や好みに応じて変わります。対象がアティイッタ(極めて好ましい)であってもウペッカーサハガタクサラ(苦しくも楽しくもない状態を伴い、善業を作る)チッタ、あるいはウペッカーサハガタアクサラ(苦しくも楽しくもない状態を伴い、不善業を作る)チッタと言う形で対象に無関心なジャヴァナが生じることがあります。例えば、ブッダを見ても、疑いのある人はヴィチキッチャー(ブッダ、ダンマ、サンガとブッダの教えに対する疑い)を伴うチッタを経験することがあります。美しい女性を見ても、瞑想に長けた比丘であれば、ウペッカーサハガタニャーナサンパユッタクサラ(苦しくも楽しくも無い状態を伴い、智慧が付随する、善業を作る)チッタを経験することがあります。対象がアティイッタ(極めて好ましい)であっても、パティガ(嫌悪)やドーマナッサ(精神的な苦しみ)を伴うチッタを経験することもあり得ます。また対象がアニッタ(好ましくない)であっても、普通であれば好ましい(イッタ)対象にふさわしいジャヴァナが生じることもあります。マゾヒストは身体的な苦痛に対し、ソーマナッササハガタローバムーラ(精神的な楽しさを伴い、欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタで反応する可能性があります。一方で、瞑想に長けた比丘は、腐った死体を見てもソーマナッササハガタニャーナサンパユッタクサラ(精神的な楽しさを伴い、智慧が付随する、善業を作る)チッタにより死体を対象にした瞑想を行うこともあります。
このような関係の中では:この一節は、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタだけではなく、アラハント(最終的な悟りを得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)のカーマーヴァチャラキリヤジャヴァナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、機能だけのジャヴァナ)も対象と協調するということを示すために書かれています。アラハントが極めて好ましい(アティイッタ)対象を経験すると、4種類あるソーマナッササハガタキリヤ(精神的な楽しさを伴う、機能だけの)チッタのいずれかがジャヴァナとして生じ、5種類あるソーマナッササハガタヴィパーカ(精神的な楽しさを伴う、業の結果として生じる)チッタがタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタとして生じます。アラハントが中程度に好ましい(イッタ)あるいは好ましくない(アニッタ)対象を経験すると、ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)が伴うジャヴァナが生じ、6種類あるウペッカーサハガタヴィパーカ(苦しくも楽しくもない状態を伴う、業の結果として生じる)チッタがタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタとして生じます。
レディセヤドーの指摘によれば、アラハント(最終的な悟りを得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)における対象とキリヤジャヴァナ(機能だけのジャヴァナ)との関係は通常のモードにおけるジャヴァナの場合にのみあてはまるとされています。適切なやり方で心に決めることで、アラハントは極めて好ましい(アティイッタ)対象に対してウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うチッタを生じさせたり、好ましくない(アニッタ)対象にソーマナッサ(精神的な楽しさ)を伴うチッタを生じさせたりすることが可能です。このような関係の中で、レディセヤドーはインドゥリヤヴァーヴァナー経(M.152/iii,301-302)を引用しています。
「アーナンダよ、比丘が眼で形あるものを見る時、好ましいもの、好ましくないもの、好ましい・好ましくない両方の性質をもつものが生じます。もし彼が望むなら、嫌なものを嫌でないものと感受することができます。嫌でないものを嫌なものとして感受することができます。あるいは気づきと明瞭な理解により、嫌である、嫌でないという感受を両方とも避けて、偏ることなく落ち着いていることもできます。」
第18節 アーガントゥカバヴァンガ(付随的に生じるバヴァンガ)
ドーマナッササハガタジャヴァナーヴァサーネー チャ パナ タダーラマンナーニ
チェーヴァ バヴァンガーニ チャ ウペッカーサハガターネーヴァ エーヴァ
バヴァンティ タスマー ヤディ ソーマナッサパティサンディカッサ
ドーマナッササハガタジャヴァナーヴァサーネー タダーランマナサンバヴォー
ナッティ タダー ヤン キンチ パリチタプッバン パリッターランマナン
アーラッバ ウペッカーサハガタサンティラーナン ウッパッジャティ タン
アナンタリトゥヴァー バヴァンガパートー ヴァ ホーティ ティ ピ
ヴァダンティ アーチャリヤー
しかしドーマナッサ(精神的な苦しさ)を伴うジャヴァナが終わると、それに続くタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタとバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)にはウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)が伴います。このため、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタがソーマナッサ(精神的な喜び)を伴う場合、ドーマナッサ(精神的な苦しみ)を伴うジャヴァナが終わると、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタは生じません。その代わりに、身近で些細なものを対象とするウペッカーサハガタサンティーラナ(苦しくも楽しくもない状態を伴う、対象を調べる)チッタが生じると説明されています。その後直ちにバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の流れに戻ります。
第18節へのガイド
しかしドーマナッサ(精神的な苦しさ)を伴うジャヴァナが終わると:ソーマナッサ(精神的な楽しさ)とドーマナッサ(精神的な苦しさ)は対極にあるため、ソーマナッサ(精神的な楽しさ)を伴うチッタの直後にドーマナッサ(精神的な苦しさ)を伴うチッタが生じたり、ドーマナッサ(精神的な苦しさ)を伴うチッタの直後にソーマナッサ(精神的な楽しさ)を伴うチッタが生じたりすることはありません。しかし、ソーマナッサ(精神的な楽しさ)ないしドーマナッサ(精神的な苦しさ)を伴うチッタのすぐ後にウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うチッタが生じることは可能です。ですから、例えばドーサムーラ(怒りというチッタを安定させる根をもつ)チッタのように、ドーマナッサ(制止的な苦しさ)を伴うジャヴァナの後にタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタが生じる場合はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)が伴うことになります6。タダーランマナチッタ(対象を記憶にとどめる)が生じない場合は、ドーマナッサ(制止的な苦しさ)を伴うジャヴァナの後にバヴァンガが生じますが、そのバヴァンガはウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うバヴァンガでなければなりません。
このため、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタがソーマナッサ(精神的な喜び)を伴う場合: 4種類あるソーマナッササハガタマハーヴィパーカ(精神的な楽しさを伴う、業の結果として生じる、偉大な)チッタ[マハーヴィパーカチッタとはカーマーヴァチャラソーバナチッタ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しいチッタ)に含まれるヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタの事です。] のうちいずれかがバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)となる人の場合は、ドーマナッサ(精神的な苦しさ)を伴うジャヴァナの過程の後にタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタが生じない時には、その後直ちにバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の流れに戻ることはありません。これは、対立する感受が連続して生じることは無いという法則によります。その場合は、ウペッカーサハガタサンティーラナ(苦しくも楽しくも無い状態を伴う、対象を調べる)チッタがチッタッカナ(チッタが生じて滅するまでの時間)一個分生じ、ジャヴァナのドーマナッサ(精神的な苦しさ)と、バヴァンガのソーマナッサ(精神的な楽しさ)の緩衝材として機能すると説明されています。この時には、そのサンティーラナ(対象を調べる)チッタはサンティーラナ(対象を調べる)の働きはしません。このチッタはその認識過程とは異なる対象、既によく知っている何らかのカーマーヴァチャラーランバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における対象)を取ります。そして単にバヴァンガの流れに戻るための準備をするという機能だけを果たします。この特別なチッタは、アーガントゥカバヴァンガ(付随的に生じるバヴァンガ)と呼ばれています。
第19節 タダーランマナ(対象を記憶にとどめること)の法則
タター カーマーヴァチャラジャヴァナーヴァサーネー
カーマーヴァチャラサッターナン カーマーヴァチャラダンメースヴェーヴァ
アーランマナブーテース タダーランマナン イッチャンティ ティ
同様に、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタが生じるのは、カーマーヴァチャラジャヴァナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域におけるジャヴァナ)の後だけです。カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)の生命だけに生じます。そしてカーマーヴァチャラーランバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の対象)が認識対象になった時だけ生じます。
第20節 まとめ
カーメー ジャヴァナサッターランマナーナン ニヤメー サティ ヴィブーテー
ティマハンテー チャ タダーランマナン イーリタン
アヤン エッタ タダーランマナニヤモー
タダーランマナ(対象を記憶にとどめる働き)は、カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)ジャヴァナ、カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)の生命、カーマーヴァチャラーランバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の対象)に関連する場合だけ、そして対象が明瞭ないし極めて大きなものである場合にのみ生じます。
これがタダーランマナ(対象を記憶にとどめる働き)という手順です。
ジャヴァナニヤマ(ジャヴァナの手順)
第21節 カーマーヴァチャラジャヴァナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域におけるジャヴァナ)
ジャヴァネース チャ パリッタジャヴァナピーティヤン カーマーヴァチャラジャヴァナーニ サッタッカットゥン チャッカットゥン エーヴァ ヴァー ジャヴァンティ
マンダッパヴァッティヤン パナ マラナカーラーディース パンチャヴァーラン
エーヴァ バガヴァトー パナ ヤマカパーティハーリヤハーラーディース
ラフカッパヴァッティヤン チャッターリ パンチャ ヴァー
パッチャヴェッカナチッターニ バヴァンティ ティ ピ ヴァダンティ
ジャヴァナの中でも、制限のあるジャヴァナの過程におけるカーマーヴァチャラジャヴァナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域におけるジャヴァナ)では6つないし7つのチッタが連続して生じます。死に瀕した時など弱った状態にある人の場合は5つのチッタしか乗じません。ブッダの場合はヤマカパーティハーリヤ(二つの奇跡)など、認識過程のスピードが速い時には、4つないし5つのパッチャベッカナチッタ(省察するチッタ)のみが連続して生じると言われています。
第21節へのガイド
制限のあるジャヴァナの過程:これはカーマーヴァチャラチッタヴィーティ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の認識過程)のことです。ジャヴァナの過程では7つのチッタが連続して生じるのが原則です。しかし、対象が極めて弱い場合は6つとなる場合があります。死の前の最後のジャヴァナの過程においては、5つのチッタが連続して生じるだけだとされています。これはハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える物質的基盤)が弱いためとされています。(注釈書では失神する時なども同じように5つしか生じないと説明されています。)
ブッダの場合は:ヤマカパーティハーリヤ(二つの奇跡)とはブッダがその生涯で何度か見せた超能力の偉業のことです。ご自身が得た覚りを他の人々が信じる助けとなるように行ったとされています。この奇跡においてブッダはご自身の身体から同時に火と水を放射してみせました(Pts.I,125)。ブッダは火のカスィナ(禅定を得るために使う円盤)を対象とした第5段階の禅定に入った後すぐに今度は水のカスィナを対象とした第5段階の禅定に入り、自分の身体から火と水を放射することを決意したとされています。ヤマカパーティハーリヤ(二つの奇跡)自体は禅定の第五段階におけるアビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る特別な能力に関連する)チッタによるものですが、ジャーナ(禅定)の要素を省察するのはカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)における認識過程です。この認識過程はカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)では最もスピードが速いものとなっています。
第22節 禅定の獲得におけるジャヴァナ
アーディカッミカッサ パナ パタマカッパナーヤン マハッガタジャヴァナーニ
アビンニャージャヴァナーニ チャ サッバダー ピ エーカヴァーラン エーヴァ
ジャヴァンティ タトー パラン バヴァンガパートー
初心者が始めて没入状態を認識する過程におけるマハッガタジャヴァナ(禅定に関連する意識の領域のジャヴァナ)では一つのチッタだけが生じてまたバヴァンガの流れに戻ります。アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る特別な能力に関連する)ジャヴァナの場合は常に一つのチッタだけが生じてまたバヴァンガの流れに戻ります。
チャッターロー パナ マッグッパーダー エーカチッタッカニカー タトー パラン
ドゥヴェー ティーニー パラチッターニ ヤターラハン ウパッジャンティ
タトーパラン バヴァンガパートー
4種類あるマッガ(道の)チッタはチッタッカナ(チッタが生じて滅するまでの時間)一つ分しか続きません。続いて2個ないし3個のパラ(果の)チッタが生じ、その後バヴァンガの流れに戻ります。
ニローダサマーパッティカーレー ドゥヴィッカットゥン
チャトゥッタールッパジャヴァナン ジャヴァティ タトー パラン ニローダ
プサティ ヴッターナカーレー チャ アナーガーミパラン ヴァー アラハッタパラン
ヴァー ヤターラハン エーカヴァーラン ウパッジャトゥヴァー ニルッデー
バヴァンガパートー ヴァ ホーティ
心の活動が停止する禅定状態(滅尽定)に達する際には、第四段階のアルーパジャヴァナ(物質でないものを対象にした禅定に関連したジャヴァナ)チッタが2つ連続して生じた後に心の活動が全て停止します。この心の活動が停止する禅定状態(滅尽定)から出る際には、アナーガーミー(悟りの第三段階の聖者)のパラ(果の)チッタないしアラハッタ(悟りの最終段階の聖者)のパラ(果の)チッタが一つ生じた後にバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の流れに戻ります。
サッバッター ピ サマーパッティヴィーティヤン パナ バヴァンガソートー ヴィヤ
ヴィーティニヤモー ナッティ ティ カトゥヴァー バフーニー ピ ラッバンティ ティ
禅定を獲得する際の認識過程においては、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の流れと同容に、固定された手順はありません。さらに多くの(マハッガタないしロークッタラ)ジャヴァナが(直後に)生じます。
第22節へのガイド
初心者が始めて没入状態を認識する過程におけるマハッガタジャヴァナ(禅定に関連する意識の領域のジャヴァナ)では:どのジャーナ(禅定)の場合も、初めてそれに達した時の認識過程では、マハッガタジャヴァナ(禅定に関連する意息の領域のジャヴァナ)は1つだけ生じます。何故ならそのジャヴァナは繰り返して生じることがないため弱いからです。第5段階のジャーナ(禅定)におけるジャヴァナがアビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る特別な能力)として機能する場合にはやはり一つしか生じません。これは熟練者の場合も同じです。何故ならアビンニャーの働きを果たすたまには一つのジャヴァナで十分だからです、
4種類あるマッガ(道の)チッタは:マッガ(道の)チッタはいずれもチッタッカナ(チッタが生じてから滅するまでの時間一つ分しか生じません。その間、それぞれのマッガ(道の)チッタにより根絶すべき煩悩が捨て去られ、あるいは弱まります。平均的な能力の人の場合はマッガ(道)の認識過程の中に、パリカンマ(準備)と呼ばれる予備的な部分があります。この場合マッガ(道の)チッタの後にパラ(果の)チッタが二つ生じます。鋭い能力を持った人の場合は、パリカンマ(準備)が省略されるため、マッガ(道の)チッタの後に生じるパラ(果の)チッタは三つとなります。
心の活動が停止する禅定状態(滅尽定)に達する際には:ルーパジャーナ(物質を対象とした禅定)5段階とアルーパジャーナ(物質ではないものを対象にした禅定)4段階を全てマスターしたアラハッタ(悟りの最終段階を得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)とアナーガーミ(悟りの第3段階を得て、カーマローカすなわち感覚的な楽しみを追い求める生存世界に戻ることが無くなった聖者)は、心を育てることでチッタの流れとチッタに関連する働きを一時的に停止される特別なジャーナ(禅定)に入ることが出来ます。これは、ニローダサマーパッティ(滅尽定)、心の活動が停止した状態、として知られています。この状態においては全ての精神的活動が停止します。身体は残存する生命力の熱により生存を続けます。
ニローダサマーパッティ(滅尽定)得ようとする際には、瞑想者はそれぞれのジャーナ(禅定)に一つずつ順番に入りそこから出て、そのジャーナ(禅定)の要素がアニッチャ(常に変化してしまう)であり、ドゥッカ(苦しみ)であり、アナッタ(変わらぬ実体が無い)であると洞察します。そして虚無を対象とするアルーパジャーナ(物質で無いものを対象にした禅定)の第3段階に達した後、瞑想者は準備的な作業をいくつかこなし、その後ニローダサマーパッティ(滅尽定)を得ようと心に決めます。そして第4段階のアルーパジャーナ(物質で無いものを対象にしたジャーナ)のチッタが二つ生滅し、その後チッタの流れが遮断されます。
ニローダサマーパッティ(滅尽定)に入っている長さは瞑想者が事前に決意した時間により決まります。そして訓練を重ねることにより、最長で7日間まで伸ばすことが出来ます。ニローダサマーパッティ(滅尽定)から出る時には、まずパラ(果の)チッタが二つ生じます。このパラ(果の)チッタはアラハッタ(悟りの最終段階を得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)の場合はアラハッタパラチッタ、アナーガーミ(悟りの第3段階を得て、カーマローカすなわち感覚的な楽しみを追い求める生存世界に戻ることが無くなった聖者)の場合はアナーガーミパラチッタです。その後バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続されるチッタ)の流れが再開します。詳しくは第9章、第43~44節をご覧ください。
禅定を獲得する際の認識過程においては:この文章は、ジャーナ(禅定)にしてもパラ(果)にしても、訓練を通して没入状態の持続時間を延ばすことが出来るということを説明しています。初心者の場合はジャーナ(禅定)ないしパラ(果)はジャヴァナ一つ分しか生じません。訓練を重ねることでその長さをジャヴァナ二つ分、三つ分、四つ分を伸ばしていくことが出来ます。そして熟練すると途切れることなく没入状態を続けることが可能となります。何日も没入状態を継続することさえ出来ます。
第23節 まとめ
サッタッカットゥン パリッターニ マッガービンニャー サキン マター
アヴァセーサーニ ラッバンティ ジャヴァナーニ バフーニ ピ
アヤン エッタ ジャヴァナニヤモ
制限のあるジャヴァナ(カーマーヴァチャラ、すなわち感覚的な楽しみを追い求める意識の領域におけるジャヴァナ)は7つ連続して生じます。マッガ(道)、アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る特別な能力)の場合は1つだけ生じます。残った、マハッガタ(禅定に関連する意識の領域)、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)の場合は多くの数のジャヴァナが生じます。
これでジャヴァナの手順についての説明を終わります。
プッガラベーダ(個々人による分析)
第24節 アヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)とドゥヘートゥカ(チッタを安定させる根を二つ持つ)
ドゥヘートゥカーナン アヘートゥカーナン チャ パネーッタ
クリヤージャヴァナーニ チェーヴァ アッパナージャヴァナーニ チャ ナ
ラッバンティ タター ニャーナサンパユッタヴィパーカーニ チャ スガティヤン
ドゥッガティヤン パナ ニャーナヴィッパユッターニ チャ マハーヴィパーカーニ
ナ ラッバンティ
(パティサンディチッタ=生存と次の生存を結びつけるチッタ)がドゥヘートゥカ(チッタを安定させる根を二つ持つ)、アヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)の人には、クリヤージャヴァナ(機能だけのジャヴァナ)、アッパナージャヴァナ(没入状態のジャヴァナ)は生じません。人間界やカーマーブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)の天界など恵まれた生存領域においてはニャーナサンパユッタヴィパーカ(智慧が付随する、業の結果として生じる)チッタも生じません。しかし、人気により下の悲惨な生存領域ではニャーナヴィッパユッタマハーヴィパーカ(智慧が付随しない、業の結果として生じる、偉大な)チッタは見られません。
第24節へのガイド
2種類あるウペッカーサハガタサンティーラナ(苦しくも楽しくもない状態が伴う、対象を調べるチッタ)がパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)の役割を果たす人の場合は、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタはアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)となります。
ニャーナヴィッパユッタマハーヴィパーカ(洞察の智慧が付随しない、業の結果として生じる、偉大な)チッタの一つがパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)の役割を果たす人の場合は、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタはアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)となります。パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタはドゥヘートゥカ(チッタを安定させる根を二つ持つ)となり、アモーハ(真理が分からず混乱した状態から離れる)ないしパンニャー(真理を正しく知る智慧)は欠如しています。その場合、アラハッタ(悟りを最終段階を得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)だけにしかみられないクリヤージャヴァナ(機能だけのジャヴァナ)は生じません。またジャーナ(禅定)やマッガ(道)などの没入状態も生じません。さらに、人間界よりも下位の悲惨な生存領域に住む生命の場合、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)の働きを担うのは3種類のアヘートゥカサンティーラナ(チッタを安定させる根を持たない、対象を調べる)チッタだけです。
人間界やカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)の天界において、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタが劣っているためパンニャー(真理を正しく知る智慧)を欠いたチッタで再生した人の場合は、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)の働きを持つティヘートゥカマハーヴィパーカ(チッタを安定させる根を三つ持つ、業の結果として生じる、偉大なる)チッタが生じることはありません。このような生命の場合、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタはアヘートゥカ(チッタを安定させる根をもたない)かドゥヘートゥカ(チッタを安定させる根を二つ持つ)のどちらかです。人間より下位の悲惨な生存世界の場合は、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタは例外なくアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)です。タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)の働きを持ったドゥヘートゥカマハーヴィパーカ(チッタを安定させる根を二つ持った、業の結果として生じる、偉大な)チッタが生じることさえもありません。この場合、タダーランマナ(対象を記憶にとこめる)の働きをするのはアヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタだけです。
第25節 ティヘートゥカ(チッタを安定させる根を三つ持つ)
ティヘートゥケース チャ キーナーサヴァーナン クサラークサラージャヴァナーニ
ナ ラッバンティ タター セーッカプトゥジャナーナン クリヤージャヴァナーニ
ディッティガタサンパユッタヴィチキッチャージャヴァナーニ チャ セーッカーナン
アナーガーミプッガラーナン パナ パティガジャヴァナーニ チャ ナ ラッバンティ
ロークッタラジャヴァナーニ チャ ヤターラハン アリヤーナン エーヴァ
サムッパッジャンティー ティ
(パティサンディチッタ=生存と次の生存を結びつけるチッタが)ティヘートゥカ(チッタを安定させる根を三つ持つ)の生命の中で、アラハッタ(悟りの最終段階を得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)にはクサラジャヴァナ(善業を作るジャヴァナ)もアクサラジャヴァナ(不善業を作るジャヴァナ)も生じません。同様に、セーッカ(涅槃を悟り、輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者たち)やプトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)には(アラハッタのみに生じる)クリヤージャヴァナ(機能だけのジャヴァナ)は生じません。アナーガーミ(悟りの第3段階を得て、カーマブーミ=感覚的な楽しみを追い求める生存領域へ再生することが無くなった聖者)の場合はパティガ(嫌悪)を伴うジャヴァナは生じません。ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域の)ジャヴァナはアーリヤ(涅槃を悟った聖者)だけが経験します。そのジャヴァナは悟りの段階に応じて異なります。
第25節へのガイド
ニャーナ(洞察の智慧)が付随するパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタにより再生した人はティヘートゥカ(チッタを安定させる根を三つ持った)の再生と呼ばれます。プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人)、セーッカ(涅槃を悟り、輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者)、アラハッタ(悟りの最終段階を得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)の3種類があります。もちろんアラハッタは、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタによりアラハッタとして生まれ変わったのではなく、再生した後にアラハッタになった聖者という意味です。
ソータッパンナ(悟りの第一段階の聖者)の悟りを得た段階でマッガ(道)チッタによりヴィチキッチャー(ブッダ、ダンマ、サンガに対する疑い)とディッティ(現象には変わらぬ実体があるという誤った見解)が根絶されているので、セーッカ(涅槃を悟り、輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者=ソータッパンナ、サカダーガーミ、アナーガーミ)にはヴィチキッチャー(ブッダ、ダンマ、サンガに対する疑い)やディッティ(現象には変わらぬ実体があるという誤った見解)が付随するジャヴァナは生じません。アナーガーミ(悟りの第3段階を得て、カーマブーミ=感覚的な楽しみを追い求める生存領域へ再生することが無くなった聖者)の場合はパティガ(嫌悪)というキレーサ(心の汚れ)が根絶されているのでパティガ(嫌悪)に根差すジャヴァナを経験することは最早ありません。
第26節 まとめ
アセーッカーナン チャトゥチャッターリーサ セッカーナン ウッディセー
チャパンニャーサーヴァセーサーナン チャトゥパンニャーサ サンバヴァー
アヤン エータッ プッガラベードー
アセーッカ(輪廻からの解脱のための修行を成し遂げた聖者=アラハッタ)は状況に応じて44種類のチッタを経験します。セーッカ(涅槃を悟り、輪廻からの解脱を目指して修行を続けている聖者=ソータッパンナ、サカダーガーミ、アナーガーミ)は54種類のチッタを経験します。その他は44種類のチッタを経験します。
第26節へのガイド
ティヘートゥカパティサンディ(チッタを安定させる根を三つ持つ、生存と次の生存を結びつける)チッタにより再生したプトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人)は最大で44種類のチッタを経験します。その内訳はアクサラ(不善業を作る)チッタ12種類、クサラ(善業を作る)チッタ17種類、カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタ23種類、アーヴァッジャナ(対象に注意を向ける)チッタ2種類です。この場合、クサラ(善業を作る)チッタには4種類のマッガ(道の)チッタは含まれていません。
しかしながらアヘートゥカパティサンディ(チッタを安定させる根を持たない、生存と次の生存を結びつける)チッタにより人間より下位の悲惨な生存領域に再生した生命の場合は37種類のチッタしか経験しません。その内訳はアクサラ(不善業を作る)チッタ12種類、マハークサラ(善業を作る偉大な)チッタ8種類、アヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタ15種類、アーヴァッジャナ(対象に注意を向ける)チッタ2種類です。アヘートゥカパティサンディ(チッタを安定させる根を持たない、生存と次の生存を結びつける)チッタないしドゥヘートゥカパティサンディ(チッタを安定させる根を二つ持つ、生存と次の生存を結びつける)チッタにより恵まれた生存世界(=人間界+カーマローカの天界)に再生した生命の場合は、この37種類に、ニャーナヴィッパユッタマハーヴィパーカ(洞察の智慧が付随しない、業の結果として生じる、偉大な(チッタ)4種類が加わり、合計で41種類のチッタを経験します。ティヘートゥカ(チッタを安定させる根を三つ)を持って再生した生命が経験する54種類のチッタの中には9種類のジャーナ(禅定)が含まれます。このため、ジャーナ(禅定)を得ていない生命の場合はその分だけ数が減ります。
ソータッパンナ(悟りの第一段階)のマッガ(道の)チッタが生じた際に、ヴィチキッチャー(ブッダ、ダンマ、サンガに対する疑い)とディッティ(現象には変わらぬ実体があるという誤った見解)が根絶されます。このためディッティ(現象には変わらぬ実体があるという誤った見解)が付随する4種類のチッタと、ヴィチキッチャー(ブッダ、ダンマ、サンガに対する疑い)を伴う1種類のチッタは取り除かれます。ソータッパンナ(悟りの第一段階を得て、悲惨な生存世界へ再生することが無くなった聖者)、サカダーガーミ(悟りの第2段階を経て、カーマローカへの再生が1回だけとなった聖者)が経験するチッタはジャーナ(禅定)を含めて50種類となります。その内訳は、アクサラ(不善業を作る)チッタ7種類、クサラ(善業を作る)チッタ17種類、カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタ23種類、アーヴァッジャナ(対象に注意を向ける)チッタ2種類、パラ(果の)チッタ1種類です。パラ(果の)チッタはソータッパンナであればソータッパンナのパラ(果の)チッタ、サカダーガーミであればサカダーガーミのパラ(果の)チッタとなります。アナーガーミ(悟りの第3段階を得て、カーマブーミへ再生することが無くなった聖者)の場合はさらにパティガ(嫌悪)が取り除かれているため、ドーサムーラ(怒りというチッタを安定させる根を持つ)チッタ2種類を経験することはありません。そしてアナーガーミのパラ(果の)チッタを経験します。従って合計で48種類のチッタを経験することになります。テキストで語られているセーッカ(涅槃を悟り輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者)が経験する54種類のチッタについては、3種類のパラ(果の)チッタを一つにまとめ、4種類のマッガ(道の)チッタを加えることで54という数字になります。
アセーッカ(輪廻からの解脱のための修行を成し遂げた聖者)と表現されているアラハッタの場合は、全てのキレーサ(心の汚れ)が取り除かれているので、アクサラ(不善業を作る)チッタを経験することはありません。アラハッタが経験する44種類のチッタの内訳は、アヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタ18種類、マハーキリヤ(機能だけの、偉大な)チッタ8種類、マハーヴィパーカ(業の結果として生じる、偉大な)チッタ8種類、カーマーヴァチャラキリヤ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、機能だけの)チッタ5種類、アルーパキリヤ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する意識の領域における、機能だけの)チッタ4種類、そしてアラハッタのパラ(果の)チッタ1種類です。
ここで示した数字は、カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)の生命にしかあてはまりません。次の章で説明しますが、ルーパブーミ(物質を対象にした禅定に関連する生存領域)、アルーパブーミ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する生存領域)の場合は、それらの生存領域では生じることがないチッタが除かれます。
表4.5に第26節、第27節で扱う項目をまとめていますので参照してください。
ブーミベーダ(生存領域による分析)
第27節 分析
カーマーヴァチャラブーミヤン パネーターニ サッバーニ ピ
ヴィーティチッターニ ヤターラハン ウパラッバンティ
ルーパーヴァチャラブーミヤン パティガジャヴァナ タダーランマナ ヴァッジターニ
アルーパヴァチャラブーミヤン パタママッガ ルーパーヴァチャラ ハサナ
へーッティマールッパ ヴァッジターニ チャ ラッバンティ
カーマーヴァチャラブーミ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域に関連した生存領域)においては、上で説明した認識過程の全てが状況に応じて生じます。
ルーパーヴァチャラブーミ(物質を対象にした禅定に関連した意識の領域に関連する生存領域)の場合はパティガ(嫌悪)を伴うジャヴァナやタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)は生じません。
アルーパーヴァチャラブーミ(物質で無いものを対象にした禅定に関連した意識の領域に関連する生存領域)の場合もパティガ(嫌悪)を伴うジャヴァナやタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)は生じません。また最初のマッガ(道の)チッタ、ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域の)チッタ、ハサナ(微笑む)チッタ、それぞれの段階より下位のアルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域の)チッタは生じません。
第27節へのガイド
この節ではブーミは意識の領域ではなく生存領域という意味で使われています。ルーパーヴァチャラブーミ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域に関連した生存領域)ではパティガ(嫌悪)を伴うジャヴァナは生じません。何故ならジャーナ(禅定)を得るための準備段階でパティガ(嫌悪)は十分に抑制されているからです。アルーパーヴァチャラブーミ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する意識の領域に関連する生存領域)の場合もパティガ(嫌悪)を伴うジャヴァナやタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)は生じません。またアルーパーヴァチャラブーミ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する意識の領域に関連する生存領域)には物質としての身体が無いのでハサナ(微笑む)チッタは生じません。アルーパーヴァチャラブーミ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する意識の領域に関連する生存領域)に再生した生命は、ルーパーヴァチャラジャーナ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域での禅定)、それぞれの段階より下位のアルーパーヴァチャラジャーナ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域での禅定)を得ることはありません。
第28節 特別な事例
サッバター ピ チャ タンタン パサーダラヒターナン タンタン
ドゥヴァーリカヴィーティチッターニ ナ ラッバンテーヴァ
アサンニャーサッターナン パナ サッバター ピ チッタパヴァッティ
ナッテーヴァ ティ
特定の感覚器官が無い生命は、該当する感覚器官に関連した認識過程は生じません。これは全てのブーミ(生存領域)に共通しています。
アサンニャーサッタ(認知機能が無い生命)にはいかなる認識過程も生じません。
第28節へのガイド
特定の感覚器官が無い生命:これはカーマーヴァチャラブーミ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域に関連する生存領域)における視力の無い人、聴力の無い人などのことです。またルーパブーミ(物質を対象とした禅定に関連する生存領域)の生命には嗅覚、味覚、触覚がありません。
アサンニャーサッタ(認知機能が無い生命):このような生命にはチッタがありません。従って認識過程も生じません(第5章、第31節をご覧ください)。
第29節 まとめ
アスィーティ ヴィーティチッターニ カーメー ルーペー ヤターラハン
チャトゥサッティ タタールッペー ドゥヴェーチャッターリーサ ラッバレー
アヤン エッタ ブーミヴィバーゴ
カーマーヴァチャラブーミ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域に関連する生存領域)においては、状況に応じて80種類の認識過程のチッタが生じます。ルーパブーミ(物質を対象とした禅定に関連する生存領域)の場合は64種類、アルーパブーミ(物質でないものを対象とした禅定に関連する生存領域)の場合は42種類となります。
ブーミ(生存領域)による分析は以上です。
第29節へのガイド
カーマーヴァチャラブーミ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域に関連する生存領域)にみられるチッタに含まれるのは、マハッガタヴィパーカ(禅定に関連する意識の領域の業の結果として生じる)チッタを除いた全てのチッタです。マハッガタヴィパーカ(禅定に関連する意識の領域の業の結果として生じる)チッタの認識過程が生じることは全くありません。
ルーパブーミ(物質を対象とした禅定に関連する生存領域)に見られる64種類のチッタの内訳は以下の通りです。アクサラ(普選業を作る)チッタのうちパティガサンパユッタ(嫌悪を伴う)チッタを除いた10種類、アヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタのうち鼻、舌、身体に感覚を感じたという意識を除いた9種類、アヘートゥカキリヤ(チッタを安定させる根を持たない、機能だけの)チッタ3種類、マハークサラ(善業を作る、偉大なる)チッタとマハーキリヤ(機能だけの、偉大な)チッタ16種類、ルーパーヴァチャラクサラ(物質を対象として禅定に関連する意識の領域の、善業を作る)チッタとルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質を対象として禅定に関連する意識の領域の、機能だけの)チッタ10種類、アルーパーヴァチャラクサラ(物質でないものを対象として禅定にチ関連する意識の領域の善業を作る)チッタとアルーパーヴァチャラキリヤ(物質でないものを対象として禅定に関連する意識の領域の、機能だけの)チッタ8種類、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域の)チッタ8種類です。
アルーパブーミ(物質でないもの対象とした禅定に関連する生存領域)に見られる42種類のチッタの内訳は以下の通りです。アクサラ(不善業を作る)チッタ10種類、マノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に注意を向ける)チッタ1種類、マハークサラ(善業を作る、偉大なる)チッタとマハーキリヤ(機能だけの、偉大な)チッタ16種類、アルーパーヴァチャラクサラ(物質でないものを対象として禅定にチ関連する意識の領域の善業を作る)チッタとアルーパーヴァチャラキリヤ(物質でないものを対象として禅定に関連する意識の領域の、機能だけの)チッタ8種類、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域の)チッタのうちソータッパンナマッガ(悟りの第1段階の道の)チッタを除く8種類です。
第30節 結論
イッチェーヴァン チャドゥヴァーリカチッタッパヴァッティ ヤターサンバヴァン
バヴァンガタリター ヤーヴァターユカン アッボッチンナー パヴァッタティ
このように、6つのドゥヴァーラ(感覚門)に関連する認識過程は、状況に応じ、生命活動が続く限り絶えることなく続きます。認識過程と認識過程の間にバヴァンガ(生存を持続させるチッタ)が続きます。
イティ アビダンマッタサンガへー ヴィーティサンガハヴィバーゴー ナーマ
チャトゥットー パリッチェードー
以上でアビダンマッタサンガハの第4章、ヴィーティサンガハヴィバーガ(認識過程の概要)を終わります。