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第2章 チェータスィカについての概要

2023年1月21日

第2章 チェータスィカについての概要

第1節 導入

エークッパーダ 二ローダー チャ エーカーランバナヴァットゥカー
チェートーユッタ ドゥヴィパンニャーサ ダンマー チェータスィカー マータ

チッタとともに現れ、チッタとともに消え去り、チッタと同じ対象と基盤を持つ、52の状態があり、チェータスィカと呼ばれます。

第1節へのガイド

チェートーユッタダンマー(チッタに付随する状態):アビダンマッタサンガハの第2章はパラマッタダンマ(究極の真理)の2番目、チェータスィカを扱います。チェータスィカはチッタに直に関係する精神的な現象です。そして認識という行為に特別な役割を与えてチッタを補助します。チェータスィカはチッタと別に生じることはありません。またチッタがチェータスィカを全く伴わずに生じることもありません。チッタとチェータスィカは機能的に相互に依存していますが、対象を認識する過程でチェータスィカはチッタに依存して出現しチッタを補助するため、認識の根本的な要素であるチッタが主であるとみなされています。チッタとチェータスィカの関係は王様とその家来に例えられます。「王様が来た」と言っても、王様が一人だけで来ることは無く、常に従者に付き添われています。同様に、チッタが生じる時には単独で現れることは無く、いつもチェータスィカという従者に付き添われています1。

「チェータスィカの解説」においてアーチャリヤ・アヌルッダ尊者はチェータスィカを列挙し、グループ分けします。(第2節-第9節)。その後、二つの補足的な観点からチェータスィカを分析します。一番目は、チェータスィカがチッタにどのように付随するか(サンパヨーガナヤ)という分析方法をとります。チェータスィカを調査の基本とし、それぞれのチェータスィカがどのチッタに付随するかを説明します(第10節-第17節)。二番目は「組み合わせ、組み入れ」という分析方法です(サンガハナヤ)。この方法ではチッタが分析の主な対象となり、それぞれのチッタが、どのようなチェータスィカと組み合わされ、それを組み込むかについて調査・決定します(第18節-第29節)。

チッタとともに現れ、チッタとともに消え去り:一番目の偈文は全てのチェータスィカに共通する四つの性質を挙げて、チェータスィカを定義しています。
(1) チッタと共に生じる(エークッパーダ)
(2) チッタと共に消え去る(エーカニローダ)
(3) チッタと同じ対象を持つ(エーカーランバナ)
(4) チッタと同じ基盤を持つ(エーカヴァットゥカ)

 この四つの性質は、チッタとチッタに付随するチェータスィカの関係を詳細に描いています。仮に「チッタと共に生じる」だけだとしたら、チッタと同時に生じる物質的な現象、言い換えれば心やカンマ(業)によって生じる物質的現象がチェータスィカに含まれてしまいますが、それは誤りです。物質的現象はチッタと同時に生じたとしてもチッタと同時に消え去るとは限りません。多くの場合物質的現象はチッタッカナ(一つのチッタが現れて消えるまでの時間単位)7個分持続します。このため、「チッタと共に消え去る」という定義が加わっています。

 なお、チッタと共に生じ、チッタと共に消え去る物質的現象が二つあります。身体を使った暗示、と言葉を使った暗示の二つです2。精神的現象であるチッタ、チェータスィカと異なり、この二つの物質的現象には対象がありません。全ての精神的現象には経験の対象があります。同時に生じるチッタとチェータスィカは同じ対象を経験します。一方で物質的現象は対象を経験することはありません。このため、同じ対象を持つという三番目の性質が定義されます。

 最後に、物質としての形がある生存領域、つまりカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める意識に関連する生存領域)とルーパブーミ(物質を対象にした禅定に関連する生存領域)においてはチッタとチェータスィカは同じ物質的な基盤を持ちます。言い換えればチッタもチェータスィカも五つの感覚器官ないし心臓という基盤のうちのどれかの補助を基にして生じます3。これがチェータスィカの4番目の性質です。

52種類あるチェータスィカ

アンニャサマーナチェータスィカ(善にも不善にもなり得るチェータスィカ)

第2節 サッバチッタサーダーラナ(どのチッタにも共通して付随する普遍的なチェータスィカ):7種類

カタン?I (1)パッソー、(2)ヴェーダナー、(3)サンニャー、(4)チェータナー、(5)エーカッガター、(6)ジーヴィティンドゥリヤン、(7)マナスィカーロ チャー ティ サッティメー チェータスィカー サッバチッタサーダーラナー ナーマ

それはどのようなものでしょうか。I(1)パッサ(対象との接触)、(2)ヴェーダナー(感受)、(3)サンニャー(認知)、(4)チェータナー(意欲・意思)、(5)エーカッガター(一つの対象への集中)、(6)ジーヴィティンドゥリヤ(精神的な生命力)、(7)マナスィカーロ(対象に注意を向けること) この7つがサッバチッタサーダーラナ(どのチッタにも共通して付随する普遍的なチェータスィカ)です。

第2節へのガイド

52種類あるチェータスィカ:アビダンマ哲学ではチェータスィカが52種類あるとしています。そして表2.1にあるように4つのグルーブに大きく分類されます。

(1) サッバチッタサーダーラナチェータスィカ(どのチッタにも共通して付随する普遍的なチェータスィカ)7種類
(2) チェータスィカパキンナカ(状況に応じてチッタに付随するチェータスィカ)6種類
(3) アクサラチェータスィカ(不善なチェータスィカ)14種類
(4) ソーバナチェータスィカ(道徳的に美しいチェータスィカ)25種類

アンニャサマーナチェータスィカ(善にも不善にもなり得るチェータスィカ):最初の二つのカテゴリーであるサッバチッタサーダーラナ(どのチッタにも共通して付随する普遍的なチェータスィカ)7つと(状況に応じてチッタに付随するチェータスィカ)6つはアンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)という名称で一つにまとめることが出来ます。アンニャサマーナの文字通りの意味は「それ以外のもの(アンニャ)にも共通する」となります。ソーバナ(道徳的に美しい)チッタから見ればソーバナチッタ(道徳的に美しい)以外のチッタが「それ以外のもの」であり、ソーバナチッタ(道徳的に美しい)以外のチッタから見ればソーバナチッタ(道徳的に美しい)が「それ以外のもの」になります。最初の二つのカテゴリーに含まれるチェータスィカはソーバナチッタ(道徳的に美しい)、ソーバナチッタ(道徳的に美しい)以外のチッタに共通します。そして他のチェータスィカによりもたらされたチッタの性質、とりわけヘートゥ(チッタを安定させる根=ローバ、ドーサ、モーハ、アローバ、アドーサ、アモーハという一部のチッタを安定させる根となる性質、第1章参照)に関連する性質に応じて善にも不善にもなります。このカテゴリーのチェータスィカは、アクサラ(不善業を作る)チッタに付随すればアクサラ(不善)に、クサラ(善業を作る)チッタに付随すればクサラ(善)になります。業を作る作用を持つチッタに付随すれば業を作り、業を作らないチッタに付随すれば業を作りません。このためこのカテゴリーのチェータスィカは「それ以外のもの(アンニャ)にも共通する」、つまり善にも不善にもなりえるチェータスィカと呼ばれます。

サッバチッタサーダーラナ(どのチッタにも共通して付随する普遍的な):このカテゴリーに含まれる7つのチェータスィカは全てのチッタ(サッバチッタ)に共通(サーダーラナ)します。そして最も基本的で不可欠な認識機能を担います。これらのチェータスィカが無ければ対象を認識することは全く不可能です。

(1)パッサ(対象との接触):パッサはプサティ(触れる)という動詞に由来する言葉です。しかし、認識対象が身体の感覚器官に物理的に衝突するというだけの意味ではありませんので注意してください。そうではなく、現れた認識対象がチッタに精神的に触れるという意味であり、そこから認識という働き全体が始まります。パーリ注釈書の四つの定義基準4に従えば、パッサの特徴は「触れること」であり、その機能は「衝突」であり、チッタと認識対象の衝突をもたらします。そしてパッサはチッタ、感覚器官、認識対象として表現され、その直近の原因は意識の焦点に現れた認識対象です5。

 (2)ヴェーダナー(感受):ヴェーダナー(感受)は認識対象を感じ取るチェータスィカです。認識対象を、楽しさをもたらすか、苦しさをもたらすか、そのどちらでもないか、という観点から経験します。パーリ聖典のヴェーダナー(感受)は感情という意味ではなく、単に楽しさをもたらすか、苦しみをもたらすか、そのどちらでもないかという認識対象の性質を表現しているだけです。感情は同時に生じるたくさんのチェータスィカが関連した複雑な精神現象です。ヴェーダナー(感受)は「感じとる(ヴェーダイタ)」という特徴を持ち、その機能は認識対象の好ましい側面を楽しむことです。ヴェーダナー(感受)は「関連して生じる他のチェータスィカを味わうこと」として現れ、その直近の原因は「落ち着き」です6。他のチェータスィカが認識対象を分担的に経験するのに対し、ヴェーダナー(感受)はそれを直接、かつ完全に経験します。この点から、他のチェータスィカは王のために食事を用意する調理人に例えられます。調理人は作った料理の一部を味見するだけですが、王はその料理を好きなだけ味わい、楽しみます。

(3)サンニャー(認知):サンニャー(認知)の特徴は「認識対象を認知すること」です。その働きは認識対象が再び現れた時に「同じものだ」と判別できるように、認識対象の条件に印をつけることです。あるいは、過去に認知した認識対象を、「過去に認知したことがある」と理解することです。サンニャー(認知)は「把握した認識対象の特徴に基づいてその対象を解釈すること」として表現され、その直近の原因は「現れた認識対象」です。サンニャー(認知)はあらかじめ印をつけておいた木材を識別する大工に例えられています。

(4)チェータナー(意欲・意思):チェータナーはチッタと同じ語源を持ち、目標の実現、つまり、認識過程の内で意欲ないし意思に関連したチェータスィカです。注釈書ではチェータナーは認識対象に働きかけるために他のチェータナーをまとめ上げると説明されています。チェータナーの特徴は「困難をいとわずに行う状態」であり、その機能は「カンマ(業)を蓄積すること」です。チェータナーは「調整」として表現され、その直近の原因は「関連する状態」です。チェータナーはクラスの中心となる生徒に例えられます。自分自身の教科書を読誦すると同時に、他の生徒にも教科書を読誦させます。同様に、チェータナーは自らが対象に働きかけるとともに、関連した状態がそれぞれの仕事をするように仕向けます。カンマ(業)を形成するという点ではチェータナーは最も強力なチェータスィカです。なぜなら、チェータナーが、それぞれの行為の道徳的な性質を決めるからです。

(5)エーカッガター(一つの認識対象に対する集中):エーカッガターは、精神活動をその認識対象に向けて統一させます。このチェータスィカはジャーナ(禅定)の中で顕著に現れ、ジャーナ(禅定)の構成要素の一つとして機能します。しかし、アビダンマでは、精神活動を統一するこの能力の萌芽は最も基本的なものも含めて、全てのチッタに見られると説明されています。その場合は、エーカッガターは心をその認識対象に固定させる要素として働きます。エーカッガターには「心がさまよったり、対象から離れたりしない」という特徴があり、その働きは「関連する状態をまとめて統一させること」です。エーカッガターは「心の平穏」として表現され、その直近の原因は「幸せ」です7。

(6)ジーヴィティンドゥリヤ(精神的な生命力):生命力には二つの種類があります。一つは精神的な生命力で、関連する精神的状態を活性化させます。もう一つは身体的な生命力で、物質的現象を活性化させます。チェータスィカと呼べるのはこの二つの内、精神的な生命力だけです。ジーヴィティンドゥリヤは「関連する精神的な状態を維持する」という特徴があり、その働きは「関連する精神的な状態を生じさせること」で、「関連する精神的な状態の存在が確かなものになる」という形で表現され、その直近の原因は「ジーヴィティンドゥリヤにより維持されるべき精神的な状態」です。

(7)マナスィカーラ(認識の過程で対象に注意を向けること):パーリ聖典での文字通りの意味は「心の中で作り上げる」です。マナスィカーラは心を認識対象に向けるという役割を担ったチェータスィカです。マナスィカーラにより、認識対象は意識に上ることが出来ます。その特徴は「認識対象に向けて、関連する精神的な状態を指揮(サーラナ)すること」であり、その働きは「関連する精神的な状態と認識対象とを結びつけること」です。マナスィカーラは「認識対象と向かいあう」という形で表現され、その直近の原因は「認識対象」です。マナスィカーラは船を目的地へと向かわせる舵のようなものです。あるいは、良く調教された馬(関連する精神的状態)を目的地(認識対象)に向けて走らせる御者のようなものです。マナスィカーラをヴィタッカ(認識対象に注意を向けさせるチェータスィカ)とは明確に区別する必要があります。マナスィカーラは認識の過程で付随する要素を認識対象に向かわせますが、ヴィタッカは禅定を目指して注意を認識対象に定め働きかけます。マナスィカーラは全ての状態のチッタに存在する認識に不可欠な要素ですが、ヴィタッカは禅定に中で現れる特別な要素であり、認識過程に不可欠ではありません。

第3節 パキンナカ(状況に応じてチッタに付随する)チェータスィカ:6種類

II.(1)ヴィタッコ、(2)ヴィチャーロ、(3)アディモッコー、(4)ヴィリヤン、(5)ピーティ、(6)チャンドー チャー ティ チャ イメー チェータスィカ
パキンナカー ナーマ 
エーヴァン エーテー テーラサ チェータスィカー アンニャーサマナー ティ 
ヴェーディタッパー

II.(1)ヴィタッカ(認識対象に注意を向かわせるチェータスィカ)、(2)ヴィチャーラ(対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ)、(3)アディモッカ(決意)、(4)ヴィリヤ(努力)、(5)ピーティ(喜び)、(6)チャンダ(意思)この五つがチェータスィカパキンナカ(状況に応じてチッタに付随するチェータスィカ)と呼ばれます。
このように、13個のチェータスィカがアンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカです。

第3節へのガイド

パキンナカ(状況に応じてチッタに付随する):このグループに含まれる六つのチェータスィカはアンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)という点でサッバチッタサーダーラナ(どのチッタにも共通して付随する普遍的な)チェータスィカに似ていますが、全てのチッタに付随するわけではなく、ある特定のチッタにのみ付随するという点で異なります。

(1)ヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ):ヴィタッカについては既にジャーナ(禅定)についての説明においてご紹介しました。ヴィタッカは5段階あるジャーナ(禅定)の第一段階に現れます8。ヴィタッカは心を対象に振り向ける働きです。その特徴は心を対象に向けそこに乗せることです9。その働きは認識対象を狙い撃ちし、打ち据えることです。「心を導いて対象に乗せる」という形で現れます。注釈書には直近の原因は書かれていませんが、認識対象がそれに相当すると考えられています。

 通常、ヴィタッカは単に心を認識対象に向かわせ、作用させるだけですが、集中を通してヴィタッカを高めるとジャーナ(禅定)の構成要素となります。その場合、ヴィタッカはアッパナー(心が認識対象へ没入した状態)と呼ばれます。ヴィタッカはまたサンカッパ(意図)とも呼ばれます。そしてミッチャーサンカッパ(正しくない意図)とサンマーサンカッパ(正しい意図)の二つに分かれます。サンマーサンカッパ(正しい意図)はアーリヤアッティンギカマッガ(聖なる八正道)の二番目の構成要素となっています。

(2)ヴィチャーラ(認識対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ):ヴィチャーラもまたジャーナ(禅定)の構成要素の一つであり、力ずくで認識対象に意識を留めさせ10、それを持続させ、認識対象を分析するのが特徴です。その働きは「関連する精神的現象を認識対象に向かわせ続けること」です。「関連する精神的現象が碇を下したように認識対象に留まる」という形で現れます。認識対象がその直近の原因と考えて良いかと思います。ヴィタッカとヴィチャーラの違いについては既に説明しました(56ページ参照)。

(3)アディモッカ(決意):アディモッカ(決意)の文字通りの意味は「心を解き放ち、認識対象に乗せること」です。このため決断ないし決意と訳されています。その特徴は「確信」で、機能は「あちこちと手さぐりしないこと」です。そして「決断力」という形で現れます。直近の原因は「確信の対象となる事物」です。認識対象に関してのゆるぎない決意という特徴から、石造りの柱に例えられます。

(4)ヴィリヤ(努力するエネルギー):ヴィリヤは熱心に取り組む人の行為の状態を差します。その特徴は「補助、努力、部品調達」です。その機能は「関連する状態を補助すること」です。その直近の原因は「差し迫っているという感覚(サンヴェーガ)」、「エネルギーを湧き上がらせる元になるもの」つまり「何であれ力強い行動を掻き立てるもの」です。古い家に新しい添え木を添えて家が倒壊しないようにする、あるいは強力な援軍により王の軍隊が敵を打ち負かすことができるようになる、まさにそのようにヴィリヤが全ての関連する状態を立て直し、支えて、それが退却しないようにさせます。

(5)ピーティ(喜び):ジャーナ(禅定)の構成要素の一つとして既に紹介しました。ピーティ(喜び)には「人を引き付ける(サンピヤーヤナ)」という特徴があります。その機能は「心と身体を元気にさせること」、あるいは「浸透する(歓喜で身体を震わせる)こと」です。そして「意気揚揚」という形で現れます。「精神的現象と物質的な身体(ナーマルーパ)」がその直近の原因です。

(6)チャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望):ここで使われているチャンダ(意思)の意味は「行動したいという願望(カットゥーカマター)」、つまり「行為を行う」ないし「何らかの結果を得る」です。チャンダの説明に使われる願望は、非難の対象となる願望であるローバ(欲)やラーガ(渇望)と区別する必要があります11。ローバ(欲)やラーガ(渇望)は例外なくアクサラ(不善)ですが、チャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望)はアクサラ(不善)にもクサラ(善)にもなりえるチェータスィカです。善なる要素が付随する場合は、有益な目標の達成を目指す道徳的な願望として機能することができます。チャンダの特徴は「ある行為を行いたいという願望」で、その機能は「対象を探すこと」、そして「対象を必要とする」という形で現れます。そして「その対象」が直近の原因となります。「対象に向かって心の手を伸ばす」と捉えるのがよいかと思います。

第4節 アクサラ(不善な)チェータスィカ

III. (1)モーホー、(2)アヒリカン、(3)アノッタッパン、(4)ウッダッチャン、(5)ローボ、(6)ディッティ、(7)マーノー、(8)ドーソー、(9)イッサー、
(10)マッチャリヤン、(11)クックッチャン、(12)ティーナン、(13)ミッダン、(14)ヴィチキッチャー チャー ティ チュッダスィメー チェータスィカ 
アクサラ ナーマ

III. (1)モーハ(真理が分からずに混乱した状態)、(2)アヒリカ(不善な行いを恥じないこと)、(3)アノッタッパ(不善な行いを恐れないこと)、(4)ウッダッチャ(不穏、興奮)、(5)ローバ(欲)、(6)ディッティ(聖なる真理にそぐわない誤った見解)、(7)マーナ(自惚れ・傲慢)、(8)ドーサ(怒り)、(9)イッサー(嫉妬)、(10)マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、(11)クックッチャ(後悔)、(12)ティーナ(怠惰)、(13)ミッダ(無気力)、(14)ヴィチキッチャー(ブッダ、ダンマ、サンガとブッダの教えに対する疑い) この14種類がアクサラ(不善な)チェータスィカという名前で呼ばれます。

第4節へのガイド

(1)モーハ(真理が分からず混乱した状態):モーハはアヴィッジャー(真理に対する無知)の同義語です。その特徴は「精神的な盲目」ないし「(真理が)分からないこと(アンニャーナ)」です。その働きは「本質を見抜かない」「対象の本質を隠ぺいする」です。そして「正しい理解の欠如」「精神的な暗黒」として現れます。その直近の原因は「アヨニソーマナスィカーラ(認識の過程で正しくない対象に注意を向けること)」です。モーハはアクサラ(不善)となる全ての要素の「チッタを安定させる根」とみなされます。

(2,3)アヒリカ(不善な行為を恥じないこと)、アノッタッパ(不善な行為を恐れないこと):アヒリカ(不善な行為を恥じないこと)の特徴は「身体や言葉による不適切な行為を嫌がらないこと(ないし道徳的な無謀)」であり、その特徴は「そのような不適切な行為を恐ろしいと思わないこと」です。両方とも「邪悪な事をする」という働きを持ちます。アヒリカの直近の原因は「自分への敬意の欠如」、アノッタッパの直近の原因は「他者への敬意の欠如」です12。

(4)ウッダッチャ(不穏、興奮):ウッダッチャには、風によって水がしぶきをあげるように「ざわついた不穏な状態」という特徴があります。その働きは、風が旗竿をはためかせるように「心を不安定にさせること」です。そして「混乱」という形で現れます。「心の不穏に向かうアヨニソーマナスィカーラ(認識の過程で正しくない対象に注意を向けること)」が直近の原因です。

(5)ローバ(欲):アクサラヘートゥ(不善な、チッタを安定させる根)の筆頭であるローバ(欲)は程度に関係なく全ての利己的な願望、熱望、愛着、執着を含みます。その特徴は「対象を握りしめること」であり、「諦めない」という形で現れます。その直近の原因は、「束縛へと導く物事に喜びを見出すこと」です。

(6)ディッティ(真理にそぐわない誤った見解):ここで使われているディッティの意味は「誤って見ること」です。その特徴は「智慧を欠いた(根拠の無い)物事の解釈」です。その働きは「根拠無しに正しいと思い込むこと」であり、「誤った解釈ないし信条」という形で現れます。その直近の原因は「ブッダの教えを守る気高い人々(アリヤ)に会おうとしないこと」などです13。

(7)マーナ(自惚れ・傲慢):マーナの特徴は「傲慢」であり、その働きは「自分を褒め称えること」です。そして「虚飾」という形で現れ14、その直近の原因は「様々な見解から生じる欲」です15。マーナは「狂気」とみなす必要があります。

(8)ドーサ(怒り):アクサラへートゥ(不善な、チッタを安定させる根)の2番目である、ドーサ(怒り)は大小を問わず、全ての種類の嫌悪、悪意、立腹、苛立ち、困惑を含みます。その特徴は「残忍・凶暴」です。その働きは「自分自身の支えとなるもの、つまりドーサが生じた身体と心を離散させ、焼き尽くすこと」です。そして「生命を虐げる」という形で現れます。その直近の原因は「困惑の種となったもの」です16。

(9)イッサー(嫉妬):イッサーには「他人の成功を妬む」という特徴があります。その働きは「他人の成功を喜ばないこと」です。そして「他人の成功に対する嫌悪」という形で現れます。その直近の原因は「他人の成功」です。

(10)マッチャリヤ(強欲・物惜しみ):マッチャリヤの特徴は「手に入れた、あるいは手に入りそうな自分の成功を隠すこと」です。その働きは「自分の成功を他者に分け与えようとしないこと」です。そして「分け与えることへのしり込み」「けち」「不機嫌」という形で現れます。その直近の原因は「自分自身の成功」です。

(11)クックッチャ(後悔):クックッチャは間違いを犯した時に生じる心配ないし良心の呵責です。その特徴は「間違った行為に続いて生じる後悔」です。その働きは「してしまったこと、しなかったことを悲しみ嘆くこと」です。そして「良心の呵責」という形で現れ、その直近の原因は「してしまったこと、しなかったこと(するべきではないのにしてしまったこと、なすべきなのにしなかったこと)」です。

(12)ティーナ(怠惰):ティーナは心が不活発で鈍くなった状態です。その特徴は「活力の喪失」であり、その働きは「エネルギーを追い払うこと」です。そして「心の萎縮」という形で現れ、その直近の原因は「退屈・眠気に不用意に注意を向けること」です。

(13)ミッダ(無気力):ミッダは心が暗く沈んだ状態です。その特徴は「扱いにくいこと」で、その働きは「抑えつけること」です。そして「よだれをたらす」「こっくりこっくりする」「眠気」といった形で現れます。その直近の原因はティーナと同じで「退屈・眠気に不用意に注意を向けること」です。

 ティーナとミッダは常に一緒に生じ、ヴィリヤ(エネルギー)の対極にあります。ティーナはチッタが病んだ状態(チッタゲーランニャ)、そしてミッダはカーヤ(関連するチェータスィカの集合体)が病んだ状態(カーヤゲーランニャ)として識別されます。ティーナとミッダは対になって禅定を妨げる五つのニーヴァラナ(障害)の一つを構成します。そしてヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ)により克服することが出来ます。

(14)ヴィチキッチャー(ブッダ、ダンマ、サンガとブッダの教えに対する疑い):ヴィチキッチャーは宗教的な意味での疑いであり、仏教徒の見方からは、ブッダ・ダンマ・サンガとブッダが教えられた修行法に信を定めることが出来ない状態とされています。その特徴は「疑うこと」であり、その働きは「迷い」です。「優柔不断、あちこち手をつけること」という形で現れ、「智慧のない注意」が直近の原因です。

ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカ:25種類

第5節 ソーバナサーダーラナ(道徳的に美しいチッタの全てに付随する)チェータスィカ:19種類

IV. (1)サッダー、(2)サティ、(3)ヒリ、(4)オッタッパ、(5)アローボー、
(6)アドーソー、(7)タトラマッジャッタター、(8)カーヤパッサッディ、
(9)チッタパッサッディ、(10)カーヤラフター、(11)チッタラフター、
(12)カーヤムドゥター、(13)チッタムドゥター、(14)カーヤカッマンニャター、(15)チッタカッマンニャター、(16)カーヤパッグンニャター、
(17)チッタパッグンニャター、(18)カーユッジュカター、
(19)チットゥッジュカター  チャー ティ
エークーナヴィーサティメー チェータスィカ ソーバナサーダーラナー ナーマ

IV.(1)サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する確信)、(2)サティ(今の瞬間に対する気づき)、(3)ヒリ(不善な行為を恥じること)、(4)オッタッパ(不善な行為を恐れること)、(5)アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること)、(6)アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)、(7)タトラマッジャッタター(執着から離れ、偏りが無く、調和の取れた心の態度)、(8)カーヤパッサッディ(関連するチェータスィカの集合体が静まった状態)、(9)チッタパッサッディ(チッタが静まった状態)、(10)カーヤラフター(関連するチェータスィカの集合体が軽くなった状態)、(11)チッタラフター(チッタが軽くなった状態)、(12)カーヤムドゥター(関連するチェータスィカの集合体が柔軟になった状態)、(13)チッタムドゥター(チッタが柔軟になった状態)、(14)カーヤカッマンニャター(関連するチェータスィカの集合体がブッダの教えを受け入れやすくなった状態)、(15)チッタカッマンニャター(チッタがブッダの教えを受け入れやすくなった状態)、(16)カーヤパッグンニャター(関連するチェータスィカの集合体の能率が向上した状態)、(17)チッタパッグンニャター(チッタの能率が向上した状態)、(18)カーユッジュカター(関連するチェータスィカの集合体が清廉潔白で真っ直ぐなこと)、(19)チットゥッジュカター(チッタが清廉潔白で真っ直ぐなこと) この19個のチェータスィカがソーバナサーダーラナ(道徳的に美しいチッタの全てに見られるチェータスィカ)と呼ばれます。

第5節へのガイド

ソーバナサーダーラナ(道徳的に美しいチッタの全てに見られる)チェータスィカ:ソーバナチェータスィカは四つのグループに分類されます。最初のグループはソーバナ(道徳的に美しい)チッタ(第1章、第12節参照)に例外なく付随するチェータスィカ19種類です。その後に続く三つのグループは必ずしもソーバナ(道徳的に美しい)チッタに付随するわけではなく、状況に応じて付随したり、しなかったりします。

(1)サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する確信):ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカの最初はサッダーで、「信を定める」、「信頼する」という特徴があります。その働きは水を浄化する作用のある石が泥水を澄んだ水にするように「きれいにする」ことです。また、氾濫した川を渡ろうと出発するように「出発する」という働きもあります17。「曇りがない(心の汚れを取り去ること)」、「決意」という形で現れ、その直近の原因は「信を定めるなんらかの対象」ないし「良い法話を聞くこと」などです。サッダーはソーターパッテイ(聖者の流れに入った悟りの第一段階)の構成要素の一つです。

(2)サティ(今の瞬間に対する気づき):サティは「憶える」という意味の語幹から派生した言葉です。しかし、チェータスィカとしてのサティは過去の出来事を記憶する能力ではなく、「今の瞬間に心がとどまること」「今の瞬間に注意していること」という意味を持っています。その特徴は「揺れ動かない」つまり「対象から離れてさまよわない」ことで18、その働きは「混同したり、注意を怠ったりすることが無いこと」です。そして「(心がさまよわないように)守り支えること」「対象にしっかり向きあった状態」という形で現れます。その直近の原因は「強力な認知(ティラサンニャー)」、ないし「サティの四つの土台(第7章、第24節参照)」です。

(3、4)ヒリ(不善な行為を恥じること)、オッタッパ(不善な行為を恐れること):ヒリの特徴は「不善な身体の行為や言葉を嫌悪すること」です。オッタッパの特徴は「そうした不善な行為を畏怖すること」です。どちらも「邪悪な行為をしない」という働きを持ち、「しり込みして邪悪から離れる」という形で現れます。ヒリの直近の原因は「自分に対する敬意」であり、オッタッパの直近の原因は「他者に対する敬意」です。ブッダはこの二つを「世界の守護」と呼ばれました。世界が、不道徳がはびこる状態に陥らないように守ってくれるからです。

(5)アローバ(正しい生き方を目指して欲から離れること):アローバの特徴は「対象に対する欲望が無い心」、あるいは、蓮の葉の上に乗る水滴のように「対象に執着しないこと」です。その働きは「握り締めないこと」であり、「無執着」という形で現れます。アローバには単に欲が無いだけではなく、「寛大さ」や「俗世間的な生活から離れること」など、健全で道徳的な心が同時に存在することを理解する必要があります。

(6)アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること):アドーサの特徴は「凶暴性が無いこと」、「対立しないこと」です。その働きは「苛立ちの除去」、「熱の冷ますこと」です。そして「愛想の良さ」という形で現れます。アドーサには「慈しみ、優しさ、真心、親切」など健全で道徳的な心が含まれています。

 アドーサがメッター(慈しみ)という崇高な心として現れた場合、その特徴は「全ての生命が幸せになるように努めること」となります。その機能は「全ての生命の幸せを願うこと」であり、「悪意の除去」という形で現れます。その直近の原因は「全ての生命を愛らしく思うこと」です。メッター(慈しみ)は、「メッター(慈しみ)の近くの敵」である利己的な情愛と区別する必要があります。

(7)タトラマッジャッタター(執着から離れ、偏りが無く、調和の取れた心の態度):このパーリ聖典の用語の文字通りの意味は「中央に位置すること」です。ウペッカーの同意語ですが、「苦しくも楽しくもない状態」という意味ではなく、「執着から離れ、偏りが無く、調和のとれた心の態度」という意味です。その特徴は「チッタやチェータスィカを平等に伝えること」です。その働きは「過不足を防ぐこと」です。そして「中立性」という形で現れます。馬たちが左右に偏らないで真っ直ぐに道を進むようにと、平等な心で目を配る御者のように、「チッタやチェータスィカの中で、偏らない心で見る状態」と考えてください。

心が中立を保つと、それは全ての生命を平等にみる崇高な性質となります。全ての生命を平等にみて、差別、好み、偏見なく同じように扱います。この中立な心を、その「近くの敵」である「無知からくる俗世間的な無関心」と混同しないようにしてください。

その後に続くソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカは六つの組なっています。それぞれの組の内の一つはカーヤ(関連するチェータスィカの集合体)という名前が、そしてもう一ついはチッタにはチッタという名前がつけられています。この文脈の中では、カーヤは関連するチェータスィカの集合であり、「塊」という意味で「体」という用語が用いられています。

 (8,9)パッサッディ(静まった状態):二つが組になったパッサッディの特徴は「カーヤ(関連するチェータスィカの集合体)とチッタの妨害物(ダラタ)を静かにさせること」です。その働きは「そのような妨害物を粉砕すること」です。「平穏」「冷静」という形で現れ、その直近の原因はカーヤとチッタです。「ウッダッチャ(不穏・興奮)」「クックッチャ(後悔)」など苦悩をもたらす煩悩の対極にあると考えてください。

 (10,11)ラフター(軽くなった状態):二つが組になったパッサッディの特徴は「カーヤ(関連するチェータスィカの集合体)とチッタの重さ(ガルバーヴァ)が取り除かれること」です。その働きは「そのような妨害物を粉砕すること」です。「平穏」「冷静」という形で現れ、その直近の原因はカーヤとチッタです。「ティーナ(怠惰)」「ミッダ(無気力)」など重圧をもたらす煩悩の対極にあると考えてください。

 (12,13)ムドゥター(柔軟になった状態):二つが組になったパッサッディの特徴は「カーヤ(関連するチェータスィカの集合体)」とチッタの硬さ(タンバ)が消褪すること」です。その働きは「硬さを粉砕すること」です。「抵抗しない」という形で現れ、その直近の原因はカーヤとチッタです。「ディッティ(聖なる真理にそぐわない誤った見解)」「マーナ(傲慢)」など硬さをもたらす煩悩の対極にあると考えてください。

 (14,15)カッマンニャター(ブッダの教えを受け入れやすくなった状態):二つが組になったパッサッディの特徴は「カーヤ(関連するチェータスィカの集合体)とチッタの教えにくさ(アカッマンニャバーヴァ)が消褪すること」です。その働きは「教えにくさを粉砕すること」です。「カーヤとチッタが何らかの対象をとることに成功すること」という形で現れ、その直近の原因はカーヤとチッタです。そしてカーヤとチッタの教えにくさの原因となる、ニーヴァラナ(集中を妨げる五つの障害)の残り、すなわちカーマッチャンダ(官能的な欲望)、ヴャーパーダ(悪意)、ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとブッダの教えに対する疑い)の対極にあると考えてください。

(16,17)パーグンニャター(能率が向上した状態):二つが組になったパーグンニャターの特徴は「カーヤ(関連するチェータスィカの集合体」とチッタの健康」です。その働きは「カーヤとチッタの不健康を粉砕すること」です。「カーヤとチッタの能力低下が無いこと」という形で現れ、その直近の原因はカーヤとチッタです。そして「サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガ・とその教えに対する確信)の欠如」などの対極にあると考えてください。

(18,19)ウッジュカター(清廉潔白で真っ直ぐなこと):ウッジュカターは「真っ直ぐな」ことです。二つが組になったウッジュカターの特徴は「カーヤ(関連するチェータスィカの集合体)とチッタが真っ直ぐに立っている状況」です。その働きは「カーヤとチッタが捻じれ曲がった状態を粉砕すること」です。「カーヤとチッタが曲がった、歪んだりしていないこと」という形で現れ、その直近の原因はカーヤとチッタです。そして偽善や欺瞞などの対極にあると考えてください。

第6節 ヴィラティ(節制):3種類

V.(1)サンマーヴァ―チャー、(2)サンマーカンマントー、
(3)サンマーアージーヴォー チャ― ティ 
ティッソー ヴィラティヨー ナーマ
V.(1)サンマーヴァ―チャー(正しい言葉)、(2)サンマーカンマンタ(正しい行い)、(3)サンマーアージーヴァ(正しい生計) この三つがヴィラティという名前で呼ばれます。

第6節へのガイド

不善を慎む:ヴィラティに分類される三つのソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカは言葉、行為、生計の点で、不適切な行いから故意に離れさせるチェータスィカです。ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域の)チッタの場合、ヴィラティ(節制)が機能するのは、誤った行いをする機会が生じても意図的にそれをしない時だけです。邪悪な行為を行う機会が無い場合でもその行為を慎む場合はヴィラティ(節制)ではなく、純粋に道徳的な行動、スィーラ(戒律)になります。

 注釈書では3種類のヴィラティ(節制)が区分されています。(1)自然に生じるヴィラティ(節制)、(2)戒律を受け入れ守ることによるヴィラティ(節制)、(3)不善行為の元となる煩悩を根絶することによるヴィラティ(節制)の3つです19。

 (1)サンパッタ(自然に生じる)ヴィラティ(節制)は邪悪な行為に携わる機会が生じても、自分の社会的地位、年齢、教育レベルなどを考慮し、その行為をしないようにすることです。例をあげると、もし捕まったら自分の名声が傷つくと考えて盗みをしない場合がこれにあたります。
 (2)サムッチェーダ(戒律を受け入れ守ることによる)ヴィラティ(節制)はスィーラ(戒律)を受け入れて守ることにより邪悪な行為から離れることです。例えば、五戒を守って、殺生をしない、盗みをしない、不適切な性行為をしない、真実でないことを語らない、お酒など人を酔わせるものを摂取しない、などです。

 (3)サマーダーナ(不善行為の元となる煩悩を根絶することによる)ヴィラティ(節制)はロークッタラマッガ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における道の)チッタに関連して不善行為から離れることです。ロークッタラマッガ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における道の)チッタは不善行為に向かう心の癖を根絶します。最初の二つのヴィラティ(節制)はローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)であり、最後のヴィラティ(節制)はロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)です。
 
 ヴィラティ(節制)は三つの異なるチェータスィカから構成されるとテキストに書かれています。サンマーヴァ―チャー(正しい言葉)、サンマーカンマンタ(正しい行い)、サンマーアージーヴァ(正しい生計)の三つです。

 (1)サンマーヴァ―チャー(正しい言葉):サンマーヴァ―チャー(正しい言葉)は意図的に正しくない言葉、すなわち嘘、中傷、きつい言葉、無駄話から離れることです。

 (2)サンマーカンマンタ(正しい行い):サンマーカンマンタ(正しい行い)は意図的に正しくない身体の行為、すなわち殺生、盗み、不適切な性行為から離れることです。
 
 (3)サンマーアージーヴァ(正しい生計):サンマーアージーヴァ(正しい生計)は意図的に、正しくない生計、すなわち毒、酒などの中毒性のあるもの、武器、奴隷、動物(屠殺目的)の売り買いから離れることです。

 三つのヴィラティ(節制)はそれぞれ、「正しくない言葉、正しくない身体の行為、正しくない生計により罪を犯すことがない」という特徴を持ちます。その働きは「尻込みして邪悪な行為から離れること」です。その直近の原因は「サッダー(ブッダ・ダンマ・サンガおよびその教えに対する確信)、ヒリ(不善な行為を恥じること)、オッタッパ(不善な行為を恐れること)、願望が少ないこと、などの特別な性質」です。ヴィラティ(節制)は「心が正しくない行為を嫌悪すること」と理解しておいてください。

第7節 アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカ:2種

VI.(1)カルナー、(2)ムディター パナ アッパマンニャーヨー ナーマー ティ
VI. (1)カルナー(他の生命の苦しみに対する哀れみ)、(2)ムディター(他の生命の幸せに対する喜び)、この二つがアッパマンニャー(制限なく全ての生命に向けるべき)チェータスィカと呼ばれます。

第7節へのガイド

アッパマンニャー(対象に制限のない):アッパマンニャー(対象に制限のない、対象が測り知れない)と呼ばれる他の生命に向けた四つの姿勢があります。名前の由来は「全ての生命に対して育てるべきなのでその範囲に制限がない」ことです。アッパマンニャーと呼ばれる四つの状態とは、メッター(他の生命に対する慈しみ)、カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)、ムディター(他の生命の幸せに対する喜び)、ウペッカー(他の生命の置かれた状況を業の結果として冷静に受けとめること、全ての生命を平等に見ること)です。この四つは「ブラフマビハーラ(梵天の生き方)」ないし「崇高な状態」とも呼ばれています。

アッパマンニャー(対象に制限のない)と呼ばれる四つの心は、生命に対する理想的な姿勢とみなされています。しかしチェータスィカの場合、アッパマンニャー(対象に制限のない)の名前のグループに含まれるのはカルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)の二つだけです。その理由は、既に説明したようにメッター(他の生命に対する慈しみ)がアドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)の一つの形であり、また、ウペッカー(他の生命の置かれた状況を業の結果として冷静に受けとめること、全ての生命を平等に見ること)がタトラマッジャッタター(執着から離れ、偏りが無く、調和の取れた心の態度)の一つの形だからです。もちろんアドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)は必ずしもメッター(他の生命に対する慈しみ)として現れるわけではなく、他の形で現れることもあります。それでも心にメッター(他の生命に対する慈しみ)が生じる時、それはアドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)というチェータスィカの一つの形として現れるのは確かです。ウペッカー(他の生命の置かれた状況を業の結果として冷静に受けとめること、全ての生命を平等に見ること)とタトラマッジャッタター(執着から離れ、偏りが無く、調和の取れた心の態度)も同様の関係にあります。

ここで説明されているカルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)は他のチェータスィカの一つの形としてではなく、独立したチェータスィカとして現れます。メッター(他の生命に対する慈しみ)とウペッカー(他の生命の置かれた状況を業の結果として冷静に受けとめること、全ての生命を平等に見ること)の土台となる、アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)とタトラマッジャッタター(執着から離れ、偏りが無く、調和の取れた心の態度)は全てのソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカにみられますが、カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)はその機能を個別に働かせた時にのみ生じます。

(1)カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ):カルナーの特徴は「他の生命の苦しみを取り除くように努める」ことです。その働きは「他の生命の苦しみに耐えられないこと」です。そして「残虐ではないこと」という形で現れます。その直近の原因は「苦しみに打ちひしがれた人々が為すすべもなく困窮している状況を見ること」です。「残虐性」が少なくなればカルナーはうまく働いており、「悲しみ」が生じる場合はカルナーがうまく機能していません。

(2)ムディター(他の生命の幸せに対する喜び):ムディターの特徴は「他者の成功を嬉しく思うこと」であり、その働きは「他者の成功に嫉妬しないこと」です。そして「嫌悪の排除」という形で現れ、その直近の原因は「他者の成功を見ること」です。「嫌悪」が少なくなればムディターはうまく働いており、「歓楽、ばか騒ぎ」が生じる場合はムディターがうまく機能していません。

第8節 アモーハ(真理が分からず混乱した状態から離れること):1種類

VII. サッバター ピ パンニンドゥリイェーナ サッディン パンチャヴィーサティメ― チェータスィカ― ソーバナー ティ ベーディタッパー

VII. パンニンドゥリヤ(物事をありのままにみる智慧の能力)と合わせて全部で25種類となるこれらのチェータスィカをソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカとして理解してください。

第8節へのガイド

パンニャー(物事をありのままに見る智慧):パンニャーは物事をありのままに観察することです。ここでは物事をありのままにとらえる働きが主となるため「能力」という言葉が使われています。パンニャー(物事をありのままに見る智慧)、ニャーナ(洞察の智慧)、アモーハ(真理が分からず混乱した状態から離れること)は同義語として使われます。パンニャーの特徴は「物事の真の性質を見抜く(ヤターサバーヴァパティベーダ)」です。その働きは「対象となる領域をランプのように手出し出すこと」です。そして「うろたえることが無い」という形で現れ、その直近の原因はヨニソーマナスィカーラ(認識の過程で正しい対象に注意を向けること)です。

第9節 まとめ

エッターヴァター チャ:
テーラサンニャーサマーナー チャ チュッダサークサラー タター
ソーバナー パンチャヴィーサー ティ ドゥヴィパンニャーサ パヴッチャレー

このように:
アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカが16種類、アクサラ(不善な)チェータスィカが14種類、ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカが25種類、合計でチェータスィカは52種類となります。

チェータスィカサンパヨーガナヤ(チェータスィカがどのようにチッタに付随するかについて):16通り

第10節 導入の偈文

テーサン チッタ―ヴィユッタナン ヤターヨーガン イトー パラン
チットゥッパーデース パッチェーカン サンパヨーゴー パヴッチャティ
サッタ サッバッタ ユッジャンティ ヤターヨーガン パキンナカー
チュッダサークサレースヴェーヴァ ソーバネースヴェーバ ソーバナ―

それぞれのチェータスィカがどのようなチッタの状態に付随するかについて、ふさわしい方法で以下に説明します。

7種類のチェータスィカは全てのチッタに結びつきます。パキンナカ(状況に応じてチッタに付随する)チェータスィカはふさわしいチッタにふさわしい方法で連結します。14種類はアクサラ(不善な)チッタにのみに連結します。そしてソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカはソーバナ(道徳的に美しい)チッタにのみ連結します。

アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ:7通り

第11節 分析

カタン?
(1) サッバチッタサーダーラナー ターヴァ サッティメー チェータスィカー 
サッベース ピ エークーナナヴテイ チットゥッパデース ラッバンティ
パキンナケース パナ:
(2) ヴィタッコー ターヴァ ドゥヴィパンチャヴィンニャーナ ヴァッジタ 
カーマーヴァチャラチッテース チェーバ エーカーダサス 
パタマッジャーナチッテース チャー ティ パンチャパンニャーサ チッテース 
ウッパッジャティ
(3) ヴィチャーロ パナ テース チェーヴァ エーカーダサス 
ドゥティヤッジャーナチッテース チャー ティ チャッサティ チッテース 
ジャーヤティ
(4) アディモッコー ドゥヴィパンチャヴィンニャーナ ヴィチキッチャーサハーガ
ヴァッジタ チッテース 
(5) ヴィリヤン パンチャドゥヴァーラヴァッジャナ 
ドゥヴィパンチャヴィンニャーナ サンパティッチャナ サンティーラナ ヴァッジタ チッテース
(6)ピーティ ドーマナッスペッカーサハガタ カーヤヴィンニャーナ 
チャトッタッジャーナ ヴァッジタ チッテース
(7)チャンドー アヘートゥカ モームーハ ヴァッジタ チッテース ラッバティ

どのようにアンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカはチッタに付随するのでしょうか?
(1)まず、サッバチッタサーダーラナ(どのチッタにも共通して付随する普遍的な)チェータスィカ7種類は、89種類全てのチッタに付随します。
特定のチッタにのみ付随するチャータスィカのうち
(2)ヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ)は55種類のチッタに生じます。カーマーヴァチャラチッタ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域のチッタ)54種類のうちヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)を除いた44種類のチッタ(54-10=44)、これにジャーナ(禅定)の第一段階のチッタ11種類を加え、全部で55種類となります(44+11=55)。
(3)ヴィチャーラ(対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ)はヴィタッカが付随する55種類のチッタに、ジャーナ(禅定)の第二段階のチッタ11種類を加えた66種類(55+11=66)のチッタに生じます。
(4)アディモッカ(決意)は全部で89種類のチッタのうち、ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)とヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)を伴うチッタを除いた78種類のチッタに生じます(89-11=78)。
(5)ヴィリヤ(努力するエネルギー)は、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナチッタ(五つの感覚門に注意を向けるチッタ)、ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)、サンパティッチャナチッタ(感覚対象を受けとめるチッタ)、サンティーラナチッタ(感覚対象を調べるチッタ)、合計16種類を除いた全てのチッタ73種類:に生じます(89-16=73)。
(6)ピーティ(喜び)は、ドーマナッサ(精神的な苦しみ)とウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うチッタ、カーヤビンニャーナン(身体に感覚を感じたという意識)、ジャーナ(禅定)の第四段階のチッタを除いた全ての種類のチッタ(51種類)に生じます(121-(2+55+2+11)=51)。
(7)チャンダ(目標に向かって行動を起こしたいという願望)は、アヘートゥカ(チッタを安定させる根が無い)チッタ、モーハ(真理が分からず混乱した状態)を伴う2種類のチッタを除く全てのチッタ(69種類)に生じます(89-20=69)。

第11節へのガイド

ヴィタッカ(認識対象に注意を向かわせるチェータスィカ):最も基本的なタイプのチッタであるヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識;眼、耳、鼻、舌、身体という五つの感覚器官それぞれにクサラ(善業の結果として生じる)、アクサラ(不善業の結果として生じる)の二通りあるため合計10個)には、サッバチッタサーダーラナ(どのチッタにも共通して付随する普遍的な)チェータスィカ7種類しか生じません。それ以上に複雑な機能を有するチェータスィカは付随しません。ヴィタッカはこれらの基本的なチッタには見られません。また、ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における)チッタ、アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における)チッタ、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域における)チッタ)の中でジャーナ(禅定)の第2段階以上に該当するチッタにも生じません。瞑想レベルの向上によりヴィタッカが克服されているからです。ジャーナ(禅定)の第一段階のチッタ11種類に関しては第1章、第32節とそのガイドを参照してください。

ヴィチャーラ(対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ):ヴィチャーラはジャーナ(禅定)の第1~第2段階のチッタに見られますが、それより上のレベルのジャーナには生じません。

アディモッカ(決意):アディモッカはヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)を伴うチッタには生じません。ヴィチキッチャーがあると決断が出来なくなるからです。

ヴィリヤ(努力するエネルギー):ヴィリヤは、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタ、2種類あるサンパティッチャナ(感覚対象を受けとめる)チッタ、3種類あるサンティーラナ(感覚対象を調べる)チッタには生じません(第1章、第8~10節)。なぜならこれらのチッタは力が弱く、受動的だからです。

ピーティ(喜び):ピーティは、常にソーマナッサ(精神的な楽しみ)と共に生じますが、ジャーナ(禅定)の第4段階のチッタの場合、ソーマナッサ(精神的な楽しみ)のみでピーティは生じません。

チャンダ(目標に向かって行動を起こしたいという願望):ここで使っているチャンダの意味は行動したい、目標を達成したいという願望です。そしてモーハ(真理が分からず混乱した状態)を伴う2種類のチッタは、あまりにも濃密なため目的をもった行動をとることが出来ません。

第12節 まとめ

テー パナ チットゥッパーダー ヤターッカマン:
チャサッティ パンチャパンニャーサ エーカーダサ チャ ソーラサ
サッタティ ヴィーサティ チェーバ パキンナカヴィヴァッジター
パンチャパンニャーサ チャサッティッタサッタティ ティサッタティ
エーカパンニャーサ チェークーナサッタティ サパキンナカー

これらの種類のチッタを順に並べると:
パキンナカ(状況に応じてチッタに付随する)チェータスィカを伴わないものが66種類,55種類,11種類,16種類, 7種類, 20種類です。
パキンナカ(状況に応じてチッタに付随する)チェータスィカを伴うものが55種類,66種類,78種類,73種類, 51種類, 69種類です。

第12節へのガイド:

まとめの前半は6種類あるパキンナカ(状況に応じてチッタに付随する)チェータスィカを伴わないもの、後半はパキンナカ(状況に応じてチッタに付随する)チェータスィカを伴うもの、です。チッタの総数が二通りに示されていることに注意してください。計算上、マッガ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における道の)チッタおよびパラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における果の)チッタをジャーナ(禅定)の段階に応じて分ける必要がある場合はチッタを121種類とする方法ととります。一方、そのような区分が不要な場合はチッタを89種類とする方法をとります。例えば、ヴィタッカ(認識対象に注意を向かわせるチェータスィカ)の場合は前者で、55種類のチッタにはヴィタッカが付随し、66種類のチッタにはヴィタッカが付随しません。アディモッカ(決意)の場合は後者で、78種類のチッタに付随し、残りの11種類のチッタには付随しません。

アクサラ(不善業をもたらす)チェータスィカ:5通り

第13節 分析

(i) アクサレース パナ モーホー アヒリカン アノッタッパン ウッダッチャン 
チャー ティ チャッターローメー チェータスィカー サッバークサラサーダーラナー ナーマ サッベース ピ ドゥヴァーダサークサレース ラッバティ
(ii)ローボー アッタス ローバサハガテースヴェーヴァ ラッバティ
(iii)ディッティ チャトゥース デッティガタサンパユッテース 
(iv) マノー チャトゥース デッティガタヴィッパユッテース
(v)ドーソー イッサー マッチャリヤン クックッチャン チャ ドゥヴィース 
パティガサンパユッタチッテース
(vi)ティーナン ミッダン パンチャス ササンカーリカチッテース
(vii)ヴィチキッチャー ヴィチキッチャーサハガタチッテー イェーバ ラッバティ

(i) アクサラ(不善業をもたらす)チェータスィカ:のうち、モーハ(真理が分からず混乱した状態)、アヒリカ(不善な行為を恥じないこと)、アノッタッパ(不善な行為を恐れないこと)、ウッダッチャ(不穏、興奮)の四つは、チェータスィカーサッバークサラサーダーラナー(不善業を作るチッタ全てに付随するチェータスィカ)と呼ばれ、アクサラ(不善業を作る)チッタ12種類全てに付随します。  
(ii) ローバ(欲)はローバを伴う8種類のチッタにのみ見られます。
(iii) ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)はティッティを伴うローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタ4種類に生じます。
(iv) マーナ(自惚れ・傲慢)はディッティ(聖なる真理にそぐわない誤った見解)が付随しないローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根)を持つチッタ4種類に生じます。
(v) ドーサ(怒り)、イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、クックッチャ(後悔)はパティガ(嫌悪)が付随するチッタ2種類に生じます。
(vi) ティーナ(怠惰)、ミッダ(無気力)は5種類のササンカーリカ(駆り立てるものがある)チッタにみられます。
(vii) ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)はヴィチキッチャーが付随するチッタにのみ生じます。

第13節へのガイド

チェータスィカーサッバークサラサーダーラナー(アクサラチッタ全てに付随するチェータスィカ):ここに挙げられている四種類のチェータスィカは全てのアクサラ(不善業を作る)チッタに普遍的にみられます。何故なら、アクサラ(不善業を作る)チッタは全て、邪悪な行為の危険性が見えないこと(モーハ)、邪悪な行為を恥じないこと(アヒリカ)、邪悪な行為を恐れないこと(アノッタッパ)、そしてその根底を流れる興奮(ウッダッチャ)を含んでいるからです。

ディッティ(聖なる真理にそぐわない誤った見解)、マーナ(自惚れ・傲慢):この二つのチェータスィカはローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタにのみ生じます。何故なら、大なり小なり、パンチャカンダ《生命を構成する五つの塊:物質(ナーマ)、感受(ヴェーダナー)、認知(サンニャー)、意思形成(サンカーラ)、感覚を感じたという意識(ヴィンニャーナ)》に対する執着を含んでいるからです。しかしながら二つのチェータスィカの性質は正反対です。従ってこの二つのチェータスィカが同じチッタの中に同時に生じることはありません。ディッティ(聖なる真理にそぐわない誤った見解)は認識対象を誤って理解する、つまり対象を事実と反して解釈することから生じます。一方、マーナ(自惚れ・傲慢)は自己評価、つまり自分が他者よりも優れているか、同等か、劣っているかと評価することから生じます。ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)を伴うローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタは四つあり、必ずディッティ(真理にそぐわない誤った見解)が存在します。一方、ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)が付随しないローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタ四つには、必ずしも、マーナ(自惚れ・傲慢)は付随しません。マーナ(自惚れ・傲慢)はディッティ(真理にそぐわない誤った見解)を付随しないローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタにしか生じませんが、ローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタはマーナ(自惚れ・傲慢)が無くても生じ得ます。

ドーサ(怒り)、イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、クックッチャ(後悔):この四つのチェータスィカはパティガ(嫌悪)を伴うチッタ(2種類)にしか生じません。ドーサ(怒り)はパティガ(嫌悪)の同義語であり、パティガ(嫌悪)を伴うチッタ(2種類)には必ず見られます。一方、イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、クックッチャ(後悔)の場合は、パティガ(嫌悪)を伴うチッタ(2種類)に見られるかどうかは状況によります。この三つのチェータスィカは全て嫌悪という側面を持っています。イッサー(嫉妬)は他人の成功に対する拒絶が関係します。マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)の場合は自分の所有物を他人に分け与えることを嫌がる状態が関係します。そしてクックッチャ(後悔)は、自分がしたこと、しなかったことに対する非難が関係します。

ティーナ(怠惰)、ミッダ(無気力):この二つのチェータスィカがあるとチッタは鈍く、緩慢になります。ですからアサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタには生じません。アサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタは当然ながら鋭く、活発だからです。ササンカーリカアクサラ(駆り立てるものがある、不善業を作る)チッタにのみティーナ(怠惰)、ミッダ(無気力)が生じます。

第14節 まとめ

サッバープンニェース チャッターロー ローバムーレー タヨー ガター
ドーサムーレース チャッターロ ササンカーレー ドゥヴァーヤン タター
ヴィチキッチャー ヴィチキッチャーチッテー チャー ティ チャトゥッダサ
ドゥヴァーダサークサレースヴェーバ サンパユッジャンティ パンチャダー

(アクサラチェータスィカのうち)(1)4種類は全てのアクサラ(不善業を作る)チッタに生じます。(2)3種類はローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)チッタに、(3)4種類はドーサムーラ(怒りという、チッタを安定させる根を持つ)チッタに、(4)そして2種類はササンカーリカ(駆り立てるものがある)チッタに生じます。

(5)ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)はヴィチキッチャーを伴うチッタに見られます。このように、14種類のアクサラチェータスィカが組になって生じるのは、アクサラ(不善業を作る)チッタ12種類だけです。そしてその組み合わせは(以上の)5通りです。

ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカ:4通り

第15節 分析

(i)ソーバネース パナ ソーバナサーダーラナー ターヴァ エークーナヴィーサティメー チェータスィカー サッベース ピ エークーナサッティ ソーバナチッテース 三ヴィッジャンティ
(ii)ヴィラティヨー パナ ティッソー ピ ロークッタラチッテース サッバター ピ ニヤター エーカトーヴァ ラッバンティ ローキイェース パナ カーマーヴァチャラクサレースヴェーヴァ カダーチ サンディッサンティ ヴィスン ヴィスン
(iii)アッパマンニャーヨー パナ ドゥヴァーダサス パンチャマッジャーナヴァッジタマハッガタチッテース チェーヴァ カーマーヴァチャラクサレース チャ サヘートゥカ カーマーヴァチャラキリヤチッテース チャー ティ アッタヴィーサティチッテースヴェーヴァ カダーチ ナーナー フトゥヴァー ジャーヤンティ ウペッカーサハーガテース パネーッタ カルナー ムディター ナ サンティー ティ ケーチ ヴァダンティ 
(iv)パンニャー パナ ドゥヴァーダサス ニャーナサンパユッタ カーマーヴァチャラチッテース チェーヴァア サッベース パンチャティンサ マハッガタ ロークッタラチッテース チャー ティ サッタチャッターリーサ チッテース サンパヨーガン ガッチャティー ティ

(i)まず、ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカのうち、ソーバナサーダーラナ(道徳的に美しいチッタ全てに普遍的に付随する)チェータスィカ19種類は59種類あるソーバナ(道徳的に美しい)チッ)全てに見られます。
(ii)3種類あるヴィラティ(節制)は、三つが一体となって全てのロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域における)チッタに生じます。しかしローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)におけるカーマーヴァチャラクサラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、善業を作る)チッタの場合は、個別に時々現れるだけ(8+8=16)です。
(iii) アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカは28種類のチッタに時々生じます。またその生じ方は一定しません。28種類のチッタとは、(1)ジャーナ(禅定)の第1~第4段階のチッタが12種類(それぞれに、クサラ(善業を作る)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)があるので4x3=12となります)、(2)カーマーヴァチャラクサラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、善業を作る)チッタ8種類、(3)カーマーヴァチャラサヘートゥカキリヤ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、チッタを安定させる根を持つ、機能だけの)チッタ8種類(12+8+8=28)です。しかしカルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)はウペッカー(苦しくも楽しくも無い状態)を伴うチッタには生じないという人もいます。
(iv)パンニャー(物事をありのままに見る智慧)は47種類のチッタと対になります。その47種類とは(1)ニャーナ(洞察の智慧)に関連するクサラ(善業を作る)チッタが12種類、(2)ジャーナ(禅定)のチッタとロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタ合わせて35種類です(12+35=49)。

第15節へのガイド

3種類のヴィラティ(節制):ロークッタラマッガパラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における道・果の)チッタにおいてはアーリヤアッティンギカマッガ(聖なる八正道)の一部であるサンマーヴァーチャー(正しい言葉)、サンマーカンマンタ(正しい行い)、サンマーアージーヴァ(正しい生計)という形で、この3種類のヴィラティ(節制)が常に生じます。しかし、前にも説明したように、ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域における)チッタの場合、意図的に誤った行為を慎む時にしか生じません。人が意図的に邪悪な行為を避ける時には、道徳的な罪を犯しそうになっていることに気づいていなければなりません。ですからローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)のヴィラティ(節制)は、カーマーヴァチャラクサラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、善業を作る)チッタにしか生じません。またルーパーヴァチャラ(物質を対象とした禅定に関連する意識の領域における)チッタ、アルーパーヴァチャラ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する意識の領域いおける)チッタの場合は、ニミッタ(禅定の中で生じる集中対象のイメージ)を認識対象とするため、やはりローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)のヴィラティ(節制)は生じません。カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタも、不善行為を慎むという機能がないのでローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)のヴィラティ(節制)は生じません。アラハント(輪廻からの解脱を果たした悟りの最終段階)のマハーキリヤ(偉大なる機能だけの)チッタにもローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)のヴィラティ(節制)は生じません。アラハントは道徳的な罪を犯そうとする心の癖を全て克服しているので節制する必要がないからです。

ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタには、必ず三種類のヴィラティ(節制)が生じます(ニヤタ)。マッガ(道の)チッタの場合、八正道の道徳のグループとして、それぞれ誤った言葉、誤った行動、誤った生計に傾く心を根絶します。パラ(果の)チッタの場合は、マッガ(道の)チッタにより完成した、道徳的に穢れのない正しい言葉、正しい行動、正しい生計という形で再び三つのヴィラティ(節制)が現れます。

言葉、行動、生計の点で道徳的な罪を犯す場合、それぞれの意識の領域は異なります。したがってローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域における)チッタの場合、三つのヴィラティ(節制)は互いに排他的な関係にあります。言い換えれば、一つのヴィラティ(節制)が生じた場合、他の二つのヴィラティ(節制)は生じません。さらに、どのヴィラティ(節制)が生じたとしても、それは節制の対象となる道徳的な罪の内容に応じた部分的なものになります。例えば命を奪う機会が生じた場合、「命を奪うこと」だけを慎むヴィラティ(節制)が生じます。同様に盗みを働く機会が生じた場合「盗みを働くこと」だけを慎むヴィラティ(節制)が生じます。一方、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタにヴィラティ(節制)が生じる場合は、常に三つのヴィラティが同時に生じ、同時に存在します(エーカトー)。そしてヴィラティ(節制)の働きは全ての範囲におよびます(サッバター)。つまり、サンマーヴァーチャー(正しい言葉)が生じると、あらゆる形のミッチャーヴァーチャー(誤った言葉)へ向かう心が取り除かれます。サンマーカンマンタ(正しい行動)が生じると、あらゆる形のミッチャーカンマンタ(誤った行動)へ向かう心が取り除かれます。サンマーアージーヴァ(正しい生計)が生じると、あらゆる形のミッチャーアージーヴァ(誤った生計)へ向かう心が取り除かれます。

アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカ:アドーサ(正しい生き方を目指して怒りから離れること)とタトラマッジャッタター(執着から離れ、偏りが無く、調和の取れた心の態度)はそれぞれメッター(慈しみ)、ウペッカー(他の生命の置かれた状況を業の結果として冷静に受けとめること、全ての生命を平等に見ること)というアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカにもなりえます。そしてどちらも全てのクサラチッタ(善業を作るチッタ)に生じます。一方、全部で四つあるアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカの残りの二つ、カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)はふさわしい状態にあるチッタにしか生じません。カルナーが生じるのは苦しんでいる他の生命を不憫に思う時です。またムディターが生じるのは他の生命の幸運を喜ぶ時です。

ここで語られている12種類のジャーナ(禅定)に関連するチッタとは、ジャーナ(禅定)の第1~第4段階のチッタのことで、それぞれがクサラ(善業を作る)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)という三つの側面を持っているので全部で12になります。カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)、そしてメッター(慈しみ)というアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカは、ジャーナ(禅定)の第5段階のチッタには生じません。なぜなら、カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)、ムディター(他の生命の幸せに対する喜び)、メッター(慈しみ)は必ずソーマナッサ(精神的な楽しみ)に結びつきますが、ジャーナ(禅定)の第5段階ではソーマナッサ(精神的な楽しみ)はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)に置き換わっているからです。一部の指導者はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うカーマーヴァチャラチッタ(感覚的楽しみを追い求める意識の領域におけるチッタ)にアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカは生じないとしています。アビダンマッタサンガハの著者は「しかしながら、一部の指導者は」という言葉を使っており、そうした指導者の見解を認めていないことが読み取れます20。

パンニャー(物事をありのままに見る智慧):パンニャーはそれが生じたチッタに応じて性質が変わります。しかし、ニャーナヴィッパユッタカーマーヴァチャラ(洞察の智慧が付随しない、感覚的楽しみを追い求める意識の領域における)チッタを除いた全てのソーバナ(道徳的に美しい)チッタは大なり小なりサンマーディッティ(真理にかなった正しい見解)を含みます。

第16節 まとめ

エークーナヴィーサティ ダンマー ジャーヤンテークーナサッティス
タヨー ソーラサチッテース アッタヴィーサティヤン ドゥアヴァヤン
パンニャー パカースィター サッタチャッターリーサヴィデース ピ
サンパユッター チャトゥーデーヴァン ソーバネースヴェーヴァ ソーバナー

19個のチェータスィカが59種類のチッタに生じ、3つのチェータスィカが16種類のチッタに生じ、2種類のチェータスィカが28種類のチッタに生じます。

パンニャー(物事をありのままに見る智慧)は47種類のチッタに生じます。このように、ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカはソーバナ(道徳的に美しい)チッタにのみ生じます。その結びつき方は4通りあります。

第17節 ニヤターニヤタベーダ:ニヤタ(組見合わせの相手となるチッタには必ず生じる)チェータスィカとアニヤタ(組見合わせの対象となるチッタであっても生じない場合がある)チェータスィカ

イッサー マッチェーラ クックッチャ ヴィラティ カルナーダヨー 
ナーナー カダーチ マーノー チャ ティーナミッダン タター サハ
ヤターブゥターヌサーレーナ セーサー ニヤタヨーギノー
サンガハン チャ パヴァッカーミ テーサン ダーニ ヤターラハン

イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲、物惜しみ)、クックッチャ(後悔)、(3種類の)ヴィラティ(節制)、カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)、ムディター(他の生命の幸せに対する喜び)、マーナ(自惚れ・傲慢)は個別に生じます。また状況に応じて生じなかったり生じたりします。ティーナ(怠惰)とミッダ(無気力)も同じですが、この二つは組になって生じます。

上で述べた11種類以外のチェータスィカ(52-11=41)は、ニヤタ(組み合わせの相手となるチッタには必ず生じる)チェータスィカと呼ばれます。それではこれからそれらの組み合わせについて説明します。

第17節へのガイド

52種類のチェータスィカの中で11個は、アニヤタヨーギー(組み合わせの相手となるチッタであっても生じない場合がある)チェータスィカと呼ばれます。そのチェータスィカが組みとなる可能性のあるチッタであっても必ずしも生じるわけではないからです。残りの41種類はニヤタヨーギー(組となるチッタには必ず生じる)と呼ばれます。なぜなら、組み合わせの相手となるチッタには例外なく必ず生じるからです。

これに続くセクションでアーチャリヤ・アヌルッダ尊者は、121種類あるチッタを付随するチェータスィカの観点から分析します、この分析方法はサンガハナヤ(結びつきに基づく分析方法)と呼ばれます。

チェータスィカサンガハナヤ(チェータスィカの結びつき):33通り

第18節 導入の偈文

チャッティンサーヌッタレー ダンマー パンチャティンサ マハッガテー 
アッタティンサー ピ ラッバンティ カーマーヴァチャラソーバーネー
サッタヴィーサティヤプンニャンヒ ドゥヴァーダサーへートゥケー ティ チャ
ヤターサンバヴャヨーゲーナ パンチャダー タッタ サンガホー

31種類はロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタに生じます。35種類はルーパーヴァチャラ(物質を対象とした禅定に関連する意識の領域における)チッタないしアルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象とした禅定に関連する意識の領域の)チッタに生じます。38種類はカーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタに生じます。

27種類はアクサラ(不善業を作る)チッタに生じます。12種類はアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタに生じます。このようにどのような組み合わせで生じるかによって5つに分類されます。

ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタ:5通り

第19節 分析

カタム?
(i)ロークッタレース ターヴァ アッタス パタマッジャーニカチッテース 
アンニャサマーナー テーラサ チェータスィカー アッパマンニャーヴァッジター
テーヴィーサティ ソーバナチェータスィカー チャー ティ チャッティンサ 
ダンマー サンガハン ガッチャンティ
(ii)タター ドゥティヤッジャーニカチッテース ヴィタッカヴァッジャー
(iii)タティヤッジャーニカチッテース ヴィタッカ ヴィチャーラヴァッジャー
(iv)チャトゥッチャッジャーニカチッテース ヴィタッカ ヴィチャーラ 
ピーティヴァッジャー
(v) パンチャマッジャーニカチッテース ピ ウペッカーサハーガター テー エーヴァ サンガヤハンティー ティ サッバター ピ アッタス ロークッタラチッテース 
パンチャカッジャーナヴァセーナ パンチャダー ヴァ サンガホー ホーティー ティ

どのように結びつくのでしょうか
(i)まず、8種類のロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)パタマッジャーナ(禅定の第一段階の)チッタについては、36種類のチェータスィカと結びつきます。すなわち、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカが13種類、アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカが2種類(カルナーとムディター)を除いたソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカが23種類です(13+23=36)。
(ii) 同様に、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)ドゥティヤッジャーナ(禅定の第二段階の)チッタについては、(i)の36種類のチェータスィカからヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ)を除いた35種類と結びつきます。
(iii) ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)タティヤッジャーナ(禅定の第三段階の)チッタについては、(i)の36種類のチェータスィカからヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ)とヴィチャーラ(対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ)を除いた34種類と結びつきます。
(iv) ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)チャトゥッチャッジャーナ(禅定の第四段階の)チッタについては、(i)の36種類のチェータスィカからヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ)、ヴィチャーラ(対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ)とピーティ(喜び)を除いた33種類と結びつきます。
(v) ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)パンチャマッジャーナ(禅定の第四段階の)チッタについては、(iv)の33種類のチェータスィカのうちソーマナッサ(精神的な楽しみ)がウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)に入れ替わり、合計33種類と結びつきます。

このように、8種類のロークッタラチッタ(涅槃を悟った聖者の意識の領域のチッタ)は5つの禅定の段階に応じて、5通りの結びつきがあります。

第19節へのガイド

ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)パタマッジャーナ(禅定の第一段階の)チッタ:ロークッタラジャーナ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における禅定)については第一章、第31~32節を参照してください。

アッパマンニャー(対象に制限のない)2種類を除いて:アッパマンニャー(対象に制限のない)に属するカルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)はロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタには見られません。なぜなら、カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)は常に生命という概念を認識対象にしています。一方、マッガ(道の)チッタ、パラ(果の)チッタはニッバーナ(涅槃)を認識対象とするからです21。(ii)~(iv)にみられる除外項目は、ロークッタラジャーナ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における禅定)の禅定のレベルに応じて、粗大な禅定の要素が段階的に取り除かれるためであることを理解してください。

第20節 まとめ

チャッティンサ パンチャティンサー チャ チャトゥッティンサ ヤターカマン 
テッティンサ ドゥヴァヤン イッチェーヴァン パンチャダーヌッタレー ティター

ロークッタラチッタ(涅槃を悟った聖者の意識の領域のチッタに存在します)とチェータスィカとの結びつきは5通りで、それぞれ36種類、35種類、34種類、33種類、33種類となります。

マハッガタ(禅定に関する意識の領域における)チッタ:5通り

第21節 分析

マハッガテース パナ:
(i)ティース パタマッジャーニカチッテース ターヴァ
アンニャサマーナー テーラサ チェータスィカー ヴィラティッタヤバッジター 
ドゥヴァーヴィーサティ ソーバナチェータスィカー チャー ティ パンチャティンサ 
ダンマー サンガハン ガッチャンティ カルナームディター パネーッタ 
パッチェーカン エーヴァ ヨジェータッバー
(ii)タター ドゥティヤッジャーニカチッテース ヴィタッカヴァッジャー
(iii)タティヤッジャーニカチッテース ヴィタッカ ヴィチャーラヴァッジャー
(iv)チャトゥッチャッジャーニカチッテース ヴィタッカ ヴィチャーラ 
ピーティヴァッジャー
(v) パンチャマッジャーニカチッテース パナ パンナラサス アッパマンニャーヨー
ナ ラバンティー ティ 
サッバター ピ サッタヴィーサティ マハッガタチッテース 
パンチャカッジャーナヴァセーナ パンチャダー ヴァ サンガホー ホーティー ティ

(i) マハッガタ(禅定に関する意識の領域における)チッタ(=ルーパーヴァチャラチッタ+アルーパーヴァチャラチッタ)の場合、まず三種類あるパタマッジャーナ(禅定の第一段階の)チッタに結びつくチェータスィカは35種類です。その内訳は、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカが13種類、3種類のヴィラティ(節制)を除いたソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカが22種類です(13+22=35)。しかし、ここではカルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)は別個に結びつきます。
(ii) 同様に、ドゥティヤッジャーナ(禅定の第二段階)のチッタについては、(i)の35種類のチェータスィカからヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ)を除いた34種類と結びつきます。
(iii)タティヤッジャーナ(禅定の第三段階の)チッタについては、(i)の36種類のチェータスィカからヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ)とヴィチャーラ(対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ)を除いた33種類と結びつきます。
(iv)チャトゥッチャッジャーナ(禅定の第四段階の)チッタについては、(i)の36種類のチェータスィカからヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチェータスィカ)、ヴィチャーラ(対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ)とピーティ(喜び)を除いた32種類と結びつきます。
(v)パンチャマッジャーナ(禅定の第四段階の)チッタについては、(iv)の32種類のチェータスィカのうちアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカ(=カルナーとムディター)が生じないので30種類となります。

このように、27種類のマハッガタ(禅定に関する意識の領域のにおける)チッタ(=ルーパーヴァチャラチッタ+アルーパーヴァチャラチッタ)は五つの禅定の段階に応じて、五通りの結びつきがあります。

第21節へのガイド

三種類あるパタマッジャーナ(禅定の第一段階の)チッタ:クサラ(善業を作る)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、キリヤ(機能だけの)の3種類です。

アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ:ヴィラティ(節制)はマハッガタ(禅定に関する意識の領域における)チッタ(=ルーパーヴァチャラチッタ+アルーパーヴァチャラチッタ)には生じません。なぜなら、ジャーナ(禅定)に没入すると不善な行為から離れることになりますがそれは意図的ではないからです。

カルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)は別個に結びつきます:カルナーは苦しんでいる生命を対象にし、ムディターは成功をおさめ幸せになった生命を対象にします。カルナーは憐れみという形で、そしてムディターは喜びという形で生じます。このように、この二つのチェータスィカは対象と生じ方が正反対です。したがって同じチッタに同時に生じることはできません。どちらかが生じるか、どちらも生じないかです。

第22節 まとめ

パンチャッティンサ チャトゥッティンサ テーッティンサ チャ ヤターッカマン
バティン」サ チェーヴァ ティンセーティ パンチャダー ヴァ マハッガテー

マハッガタ(禅定に関する意識の領域における)チッタとチェータスィカとの結びつきは5通りで、それぞれ35種類、34種類、33種類、32種類、30種類となります。

カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタ:12通り

第23節 分析

(i)カーマーヴァチャラソーバネース パナ クサレース ターヴァ 
パタマドゥヴァーイェ アンニャーサマーナー テーラサ チェータスィカ 
パンチャヴィーサティ ソーバナチェータスィカー チャー ティ アッタティンサ 
ダンマー サンガハン ガッチャンティ アッパマンニャー ヴィラティヨー 
パンネーッタ パンチャ ピ パッチェーカン エーヴァ ヨージェータッバー
(ii)タター ドゥティヤドゥヴァーイェ ニャーナヴァッジター 
(iii)タティヤドゥヴァーイェ ニャーナサンパユッター ピーティヴァッジター
(iv) チャトゥッタドゥヴァーイェ ニャーナピーティヴァッジター テー エーヴァ
サンガヤハンティ
キリヤチッテース ピ ヴィラティヴァッジター タテーヴァ チャトゥース ピ 
ドゥケース チャトゥダー ヴァ サンガヤハンティ
タター ヴィパーケース チャ アッパマンニャーヴィラティヴァッジター テー 
エーヴァ サンガヤハンティー ティ 
サッバター ピ チャトゥヴィ―サティ カーマーヴァチャラソーバナチッテース 
ドゥカヴァセーナ ドゥヴァーダサダー ヴァ サンガホー ホーティ ティ

(i) カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタのうち、まずクサラ(善業を作る)チッタの最初の対には38種類のチェータスィカが結びつきます。その内訳は、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカが13種類、ソーバナ(道徳的に美しい)チェータスィカが25種類です(13+25=38)。しかしながら、ここでは2種類のアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカと3種類のヴィラティ(節制)は個別に結びつきます。
(ii)同様に、2番目の対は(i)の38種類からニャーナ(洞察の智慧)を除いた37種類が結びつきます。
(iii)3番目の対は、(i)の38種類のうちピーティ(喜び)を除いた37種類が結びつきます。
(iv)4番目の対は、(i)の38種類のうちニャーナ(洞察の智慧)とピーティ(喜び)を除いた36種類が結びつきます。

キリヤチッタ(機能だけのチッタ)の場合は、カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタと同様ですが、ヴィラティ(節制)が除かれるためそれぞれ35種類、34種類、34種類、33種類となります。

ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタの場合も、カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における)チッタと同様ですが、アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカとヴィラティ(節制)が除かれるためそれぞれ33種類、32種類、32種類、31種類となります。

このように、24種類のカーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しいチッタ)には、4つの対に従って12通りの組み合わせがあります。

第23節へのガイド

最初の対:ここで使われている「対」はアサンカーリカ(駆り立てるものがない)とササンカーリカ(駆り立てるものがある)の対のことです。どちらも付随するチェータスィカに変わりがないので、一つとして扱われています。

3種類のヴィラティ(節制)は個別に結びつきます:ヴィラティ(節制)には言葉、行動、生計という三つの適応領域があります。そして一つのチッタにはそのうちの一つしか生じません。それはどの不善行為を慎むかという意図により決まります。ヴィラティ(節制)は故意に行動を慎む時だけ生じるので、ここで述べられているチッタに必ず生じるわけではありません。

ピーティ(喜び)を除く:3番目と4番目の対にはウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)が伴います。ピーティ(喜び)はソーマナッサ(精神的な楽しさ)に関連して生じるので除外されます。

キリヤ(機能だけの)チッタ:ソーバナキリヤ(道徳的に美しい、機能だけの)チッタはアラハント(最終的な悟りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者)にのみ生じます。そしてヴィラティ(節制)は生じません。なぜなら、アラハントは全ての心の汚れを断ち切っているため意図的に不善行為から離れる必要がないからです。

ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタ:カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタの場合、アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカは生じません。前者はカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)で生じる現象のみを対象としますが、後者は生命という概念を対象とするからです。またカーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタにはヴィラティ(節制)は生じません。不全な行為から離れるという性質がないからです。

第24節 まとめ

アッタティムサ サッタティムサ ドゥヴァーヤン チャッティムサカン スベー
パンチャティンサ チャトゥッティンサ ドゥヴァーヤン テーッティムサカン 
クリイェー
テーッティンサ パーケー バッティンサ ドゥヴァイェーカティンサカン バーヴェ
サヘートゥカーマーヴァチャラ プンニャーパーカークリヤー マネー

クサラ(善業を作る)、ヴィパーカ(業の結果として生じる)、クリヤ(機能だけの)の3種類があるサヘートゥカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、チッタを安定させる根を持つ)チッタに関しては、次のようになります。クサラ(善業を作る)チッタでは、最初の対には38種類、2番目と3番目の対には37種類、4番目の対には36種類のチェータスィカが生じます。キリヤ(機能だけの)チッタでは、最初の対には35種類、2番目と3番目の対には34種類、4番目の対には33種類のチェータスィカが生じます。ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタでは、最初の対には33種類、2番目と3番目の対には32種類、4番目の対には31種類のチェータスィカが生じます。

第25節 ソーバナ(道徳的に美しい)チッタの区分

ナ ヴィッジャンテーッタ ヴィラティ クリヤース チャ マハッガテー 
アヌッタレー アッパマンニャー カーマパーケー ドゥヴァーヤン タター
アヌッタレー ジャーナダンマ― アッパマンニャー チャ マッジメー
ヴィラティ ニャーナピーティ チャ パリッテース ヴィセーサカー

ヴィラティ(節制)はキリヤ(機能だけの)チッタやマハッガタ(禅定に関する意識の領域における)チッタ(=ルーパーヴァチャラチッタ+アルーパーヴァチャラチッタ)には生じません。アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカはロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタには生じません。カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタにはヴィラティとアッパマンニャーは生じません。

ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における)チッタは、ジャーナ(禅定)の要素に基づいて区分されます。マハッガタ(禅定に関する意識の領域の)チッタ(=ルーパーヴァチャラチッタ+アルーパーヴァチャラチッタ)は、アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカとジャーナ(禅定)の要素に基づいて区分されます。カーマーヴァチャラソーバナ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、道徳的に美しい)チッタは、ヴィラティ(節制)、ニャーナ(洞察の智慧)、ピーティ(喜び)に基づいて区分されます。

第25節へのガイド

注釈書の一つであるヴィバーヴィニー ティーカーには、カーマーヴァチャラサヘートゥカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、チッタを安定させる根を持つ)チッタがアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカ、すなわちカルナー(他の生命の苦しみに対する憐れみ)とムディター(他の生命の幸せに対する喜び)に基づいて区分されると書かれています。その理由は、クサラ(善業を作る)チッタ・キリヤ(機能だけの)チッタにはアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカが生じることがあり、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタにはアッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカが生じることは無いため、アッパマンニャー(対象に制限のない)チェータスィカの観点から両者を区分することが出来るからです。

アクサラ(不善業を作る)チッタ:7通り

第26節 分析

(i)アクサレース パナ ローバムーレース ターヴァ パタメー アサンカーリケー
アンニャサマーナー テーラサ チェータスィカー アクサラサーダーラナー 
チャッターロー チャー ティ サッタラサ ローバディッティヒ サッディン
エークーナヴィーサティ ダンマー サンガハン ガッチャンティ
(ii)タテーヴァ ドゥティイェー アサンカーリケー ローバマーネーナ
(iii)タティイェー タテーヴァ ピーティヴァッジター ローバディッティーヒ サハ
アッターラサ 
(iv)チャトゥッテー タテーヴァ ローバマーネーナ

(i)アクサラ(不善業を作る)チッタのうち、まずローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つもの)について見ると、アサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタの一番目は19種類のチェータスィカが組になります。すなわち、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ13種類と、アクサラサーダーラナ(不善業を作るチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ4種類の合わせて17種類にローバ(欲)とディッティ(真理にそぐわない誤った見解)の二つを加えた19種類です(13+4+2=19)。
(ii)同様に、アサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタの二番目は、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ13種類と、アクサラサーダーラナ(不善業を作るチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ4種類の合わせて17種類にローバ(欲)とマーナ(自惚れ・傲慢)の二つを加えた19種類に結びつきます(13+4+2=19)。
(iii)同様に、アサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタの三番目は、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ13種類と、アクサラサーダーラナ(不善業を作るチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ4種類の合わせて17種類からピーティ(喜び)を除いた16種類に、ローバとディッティ(真理にそぐわない誤った見解)の二つを加えた18種類に結びつきます(12+4+2=18)。
(iv) 同様に、アサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタの四番目は、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ13種類と、アクサラサーダーラナ(不善業を作るチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ4種類の合わせて17種類からピーティ(喜び)を除いた16種類に、ローバ(欲)とマーナ(自惚れ・傲慢)の二つを加えた18種類に結びつきます(12+4+2=18)。

(v)パンチャメー パナ パティガサンパユッテー アサンカーリケー ドーソー イッサー マッチャリヤン クックッチャン チャー ティ チャトゥーヒ サッディン ピーティヴァッジター テー エーヴァ ヴィーサティ ダンマー サンガヤハンティ 
イッサーマッチャリヤクックッチャーニ パネーッタ パッチェーカン エーヴァ
ヨージェータッバー二
(vi)ササンカーリカパンチャケー ピ タッテーヴァ ティーナミッデーナ 
ヴィセーセートゥヴァー ヨージェータッバー

(v)パティガ(嫌悪)を伴う、アサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタの5番目には20種類のチェータスィカが結びつきます。すなわち、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ13種類からピーティ(喜び)を除いた12種類と、アクサラサーダーラナ(不善業を作るチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ4種類の合わせて16種類に、ドーサ(怒り)、イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、クックッチャ(後悔)の4種類を加えた20種類です(12+4+4=20)。
(vi)5つのタイプがあるササンカーリカ(駆り立てるものがある)チッタも、上で説明したアサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタの場合と同様ですが、ティーナ(怠惰)とミッダ(無気力)が加わるため、それぞれ21種類、21種類、20種類、20種類、22種類となります。

(vii)チャンダピーティヴァッジター パナ アンニャサマーナー エーカーダサ 
アクサラサーダーラナ チャッターロー チャー ティ パンナラサ ダンマー
ウッダッチャサハガテー サンパユッジャンティ 
(viii)ヴィチキッチャーサハーガタチッテー チャ アディモッカヴィラヒター
ヴィチキッチャーサハーガター タテーヴァ パンナラサ サムパラッバンティー ティ

サッバター ピ ドゥヴァーダサークサラチットゥッパーデース パッチェーカン 
ヨージヤマーナー ピ ガナナヴァセーナ サッタダー ヴァ サンガヒター 
バヴァンティ ティ

(vii)ウッダッチャ(不穏・興奮)を付随するチッタには15種類のチェータスィカが生じます。すなわち、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ13種類からチャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望)とピーティ(喜び)を除いた11種類にアクサラサーダーラナアクサラチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ(4種類の合わせて15種類です(11+4=15)。
(viii)ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)が付随するチッタには、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ13種類からチャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望)、ピーティ(喜び)とアディモッカ(決意)を除いた10種類に、アクサラサーダーラナ(不善業を作るチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ4種類とヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)を加えた15種類のチェータスィカが生じます(10+4+1=15)。

このように、全部で12種類あるアクサラ(不善業を作る)チッタはチェータスィカに基づいて計算すると7通りになります。

第26節へのガイド

ローバ(欲) という、へートゥ(チッタを安定させる根)を持つ:ローバというへートゥ(チッタを安定させる根)を持つアサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタの1番目と3番目は例外なくディッティ(真理にそぐわない誤った見解)を含みます。そして3番目はウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴い、ピーティ(喜び)はありません。第2番目と第4番目にはマーナ(自惚れ、傲慢)も含まれる場合がありますが、必ずしも必要というわけではありません。ですからマーナを入れなければそれぞれ18種類、17種類のチェータスィカと結びつきます。

パティガ(嫌悪)を伴う:このタイプのチッタには、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ13種類からピーティ(喜び)を除いた12種類と、アクサラサーダーラナ(不善業を作るチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ4種類、そしてパティガ(嫌悪)の仲間であるドーサ(怒り)、イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(傲慢)、クックッチャ(後悔)という4種類のチェータスィカが結びつきます。イッサー(嫉妬)、マッチャリヤ(強欲・物惜しみ)、クックッチャ(後悔)の三つは互いに排他的(一つが生じると他の二つは生じない)です。また、このタイプのチッタでは三つとも生じない場合もあります。

ウッダッチャ(不穏・興奮)が付随する:モーハ(真理がわからず混乱した状態)という、チッタを安定させる根を持つ2種類にチッタには、チャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望)は生じません。この二つのチッタは目的を持った行動を持続的に行うことができないからです。ヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)に関連するチッタではアディモッカ(決意)はヴィチキッチャー(ブッダ・ダンマ・サンガとその教えに対する疑い)で置き換えられます。この二つは相対立します。

第27節 まとめ

エークーナヴィーサッターラサ ヴィーセーカヴィーサー ヴィ―サティ
ドゥヴァーヴィーサ パンナラセー ティ サッタダークサレー ティター
サッダーラナーチャ チャッターロー サマーナーチャ ダサーパレー 
チュッダセーテー パヴゥッチャンティ サッバクサラヨーギノー

アクサラ(不善業を作る)チッタとチェータスィカとの結びつきは7通りで、それぞれ19種類、18種類、20種類、21種類、20種類、22種類、15種類となります。

14種類のチェータスィカ、すなわちアクサラサーダーラナ(不善業を作るチッタに共通して付随する普遍的な)チェータスィカ4種類とアンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカ10種類は全てのアクサラ(不善業を作る)チッタに関連すると言われています。

アヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタ:4通り

(i)アヘートゥケース パナ ハサナチッテー ターヴァ チャンダヴァッジター
アンニャサマーナー ドゥヴァーダサ ダンマー サンガハン ガッチャンティ
(ii)タター ヴォッタパネー チャンダピーティヴァッジター
(iii)スゥッカサンティーラネー チャンダヴィリヤヴァッジター
(iv)マノーダートゥッティカアヘートゥカパティサンディユガレー
チャンダピーティヴィリヤヴァッジター
(v)ドゥビパンチャーヴィンニャーネー パキンナカヴァッジター イェーヴァ
サンガヤハンティー ティ
サッバター ピ アッターラサス アヘートゥケース ガナナヴァセーナ 
チャトゥッダー ヴァ サンガホー ホーティー ティ

(i)アヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタのうち、まずハスィトゥッパーダ(微笑を作り出す)チッタには、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカのうちチャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望)を除いた12種類が結びつきます(7+5=12)。
(ii) 同様に、ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタにはアンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカのうちチャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望)とピーティ(喜び)除いた11種類が生じます(7+4=11)。
(iii) スカ(身体の楽しみ)を伴うサンティラナ(感覚対象を調べる)チッタにはアンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカのうちチャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望)とヴィリヤ(努力するエネルギー)除いた11種類が生じます(7+4=11)。
(iv) マノーダートゥッティカ《三つの心の基本要素=パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナチッタ(五つの感覚門に注意を向けるチッタ)+サンパティッチャナチッタ(感覚対象を受けとめるチッタ)2種類》とパティサンディ(今生と来世を結びつける)チッタには、アンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカのうちチャンダ(行動を起こしたい、目標を達成したいという願望)、ピーティ(喜び)とヴィリヤ(努力するエネルギー)除いた10種類が生じます(7+3=10)。
(v)それぞれ二つのタイプがあるパンチャヴィンニャーナン(5つの感覚器官に感覚を感じたという意識)にはアンニャサマーナ(善にも不善にもなり得る)チェータスィカのうちパキンナカ(必要に応じて時々しか生じない)チェータスィカを除いた7種類が生じます。

このように18種類あるアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタとチェータスィカの組み合わせには4通りあります。

第28節へのガイド

ヴォッタパナ(対象を決定する)チッタ:これはマノードゥヴァーラヴァッジャナチッタ(意門に注意を向けるチッタ)と同じものです。5つの感覚器官においては認識対象を決定するという役割を担います。

スカ(身体の楽しみ)を伴うサンティラナ(感覚対象を調べる)チッタ:クサラヴィパーカ(善業の結果として生じる)チッタの一つであるこのチッタは、極めて好ましい対象を認識した時に生じます。ピーティ(喜び)が含まれているのは、関連するヴェーダナー(感受)がスカ(身体の楽しみ)だからです。このチッタと、以下に説明するチッタにはヴィリヤ(努力するエネルギー)は生じません。その理由は力が弱く、受動的なチッタだからです。

マノーダートゥッティ(三つの心の基本要素):これは、パンチャドゥヴァーラーヴァッジャナ(五つの感覚門に注意を向ける)チッタと2種類あるサンパティッチャナ(感覚対象を受けとめる)チッタの総称です。

二つが組になるパティサンディ(今生と来世を結びつける)チッタ:これはウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)が伴うサンティラナ(感覚対象を調べる)チッタで2種類あります。今生と来世を結びつける上でのこのチッタの働きは第3章、第9節で説明します。

第29節 まとめ

ドゥヴァーダセーカーダサ ダサ サッタ チャー ティ チャトゥッビドー
アッターラサーヘートゥケース チットゥッパーデース サンガホー
アヘートゥケース サッバッタ サッタ セーサー ヤターラハン
イティ ヴィッターラトー ヴットー テーッティンサヴィダサンガホー

18種類あるアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタとチェータスィカの結びつきは4通りで、それぞれ12種類、11種類、10種類、7種類となります。

アヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタ全体の中で、サーダーラナ(全てに生じる)チェータスィカは7種類です。残りはパキンナカ(時々生じる)チェータスィカで、チッタのタイプに応じて生じます。以上、チッタとチェータスィカの結びつき方は全部で33通りとなります。

第30節 結論

イッタン チッターヴィユッターナン サンパヨーガン チャ サンガハン
ニャートゥヴァー ベーダン ヤターヨーガン チッテーナ サマン ウッディセー

このように、チェータスィカとチッタとの関連、結びつきについて理解したので、チェータスィカの分類をそれが関連するチッタに基づいて説明してみましょう。その分類はチッタの場合と同じです。

第30節へのガイド

チェータスィカとチッタとの関連:これは第10節から17節の中で説明した、それぞれのチャータスィカが異なるチッタに関連することを差しています。

チェータスィカとチッタとの結びつき:これは第18節から29節で説明した、関連するチェータスィカに基づいたチッタの分析のことを差しています。この章の最後にある表2.4を見れば、関連の様式と結びつきの様式の全体像を一緒に理解することができます。

チェータスィカの分類をそれが関連するチッタに基づいて説明してみましょう:著者は学習者に、関係するチッタに基づいてチェータスィカを分類するように促しています。例えば7種類のサーダーラナ(全てに生じる)チェータスィカは、89種類ある全てのチッタに関連するので89通りになります。またヴィタッカ(認識対象に注意を向かわせるチェータスィカ)は、55種類のチッタに関連するので55通りです。チェータスィカは、それが宿るチッタに応じて、ブーミ(生存の領域)、種類、関連などの点からさらに細分類することが出来ます。

イティ アビダンマッタサンガへー チェータスィカサンガハヴィバーゴー ナーマ
ドゥティヨー パリッチェードー

これで、チェータスィカの概要という名前のアビダンマッタサンガハの第2章を終わります。

-dhamma