第3章 パキンナカサンガハヴィバーガ(チッタに関するその他の項目についての概要)
第1節 導入の偈文
サンパユッター ヤターヨーガン テーパンナーサ サバーヴァトー
チッタチェータスィカー ダンマー テーサン ダーニ ヤターラハン
ヴェーダナー ヘートゥ キッチャ ドゥヴァーラ アーランマナ ヴァットゥトー
チットゥッパーダヴァーセーネーヴァ サンガホー ナーマ ニーヤテー
ここまでチッタとチェータスィカという53個のダンマ(真理)につき、その固有の性質に焦点を当てて説明してきました。この章ではチッタのみをとりあげ、それをヴェーダナー(感受)、ヘートゥ(チッタを安定させる根)、ドゥヴァーラ(感覚門)、キッチャ(機能)、アーランバナ(認識対象)、ヴァットゥ(チッタを支える物質)の観点から、簡単に論じてみたいと思います。
第1節へのガイド
53個のダンマ:アビダンマでは89種類(ないし121種類)のチッタがあると説明していますが、全てのチッタをまとめて一つのダンマ(真理)として扱います。なぜならチッタは全て「対象を認識する」という同じ性質を持っているからです。一方、52種類のチェータスィカはそれぞれが別個のダンマ(真理)とみなされます。それぞれが異なる性質を持つからです。このように、互いに関連を持った、全部で53個の精神的現象が存在することになります。
チットゥッパーダヴァーセーネーヴァ(チッタのみをとりあげ):パーリ聖典におけるチットゥッパーダの文字通りの意味は、「チッタが生じること」です。一群のチェータスィカと一緒になったチッタという意味で使われる場合もありますが、ここではチッタそのものを差しています。しかしながら、チッタはチェータスィカと不可分の関係にあり、常にチェータスィカとともに生じること、そしてそれがしばしば分析の土台になることを理解しておく必要があります。
ヴェーダナーサンガハ(感受の概要)
第2節 ヴェーダナーの分析
タッタ ヴェーダナーサンガへー ターヴァ ティヴィダー ヴェーダナー:
スカ、ドゥッカ、アドゥッカマスカー チャー ティ スッカン ドゥッカン
ソーマナッサン ドーマナッサン ウペッカー ティ チャー ベーデーナ パナ
パンチャダー ホーティ
ヴェーダナー(感受)の概要においては、まずスカ(楽しい)、ドゥッカ(苦しい)、アドゥッカマスカー(楽しくも苦しくもない)という3種類のヴェーダナー(感受)を提示します。続いて、ヴェーダナー(感受)を、スカ(身体的な楽しさ)、ドゥッカ(身体的な苦しさ)、ソーマナッサ(精神的な楽しさ)、ドーマナッサ(精神的な楽しさ)、ウペッカー(楽しくも苦しくもない中立的な状態)の五つに分けてヴェーダナー(感受)を分析します。
第2節へのガイド
ヴェーダナー(感受)の分析:これまで見てきたように、ヴェーダナー(感受)はサッバチッタサーダーラナチェータスィカ(どのチッタにも現れる普遍的なチェータスィカ)です。その働きは認識対象の「味」を経験することです。チッタは全て何らかのヴェーダナー(感受)を伴うため、チッタを分類する上でチェータスイカは重要な要素の一つとなります。この項における著者の主な関心は、チッタ全体を、共に生じるヴェーダナーで分類することです。
3種類のヴェーダナー(感受):ヴェーダナーは3種類ないし5種類に分けることができます。ヴェーダナーを単に感じ方で分ける場合はスカ(楽しさ)、ドゥッカ(苦しみ)、アドゥッカマスカー(苦しく楽しくももない状態)の3種類となります。3つに分けるこの分類法ではスカ(楽しさ)は「身体的な楽しさ」、「精神的な楽しさ」の両方を含みます。またドゥッカ(苦しみ)は「身体的な苦しみ」、「精神的に苦しみ」の両方を含みます、
五つに分けてヴェーダナー(感受)を分析します:支配能力(インドゥリヤ)という観点から分析すると、ヴェーダナー(感受)は5種類となります。この五つのヴェーダナー(感受)が能力と呼ばれるのは、認識対象を情動的に経験することにより、関連する状態を支配ないしコントロール(インドゥラ)するからです。
ヴェーダナー(感受)を5種類とみなす時には、3種類に分ける場合のスカ(楽しさ)を、スカ(身体的な楽しさ)、ソーマナッサ(精神的な楽しさ)の2つに分けます。そして3種類に分ける場合のドゥッカ(苦しさ)を、ドゥッカ(身体的な苦しみ)、ドーマナッサ(精神的な苦しみ)の2つに分けます。そして、アドゥッカマスカー(楽しくも苦しくもない状態)はウペッカー(楽しくも苦しくもない中立的な状態)という名前に変わります。
経典の中では、ブッダはヴェーダナー(感受)をスカ(楽しさ)とドゥッカ(苦しみ)の二つにわけて語られていることが時々あります。これは、ウペッカー(苦でも楽でもない状態)の中で「苦しみの要素が全くないもの」をスカに、「苦しみの要素が少しでもあるもの」をドゥッカに組み入れた、少し緩めの、隠喩的な分類です。ブッダはさらに「どのようなものであれ感受はドゥッカ(苦)に含まれます」と説かれています(ヤン キンチ ヴェーダイタン タン ドゥッカスミン:S.36:11/iv,216)。この文章では、ドゥッカは「苦しい感受」という狭い意味ではなく、無常であるが故に苦しみであるという、全ての条件づけられた現象の本質について語っています。
スカ(身体的な楽しさ)の特徴は「身体に触れる好ましい対象を経験すること」です。その働きは「関連する心の状態を強化すること」です。そして「身体の楽しさ」という形で現れ、その直近の原因は「身体」です。
ドゥッカ(身体的な苦しみ)の特徴は「身体に触れる好ましくない対象を経験すること」です。その働きは「関連する心の状態を弱らせること」です。そして「身体の苦悩」という形で現れ、その直近の原因は「身体」です。
ソーマナッサ(精神的な楽しさ)の特徴は「好ましい対象を経験すること」です。その働きは「対象の好ましい側面を享受すること」です。そして「精神的な楽しさ」という形で現れ、その直近の原因は「落ち着き・平静」です1。
ドーマナッサ(精神的な苦しみ)の特徴は「好ましくない対象を経験すること」です。その働きは「対象の好ましくない側面を享受すること」です。そして「精神的な苦悩」という形で現れ、その直近の原因は「心臓という基盤」です2。
ウペッカー(苦しくも楽しくもない中立的な状態)の特徴は「楽しくも苦しくもなく中立的に感じること」です。「関連する心の状態を強化する」働きも、「関連する心の状態を弱らせる」働きもありません。そして「平穏」という形で現れ、その直近の原因は「ピーティ(喜び)を伴わないチッタ」です3。
第3節 チッタによる分類
タッタ スカサハーガタン クサラヴィパーカン カーヤヴィンニャーナン エーカン
エーヴァ タター ドゥッカサハーガタン アクサラヴィパーカン
カーヤヴィンニャーナン
ソーマナッササハーガタチッターニ パナ ローバムーラーニ チャッターリ、
ドゥヴァーダサ カーマヴァチャラソーバナーニ、スッカサンティーラナハサナーニ
チャ ドゥヴェー ティ アッターラサ カーマヴァチャラチッターニ チェーヴァ
パタマドゥテイャタティヤチャトゥッタジャーナサンカーターニ チャトゥチャッターリーサ マハッガタロークッタラチツターニ チャー ティ
ドゥヴァーサッティヴィダーニ バヴァンティ
ドーマナッササハーガタチタチッターニ パナ ドゥヴェー
パティガサンパユッタチッターネーヴァ ティ
その中で、クサラヴィパーカカーヤヴィンニャーナ(善業の結果として生じる身体に感覚を感じたという意識)のみがスカ(身体的な楽しさ)を伴います。
同様に、アクサラヴィパーカカーヤヴィンニャーナ(不善業の結果として生じる身体に感覚を感じたという意識)のみがドゥッカ(身体的な苦しみ)を伴います。
ソーマナッサ(精神的な楽しさ)を伴うチッタは62種類あります。それは以下の通りです。
(a) カーマーヴァチャラチッタ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域のチッタ)13種類、すなわち、ローバムーラ(欲を根源とする)チッタ4種類、カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタ12種類、アヘートゥカ(根源を持たない)チッタ2種類(4+12+2=18)です。アヘートゥカチッタはソーマナッササハーガタサンティーラナチッタ(精神的な楽しみを伴う、感覚対象を調べるチッタ)とハスィトゥッパーダチッタ(微笑を作り出すチッタ)の二つです。
(b) 禅定の第1~第4段階に関連する、マハッガタチッタ(禅定に関連する崇高なチッタ=ルーパーヴァチャラチッタ+アルーパーヴァチャラチッタ)およびロークッタラチッタ(涅槃を悟った聖者の意識の領域におけるチッタ)合わせて44種類(12+32=44)です。
パティガ(嫌悪)を伴う2種類のチッタのみがドーマナッサ(精神的な苦しみ)を伴います。
残りの55種類のチッタには、ウペッカー(苦しくも楽しくもない、中立的な感受)が伴います。
第3節へのガイド
残りの55種類:ウペッカー(苦しくも楽しくもない、中立的な感受)が伴うチッタは以下の通りです。
(1)6種類のアクサラチッタ(不善業を作るチッタ)、そのうち4種類はローバムーラ(欲を根源とする)チッタ、2種類はモーハムーラ(真理が分からず混乱した状態を根源とする)チッタです。
(2)14種類のアヘートゥカ(根源を持たない)チッタ。
(3)12種類のカーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタ、クサラ(善業を作る)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)がそれぞれ4種類ずつとなります。
(4)ジャーナ(禅定)の第5段階の三つのチッタ。
(5)アルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の12個のチッタ。
(6)8種類のロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)チッタ。これはロークッタラのジャーナ(禅定)の第5段階におけるマッガ(道の)チッタ、パラ(果の)チッタです。
第4節 まとめ
スッカン ドゥッカン ウペッカー ティ ティヴィダー タッタ ヴェーダナー
ソーマナッサン ドーマナッサン イティ ベーデーナ パンチャダー
スッカン エーカッタ ドゥッカン チャ ドーマナッサン ドゥヴァイェー ティタン
ドゥヴァーサッティース ソーマナッサン パンチャパンニャーサケータラー
感受はスカ(楽しさ)、ドゥッカ(苦しみ)、ウペッカー(苦しくも楽しくも無い状態)の3種類です。ソーマナッサ(精神的な楽しさ)、ドーマナッサ(精神的な苦しみ)を加えると5種類になります。スカ(楽しさ)、ドゥッカ(苦しみ)はそれぞれ1種類のチッタに見られます。ドーマナッサ(精神的な苦しみ)は2種類のチッタに、ソーマナッサ(精神的な楽しさ)は62種類のチッタにみられます。残りの52種類のチッタにはウペッカー(苦しくも楽しくもない、中立的な感受)が伴います。
第4節へガイド
スカ(楽しさ)、ドゥッカ(苦しみ)はそれぞれ1種類のチッタに見られます:カーヤヴィンニャーナ(身体に感覚を感じたという意識)を除く、四つのヴィンニャーナのペアーにはウペッカー(苦しくも楽しくもない、中立的な感受)が伴うのに対し、カーヤヴィンニャーナの場合はスカ(身体的な楽しさ)ないしドゥッカ(身体的な苦しみ)のどちらかが伴うことに注意してください。アッタサーリーニーによれば、眼、耳、鼻、舌の四つのドゥヴァーラ(感覚門)の場合、ルーパ(物質)である感覚対象が、やはりルーパ(物質)であるドゥヴァーラ(感覚門)に衝突します。その様子は、鉄床(かなとこ)の上に乗った四つの綿球が、別の四つの綿球と衝突することに例えられています。このため、結果として生じる感受はウペッカー(苦しくも楽しくもない、中立的な感受)となります。しかしカーヤヴィンニャーナ(身体に感覚を感じたという意識)の場合、感覚対象は物質の根源的な要素のうちの三つ、地、火、風により構成されます。したがって、その感覚対象が身体感覚に衝突すると強い衝撃となり、私たちの身体の根源的な要素に伝わります。これは、先ほど説明した綿球を金槌で叩くことに例えられます。金槌は綿球を打ち砕き、鉄床(かなとこ)にぶつかります。感覚対象が好ましいものである場合はカーヤヴィンニャーナ(身体に感覚を感じたという意識)はクサラヴィパーカ(善業の結果として生じる)であり、スカ(身体的な楽しさ)が伴います。感覚対象が好ましくないものである場合はカーヤヴィンニャーナ(身体に感覚を感じたという意識)はアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)であり、ドゥッカ(身体的な苦しみ)が伴います4。
他の四つのヴィンニャーナにもスカ(身体的な楽しさ)、ドゥッカ(身体的な苦しみ)が伴うように見えるかもしれませんが、アビダンマでは、眼、耳、鼻、舌の四つのドゥヴァーラ(感覚門)の場合、感覚が生じた直後のヴィンニャーナはウペッカー(苦しくも楽しくもない、中立的な感受)であるという立場をとり続けています。
認識過程の一部であるジャヴァナ(第4章参照)はヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)と同時に生じる認識過程に属します。それに続くマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)での認識過程は同じ対象をとり、それが好ましい景色、音、臭い、味の場合はソーマナッサ(精神的な楽しみ)が、好ましくない景色、音、臭い、味の場合はドーマナッサ(精神的な苦しみ)が、そして関心のない、あるいは執着の対象とならない認識対象の場合はウペッカー(苦しくも楽しくもない、中立的な感受)が生じる可能性があります。しかしながら、これらの感受は身体的と言うよりも精神的なものであり、ヴィンニャーナと同時にではなく、ヴィンニャーナに続く過程で生じます。こうした感受がジャヴァナのフェーズで生じると、それはクサラ(善業を作る)チッタないしアクサラ(不善業を作る)チッタを伴います。アラハッタ(悟りの最終段階に達した聖者)にソーマナッサ(精神的な楽しさ)ないしウペッカー(苦しくも楽しくもない、中立的な感受)が生じる場合は、キリヤ(機能だけの)チッタが伴います
ヘートゥサンガハ(チッタを安定させる根についての概要)
第5節 ヘートゥ(チッタを安定させる根)の分析
ヘートゥサンガへー ヘートゥ ナーマ ローボ― ドーソー モーホー アローボー アドーソー アモーホー チャー ティ チャッビダ バヴァンティ
ヘートゥ(チッタを安定させる根)にはローバ(欲)、ドーサ(怒り)、モーハ(真理がわからず混乱した状態)、アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること)、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)、アモーハ(正しい生き方を目指して、真理が分からず混乱した状態から離れること)の6種類あります。
第5節へのガイド
ヘートゥ(チッタを安定させる根)の分析:ここでは全ての種類のチッタをヘートゥ(チッタを安定させる根)に基づいて分類します。経典ではヘートゥを「原因」ないし「理由」という(カーラナ)、一般的な意味で使っています。この場合、ヘートゥはパッチャヤ(条件)という言葉の同義語となっており、この二つは一緒に使われることがよくあります。そして、他の物事の原因ないし理由として機能する現象全てを差します。しかしながら、アビダンマにおいてはヘートゥをムーラ(根源)という特別な意味で、厳密に用いています。そして道徳的な意味合いが大きい六つのチェータスィカに限定して使用します。
ヘートゥの正式な定義は、それが関連するチッタやチェータスィカをしっかりと安定させるチェータスィカです6。なぜならヘートゥを持つチッタは根をはった木のようにしっかりと安定し、ヘートゥを持たないチッタは苔のように弱くて不安定だからです7。
ここで挙げられている6種類のヘートゥ(チッタを安定させる根)のうち、ローバ(欲)、ドーサ(怒り)、モーハ(真理がわからず混乱した状態)の三つは例外なく不善業を作ります(アクサラ)。一方、アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること)、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)、アモーハ(正しい生き方を目指して、真理が分からず混乱した状態から離れること)については、善業を作る場合(クサラ)と、業を作らない場合があります。クサラ(善業を作る)チッタに生じた場合は善業を作り、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタないしキリヤ(機能だけの)チッタに生じた場合は業を作りません。いずれの場合も、アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること)、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)、アモーハ(正しい生き方を目指して、真理が分からず混乱した状態から離れること)という三つのヘートゥはソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカです。
第6節 チッタによる分類
タッタ パンチャドゥヴァーラヴァッジャナ ドゥヴィパンチャヴィンニャーナ
サンパティッチャナ サンティーラナ ヴォッタパナ ハサナ ヴァセーナ
アッターラサ アヘートゥカチッターニ ナーマ
セーサー二 サッバーニ ピ エーカサッタティ チッターニ サヘートゥカーネーヴァ
タッター ピ ドゥヴェー モームーハチッターニ エーカヘートゥカーニ ササーニ ダサ アクサラチッターニ チェーヴァ ニャーナヴィッパユッターニ ドゥヴァーダサ
カーマーヴァチャラソーバナーニ チャー ティ ドゥヴァーヴィーサティ
ドゥヴィヘートゥカチッターニ
ドゥヴァーダサ ニャーナサンパユッタ カーマーヴァチャラソーバナーニ チェーバ
パンチャティムサ マハッガタロークッタラチッターニ チャー ティ
サッタチャッターリ―サ ティヘートゥカチッターニ
18種類のチッタはヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちません。18種類の内訳は、パンチャドゥヴァーラヴァッジャナチッタ(五つの感覚門に注意を向けるチッタ)、五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)が二組、サンパティッチャナ(感覚対象を受けとめる)チッタ、サンティーラナ(感覚対象を調べる)チッタ、ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタ、ハスィトゥッパーダ(微笑を作り出す)チッタです。それ以外の71種類のチッタはヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちます。
ヘートゥ(チッタを安定させる根)を持つチッタのうち、モーハ(真理が分からず混乱した状態)が付随する2種類のチッタはヘートゥ(チッタを安定させる根)を一つだけもちます。ヘートゥ(チッタを安定させる根)を二つ持つのは、アクサラ(不善業を作る)チッタ12種類から上記の2種類を除いた10種類、そしてニャーナヴィッパユッタ(洞察の智慧が付随しない)カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタ12種類、合わせて22種類です。
ニャーナサンパユッタ(洞察の智慧が付随する)カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタ12種類と、マハッガタ(禅定に関連する意識の領域)チッタおよびロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタ35種類、合わせて47種類は三つのヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちます。
第6節へのガイド
アクサラ(不善業を作る)チッタ12種類から上記の2種類を除いた10種類:ローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタ8種類は、ローバ(欲)とドーサ(怒り)の二つのヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちます。パティガサンパユッタ(嫌悪が付随する)チッタはドーサ(欲)とモーハ(真理が分からず混乱した状態)の二つのヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちます。
ニャーナヴィッパユッタ(洞察の智慧が付随しない)カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタ12種類:カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタは、クサラ(善業を作る)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)がそれぞれ4種類あるため全部で12種類となります。そしてアローバ(正しい生き方を目指して欲から離れる)、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りからはなれる)という二つのヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちます。アモーハ(正しい生き方を目指して、真理がわからず混乱した状態から離れる)が入っていないのは、この12種類のチッタはニャーナヴィッパユッタ(洞察の智慧を付随しない)チッタだからです。
合わせて47種類は三つのヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちます:これらは三つのソーバナ(道徳的に美しい)ヘートゥ、すなわちアローバ(正しい生き方を目指して欲から離れる)、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りからはなれる)、アモーハ(正しい生き方を目指して、真理がわからず混乱した状態から離れる)を持ちます。
第47節 まとめ
ローボー ドーソー チャ モーホー チャ ヘートゥ アクサラー タヨー
アローバドーサモーホー チャ クサラーヴャーカター タター
アヘートゥカッターラセーカヘートゥカー ドゥヴェー ドゥヴァ―ヴィーサティ
ドゥヴィヘートゥカー マター サッタチャッターリーサ ティヘートゥカー
ローバ(欲)、ドーサ(怒り)、モーハ(真理が分からず混乱した状態)に三つがアクサラヘートゥ(不善業を作る、チッタを安定させる根)です。アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること)、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)、アモーハ(正しい生き方を目指して、真理が分からず混乱した状態から離れること)の三つはクサラ(善業を作る)ないしアヴャーカター(善でも不善でもない)ヘートゥ(チッタを安定させる根)です。
18種類のチッタはヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちません。2種類のチッタはヘートゥ(チッタを安定させる根)を一つだけ持ちます。22種類のチッタは二つのヘートゥ(チッタを安定させる根)を持ちます。そして47種類のチッタはヘートゥ(チッタを安定させる根)を三つ持ちます。このことを理解してください。
キッチャサンガハ(機能の概要)
第48節 キッチャ(機能)の分析
キッチャサンガへー キッチャーニ ナーマ パティサンディ バヴァンガ アーヴァッジャナ ダッサナ サヴァナ ガーヤナ サーヤナ プサナ サンパティッチャナ サンティラーナ ヴォッタッパナ ジャヴァナ タダーランマナ チュティヴァセーナ チュッダサヴィダーニ バヴァンティ
パティサンディ バヴァンガ アーヴァッジャナ パンチャヴィンニャーナ
タナーディヴァセーナ パナ テーサン ダサダー ターナベードー
ヴェーディタッボー
キッチャ(機能)は全部で14種類あります。(1)パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、(2)バヴァンガ(生存を持続させる)、(3)アーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)、(4)ダッサナ(見る)、(5)サヴァナ(聞く)、(6)ガーヤナ(嗅ぐ)、(7)サーヤナ(味わう)、(8)プサナ(触れる)、(9)サンパティッチャナ(感覚の対象を受け止める)、(10)サンティーラナ(感覚の対象を調べる)、(11)ヴォッタパナ(感覚の対象を決定する)、(12)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)、(13)タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)、(14)チュティ(死ぬ)です。
また、(4)ダッサナ(見る)、(5)サヴァナ(聞く)、(6)ガーヤナ(嗅ぐ)、(7)サーヤナ(味わう)、(8)プサナ(触れる)、を「五つのヴィンニャーナ」としてまとめて、10のステージに分ける場合もあることを理解してください。その場合は(1)パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、(2)バヴァンガ(一つの生存を持続させる)、(3)アーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)、(4)五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、といった分類になります。
第8節へのガイド
キッチャ(機能)の分析:この項では、89種類のチッタをキッチャ(機能)の観点から分類します。アビダンマではチッタのキッチャ(機能)は14種類あるとされています。それぞれのキッチャ(機能)は異なるタイプのチッタが担います。(3)~(13)はヴィーティと呼ばれる認識過程の各段階で機能を発揮します。(1)、(2)、(14)は認識過程から離れて(ヴィーティムッタ)機能します。
(1)パティサンディ(生存と次の生存を結びつける):これは妊娠の成立過程における働きで、生存から次の生存へと結びつけます。この働きを担うパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタは一つの生存に一回だけ(再生の瞬間)生じます。
(2)バヴァンガ(一つの生存を持続させる):バヴァンガの意味は、バヴァ(生存)のアンガ(要素)、すなわち生存に欠かすことのできない条件です。バヴァンガの働きにより、個々の生命は妊娠の成立から死まで生存の連続性を維持することが出来ます。パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタが生じて滅した後には、バヴァンガが続いて生じます。バヴァンガ(一つの生存を持続させる)チッタはパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタと同じく、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタに属しますが、機能の面ではパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタとは異なり、個々の生存の連続性を維持する働きを持ちます。障害を通じ、積極的に認識活動を行っていない時にはバヴァンガが瞬間、瞬間生滅を繰り返します。バヴァンガチッタは夢も見ないような深い眠りに入った時に顕著になります。しかしながら、覚醒中でも、認識活動の合間に無数に現れます。
感覚門に認識対象が衝突すると、バヴァンガの生滅の流れは止まり、対象を認識するための能動的な認識過程が起動します。認識過程が終了すると直ちにバヴァンガの生滅が再開し、次の能動的認識過程が始まるまで継続します。このような、受動的な意識状態の間瞬間、瞬間バヴァンガが生滅を繰り返し、川のように流れます。二つの瞬間にまたがって同じバヴァンガが変わらずにいることは決してありません。
(3)アーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける):五つの感覚門のいずれか、あるいは意門に認識対象が衝突するとバヴァンガチャラナ(バヴァンガの振動)と呼ばれる一瞬が生じます。これによりバヴァンガが一瞬「振動」します。続いてバヴァンガウパッチェーダ(バヴァンガの停止)と呼ばれる一瞬が生じ、バヴァンガの生滅の流れが断ち切られます。その直後に認識対象が衝突した五つの感覚門のいずれかあるいは意門に注意を向ける働きが生じます。この働きをアーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)と呼びます。
(4~8)ダッサナ(見る)、サヴァナ(聞く)、ガーヤナ(嗅ぐ)、サーヤナ(味わう)、プサナ(触れる):五つの感覚門での認識過程においては、感覚門に衝突した対象を直接認識するチッタが生じます。どのようなチッタが生じ、どのような働きをするかは認識対象によって決まります。対象が眼に見える形である場合は、チャックヴィンニャーナ(視覚が生じたという意識)が生じてその対象を見ます。対象が音であれば、ソータヴィンニャーナ(聴覚が生じたという意識)が生じ、その音を聞くといった具合です。ここで説明している、見る、聞くという働きは、対象を明瞭に同定するその後の認識の過程のことを差しているわけではありません。そうではなく、認識対象を同定する過程が始まる前に、感覚情報をむき出しのまま直に経験する、初期段階の意識のことを差しています。
(9~11)サンパティッチャナ(感覚の対象を受け止める)、サンティーラナ(感覚の対象を調べる)、ヴォッタパナ(感覚の対象を決定する):五つの感覚門を通じて行われる認識過程においては、「見る」、「聞く」といった働きをもつチッタ(ヴィンニャーナ)に続いて、サンパティッチャナ(感覚の対象を受け止める)、サンティーラナ(感覚の対象を調べる)、ヴォッタパナ(感覚の対象を決定する)という一連のチッタが生じます。物理的な感覚に依存しないマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)の場合は、この三つのチッタは生じません。この場合は、バヴァンガの生滅の流れが停止した直後に、マノードゥヴァーラアーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に注意を向ける)チッタが生じます。五つの感覚門の場合のような、その間に介在する働きはありません。
(12)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す):ジャヴァナの文字通りの意味は「さっと走る」です。意識の機能の一つとしてジャヴァナは対象を決定する働きの直後に生じる認識過程のステージに相当します8。そして通常は七つの、同じ種類のチッタが続いて生じ、それが認識対象の上を「さっと走って」それを捉えます。ジャヴァナは道徳的な観点から見た場合、最も重要なステージとなります。なぜならクサラ(善業を作る)チッタ、アクサラ(不善業を作る)チッタが生まれるのはこのステージだからです9。
(13)タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる):タダーランマナの文字通りの意味は「対象を持つ」です。そしてジャヴァナのステージでとらえた認識対象を対象として取り込むことを差しています。カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)における認識過程では、対象が極めて顕著で明瞭な場合、ジャヴァナに続くチッタッカナ(チッタ一つが生滅する時間)二つ分の間、その機能を果たします。認識対象がそれほど顕著ではなく、不明瞭な場合にはこの働きは全く生じません。カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)以外の領域における認識過程の場合もタダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)の働きは生じません。タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)の働きが終了すると(あるいは、タダーランマナが生じない場合、ジャヴァナのステージが終了すると)、再びバヴァンガの生滅の連続へと戻ります。
(14)チュティ(死):チュティ(死)のチッタは一つの生存の最後に生じるチッタです。チュティは特定の生存に区切りをつける印となります。このチッタはパティサンディチッタ、バヴァンガと同じ種類に属し、認識過程以外の生存に関連します。認識に関係なく生じる受動的な意識の流れです。しかしながら、チュティは「死ぬ」という特定の機能を担っている点で、パティサンディチッタ、バヴァンガとは異なります。
10のステージに分類する:あるチッタが生じる場合、それとは別のチッタの間に生じます。このようなチッタとチッタの間にある瞬間ないし機会は、「ターナ(ステージ)」と呼ばれています。チッタの機能は14種類ありますが、五つの感覚機能は、アーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)とサンパティッチャナ(感覚の対象を受け止める)の間にある、同じターナ(ステージ)に生じます。従ってターナ(ステージ)の観点から14種類の機能を10種類に凝縮することが出来ます。
第9節 チッタに基づいた分類
タッタ ドゥヴェー ウペッカーサハーガタサンティーラナーニ チェーバ アッタ
マハーヴィパーカーニ チャ ナーヴァ ルーパールーパヴィパーカーニ チャー
ティ エークーナヴィ―サティ チッターニ パティさんディ バヴァンガ
チュティキッチャーニ ナーマ
アーヴァッジャナキッチャーニ パナ ドゥヴェー タター ダッサナ サヴァナ
ガーヤナ サーヤナ プサナ サンパティッチャナキッチャーニ チャ
ティーニ サンティラーナキッチャーニ
マノードゥヴァーラパッチャナン エーヴァ パンチャドゥヴァーレー
ヴォッタパナキッチャン サーデーティ アーヴァッジャナドゥヴァヤバッジター二
クサラークサラパラクリヤー チッターニ パンチャパンニャーサ ジャヴァナキッチャーニ アッタ マハーヴィパーカーニ チェーヴァ サンティーラナッタヤン チャー
ティ エーカーダサ タダーランマナキッチャーニ
パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を維持する)、チュティ(死ぬ)として機能するのは19種類のチッタです。2種類のウペッカーサハーガタサンティーラナ(苦しくも楽しくもない状態を伴う、対象を調べる)チッタ、8種類のマハークサラ(偉大なる、善業を作る)チッタ、9種類のルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における)チッタとアルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における)チッタです(2+8+9=19)。
アーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)として機能するのは2種類のチッタです。
同様に、ダッサナ(見る)、サヴァナ(聞く)、ガーヤナ(嗅ぐ)、サーヤナ(味わう)、プサナ(触れる)、それぞれについて2種類のチッタが機能を担います。
サンティーラナ(対象を調べる)として機能するのは3種類のチッタです。
マノードゥヴァーラアーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に注意を向ける)チッタは五つの感覚門におけるヴォッタパナ(感覚の対象を決定する)の働きを担います。
アーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)チッタ2種類を除く、55種類のアクサラ(不善業を作る)チッタ、クサラ(善業を作る)チッタ、パラ(果)のチッタ、キリヤ(機能だけの)チッタがジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)の働きを担います。
8種類のマハーヴィパーカ(偉大なる、業の結果として生じる)チッタと3種類のサンティーラナ(対象を調べる)チッタ、合計11種類のチッタがタダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)として働きます。
第9節へのガイド
チッタのタイプと、その機能に基づいた一般的な名称が別物であることを理解しておけば、この項の内容で戸惑うことは少ないと思います。一部のチッタは、それが果たす単一の機能にちなんで名前がつけられていますが、その名称は便宜的に選ばれたものであり、チッタの働きがその名前が示す特定の機能に限定されるわけではありません。そうではなく、名前が示す機能とは全く異なる働きをする場合があります。
パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を維持する)、チュティ(死ぬ)として機能する:上で説明したように、どのような生存であっても、同じタイプのチッタがパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を維持する)、チュティ(死ぬ)という三つの働きを担います。妊娠の瞬間にこのタイプのチッタが生じて、前の生存と、新しい生存を結びつけます。生存の全期間を通じて、同じタイプのチッタが無数に生じ、バヴァンガの生滅という受動的な流れが生存の連続性を保ちます。そして死に際し、同じタイプのチッタが再び生じ、古い生存は死を迎えます。
こうした機能を担うチッタが19種類あります。地獄、動物、餓鬼、阿修羅という四つの悲惨な生存領域への再生する場合には、アクサラヴィパーカサンティーラナ(不善業の結果として生じる、対象を調べる)チッタがこの機能を果たします。人間として再生したけれども、生まれつき目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、言葉が喋れなかったりする場合や、下級の神や精霊に再生する場合はウペッカーサハーガタクサラヴィパーカサンティーラナ(苦しくも楽しくも無い状態を伴い、善業の結果として生じる、対象を調べる)チッタがこの働きを担います。身体の不具合そのものはアクサラカンマ(不善業)の結果ですが、人間としての再生はクサラカンマ(善業)の結果です。しかしこの場合のクサラカンマ(善業)はそれほど強くはありません。再生の瞬間やバヴァンガにサンティーラナ(対象を調べる)働きが生じることはありませんので注意してください。なぜならチッタは一度に一つの機能しか発揮できないからです。
8種類のマハークサラヴィパーカ(偉大なる、善業の結果として生じる)、つまりヘートゥ(チッタを安定させる根)を二つないし三つ持つソーバナカーマーヴァチャラヴィパーカ(道徳的に美しい、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタは幸福に恵まれた、官能的な生存領域において神ないし、先天的な不具合のない人間として再生する場合に、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を維持する)、チュティ(死ぬ)として働きます。
上記の10種類のチッタは官能的な生存領域への再生に関連します。
5種類のルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質を対象とした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタは、ルーパブーミ(物質を対象とした禅定に関連する、微細な物質からなる生存領域)へ再生する場合に、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を維持する)、チュティ(死ぬ)として働きます。
4種類のアルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質でないものを対象とした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタは、アルーパブーミ(物質でないもの対象とした禅定に関連する、物質の無い心だけの生存領域)へ再生する場合に、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を維持する)、チュティ(死ぬ)として働きます。
アーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける):パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタは、五つの感覚門のいずれかに認識対象が衝突した時にその機能を果たします。マノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に注意を向ける)チッタは、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)に認識対象が現れた時にその機能を果たします。この二つのチッタはともにアヘートゥカキリヤ(チッタを安定させる根を持たない、機能だけの)チッタです。
ダッサナ(見る)、サヴァナ(聞く)、ガーヤナ(嗅ぐ)、サーヤナ(味わう)、プサナ(触れる):それぞれについて2種類のチッタが機能を担います。アクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)、クサラヴィパーカ(善業の結果として生じる)ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)です。
サンパティッチャナ(対象をうけとめる):サンパティッチャナの働きは、2種類のサンパティッチャナ(対象をうけとめる)チッタが担います。
サンティーラナ(対象を調べる):この機能を担うのは、ウペッカーサハガタアヘートゥカアクサラヴィパーカ(苦しくも楽しくもない状態を伴い、チッタを安定させる根を持たない、不善業の結果として生じる)チッタ、ウペッカーサハガタアヘートゥカクサラヴィパーカ(苦しくも楽しくもない状態を伴い、チッタを安定させる根を持たない、善業の結果として生じる)チッタ、ソーマナッササハガタクサラヴィパーカ(精神的な楽しさを伴い、善業の結果として生じる)チッタ、の3種類です。
ヴォッタパナ(感覚の対象を決定する):ヴォッタパナチッタという名前の特別なチッタはありません。ウペッカーサハガタアヘートゥカキリヤ(苦しくも楽しくもない状態を伴い、チッタを安定させる根を持たない、機能だけの)チッタと同じタイプのチッタであり(第1章、第10節)、意門を介した認識過程の場合は、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)にアーヴァッジャナ(注意を向ける)働きを担い、五つの感覚門を介した認識過程の場合はヴォッタパナチッタ(感覚の対象を決定する)として働きます。
ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す):ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)として機能する55種類のチッタの内訳はアクサラ(不善業)を作るチッタが12種類、クサラ(善業を作る)チッタが21種類、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタが4種類(これは4種類のロークッタラパラチッタ、涅槃を悟った聖者の意識の領域における果のチッタです)、キリヤ(機能だけのチッタ)18種類(アーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)として働く2種類のチッタは除外されています)です。
タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる):この機能を持つ11種類のチッタはヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタです。このうちサンティーラナ(対象を調べる)チッタ3種類については、タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)の働きをする時には、同時にサンティーラナ(対象を調べる)の働くきをすることはありません。
第10節 機能の数による分類
テース パナ ドゥヴェー ウペッカーサハガタサンティーラナチッターニ
パティサンディ バヴァンガ チュティ タダーランマナ サンティーラナヴァセーナ
パンチャキッチャーニ ナーマ
マハーヴィパーカーニ アッタ パティサンディ バヴァンガ チュティ タダーランマナ ヴァセーナ チャトゥキッチャーニ
マハッガタヴィパーカーニ ナヴァ パティサンディ バヴァンガ チュティヴァセーナティキッチャーニ
ソーマナッサさサハガタ サンティーラナン サンティーラナ
タダーランマナヴァセーナ ドゥキッチャン
タター ヴォッタパナン チャ ヴォッタパナーヴァッジャナヴァセーナ
セーサー二 パナ サッバーニ ピ ジャヴァナ マノーダートゥッティカ
ドゥヴィパンチャヴィンニャーナーニ ヤターサンバヴァン エーカキッチャーニ ティ
2種類のウペッカーサハガタサンティーラナ(苦しくも楽しくもない状態を伴い、感覚対象を調べる)チッタは5つの働きをします。パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)、タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)、サンティーラナ(感覚対象を調べる)の五つです。
8種類のマハーヴィパーカ(偉大なる、業の結果として生じる)チッタは四つの働きをします。パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)、タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)の四つです。
9種類のマハッガタヴィパーカ(禅定に関連する意識の領域における)チッタは三つの働きをします。パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)の三つです。
ソーマナッササハガタサンティーラナ(精神的な楽しみを伴う、感覚対象を調べる)チッタは二つの働きをします。サンティーラナ(感覚対象を調べる)、タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)の二つです。
同様にタダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)チッタは二つの働きをします。タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)とアーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)の二つです。
残った種類のチッタ、すなわち、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)、マノーダートゥッティカ(精神現象の三つの基本要素)、五つのヴィンニャーナ(感覚が生じたという意識)各2種類ずつは、一つの働きだけ担います。
第10節へのガイド
ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す):ジャヴァナの働きをする55種類のチッタはジャヴァナの役割を果たすためだけに生じ、その他の働きはしません。
マノーダートゥッティカ(精神現象の三つの基本要素):パンチャドゥヴァーラヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタと2種類のサンパティッチャナ(感覚対象を受け止める)チッタの3つの総称です。
第11節 まとめ
パティサンダーダヨー ナーマ キッチャベーデーナ チュッダサ
ダサダー ターナベーデーナ チットゥッパーダー パカースィター
アッタサッティ タター ドゥヴェー チャ ナヴァッタ ドゥヴェー
ヤターッカマン
エーカ ドゥヴィ ティ チャトゥ パンチャ キッチャッターナー二 ニッディセー
機能的にはチッタは、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)など、14種類に分類されます。ステージ(特定の二つのチッタの間)という観点からは10種類の区分となります。機能が一つだけのチッタが68種類、機能が二つあるチッタが2種類、機能が三つあるチッタが9種類、機能が四つあるチッタが8種類、機能が五つあるチッタが2種類あります。
ドゥヴァーラサンガハ(感覚門の概要)
第12節 ドゥヴァーラ(感覚門)の分析
ドゥヴァーラサンガへー ドゥヴァーラ―二 ナーマ チャックドゥヴァーラン
ソータドゥヴァーラン ガーナドゥヴァーラン ジヴァードゥヴァーラン
カーヤドゥヴァーラン マノードゥヴァーラン チャー ティ チャッビダーニ
バヴァンティ
タッタ チャックン エーヴァ チャックドゥヴァーラン タター ソーターダヨー
ソータドゥヴァーラーディーニ
マノードゥヴァーラン パナ バヴァンガン ティ パヴッチャティ
ドゥヴァーラ(感覚門)は六つあります。すなわち、チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)、ソータドゥヴァーラ(耳という感覚門)、ガーナドゥヴァーラ(鼻という感覚門)、 ジヴァードゥヴァーラ(舌という感覚門)、カーヤドゥヴァーラ(身体という感覚門)、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)です。
眼そのものがチャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)、耳そのものがソータドゥヴァーラ(耳という感覚門)、鼻そのものがガーナドゥヴァーラ(鼻という感覚門)、舌そのものがジヴァードゥヴァーラ(舌という感覚門)、身体そのものがカーヤドゥヴァーラ(身体という感覚門)です。しかし、マノードゥヴァーラ(メージなどの精神現象を感じ取る門)の場合はバヴァンガ(認識活動は行わずに生存を持続させる受動的な)チッタがこれに相当します。
第12節へのガイド
ドヴァーラ(感覚門)の分析:アビダンマでは、外界の対象とやりとりするための媒体を、比ゆ的にドゥヴァーラ(門)という名称で呼んでいます。行為についてのドゥヴァーラ(門)には、身体、言葉、心の三つがあり、これを通じて心は外界に働きかけます(第5章、第22~44節)。認識のドゥヴァーラ(門)は六つあります。チッタ、チェータスィカは、六つの感覚門から外へ出て、認識対象と出会います。また認識対象はドゥヴァーラ(門)からチッタ、チェータスィカがカバーする領域に入ります。この項では六つの感覚門について説明し、その後それぞれの感覚門を通じてどのようなチッタが生じるか説明します。またそれが生じるドゥヴァーラ(感覚門)の数によってチッタを分類します。
眼そのものがチャックドゥヴァーラ(眼という感覚門):六つの感覚門のうち五つは物質的な現象(ルーパ)、つまりそれぞれの感覚器官における感覚物質(パサーダルーパ)です。それぞれの感覚物質はドヴァーラ(感覚門)として働きます、ドヴァーラ(感覚門)により認識過程において生じたチッタとチェータスィカは認識対象にアクセスすることが出来ます。逆に認識対象はドヴァーラ(感覚門)によりチッタやチェータスィカにアクセスすることが出来ます。視覚は、チャックドヴァーラ(眼という感覚門)における認識過程に属するドヴァーラ(感覚門)です。視覚によりチッタは眼を通じて目に見える形という対象を認識することが出来ます。他の感覚器官における感覚も同様で、それぞれのドヴァーラ(感覚門)を通じて認識過程が生じて対象を認識します。
マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)の場合はバヴァンガ(認識活動は行わずに生存を持続させる受動的な)チッタがこれに相当します:先に述べた五つのドヴァーラ(感覚門)と異なり、マノードヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)は物質的現象(ルーパ)ではなく精神的現象(ナーマ)であり、バヴァンガ(認識活動は行わずに生存を持続させる受動的な)チッタがこれに相当します。対象がマノードヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)での認識過程により認識されると、その認識過程に属するチッタは、物質的な感覚能力に依存することなく、マノードヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)のみを通して対象にアクセスします。
マノードヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)の詳細な定義については注釈書により食い違いがあります。ヴィバーヴィニーティーカーは、マノードヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に注意を向ける)チッタの直前に生じるバヴァンガ(認識活動は行わずに生存を持続させる受動的な)チッタ、すなわちバヴァンガウパッチェーダ(バヴァンガの流れを停止させるバヴァンガチッタ)がマノードヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)であるとしています。他のアビダンマの注釈書では、マノードヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に注意を向ける)チッタとバヴァンガ(認識活動は行わずに生存を持続させる受動的な)チッタをまとめてマノードヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)としています。しかしながら、レディセヤドーとヴィバンガという著作の注釈書は、バヴァンガ(認識活動は行わずに生存を持続させる受動的な)チッタ全体がマノードヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)であり、個々のバヴァンガチッタを区別する必要はないという立場をとっています。アーチャリヤ・アヌルッダ尊者は詳細に触れることなく、ただ「バヴァンガがマノードヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)と呼ばれます」とだけ表現しています。
第13節 チッタに基づく分類
タッタ パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ チャックヴィンニャーナ
サンパティッチャナ サンティラーナ ヴォッタッパナ カーマーヴァチャラジャヴァナ
タダーランマナヴァセーナ チャチャッターリーサ チッターニ
チャックドゥヴァーレー ヤターラハン ウッパッジャンティ
タター パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ ソータヴィンニャーナディヴァセーナ
ソータドゥヴァーラーディース ピ チャッチャッターリーセーヴァ バヴァンティ
ティ サッバター ピ パンチャドゥヴァーレー チャトゥパンニャーサ チッターニ
カーマヴヴァチャラネーヴァー ティ ヴェーディタッバーニ
マノードゥヴァーレー パナ マノードゥヴァーラ―ヴァッジャナ
パンチャパンニャーサジャヴァナ タダーランマナヴァセーナ サッタサッティ
チッターニ バヴァンティ
エークーナヴィーサティー パティサンディ バヴァンガ チュティヴァセーナ
ドゥヴァーラヴィムッターニ
46種類のチッタが、条件に応じて、チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)に生じます。その内訳は、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ、チャックヴィンニャーナ(見たという感覚の意識)、サンパティッチャナ(対象をうけとめる)チッタ、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、 ヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタ、カーマーヴァチャラジャヴァナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、認識過程の中心にあり認識対象を捉えて業を作り出す)チッタ、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタです。
同様に、ソータドゥヴァーラ(耳という感覚門)には46種類のチッタが生じます。パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ、ソータヴィンニャーナ(聞いたという感覚の意識)などです。
全部で54種類のチッタがパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)に生じることを理解してください。
マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)には67種類のチッタが生じます。マノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に注意を向ける)チッタ、55種類のジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタ、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタです。
19種類のチッタはドゥヴァーラ(感覚門)から離れて働きます。パティサンティ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死)という働きを担います。
第13節へのガイド
46種類のチッタが、状況に応じて、チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)に生じます:46種類のチッタは以下の通りです。
1) パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ:1種類
2) チャックヴィンニャーナ(見たという感覚の意識):2種類
3) サンパティッチャナ(対象をうけとめる)チッタ:2種類
4) サンティーラナ(対象を調べる)チッタ:3種類
5) ヴォッタッパナ(対象を決定する)チッタ:1種類
6) カーマーヴァチャラジャヴァナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、認識過程の中心にあり認識対象を捉えて業を作り出す)チッタ:29種類
(ア) アクサラ(不善業を作る)チッタ:12種類
(イ) クサラ(善業を作る)チッタ:8種類
(ウ) ソーバナキリヤ(道徳的に美しい、機能だけの)チッタ:8種類
(エ) ハスィトゥッパーダ(微笑を作り出す)チッタ:1種類
7) タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタ:8種類、これはカーマーヴァチャラソーバナヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタのことです。残りの三つはサンティーラナ(対象を調べる)チッタに含まれます(第9節 参照)
他の四つの物質的な感覚門にも、上記と同じチッタが、それぞれの対象と共に生じます。ただし、それぞれのドゥヴァーラ(感覚門)に応じて、ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)のペアーが入れ替わります。
条件に応じて(ヤターラハン):チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)には全部で46種類のチッタが生じますが、それが全て一つの認識過程に同時に生じるわけではなく、状況により変わります。レディー・セヤドーは次の四つの条件をあげています。(1)対象、(2)存在領域、(3)人、(4)注意、です。
(1)例えば、対象が好ましくないものであれば、チャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)、サンパティッチャナ(対象をうけとめる)チッタ、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタはアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタとなります。一方、対象が好ましいものである場合は、それらはクサラヴィパーカ(善業の結果として生じる)チッタとなります。もし対象が極めて好ましいものであれば、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタにはソーマナッサ(精神的な楽しさ)が伴います。一方、対象がそこそこに好ましいものである場合は、ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)が伴います。
(2)チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)における認識過程がカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)に生じる場合は、46種類全てのチッタそれぞれが全て生じ得ます。しかし、ルーパブーミ(物質を対象にした禅定に関連する生存領域)で生じる場合は、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタは生じません。タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)という機能はカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)に限定されます。
(3)その人がプトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)とセッカー(涅槃を悟り、最終的な悟りと輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者=ソーターパッティ、サカダーガーミ、アナーガーミ)の場合は、ジャヴァナチッタはクサラ(善業を作る)チッタ、ないしアクサラ(不善業を作る)チッタです(セッカーの場合は悟りの段階に応じます)。一方、アラハント(最終段階の悟りを経て、輪廻からの解脱を果たした聖者)の場合、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタはキリヤ(機能だけの)チッタとなります。
(4)プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)やセッカー(涅槃を悟り、最終的な悟りと輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者=ソーターパッティ、サカダーガーミ、アナーガーミ)がヨニソーマナスィカーラ(認識の過程で正しい対象に注意を向けること)を働かせれば、クサラ(善業を作る)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタが生じます。逆に、アヨニソーマナスィカーラ(認識の過程で正しくない対象に注意を向けること)を働かせれば、アクサラ(不善業を作る)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタが生じます。
同様に生じたチッタがササンカーリカ(駆り立てるものがある)かアサンカーリカ(駆り立てるものがない)かも条件により決まります。
54種類のチッタがパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)に生じる:五つのドゥヴァーラ(感覚門)の場合、そのそれぞれに、他の四つのドゥヴァーラ(感覚門)に関係するヴィンニャーナのペアー(合計8種類)を除いた、全てのカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における)チッタが生じます。したがって、パンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)をまとめて考えれば、全てのカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における)チッタが生じることになります。
マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)には:マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)には55種類のジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタ全てが生じます。マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)に生じないチッタは22種類だけです。パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ、五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)のペアー、2種類のサンパティッチャナ(対象をうけとめる)チッタ、5種類のルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタ、4種類のアルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタ、合計22種類です。
ドゥヴァーラヴィムッティ(感覚門とは別に生じる):この19個のチッタはドゥヴァーラヴィムッティ(感覚門とは別に生じる)チッタと呼ばれます(どのチッタが含まれるかは第9節をご覧ください)。何故なら、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)というそのチッタの機能はドヴァーラ(感覚門)には生じないからです。またこれらのチッタは新しい対象を受けとめることはなく、前世での最後の認識過程における対象をとらえるだけだからです。
第14節 ドゥヴァーラ(門)の数による分類
テースー パナ ドゥヴィパンチャヴィンニャーナーニ チェーバ マハッガタ
ロークッタラジャヴァナーニ チャー ティ チャッティンサ ヤターラハン
エーカドゥヴァーリカチッターニ ナーマ
マノーダートゥッティッカンパナ パンチャドゥヴァーリカン
スカサンティーラナ ヴォッタパナ カーマーヴァチャラジャヴァナーニチャドゥヴァーリカチッターニ
ウペッカーサハガタサンティーラナ マハーヴィパーカーニ チャドゥヴァーリカーニ
チェーヴァ ドゥヴァーラヴィムッターニ チャ
マハッガタヴィパーカーニ ドゥヴァーラヴィムッターネーヴァー ティ
ドゥヴァーラ(感覚門)を通して生じるチッタの中で、36種類のチッタ、すなわち五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)がそれぞれ二種類ずつとマハッガタ(禅定に関連する意識の領域の)チッタ(=ルーパーヴァチャラチッタ+アルーパーヴァチャラチッタ)およびロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタは、それぞれに応じた一つのドゥヴァーラ(感覚門)に現れます。
マノーダートゥッティカ(精神現象の三つの基本要素)、すなわちパンチャドゥヴァーラヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタと2種類のサンパティッチャナ(感覚対象を受け止める)チッタはパンチャドウヴァーラ(五つの感覚門)を通じて生じます。
スカサンティーラナ(楽しさがある、対象を調べる)チッタ、ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタ、カーマーヴァチャラジャヴァナ(感覚的な楽しみを追い求める、そして認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタの場合はチャドゥヴァーラ(六つの感覚門)を通して生じます。
ウペッカーサハガタ(来るしくも楽しくもない状態を伴う)サンティーラナ(対象を調べる)チッタとマハーヴィパーカ(偉大なる、業の結果として生じる)チッタはチャドゥヴァーラ(六つの感覚門)を通して生じる場合と、ドゥヴァーラ(感覚門)に関係なく生じる場合があります。
マハッガタ(禅定に関連した意識の領域における)ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタは、常にドゥヴァーラ(感覚門)に関係なく生じます。
第14節へのガイド
それぞれに応じた:五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)のペアーはそれぞれのドゥヴァーラ(感覚門)にしか生じません。マハッガタ(禅定に関連する意識の領域の)チッタ(=ルーパーヴァチャラチッタ+アルーパーヴァチャラチッタ)およびロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタは、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)にしか生じません。
スカサンティーラナ(楽しさがある、対象を調べる)チッタ:このチッタがパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)に生じる場合はスカサンティーラナ(楽しさがある、対象を調べる)チッタ、ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタとして機能します。またマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)に生じる場合はヴォッタパナ(対象を決定する)働きのみとなります。
ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタ:このチッタはパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門=眼、耳、鼻、舌、身体)においてはヴォッタパナ(対象を決定する)チッタとして機能します。そしてマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)においてはアーヴァッジャナ(感覚門に注意を向ける)チッタとして働きます。
マハーヴィパーカ(偉大なる、業の結果として生じる):8種類からなるこのチッタは、2種類のウペッカーサハガタ(来るしくも楽しくもない状態を伴う)サンティーラナ(対象を調べる)チッタと同様、チャドゥヴァーラ(六つの感覚門)を通して生じ、タダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタとして働きます。
第15節 まとめ
エーカドゥヴァーリカチッターニ パンチャドウヴァーリカーニ チャ
チャドゥヴァーリカ ヴィムッターニ チャ サッバター
チャッティンサティ タター ティーニ エーカティンサ ヤターカマン
ダサダー ナヴァダー チャー ティ パンチャダー パリディーパイェー
36種類のチッタが一つのドゥヴァーラ(感覚門)から生じます。3種類のチッタはパンチャドヴァーラ(五つの感覚門=眼、耳、鼻、舌、身体)から生じます。31種類のチッタはチャドゥヴァーラ(六つの感覚門=眼、耳、鼻、舌、身体、意)から生じます。10種類のチッタはチャドゥヴァーラ(六つの感覚門=眼、耳、鼻、舌、身体、意)から生じるかあるいはドゥヴァーラヴィムッタ(感覚門から離れて生じるチッタ)として生じます。9種類のチッタはただドゥヴァーラヴィムッタ(感覚門から離れて生じるチッタ)として生じます。このように、チッタを5通りに示しました。
アーランバナサンガハ(認識対象の概要)
第16節 認識対象の分析
アーランバナサンガへー アーランバナーニ ナーマ ルーパーランマナン
サッダーランマナン ガンダーランマナン ラサーランマナン ポッタッバーランマナン ダンマーランマナン チャー ティ チャッビダーニ バヴァンティ
タッタ ルーパン エーヴァ ルーパーランマナン タター サッダーダヨー
サッダーランマナーディーニ ダンマーランマナン パナ パサーダ スクマルーパ
チッタ チェータスィカ ニッバーナ パンニャッティヴァセーナ チャダー
サンガヤンティ
アーランバナ(認識対象)には6種類あります。すなわち、ルーパーランマナ(眼に見える形という認識対象)、サッダーランマナ(音という認識対象)、ガンダーランマナ(臭いという認識対象)、ラサーランマナ(味という認識対象)、ポッタッバーランマナ(触れることができる認識対象)、ダンマーランマナ(精神現象という認識対象)です。
眼に見える形自体がルーパーランマナ(眼に見える形という認識対象)です。同様に音自体がサッダーランマナ(音という認識対象)です。ガンダーランマナ(臭いという認識対象)、ラサーランマナ(味という認識対象)、ポッタッバーランマナ(触れることができる認識対象)の場合も同じです。ただしダンマーランマナ(精神現象という認識対象)には6種類あります。パサーダ(感覚物質)、スクマルーパ(微細な物質)、チッタ、チェータスィカ、ニッバーナ、そしてパンニャッティ(概念)です。
第16節へのガイド
チッタは全て、付随するチェータスィカとともに対象を取り込みます。なぜなら、チッタ自体が基本的に対象を認識するという活動の中で存在するからです。パーリ聖典には「アーランバナ(認識対象)を意味する基本的な言葉が二つ使われています。一つはアーランマナで「喜ぶ」という意味の語幹に由来しています。もう一つは、「しがみつく」という、全く異なる意味の語幹に由来するアーランバナです。したがって、認識対象には、(1)チッタとそれに付随する要素が喜びを感じる対象(アーランマナ)と、(2)チッタとそれに付随する要素がしがみつく対象(アーランバナ)という二つの意味があります。この項では、著者はまずアーランバナ(認識対象)の種類について具体的に説明します。次いで、六つのドゥヴァーラ(感覚門)を通じてどのような認識対象が生じるか、あるいはドゥヴァーラ(感覚門)に関係しないチッタにはどのような認識対象が生じるかについて論じます。最後に、それぞれのチッタがとる認識対象の範囲について述べます。
アーランバナ(認識対象)には6種類あります:アビダンマによれば認識対象は、それが生じるドゥヴァーラ(感覚門)に応じて6種類あるとされています。最初の五つは全て物質の範疇に含まれます11。そのうちの四つ、ルーパーランマナ(眼に見える形という認識対象)、サッダーランマナ(音という認識対象)、ガンダーランマナ(臭いという認識対象)、ラサーランマナ(味という認識対象)はウパーダールーパ、すなわち地・水・火・風という物質の根本的な要素に依存する二次的な物質的現象です。ポッタッバーランマナ(触れることができる認識対象)は四つの根本的な要素の内の三つに相当します。地の要素は硬さに関連し、対象に触れた際に固さ、柔らかさとして経験します。火の要素は熱さ、冷たさとして経験します。そして風の要素は膨張ないし圧迫として経験します。物質の根本的な要素の4番目である水の要素は結合という性質を持ち、アビダンマによれば、触覚情報として経験することは出来ず、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)を介してのみ認識可能であるとされています12。
ダンマーランマナ(精神現象という認識対象)には6種類あります:最初の五つのアーランバナ(認識対象)は次の三つのいずれかにより認識されます。(1)それぞれのアーランバナ(認識対象)に応じたドゥヴァーラ(感覚門)における認識過程を介して、(2)マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)における認識過程を介して、(3)パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)という、認識過程に関連なく生じるチッタによって、の三つです。ダンマーランマナ(精神現象という認識対象)については、感覚に関連する五つのドゥヴァーラ(感覚門)における認識過程では認識できません。ダンマーランマナ(精神現象という認識対象)を認識できるのは、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)に関連する認識過程で生じたチッタと、ドゥヴァーラ(感覚門)に関係なく認識過程とは別に生じるチッタ、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(生存を持続させる)チッタ、チュティ(死ぬ)チッタだけです。
ダンマーランマナ(精神現象という認識対象)の範疇に含まれるのは6つの認識対象です。パサーダルーパ(感覚物質)は五つの感覚器官において感覚を受容する物質です。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5種類があります。スクマルーパ(微細な物質)には後ほど説明する16種類の物質的現象が含まれます(第5章、第6節)。その中には水の要素も入ります。チッタもまたダンマーランマナ(精神現象という認識対象)の一つです。チッタは認識対象を経験しますが、逆にチッタが認識対象そのものになる場合もあります。チッタは自分自身を認識対象にすることは出来ないことに注意が必要です。認識者が自分自身を認識することはできないからです。しかし、同一個体における精神活動の連続の中で、後に生じたチッタが前に生じたチッタを経験することは出来ます。他の生命のチッタも同様に経験することが出来ます。52種類あるチェータスィカもマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)の認識過程の対象になります。自分の感受、意思形成、感情などに気づく場合がこれにあたります。ニッバーナ(涅槃)は聖者(輪廻からの解脱をめざして修行途上のソーターパッティ、サカダーガーミ、アナーガーミと輪廻からの解脱を果たしたアラハント)の精神活動の中で生じるチッタの認識対象です。パンニャティ(概念)は究極的的な意味では存在しない、普通の人々にとっての真理であり、やはりダンマーランマナ(精神現象という認識対象)の範疇に含まれます。
第17節 ドゥヴァーラ(門)による分類
タッタ チャックドゥヴァーリカチッターナン サッベーサン ピ ルーパン エーヴァ
アーランマナン タン チャ パッチュッパンナン エーヴァ タター
ソータドゥヴァーリカチッターディーナン ピ サッダーディーニ ターニ チャ
パッチュッパンナーニ イェーヴァ
マノードゥヴァーリカチッターナン パナ チャッビダン ピ パッチュッパンナン
アティータン アナーガタン カーラヴィムッタン チャ ヤターラハン アーランバナン ホーティ
ドゥヴァーラヴィムッターナン チャ パナ パティサンディ バヴァンガ チュティ サンカーターナン チャビッダン ピ ヤターサンバヴァン イェーブッイェーナ
バヴァンタレー チャドゥヴァーラガヒタン パッチュッパンナン アティータン
パンニャッティブータン ヴァー カンマ カンマニミッタ ガティニミッタサンマタン
アーランバナンホーティ
チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)のチッタは全て、ルーパーランマナ(眼に見える形という認識対象)のみを対象とします。そしてそれは現在にのみ関係します。同様にソータドゥヴァーラ(耳という感覚門)のチッタはサッダーランマナ(音という認識対象)のみを対象とします。そしてそれは現在にのみ関連します。ガーナドゥヴァーラ(鼻という感覚門)、ジヴァードゥヴァーラ(舌という感覚門)、(身体という感覚門)の場合も同じです。
しかし、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)のチッタのアーランバナ(認識対象)は6種類あります。そしてそれは環境に応じて現在、過去、未来、あるいは時間に関係のないアーランバナ(認識対象)になります。
さらにドゥヴァーラヴィムッタ(ドゥヴァーラとは別に生じる)チッタ、すなわち、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(生存を持続させる)チッタ、チュティ(死ぬ)チッタの場合、アーランバナ(認識対象)は6種類です。そして、状況により、通常その認識対象は直前の生存におけるチャドゥヴァーラ(六つの感覚門)のいずれかに既に認識されています。その対象は現在、過去ないし時間に関係のない概念の場合があります。そしてそれがカンマ(業)、カンマニミッタ(業が作るイメージ)、ないしガティニミッタ(再生する予定の生存領域のイメージ)です。
第17節へのガイド
チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)のチッタは全て:チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)における認識過程においては、その過程に関連する全てのチッタがルーパーランマナ(眼に見える形という認識対象)を対象にします。ルーパーランマナ(眼に見える形という認識対象)を対象にするのはチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)だけではありません。パンチャドゥヴァーラ―ヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ、サンパティッチャナチッタ(感覚対象を受けとめる)チッタ、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ、ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタ、ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出すチッタ)、タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)も同じルーパーランマナ(眼に見える形という認識対象)を対象にして生じます。さらに、チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)における認識過程におけるチッタは全てルーパーランマナ(眼に見える形という認識対象)のみ(ルーパン エーヴァ)を対象にします。その認識過程(この場合は眼という感覚門での認識過程)以外の別の種類のアーランバナ(認識対象)を対象にすることはありません。
現在にのみ関係します:ここで使われている「現在」は「現在の瞬間(カニカパッチュッパンナ)」を意味します。つまり、経験したその瞬間のことを差しています。物質的現象は、精神的現象よりも変化のスピードが遅いので、チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)での認識過程を通じて同じアーランバナ(認識対象)が留まり続け、その過程で生じる全てのチッタがその同じアーランバナ(認識対象)を対象にすることもあります。他の身体感覚についても同じです(156~157ページ参照)。
マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)のチッタのアーランバナ(認識対象):マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)における認識過程で生じるチッタは、五つの身体感覚の認識対象のいずれも認識することが出来ます。また身体感覚の感覚門を通してチッタにアクセスすることが出来ないダンマーランマナ(精神現象という認識対象)の全てを認識することが出来ます。マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)のチッタは過去、現在、未来という全ての時間の対象、そして時間に依存しない(カーラヴィムッタ)対象も認識することが出来ます。時間に依存しない対象とはニッバーナ(涅槃)とパンニャティ(概念)のことです。ニッバーナ(涅槃)には時間がありません。なぜなら生じることも、変化することも、消滅することもないという固有の性質(サッバーヴァ)を持っているからです。パンニャティは固有の性質を欠いているため時間はありません。
環境に応じて:ヴィバーヴィニーティーカーという注釈書では、チッタがカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出すチッタ)、アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力に関連する)ジャヴァナ、マハッガタジャーナ(禅定に関連する意識の領域における)チッタのいずれであるかに応じて、という意味であると説明されています。カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタの場合はハスィトゥッーパーダ(微笑をつくる)チッタを除いて、過去、現在、未来、そして時間のない対象の全てを対象にします。ハスィトゥッーパーダ(微笑をつくる)チッタは、過去、現在、未来の対象だけを認識します。アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力に関連する)ジャヴァナ(第18節へのガイド参照)の場合は過去、現在、未来、そして時間のない対象の全てを対象にします。第2段階・第3段階のアルーパジャーナ(物質でないものを対象にした禅定に関連する)チッタを除く、マハッガタジャーナ(禅定に関連する意識の領域における)チッタは時間のない対象(つまり概念)のみを対象にします。第2段階・第3段階のアルーパジャーナ(物質でないものを対象にした禅定に関連する)チッタは過去のチッタのみを対象にします。ロークッタラジャーナ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における禅定)の場合はニッバーナ(涅槃)が対象となります。
ドゥヴァーラヴィムッタ(ドゥヴァーラとは別に生じる)チッタ:ドゥヴァーラヴィムッタ(ドゥヴァーラとは別に生じる)チッタとは、どのようなものであれ一つの生存においてパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)という三つの機能を担うチッタのことです。前に説明したように19種類あります(第9節参照)。このチッタの対象は6種類です。五つの感覚対象のいずれか(現在ないし過去)、そしてダンマーランマナ(精神現象という認識対象)です。パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)という三つのチッタは生まれてから死ぬまで同じアーランバナ(認識対象)をとり続けます。同じアーランバナ(認識対象)を、生まれる時にはパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタが、生存中はバヴァンガ(生存を持続させる)チッタのそれぞれが、死ぬ瞬間にはチュティ(死ぬ)チッタが認識します。
どのような生存においても、ドゥヴァーラヴィムッタ(ドゥヴァーラとは別に生じる)チッタのアーランバナ(認識対象)は一般的に、直前の生存の最後の認識過程のアーランバナ(認識対象)と同一です。人が死に瀕した時、最後の能動的な認識過程になんらかのアーランバナ(認識対象)が現れます。そしてそのアーランバナ(認識対象)は過去のカンマ(業)と現在の環境に応じて決まります。このアーランバナ(認識対象)は次の三つのうちのどれかになります。
(1) カンマ(業):同じ生存の中で行った善行為、不善行為。
(2) カンマニミッタ(業のイメージ):どのように再生するかを決定しつつある善行為ないし不善行為に関連する対象ないし、イメージ、あるいはその行為を行う際に用いる道具のイメージ。例えば信心深い人には僧侶や寺のイメージが現れます。医師には患者のイメージが現れます。屠殺人の場合は殺される仔牛のうめき声や屠殺ナイフのイメージが現れます。
(3) ガティニミッタ(再生する予定の生存領域のイメージ):死に行く人がこれから再生しようとしている生存領域の象徴。例えば動物界に再生しようとしている人には森や野原のイメージが現れます。地獄に再生しようとしている人には地獄の火のイメージが現れます。
状況により(ヤターサンバヴァン):ヴィバーヴィニーティーカーという注釈書によれば、これはドヴァーラヴィムッティ(感覚門とは別に生じる)チッタのアーランバナ(認識対象)は、それが前世の最後の認識過程において(1)どのドヴァーラ(感覚門)を通して認識されたか、(2)過去なのか、現在なのか、それとも時間と関係のない概念なのか、(3)カンマ(業)なのか、カンマニミッタ(業のイメージ)なのか、ガティニミッタ(再生する予定の生存領域のイメージ)なのか、によって異なることを意味していると言われています。その説明は以下の通りです。
カーマーヴァチャラ(感覚を楽しむ生存領域)へ再生する場合は、前世の最後の認識過程におけるジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出すチッタ)が六つのドゥヴァーラ(感覚門)のうちのいずれかを通して認識した五つの感覚対象のいずれかはカンマニミッタ(業のイメージ)という感覚対象になります。そのような対象はパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(生存を持続させる)チッタの場合、現在、過去の二通りがあります。前世の最後のジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出すチッタ)に認識された対象は次の生存での最初のチッタッカナ(一つのチッタが生滅する時間)数個分までは存続しているので現在の対象になります。次の生存でその後に生じるバヴァンガ(生存を持続させる)チッタとチュティ(死の)チッタから見ればその対象は当然過去のものとなります。
前世の最後のジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出すチッタ)に認識された対象がダンマーランマナ(精神現象という認識対象)である場合は、次の生存におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(生存を持続させる)チッタ、チュティ(死の)チッタの対象となります。その場合、その対象はカンマ(業)ないしカンマニミッタ(業のイメージ)のいずれかであり、過去のものとなります。
ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質からなら生存領域)に再生する場合は三つのドヴァーラヴィムッティ(感覚門と別に生じる)チッタ、すなわちパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(生存を持続させる)チッタ、チュティ(死の)チッタの対象は、前世の認識過程においてマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)を通して認識したダンマーランマナ(精神現象という認識対象)です。それは(時間に関係しない)概念であり、カンマニミッタ(業のイメージ)と考えられています。アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する、物質のない生存領域)に再生する場合、それが禅定の第1段階、第3段階に関連する場合は、ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質からなら生存領域)に再生する場合と同じです。アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する、物質のない生存領域)に再生する場合で、それが禅定の第2段階、第4段階に関連する場合は、対象はチッタというダンマーランマナ(精神現象という認識対象)です。その対象は過去のものであり、やはりカンマニミッタ(業のイメージ)と考えられています。
通常(イェーブッイェーナ):これは、意識のない生命(アサンニャーサッタ)の生存領域、すなわちアルーパーヴァチャラ(物質ではないものを対象にした禅定に関連する、物質のない生存領域)の一つで意識が全くない生存領域を考慮して加えれらた表現です(第5章、第31節参照)。そのような生命の場合、ドゥヴァーラヴィムッティ(感覚門とは別に生じる)チッタの対象は、直前の生存で認識したものではありえません。なぜなら意識が存在しないからです。このような生命の場合、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(生存を持続させる)チッタ、チュティ(死の)チッタが認識するカンマニミッタ(業のイメージ)の対象は全て、意識のない生命(アサンニャーサッタ)の生存領域に先んじる生存から持ち越された過去のカンマ(業)の力によって生じます。
第18節 チッタの種類による分類
テース チャックヴィンニャーナーディーニ ヤターッカマン ルーパーディ
エーケーカーランバナーネーヴァ マノーダートゥッティカン パナ
ルーパーディパンチャーランバナン セーサーニ カーマーヴァ チャラヴィパーカーニ
ハサナチッタン チャー ティ サッバター ピ
カーマーヴァチャラーランバーナーネーヴァ
アクサラーニ チェーヴァ ニャーナヴィッパユッタカーマーヴァチャラジャバナーニ
チャー ティ ロークッタラヴァッジタ サッバーランバナーニ
ニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラクサラーニ チェーヴァ
パンチャマッジャーナ サンカータン アビンニャークサラン チャー ティ
アラハッタマッガパラヴァッジタ サッバーランバナーニ
ニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラクリヤー チェーヴァ クリヤビンニャー
ヴォッタパナン チャー ティ サッバター ピ サッバーランバナーニ
アールッペース ドゥティヤチャトゥッターニ マハッガタランバナーニ セーサーニ
マハッガタチッターニ パナ サッバーニ ピ パンニャッターランバナーニ
ロークッタラチッターニ ニッバーナーランバナーニー ティ
チャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)はルーパーランバナ(眼に見える形という認識対象)だけを対象とします。同様に、ソータヴィンニャーナ(耳に感覚を感じたという意識)、ガーナヴィンニャーナ(鼻に感覚を感じたという意識)、ジヴァーヴィンニャーナ(舌に感覚を感じたという意識)、カーヤヴィンニャーナ(身体に感覚を感じたという意識)、はそれぞれサッダーランマナ(音という認識対象)、ガンダーランマナ(臭いという認識対象)、ラサーランマナ(味という認識対象)、ポッタッバーランマナ(触れることができる認識対象)だけを対象とします。しかし、マノーダートゥッティカ(精神現象の三つの基本要素)すなわちパンチャドゥヴァーラヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタと2種類のサンティーラナ(対象を調べる)チッタはルーパーランバナ(眼に見える形とう認識対象)を始めとした全ての感覚対象を認識します。カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、業の結果として生じる)チッタの残りとハサナ(微笑を作り出す)チッタは常にカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)アーランバナ(認識対象)のうちの一つを対象とします。
アクサラ(不善業を作る)チッタとニャーナヴィッパユッタ(洞察の智慧が付随しない)カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタは、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)の対象を除く、全ての対象をとります。
ニャーナサンパユッタ(洞察の智慧が付随する)カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)クサラ(善業を作る)チッタと、ジャーナ(禅定)の第5段階にみられるアビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力)クサラ(善業を作る)チッタはアラハント(悟りの最終段階を得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)のマッガ(道の)チッタ・パラ(果の)チッタを除く全ての対象をとります。
ニャーナサンパユッタ(洞察の智慧が付随する)カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)キリヤ(機能だけの)チッタと、アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力に関連する)キリヤ(機能だけの)チッタ、そしてヴォッタパナ(対象を決定する)チッタは全ての種類の対象をとります。
アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域の)チッタの中で、ジャーナ(禅定)の第2段階および第4段階のチッタはマハッガターランバナ(禅定に関連する対象)を認識します。マハッガタ(禅定に関連する意識の領域の)チッタの残りは全てパンニャッターランバナ(概念という認識対象)を認識します。ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域の)チッタの対象はニッバーナ(涅槃)です。
第18節へのガイド
マノーダートゥッティカ(精神現象の三つの基本要素):パンチャドゥヴァーラヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタと2種類のサンティーラナ(対象を調べる)チッタをまとめてマノーダートゥッティカ(精神現象の三つの基本要素)と呼びます。これは、ルーパーランバナ(眼に見える形という認識対象)などの5種類の感覚対象を全て認識します。なぜなら、マノーダートゥッティカ(精神現象の三つの基本要素)はパンチャドゥヴァーラ(五つの感覚門)に生じるからです。
カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、業の結果として生じる)チッタの残り:これは、サンティーラナ(対象を調べる)チッタ3種類とマハーヴィパーカ(業の結果として生じる偉大な)チッタのことで、タダーランマナ(感覚対象を記憶にとどめる)チッタとして働き、六つの感覚門に現れた全ての種類の認識対象をとります。マハーヴィパーカ(業の結果として生じる偉大な)チッタとは、カーマーヴァチャラソーバナチッタ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しいチッタ)に含まれるヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタのことです。なお、繰り返しになりますが、このカーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、業の結果として生じる)チッタが、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)として生じる場合は、認識過程(ヴィーティ)と関係なく現れた六つの感覚対象の全てを対象としてとります。ただしソーマナッササハガタサンティーラナ(精神的な楽しみを伴う、対象を調べる)チッタは例外です。アラハント(最終的な悟りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者)のハスィトゥッパーダ(微笑を作り出す)チッタも6種類のカーマーヴァチャラアーランバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における対象)全てを対象としてとります。
アクサラ(不善業を作る)チッタとニャーナヴィッパユッタ(洞察の智慧が付随しない)カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、認識対象を捉えて、業を作り出す)チッタは・・・:ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)における九つの状態、すなわち四つのマッガ(道)と四つのパラ(果)、そしてニッバーナ(涅槃)は極めて清浄で深いため、アクサラチッタ(不善業を作るチッタ)、ニャーナヴィッパユッタクサラ(洞察の智慧が付随しない、善業を作る)チッタ、ニャーナヴィッパユッタキリヤ(洞察が付随しない、機能だけの)チッタはそれを対象とするこが出来ません。
ニャーナサンパユッタ(洞察の智慧が付随する)カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)クサラ(善業を作る)チッタと・・・:プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)とセッカー(涅槃を悟り、悟りの最終段階を目指して修行中の聖者)はアラハント(最終的な悟りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者)のマッガ(道)・パラ(果)を知ることが出来ません。何故なら彼らはこの二つのチッタを得ていないからです。彼らの心に、ニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラクサラ(洞察の智慧が付随する、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、善業を作る)チッタが生じたとしてもやはりアラハントのマッガ(道)・パラ(果)を知ることは出来ません。
プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)のチッタはセッカー(涅槃を悟り、悟りの最終段階を目指して修行中の聖者)のマッガ(道)・パラ(果)にアクセスすることは出来ません。下位のセッカー(涅槃を悟り、悟りの最終段階を目指して修行中の聖者)のチッタは上位のセッカー(涅槃を悟り、悟りの最終段階を目指して修行中の聖者)のマッガ(道)・パラ(果)にアクセスすることは出来ません。ニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラクサラ(洞察の智慧が付随する、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、善業を作る)チッタは、自分が得たレベルのマッガ(道)・パラ(果)そしてニッバーナ(涅槃)を振り返ることでそれにアクセスすることが出来ます。
アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力という)クサラ(善業を作る)チッタ:アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力)は、五つのジャーナ(禅定)に熟達した瞑想者に生じる特別な能力です。経典には五種類のローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)アビンニャーが語られています。超能力、神の耳、他人の心を読む能力、過去世を知る能力、神の眼の五つです(第9章、第21節参照)。これらの能力はジャーナ(禅定)の第五段階のチッタを特別に使うことで得ることが出来ます。そして、プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)とセッカー(涅槃を悟り、悟りの最終段階を目指して修行中の聖者)の場合は、クサラ(善業を作る)チッタであり、アラハント(最終的な悟りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者)の場合はキリヤ(機能だけの)チッタです。ジャーナ(禅定)の第五段階に熟達したセッカー(涅槃を悟り、悟りの最終段階を目指して修行中の聖者)は、三番目の他人の心を読む能力を使うことにより、自分と同じレベルかあるいはそれより下位のセッカー(涅槃を悟り、悟りの最終段階を目指して修行中の聖者)のマッガ(道の)チッタ・パラ(果の)チッタを知ることが出来ますが、自分よりレベルが高いレベルのセッカー(涅槃を悟り、悟りの最終段階を目指して修行中の聖者)のマッガ(道の)チッタ・パラ(果の)チッタを知ることは出来ません。なお、アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力という)クサラ(善業を作る)チッタはアラハント(最終的な悟りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者)のマッガ(道の)チッタ・パラ(果の)チッタを知りえる範囲を完全に超越しています(知ることができません)。
ニャーナサンパユッタ(洞察の智慧が付随する)カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)キリヤ(機能だけの)チッタと・・・:ニャーナサンパユッタ(洞察の智慧が付随する)カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の)キリヤ(機能だけの)チッタを用いることでアラハント(最終的な悟りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者)は自分が得たマッガ(道)・パラ(果)を知ることが出来ます。また、アビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力に関連する)キリヤ(機能だけの)チッタを用いることで、アラハント(最終的な悟りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者)は他の聖者たちの得たマッガ(道)・パラ(果)を知ることが出来ます。ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタは、認識過程(チッタヴィーティ)の中で生じる五つの感覚対象を把握します。ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタがマノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に注意を向ける)チッタとして働く場合は六つの感覚対象の全てを把握します。
アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域の)チッタの中で・・・:アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)におけるジャーナ(禅定)の第2段階のチッタは、ジャーナ(禅定)の第一段階のチッタを対象にします。そして、ジャーナ(禅定)の第4段階のチッタはジャーナ(禅定)の第3段階のチッタを対象にします。したがってこの二つはマハッガタ(禅定に関連する)チッタを対象にすることになります。
マハッガタ(禅定に関連する意識の領域の)チッタの残りは全て・・・:ルーパーヴァチャラジャーナ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、禅定の)チッタは、カスィナ(集中を得るために使用する単一色の円盤)の場合のニミッタ(対象のイメージ)のような概念を対象とします(第1章、第18~20節のガイド)。あるいは、アッパマンニャー(対象に制限が無い)の場合は、生命全体を対象にします。アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)におけるジャーナ(禅定)の第1段階のチッタは無限の空間という概念を対象にします。そしてアルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)におけるジャーナ(禅定)の第3段階のチッタは「無」ないし「非存在」という概念を対象にします(表3-6参照)。
第19節 まとめ
パンニャヴィーサ パリッタミ チャ チッターニ マハッガテー
エーカヴィーサティ ヴォ―ハーレー アッタ ニッバーナゴーチャレー
ヴィーサーヌッタラムッタミ アッガマッガパルッジテー
パンチャ サッバッタ チャッチェーティ サッタダー タッタ サンガホー
25種類のチッタは低級な(カーマーヴァチャラの)対象に結びつきます。6種類のチッタはマハッガタ(禅定に関連する意識の領域)チッタを、21種類のチッタは概念を、8種類はニッバーナ(涅槃)を対象にします。
20種類のチッタは、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)における対象を除く全ての対象をとります。5種類のチッタはアラハント(最終的な悟りを得て輪廻からの解脱を果たした聖者)のマッガ(道)、パラ(果)を除いた全てを対象にします。6種類のチッタは全ての対象をとります。このように対象の観点からはチッタは7つのグループに分かれます。
第19節へのガイド
25種類:カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタが23種類、これにパンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ、ハスィトゥッパーダ(微笑を作り出す)チッタを加えた25種類のチッタのことです。これらのチッタは下級の対象、つまりカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)の対象だけをとります。
6種類のチッタは:アルーパーヴァチャラジャーナ(物質ではないものを対象にした瞑想に関連する意識の領域における禅定)の第2段階、第3段階のチッタのことで、それぞれクサラ(善業を作り出す)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)チッタがあるため合計で6種類となります。
21種類のチッタは概念を:ルーパーヴァチャラジャーナ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における禅定)第1段階から第5段階の5種類、アルーパーヴァチャラジャーナ(物質ではないものを対象にした瞑想に関連する意識の領域における禅定)第1段階、第2段階の2種類、合わせて7種類のチッタのことで、それぞれにクサラ(善業を作り出す)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)チッタがあるため全部で21種類となります。
8種類はニッバーナ(涅槃)を:悟りの四つの段階にそれぞれマッガ(道の)チッタ、パラ(果)のチッタはあるので全部で8種類となります。
20種類のチッタは・・・全ての対象をとります:アクサラ(不善業を作る)チッタが12種類、ニャーナヴィッパユッタクサラ(洞察の智慧が付随しない、善業を作る)チッタが4種類、ニャーナヴィッパユッタキリヤ(洞察の智慧が付随しない、機能だけの)チッタが4種類、合計20種類となります。
5種類:ニャーナサンパユッタカーマーヴァチャラクサラ(洞察の智慧が付随する、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、善業を作る)チッタ4種類とクサラアビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力に関連し、善業を作る)チッタ1種類の5種類です。
6種類のチッタは全ての対象をとります:ニャーナサンパユッタマハーキリヤ(洞察の智慧が付随する、偉大なる、機能だけの)チッタ4種類と、ジャーナ(禅定)の第4段階の機能だけのアビンニャー(禅定に熟達した瞑想者が得る五つの特別な能力に関連する)チッタ1種類、そしてヴォッタッパナチッタ1種類の合計6種類です。
ヴァットゥサンガハ(心を支える物質の概要)
ヴァットゥサンガへー ヴァットゥニ ナーマ チャック ソータ ガーナ ジヴァー
カーヤ ハダヤヴァットゥ チャー ティ チャビッダーニ ヴァバンティ
ターニ カーマローケー サッバーニ ピ ラッバンティ ルーパローケー パナ
ガーナディッタヤン ナッティ アルーパローケー パナ サッバーニ ピ ナ
サンヴィッジャンティ
ヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)は六種類あります。すなわち、チャック(眼)、ソータ(耳)、ガーナ(鼻)、ジヴァー(舌)、カーヤ(身体)、ハダヤ(心)ヴァットゥです。
カーマーローカ(感覚的な楽しみを追い求める世界)にはこの6種類のヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)全てがあります。ルーパーローカ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質からなる世界)ではガーナ(鼻)、ジヴァー(舌)、カーヤ(身体)はありません。アルーパローカ(物質のではないものを対象にした禅定に関係する、物質の無い世界)の場合ヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)はひとつもありません。
第20節へのガイド
ヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)の分析:物質から成り立つ生存領域においてはチッタとチェータスィカはヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)と呼ばれる条件に依存して生じます。ヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)とはチッタ・チェータスィカが生じる際の物質的な支えとなります。最初の五つのヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)は六つのドゥヴァーラ(感覚門)の最初の五つ、つまり五つの感覚能力のもととなる感覚物質と名前が一緒です。しかし、ヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)とドゥヴァーラ(感覚門)は同じものではありません。なぜなら、チッタが生じる際に、ヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)はドゥヴァーラ(感覚門)と異なる働きをするからです。ドゥヴァーラ(感覚門)は、認識過程においてチッタとチェータスィカが対象にアクセスするチャンネルです。一方、ヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)はチッタとチェータスィカが現れる際の物質的な支えのことです。
この違いは大変重要な意味を持っています。チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)での認識過程においては、チャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)とは別のたくさんのチッタが生じます。そうしたチッタも視覚をドゥヴァーラ(感覚門)とします。しかし視覚をヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)とするのはチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)だけです。チャックドゥヴァーラ(眼という感覚門)を使うチッタのうちチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)以外は視覚というヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)を必要としません。またドゥヴァーラ(感覚門)という観点から見ると、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)、バヴァンガ(生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)として働くチッタはドゥヴァーラ(感覚門)の無いチッタ、つまりドゥヴァーラ(感覚門)が無くても生じるチッタと呼ばれます。しかしナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)がある生存領域においては、チッタはヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)なしに生じることはありません。
この章では、筆者はヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)を一つ一つ紹介し、チッタをそれが依存するヴァットゥにより分類します。
ハダヤヴァットゥ(心臓という、チッタが生じる際の物質的な支え):パーリ注釈書では心臓は五つの感覚のビンニャーナ各2種類ずつを除く、全てのチッタを支えるとされています。五つの感覚のビンニャーナ各2種類については、それぞれの感覚がヴァットゥとなります。アビダンマ経典ではハダヤヴァットゥ(心臓という、チッタが生じる際の物質的な支え)という言葉は使われていません。アビダンマピタカ(論蔵)の最後となるパッターナという本には「mind element mind consciousness element を支える物質(i4)」と簡単に表現されているだけです。しかし、注釈書ではその「物質」はハダヤヴァットゥと呼ばれる、心臓の中にある空洞だと説明されています13。
カーマーローカ(感覚的な楽しみを追い求める世界)には:カーマーローカ(感覚的な楽しみを追い求める世界)においては視覚障害や聴覚障害がある人を除いて、六つのヴァットゥ全てがみられます。ルーパーローカ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質からなる世界)ではそれぞれガーナ(鼻)、ジヴァー(舌)、カーヤ(身体)を支えるガーナヴァットゥ(鼻)、ジヴァーヴァットゥ(舌)、カーヤヴァットゥ(身体)はありません。何故ならこの三つは他の二つの感覚(視覚と聴覚)に比べて経験が粗大だからです。従って、カーマローカよりもレベルが高いルーパーローカ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質からなる世界)ではこの三つは除外されます。注釈書によると、ルーパーローカ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質からなる世界)に住む生命にも物質としての鼻、舌、身体はありますが、感覚が無いため臭いを嗅いだり、味わったり、接触感を感じたりすることはできないとされています。したがってこの三つの感覚に基づく経験はルーパーローカ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質からなる世界)には存在しません。アルーパローカ(物質のではないものを対象にした禅定に関係する、物質の無い世界)ではヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)はありません。何故ならヴァットゥは全て物質で出来ているからです。
第21節 チッタによる分類
タッタ パンチャヴィンニャーナダートゥヨー ヤターカマン エーカンテーナ
パンチャッパサーダヴァットゥーニ ニッサーイェーヴァ パヴァッタンティ
パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナサンパティッチャナサンカーター パナ
マノーダートゥ チャ ハダヤン ニッスィター イェーヴァ パヴァッタンティ
アヴァセーサー パナ マノーヴィンニャーナダートゥサンカーター チャ
サンティーラナ マハーヴィパーカ パティガドゥヴァヤ パタママッガ ハサナ
ルーパーヴァチャラヴァセーナ ハダヤン ニッサーイェーヴァ パヴァッタンティ
アヴァセーサー クサラークサラークリヤーヌッタラヴァセーナ パナ ニッサーヤ
ヴァー アニッサーヤ ヴァー アールーパヴィパーカヴァセーナ ハダヤン
アニッサーイェーヴァー ティ
五つのヴィンニャーナ(感覚が生じたという意識の)ダートゥ(基本要素)は五つのパサーダ(感覚物質)をヴァットゥ(チッタが生じる際の物質的な支え)としてそれの完全に依存して生じます(2x5=10)。しかしマノーダートゥ(精神現象の基本要素)、すなわちパンチャドゥヴァーラヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタと2種類のサンパティッチャナ(感覚対象を受けとめる)チッタはハダヤ(心臓)に依存して生じます。残ったチッタすなわちマノーヴィンニャーナダートゥ(イメージなどの精神現象を感じたという意識の基本要素)、すなわちサンティーラナ(対象を調べる)チッタ、マハーヴィパーカ(偉大なる業の結果として生じる)チッタ、パティガ(嫌悪)を伴う二つのチッタ、最初のマッガ(道の)チッタ、ハサナ(微笑を作る)チッタ、ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域の)チッタも同様にハダヤ(心臓)に依存して生じます(3+3+8+2+1+1+15=33)。
残りのクラスのチッタは、クサラ(善業を作る)、アクサラ(不善業を作る)、キリヤ(機能だけの)、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域の)に関わらず、ハダヤヴァットゥ(心臓という、チッタを支える物質)に依存する場合と依存しない場合の両方があります(12+10+13+7=42)。アルーパーヴァチャラキリヤ(物質でないものを対象にした意識の領域における、機能だけの)チッタはハダヤヴァットゥ(心臓という、チッタを支える物質)に依存しません(4)。
第21節へのガイド
五つのヴィンニャーナ(感覚が生じたという意識の)ダートゥ(基本要素)、他:アビダンマでは89種類あるチッタ全てを7つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識の)ダートゥ(基本要素)に振り分けます(表3.7)。マノーダートゥ(精神現象の基本要素)と呼ばれる3種類のチッタは対象をつかむのが大変弱いとされています。なぜなら、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタは全く新しい対象に出会い、異なるヴァットゥ(チッタを支える物質)を持つチッタがあとに続くからです。また2種類のサンティーラナ(対象を調べる)チッタは異なるヴァットゥ(チッタを支える物質)を持つチッタに続いて生じるからです。五つのヴィンニャーナ(感覚が生じたという意識の)ダートゥ(基本要素)の場合は対象をつかむのが少し強いとされています。しかしながら自分とは異なるヴァットゥ(チッタを支える物質)を持つ二つのチッタにはさまれるように生じるため、まだ少し弱いと言われています。マノーヴィンニャーナダートゥ(イメージなどの精神現象を感じたという意識の基本要素)に区分される一群のチッタは前後に同じヴァットゥ(チッタを支える物質)を持つチッタがあるため、対象を明瞭にかつ完全につかむことが出来ます。
しかしマノーダートゥ(精神現象の基本要素)・・・も同様にハダヤ(心臓)に依存して生じます:ここに挙げられている33種類のチッタはアルーパローカ(物質でないものを対象にした禅定に関連する、物質のない世界)には生じません。物質のある世界にのみ生じます。何故ならこれらのチッタは全てハダヤヴァットゥ(心臓という、チッタを支える物質)に依存するからです。パティガ(嫌悪)を伴うチッタはルーパブーミ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質のみからなる生存領域)には生じません。何故ならパティガ(嫌悪)が十分に抑えられていないとジャーナ(禅定)に達することが出来ないからです。悟りの第一段階であるソーターパッティのマッガ(道の)チッタはアルーパブーミ(物質でないものを対象にした禅定に関連する、物質の無い生存領域)には生じ得ません。なぜならダンマを聞かなければマッガ(道の)チッタが生じることは無く、聴力が無ければダンマを聞くことは出来ないからです。ハサナ(微笑を作る)チッタも当然ながら微笑むための身体を必要とします。
残りのクラスのチッタ:これに含まれるのはアクサラ(不善業を作る)チッタのうちパティガ(嫌悪)を伴う2種類を除く10種類のチッタ、マハークサラ(偉大なる、善業を作る)チッタが8種類、アルーパーヴァチャラクサラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する物質のない意識の領域における、善業を作る)チッタが4種類、アルーパーヴァチャラキリヤ(物質でないものを対象にした禅定に関連する物質のない意識の領域における、機能だけの)チッタが4種類、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタのうち悟りの第一段階のマッガ(道の)チッタを除いた7種類のチッタ、そしてマノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に意識を向ける)チッタ、合計42種類です。これらのチッタは物質がある生存領域、つまりカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)とルーパブーミ(物質を対象とした禅定に関連する、微細な物質からなる生存領域)においてはハダヤヴァットゥ(心臓という、チッタを支える物質)に依存して生じますが、アルーパブーミ(物質でないもとを対象にした禅定に関連する、物質のない生存領域)においてはハダヤヴァットゥ(心臓という、チッタを支える物質)に依存しません。アルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質でないものを対象異にした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタはアルーパブーミ(物質でないもとを対象にした禅定に関連する、物質のない生存領域)のみに生じるので、いずれのヴァットゥ(チッタを支える物質)にも依存しません。三つのブーミ(生存領域)については第5章、第3~7節を参照ください。
第22節 まとめ
チャヴァットゥン ニッスィター カーメー サッタ ルーペー チャトゥッビダー
ティヴァットゥン ニッスィタールッペー ダートゥヴェーカーニッスィター マター
テーチャッターリーサ ニッサーヤ ドゥヴェーチャッターリーサ ジャーヤレー
ニッサーヤ チャ アニッサーヤ パーカールッパー アニッスィター ティ
カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)においては六つのヴァットゥ(チッタを支える物質)に依存する七つのダートゥ(基本要素)があります。ルーパブーミ(物質を対象にした禅定に関連する生存領域)においては三つのヴァットゥ(チッタを支える物質)に依存する四つのダートゥ(基本要素)があります。そしてアルーパブーミ(物資手でないものを対象にした禅定に関連する生存領域)においてはダートゥ(基本要素)は一つでありどのヴァットゥ(チッタを支える物質)にも依存しません。
43種類のチッタはヴァットゥ(チッタを支える物質)に依存して生じます。42種類のチッタはヴァットゥ(チッタを支える物質)に依存する場合としない場合があります。アルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタはどのようなヴァットゥ(チッタを支える物質)にも依存しません。
第22節へのガイド
カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)においては、他:カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)では、五つのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識の)ダートゥ(基本要素)がそれぞれ独自のヴァットゥ(チッタを支える物質)に依存して生じます。マノーダートゥ(イメージなどの精神現象の基本要素)とマノーヴィンニャーナダートゥ(イメージなどの精神現象を感じたという意識の基本要素)はハダヤヴァットゥ(心臓という、チッタを支える物質)に依存して生じます。ルーパーブーミ(物質を対象にした禅定に関連する、微細な物質からなる世界)ではガーナヴァットゥ(鼻という、チッタを支える物質)、ジヴァーヴァットゥ(舌という、チッタを支える物質)、カーヤヴァットゥ(身体という、チッタを支える物質)、およびそれぞれに応じたヴィンニャーナダートゥ(感覚を感じたという意識の基本要素)はありません。アルーパブーミ(物質でないものを対象にした禅定に関連する生存領域)においてはマノーヴィンニャーナ(イメージなどの精神現象を感じたという意識の)ダートゥ(基本要素)のみが生じますが、ヴァットゥ(チッタを支える物質)はありません。
イティ アビダンマッタサンガへー パキンナカサンガハヴィバーゴー ナーマ
タティヨー パリッチェードー
これにてアビダンマッタサンガハ(アビダンマの概要)の第3章、パキンナカサンガハ(チッタに関するその他の項目についての概要)を終わります。