dhamma

イントロダクション

2023年1月20日

イントロダクション

寄稿者について

マハーテーラ・ナーラダ

1898年コロンボ生まれ。18歳の時、高名なペーレーネー・ヴァジラニャーナ・マハーナーヤカ・テーラ尊師のもとで沙弥出家、20歳で比丘出家。65年に渡り比丘サンガの一員として、信心の深さ、戒律を守った行動、スリランカ内外におけるブッダダンマの普及活動など、傑出した生涯を送られました。

1983年、コロンボで死去。ナーラダ長老は、「ブッダとその教え」という、英語でテーラワーダ仏教を最も明快かつ詳細に紹介した名著の著者として良く知られています。

ビック・ボーディ

アメリカ国籍の仏教僧で、1944年、ニューヨーク市生まれ。クレアモント大学大学院において哲学の修士課程を修めた後、比丘サンガに入るためスリランカへ渡る。高名なバラゴーダ・アナンダ・マイトレーヤ尊師のもとで1972年沙弥出家、1973年比丘出家。師とともにパーリ語とダンマを学ぶ。

テーラワーダ仏教の書籍を数冊執筆、その中には主なパーリ経典の翻訳と注釈が4冊含まれる。1984年から仏教徒出版協会の編集者、1988年からは同協会の会長を務める。

ウ・レーワタ・ダンマ

ビルマに生まれ幼少時から僧院に入る。ビルマの卓越した学僧たちからパーリ語とテーラワーダ仏教を学び、23歳の時に最もレベルの高い経学試験に合格。1953年、当時の大統領から権威ある「サーサナダジャ・スイリパヴァラ・ダンマーチャリヤ」の称号を授与される。

1956年から1967年までインドで学問を修め、ベナレスヒンドゥー大学から学位取得。1975年にイギリスに渡り、バーミンガムに仏教センターを設立、そこを拠点として、ヨーロッパヤアメリカの各地で瞑想と仏教を指導。

ベナレスにおいて、1965年にはアビダンマッタサンガハとヴィバーヴィニーティーティーカーを、1970年にはヴィスッディマッガとマハーティーカーを編集発刊。

1967年にはアビダンマッタサンガハをヒンドゥー語に翻訳し独自のヒンドゥー語の注釈を付けて発刊、その年の最優秀書籍の一つとしてヒンディアカデミーからカリダサ賞を授与されました。同著作はインドの大学で仏教研究の教科書として広く用いられています。

ウ・スィーラーナンダ

ビルマ生まれ。1947年から仏教僧として活動。ダンマーチャリヤ(ダンマのマスター)の称号を二つ持ち、ザガインとマンダレーの大学においてパーリ語と仏教研究の講師を務める。

1954年にヤンゴンで開催された第6結集(仏教徒の会議)において重要な役割を果たし、パーリ語ビルマ語辞典の編纂責任者となった他、パーリ聖典および注釈書の最終編集者の一人として活躍。

1979年からアメリカ在住、ヴィパッサナー瞑想、アビダンマ、その他テーラワーダ仏教の様々な側面について指導。ダンマーナンダ精舎の設立者兼僧院長。アメリカテーラワーダ仏教協会、カリフォルニアにあるダンマチャッカ瞑想センターの指導者。ご自身の著作である「気づきの4つの土台」をウイズダムパブリケーションから出版。

序文

この本はアーチャリヤアヌルッダが書かれたアビダンマッタサンガハのパーリ語テキスト、その英訳、および詳細な解説からなりたっています。アビダンマッタサンガハはテーラワーダ仏教界全体を通じて、アビダンマを学習する際の入門書となっています。

この本の初版は、マハーテーラ・ナーラダ長老が書かれたサンガハの翻訳と注釈である「アビダンマのマニュアル」を改変する形で4年前に刊行されました。

しかしながら、印刷の間際になって、タイトルは変わらないものの、実質的には全く新しい本へと発展しました。オリジナルのタイトルの一部をそのまま使用しているのは、ナーラダ長老の本を引き継いでいることを示すためです。

また、「アビダンマッタサンガハ」という大本のタイトルの意味は「アビダンマの内容の概説」であり、「アビダンマのマニュアル」はそれを最も適切に表現していると考えたからです。そしてナーラダ長老のタイトルに「包括的」という言葉を加えることで、内容が広範囲にわたっていることを強調しました。

この本がどのような過程で生まれたかを簡単に説明しておく必要があるかと思います。ナーラダ長老の「マニュアル」は4版を重ね、数十年に渡ってアビダンマの初心者用ガイドとして高く評価され、広く用いられて来ましたが、専門的な説明と装丁の両面でグレードアップが必要となりました。

このため、「マニュアル」の増刷が差し迫った1988年に、バーミンガムの仏教寺院にいらしたウ・レーワタ・ダンマ長老と連絡をとり、「マニュアル」第4版の説明文の修正を要請しました。その際に、真摯にアビダンマを学ぶ学習者に有益な情報があれば加えてほしいと頼みました。この作業を他でもなくウ・レーワタ・ダンマ長老に要請したのは、いくつかの点で適任であると考えたからです。

一つは、長老が、アビダンマ研究の中心地であるビルマの出身でありそこで伝統仏教の研鑽を積んだ比丘だったことです。二つ目はアビダンマッタサンガハとその古典的注釈書であるヴィバーヴィニーティーカーの編集に長老自身が関わったこと、三つ目は長老自身がアビダンマッタサンガハの注釈書(ヒンドゥー後)を書かれていること、そして最後に、長老は英語が堪能であること、です。

イギリスのレーワタ・ダンマ長老が説明文の修正をまとめる一方で、スリランカに住む私はナーラーダ長老によるサンガハの英語訳を見直しました。パーリ語で書かれたサンガハのテキスト数版及び注釈と綿密に比較した結果、ナーラダ長老パーリ語原典と英語訳の双方に多くの修正を加えることになりました。

英語版の修正にあたっては、細かい誤りを正すだけでなくパーリ語の専門用語の訳語に一貫性を持たせ、原典に近いものにするようにしました。ナーナモリ比丘の傑出した翻訳であるヴィスッディマッガ(清浄道論)と本書を互いに参照してほしいとの願いから、用語のほとんどをその英語訳ヴィスッディマッガから採用しました。

ナーラダ長老の訳語をそのままにした部分もありますが、訳語を変更する方向で作業を進めました。本書の編集が終わりに近づいたときに、パーリテキスト協会から刊行されているアビダンマッタサンガハテキストの最新版(ハンマラワ・サッダーティッサ長老編集)が手に入り、これを参考にしてパーリ語テキストに修正を追加しました。残念ながら時間の関係でサンガハ最新版テキストのパラグラフの番号付けを採用することは出来ませんでした。

本書の編集にあたって、最も苦心したのは説明用のガイドの内容です。当初はナーラダ長老の説明分を原文の通りに残し、必要ないし望ましいと思われる部分だけに新たな文章を加える方針でした。しかしながら、作業を初めてみるとすぐにもっと大胆な修正を加える必要が出てきました。

レーワタ・ダンマ長老も私も、アビダンマッタサンガハに書かれた根本的な原則を正確にかつ詳細に伝えたいという強い願いから、サンガハの二つの重要な注釈書、アビダンマッタヴィバーヴィニーティーカー(アーチャリヤ・スマンガラサーミ著、20世紀末、スリランカ)とパラマッタディーパニーティーカー(レディセヤドー著、初版1987年、ビルマ)を頻繁に参照しました。ガイドに書かれている説明文の多くはこの二つの注釈書からの引用です。

この二つの注釈書はアビダンマ研究者によく知られている文献ですが、専門的な疑問の取り扱いにおいて、正反対の立場を取っているところがしばしば見られます。レディセヤドーはヴィバーヴィニーティーティーカーを批判する立場を貫いています。

本書の目的はアビダンマの根本体系を明らかにすることであり、論争を持ち出すことではありません。従って二つの注釈を集約することに焦点を置き、双方の見解を対立させることがないように配慮しました。

ただし、二つの見解の相違が興味をそそるものである場合は、対立する意見を引用している部分もあります。またヴィスッディマッガ(清浄道論)から多くの情報を引用しています。ヴィスッディマッガには「理解の土壌(パンニャーブーミ)XIV-XVII」のようにアビダンマ方式の長々しい記述が見られる部分があります。

このようにしてあつめた資料を用いて、アビダンマッタサンガハの詳細なガイドを編纂することに尽力しました。初学者が複雑なアビダンマの内容を学んでいく際のガイドとなるように、そしてベテランの学習者も刺激的で輝きのあるものになるように努力しました。

説明やガイドは、テーラワーダ僧院の社会で維持されている伝統的手法に厳密に従っています。このため個人的な解釈を加えたり、現代哲学・心理学と比較したりといった冒険は慎重に避けています。そうした比較研究に価値があることは間違いありませんが、テーラワーダの伝統が掲げるアビダンマの教えの中に組み込むのは適切ではないと感じています。

本書の全体構造は古典的な注釈書に準じています。それぞれの節にパーリ語アビダンマッタサンガハの原文を提示し、続いてその正確な訳を記載し、重要な用語や考え方を説明しています。サンガハは、極めて簡略化されたアビダンマの概説書、指導マニュアルであり、実際の教師が生徒にアビダンマを教える際の概要として活用されることを想定しています。このためそのような体裁が必要となります。サンガハはそれだけを読むと、アビダンマの難解な内容の触りだけを示していることがわかります。

イントロダクションも私とレーワタ長老が共同で執筆しました。アビダンマッタサンガハだけでなく、アビダンマ哲学全体をより広い視点と意図をもって読者に紹介することを目指しています。

また、アビダンマ哲学の源泉となるアビダンマ関連文献の概要も紹介するように努めました。本書を準備する最終段階において、幸運にもビルマのアビダンマ学者であるウ・スィーラーナンダ長老から、アビダンマ関連の多くの表を使用する許可を得ることができました。長老がアメリカの学習者たちのために用意した表です。計り知れない量の情報を詰め込み、簡潔な図式で表現しているこの表は、アビダンマの詳細を把握するための助けとなることは疑いありません。

付録として収載したチッタとチェータスィカの元文献のリストもまたスィーラーナンダ長老から許諾を得て使わせていただきました。

この序文を締めくくるにあたり、協力していただいた皆さんに心から謝辞を述べたいと思います。前半部分のガイドを用意してくださったミルコ・フリバには私と、ウ・レーワタ長老の双方から感謝の意を表します。

また、マー・マー・ルイン、ピーター・ケリー、ジル・ロビンソン、ウパサカ・カルナ・ボーディ、ダンマティラクの各氏にはレーワタ・ダンマ長老が感謝いたします。
過密なスケジュールの中、時間を割いて本書に盛り込んだ資料を整理してくださったウ・レーワタ・ダンマ長老には私から感謝申し上げたいと思います。

長老の仕事が容易となるようにチームとして手を貸してくださった皆さんにも感謝申し上げます。

ご近所では、アビダンマッタサンガハの英訳原稿を正確にディスクに打ち込んでくれた、アッヤー・ニャナスィリーさん、説明ガイドの手書き原稿をやはり正確にディスクに書き込んでくださったサヴィタリ・サンドララトネさんにも感謝いたします。

また、アッヤー・ヴィマラーさんからはガイドの元原稿に鋭いコメントをいただき、そのおかげでとても良い文章となりました。最後に貴重な表の数々の使用を快く承諾いただいたウ・スィーラーナンダ長老に感謝いたします。

ビック・ボーディ

キャンディ、スリランカ
1992年8月

表について

以下の表はウ・スィーラーナンダ長老からご提供いただきました。元々は個人的な指導のために使われていたものです。

1.1、2.2、2.3、2.4、3.1、3.2、3.3、3.4、3.5、3.6、3.8、4.2、4.3、4.4、4.5、5.5、5.6、5.7、6.2、6.3、8.2、8.3、9.1

以下の表はマハーテーラ・ナーラダ長老の「アビダンママニュアル」の中にあります。1.11、4.1、5.1、7.1、7.3

表5.4はウ・ナーラダ長老の「条件関係へのガイド」、第1部、図表7(198-199ページ)に基づいています。表7.4は、ウ・ナーラダ長老翻訳、「基本要素についての説法」、第1章の方法図表(26ページ向かい)に基づいています。どちらもパーリテキスト協会のご厚意により、許諾を得て使用しています。

上記の表はこの本の目的に合わせ、オリジナルから少し修正してあります。その他の表は
新たに作成したもの、ないしアビダンマ研究で一般的に使われているものです。

イントロダクション

この本の核となるのはアビダンマッタサンガハと呼ばれる、古典的な仏教哲学の解説書です。アビダンマッタサンガハの著者であるアーチャリヤ・アヌルッダは学識深い仏教徒です。アヌルッダ尊者がどのような人かについてはほとんど知られておらず、どの国で生まれ、どの時代を生きたかについても良くわかっていません。

しかしながら、個人的な背景が明らかでないにも関わらず、アヌルッダ尊者が書かれた小さなマニュアルは、最も重要で影響力のあるテーラワーダ仏教の教本となっています。全部で9つの章からなり、それぞれの章は印刷すると50ページほどになります。アヌルッダ尊者はその中で、アビダンマと呼ばれる難解な仏教教義を見事なまでに手際よくまとめています。

アビダンマの体系の核心部分をとらえるアヌルッダ尊者の力量と、理解しやすい構成により、アビダンマッタサンガハは南アジア、東南アジアのテーラワーダ仏教国全体の標準的な入門書になっています。それらの国々では、アビダンマッタサンガハは仏教徒の智慧の宝庫を開けるために欠かせない鍵とみなされています。アビダンマの研究に勢力的に取り組んでいるビルマでは特に顕著です。

アビダンマ

アビダンマ哲学の中心となるのはパーリ聖典の一つであるアビダンマピタカ(論蔵)です。テーラワーダ仏教ではパーリ聖典をブッダの教えを正確に伝える権威ある経典とみなしています。それはブッダの入滅後、ほどなくしてインドで開催された3回の会合(結集)の場で編纂されました。

最初はブッダがパリニッバーナ(般涅槃)された3か月後、マハーカッサパ長老をリーダーとする500人の長老によりラージャガハで開催されました。

第2回目の会合はその100年後、ヴェーサリーで開催されました。

そして第3回目は200年後にパータリプッタで開催されました。これらの会合でまとめられた聖典は中部インドの言葉(現在はパーリ。と呼ばれています)で記録され、ティピタカ(3つのカゴ)ないし、三つのブッダの教えの集成と呼ばれています。

その1番目であるヴィナヤピタカ(律蔵)は規律に関する聖典で、比丘、比丘尼の行動に関する戒律と、サンガ(仏教徒の集い)の運営に関する規則をさだめています。

2番目の聖典、スッタピタカ(経蔵)は、ブッダが45年間の布教活動において、様々な場面で説かれた経をまとめたものです。

そして3番目の聖典、アビダンマピタカ(論蔵)は、よりレベルの高い特別な教義を集めたものです。

この三番目のパーリ聖典は他の二つの聖典とは異なる性格を持っています。スッタピタカ(経蔵)とヴィナヤピタカ(律蔵)は現実的な目的に役立てる意図が明確です。すなわち、苦しみからの解放のための明確なメッセージを伝え、個々の鍛錬の方法を示しています。一方、アビダンマピタカ(論蔵)は、教義を専門的な立場から系統的にまとめた抽象的でレベルの高い内容となっています。アビダンマピタカ(論蔵)は7つの書籍で構成されています。ダンマサンガーニ、ヴィバンガ、ダートゥカター、プッガラーパンニャッティ、カターヴァットゥ、ヤマカ、パッターナの7つです。スッタ(経典)と異なり、現実の生活の場で説かれた説法や議論の記録ではありません。徹頭徹尾論述に徹した著作であり、教義の根本が体系化され、細かく定義され、綿密に振り分け分類されています。これらの聖典は疑いなく独自に作成されたものであり、口承で伝えられる、文書として記録されたのは後代になってからです。しかしながら、紀元前1世紀に編纂された残りの仏教聖典とともに、記述書類に典型的な系統立てられた思考と全体にわたる一貫性が特徴となっています。

テーラワーダの伝統ではアビダンマピタカ(論蔵)は最も崇高とされ、仏教聖典の宝冠とみなされています。高く評価された例をあげると、スリランカではカッサパ5世という王様(10世紀)アビダンマピタカ(論蔵)全体を金の板に刻ませ、最初の1セットを宝石で飾りました。ヴィジャヤバーフ(11世紀)という王様は、毎朝執務を始める前にダンマサンガーニを勉強し、そのシンハラ語訳を編纂しました。ざっと読んだだけではアビダンマに対するこうした称賛を理解するのは困難です。アビダンマの文章は難解な教義的用語の羅列の中で学術的な実践を語っており、重々しく、うんざりするほど同じ内容が繰り返し述べられています。

アビダンマピタカ(論蔵)がかくも深く崇められる理由については、この古代の著作が何か重要なことを語っていると確信し、その内容を徹底的に学び、深く考察して初めて明らかになります。そのような精神でアビダンマの論述に取り組み、その広い示唆と有機的な統合性に対するなんらかの洞察を得たとき、人間が経験する真実全体の包括的なヴィジョンをきめ細かく示したものであることに気づきます。そのヴィジョン、カバーする領域の広さ、系統だった完璧さ、分析の正確さが際立っています。テーラワーダの本流から見れば、アビダンマが説明しているのは推論的思考の断片でもなければ、形而上学な仮説を寄せ集めたモザイクでもありません。そうではなく、存在の本質を解き明かしたものとなっています。事象の全体性を深く、かつ最も詳細に洞察する心により把握することができる存在の本質です。このような性格を持っているため、テーラワーダの伝統ではアビダンマは他と比べようもないブッダの至高の智慧(サッバニューターニャーナ)を最も完璧に表現したものと見なされています。完全なる覚りを得たブッダの心に事象がどのように現れて見えるかをブッダご自身が語られたものです。ブッダの教えの双極である、ドゥッカ(苦しみ)とドゥッカ(苦しみの)滅尽に従って秩序立て語られています。

アビダンマピタカ(論蔵)の分析手法は同時に、哲学、心理学、倫理学でもあります。その全てが輪廻からの解放のプログラムという枠組みに統合されます。アビダンマを哲学と表現することが可能ですが、その理由は真理の本質対する見方を提唱しているからです。このような見方はダンマ理論(ダンマヴァーダ)と表現されています。かいつまんで言えば、(全ての現象は)ダンマと呼ばれる基本的な構成要素が集まったものである、というのがダンマ理論です。ダンマは現象の裏に隠れている本体ではありません。「うわべだけの外観」の反対である「物事に内在する物」ではありません。そうではなく、真実の根本的な構成要素がダンマです。ダンマは大きく二つに分類されます。1番目は条件に左右されないダンマで、これはニッバーナ(涅槃)一つだけです。もう一つは条件により左右されるダンマで、瞬間的に生じては滅する精神的現象と物質的現象のことであり、経験のプロセスを構成します。私たちが慣れ親しんでいる物質的な対象と永続するかのようにみえる人間は、ダンマの理論に従えば、ダンマが提示する生の情報を用いて心が作り上げた概念に過ぎません。私たちが日常的に名前を付けて読んでいる物事も、実際はダンマという階層から派生した概念的な真実に過ぎません。究極の真理を保持しているのはダンマだけです。データを概念として処理する心の働きに依存しない、「それ自身で完結する」確固たる存在(サルーパトー)です。

そのような真理の性質という考えはスッタピタカ(経蔵)、特にパンチャカンダ(生命を構成する五つの塊)、サラーヤタナ(六つの感覚基盤)、ダートゥ(基本要素)、パティッチャサムッパーダ(原因に依存した生起)などの説法で既に言外にほのめかされています。しかし、アビダンマよりも現実に即した形で書かれているスッタピタカで背景知識としてそれとなく示されているだけです。アビダンマピタカ(論蔵)そのものでさえ、ダンマ理論は明確な哲学教義として表現されているわけではありません。それは後代になってから注釈書の中に見られるようになります。いまだ暗黙という形で示されてはいますが、体系化というアビダンマの明確な責務の背景で、基本的な事項を統制するというその役割の中、ダンマ理論はいまだに注目の的になっています。

事象を「ありのまま」に知る智慧を獲得するためには、存在論的な究極性を持った種類の事象、すなわちダンマと、概念として作り上げられているだけなのに誤って究極の真理であると把握されている事象との間に鋭い楔を打つ必要があります。アビダンマのプロジェクトはこれを前提にして始まります。この分類に続いて、アビダンマは限定された数のダンマを真実であると定めます。このダンマは、そのほとんどがスッタから引用されており、それが積み木となって現実の世界が組み立てられています。その後、スッタで使われている全ての教義用語を定義し、システムにより認識される存在論的な究極という観点からその用語を解き明かします。これらの定義に基づいて、手間を厭わずダンマをあらかじめ決められたカテゴリーの枠組みと関連様式に分類し、システム構造の中でのダンマの位置づけに焦点を当てます。そして、それはこうした分類により、真実の構造全体の中でのそれぞれのダンマの立ち位置が正確に示されていることを意味します。なぜなら、そのシステムは真実を正しく映し出すように作られているからです。

アビダンマの目指すところは真理の本質を理解するのはことであり、これは西洋の古典的科学が示す真理とは異なります。中立的な観察者として外の世界を見るという立場から発展したものではありません。アビダンマが第一に関心を寄せるのは経験という行為の本質を理解することです。従って、アビダンマが焦点を当てるのは心が経験する真理、つまり知ること、そして広い意味で知られるもの、この二つから構成される、経験の中でとらえた世界となります。このため、アビダンマにおける哲学的な取り組みは現象論的心理学という色彩を持ったものになっています。経験から捉えた真理に対する理解を促すためにアビダンマは内省的な瞑想の中に現れる心の詳細な分析を試みています。心を様々なタイプに分類し、それぞれのタイプの要素と機能を特定し、心とその対象及び物質的基盤とを結び付け、そして異なるタイプの心が互いにあるいは物質的現象と結びついて経験というプロセスを構成する様子を示します。

こうした心の分析の動機となったのは理論的な好奇心ではなく、苦しみからの解放を成し遂げるという仏教の核心的で現実的な目的です。ブッダは苦しみの原因をたどり、私たちの穢れた行動、ローバ(欲)、ドーサ(怒り)、モーハ(真理が分からず混乱した状態)に根差す心の傾向に行きつきました。このためアビダンマの現象論的な心理学もまた心理学的な道徳という特徴を持っています。ここで使っている「道徳」は倫理規範という狭い意味ではなく、高潔な生き方と心の浄化への完璧なガイドとなっています。従って、アビダンマでは主に道徳的な基準、すなわちクサラ(善)とアクサラ(不善)、ソーバナ(美しい)チェータスィカとキレーサ(心の汚れ)といった基準に基づいて心の状態を区分します。アビダンマの心の模式は階層化されており、それは仏教の修行者が仏道を実践することで達する心の清浄の段階に対応しています。その階層は、ルーパッジャーナ(物質を対象にした禅定)からアルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)という瞑想での没入状態、洞察の各段階、そしてロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)のマッガパラ(道果)へと進んでいく心の成長をたどっています。そして最後に、全てのキレーサ(心の汚れ)から不可逆的に離れた心の清浄を頂点とする、道徳的な発展段階の全体像を示します。

哲学、心理学、道徳というアビダンマの三つの次元は全て、ブッダの教えの基本、すなわち四つの聖なる真理に示された苦しみからの解放のプログラムにより最終的に正当化されています。ダンマがどこに由来するかを調べてみると、「苦しみという聖なる真理をよく理解しなければなりません(パリンニェッヤ)」というブッダの教えにたどり着きます。ここで使われている苦しみとは条件づけられた現象から成り立つ世界全体のことです。模式化された分類の中でキレーサ(心の汚れ)と覚りの条件が強調されていることから、アビダンマは心理学的、道徳的な事項に関心を寄せていること、そして聖なる真理の2番目と4番目すなわち苦しみの原因と苦しみの原因を終わらせる道に関連していることがわかります。また、アビダンマのシステムの中で詳細に語られている分類手法全体が「条件づけられていない要素(アサンカターダートゥ)」、つまり苦しみの終滅という第3番目の聖なる真理ニッバーナ(涅槃)で完成します。

2通りの方法

優れた仏教のコメンテーターであるアーチャリヤブッダゴーサは、「アビダンマ」の意味は「ダンマを超えるもの、ダンマと区別されるもの(ダンマーティレーカ、ダンマーヴィセーサ)」であると説明しています。接頭辞である「アビ」は優位と区別を意味し、ここで使われているダンマはスッタピタカ(経蔵)のことです。1

アビダンマがスッタ(経)を越えると言っても、スッタンタ(経典)になんらかの欠陥があるとか、スッタ(経)に示されていない秘密の教義をアビダンマが開示しているとかそういった意味ではありません。スッタ(経)もアビダンマも四つの聖なる真理というブッダ独特の教えに基づいています。また覚りに不可欠の基本的な事項はスッタピタカ(経蔵)に既に示されています。両者の違いは、根本的な部分ではなく、全体像と方法論の一部です。

全体像に関して言うと、アビダンマは徹頭徹尾完璧を目指しており、これはスッタピタカ(経蔵)には見られません。アーチャリヤブッダゴーサの説明によれば、スッタ(経)の場合
5つのカンダ(生命を構成する塊)、12個のヤタナー(感覚基盤)、18個のダートゥ(要素)といった教義上の分類は部分的にしか示されていません。一方、アビダンマピタカ(論蔵)では、異なる分類手法を用いて完璧に分類されており、その一部はスッタ(経)に共通しますが、それ以外はアビダンマにしか見られません。2 このように、アビダンマでは全体像と仔細が念入りに示されており、その点でスッタピタカ(経蔵)と一線を画しています。

もうひとつの相違は方法です。スッタピタカ(経蔵)に収載されている説法は様々な状況でブッダが説かれたものであり、聞き手の理解力も千差万別です。 それは基本的に教え諭すことを意図しており、聞き手が教えを実践し真理を見抜くまでいかに効率よく導くかを前面に出しています。この目的を遂げるため、ブッダは説話的な手法を駆使して、聞き手が教えを理解できるように配慮しています。比喩や例え話を用い、熱心に勧め、助言を与え、鼓舞します。聞き手を惹きつけ、その能力を高め、相手に合わせて教え方を調整することで良い反応を促します。このためスッタンタ(経)でとられている説教の方法はパリヤーヤダンマデーサナー、すなわち比喩と修辞を用いた説法と呼ばれています。

アビダンマピタカ(論蔵)はスッタ(経)と対照的に、教義体系全体を可能な限り明確かつ直接的に示そうとしています。スッタンタ(経)もこの体系の上に成り立ち、それに基づいて各々の説法が成り立っています。アビダンマは個人の癖や聞き手の認知能力を考慮しません。現実的な必要に応じて譲歩することはありません。真理の構造を抽象的かつ形式的な方法で明らかにします。文学的な修飾や教育的都合に合わせた方法は全く見られません。このためアビダンマの手法は、ニッパリヤーヤダンマデーサナー(文字通りないし修辞の無いダンマの説法)と呼ばれています。

二つの方法に使われているテクニックの相違はそれぞれの技法にも影響しています。スッタ(経蔵)では、ブッダは一般的な言葉(ヴォーハーラヴァチャナ)を用いるのを常とし、一般的な真理(サムッティサッチャ)を受け入れています。それは究極の存在ではない事物により表現されている真理ですが、そうした事物を用いて表現するのは理にかなっています。このためブッダはスッタ(経蔵)の中で「私」、「あなた」、「男」、「女」、生命、人物、果ては自我に至るまで、これらが変わることのない真理であるかのように語っています。しかしながら、 アビダンマ(論蔵)では、究極の真理(パラマッタダンマ)から見て妥当な説明方法に徹しています。ダンマ、ダンマの性質、ダンマの働き、ダンマ同士の関連などについて説明しています。このため、アビダンマにおいては、スッタ(経蔵)の中で意思の疎通を図るため暫定的に受け入れた概念としての事物は全てそれを構成する究極的な存在に分解されます。すなわち、常に変化しており、条件に左右され、他に依存して生じ、自我や実体が無い、ただの精神的現象、物質的現象に分解されます。

ここで説明しておかなければならないのは、二つの方法の間に線引きしたとしてもそれはそれぞれのピタカ(蔵)に最も特徴的な点に基づいたものであり、二つを全く異なるものとして区別しているわけではないということです。二つの方法には重複したり相互に関連したりする部分があります。このため、スッタピタカ(経蔵)の中に、カンダ(生命を構成する塊)、アーヤタナ(感覚基盤)、ダートゥ(基本要素)など、アビダンマ(論蔵)の手法の範疇に属する厳格に哲学的な用語を用いている所があります。逆に、アビダンマピタカ(論蔵)の中にも、厳密な説明方法から離れてスッタンタ(経)の方法に含まれる一般的な用語を用いている部分があります。一つの節だけの場合もあれば、プッガラーパンニャッティのように書籍全体の場合もあります。

アビダンマ(論蔵)の際立った特徴

哲学的な説明手法を厳格に守っている点以外にもアビダンマ(論蔵)には特筆すべき利点が多々あり、それは体系化という責務の一部となっています。その一つは全体構成の青写真としてマーティカー(カテゴリーのマトリックスないしスケジュール)を採用している点です。このマトリックスはアビダンマピタカ(論蔵)の序論として、ダンマサンガニーの最初に登場します。アビダンマの手法に特徴的な122の分類法からなります。その中の22は3つの用語のセット(ティカ)となっており、根本的なダンマがその中に配分されています。残りの100は2つの用語のセット(ドゥカ)となっており、分類の基本として使われています。3このマトリックスはある種のグリッド線として働き、複雑な経験の数々をダンマの目的により決まる原則に従って選び出します。例えば、3つの用語のセットには次のようなものが含まれます。健全な状態、不健全な状態、その中間的な状態の3つ、楽しい感受、苦しい感受、そのどちらでもない感受の3つ、カンマ(業)の結果であるもの、カンマ(業)の結果をもたらすもの、そのどちらでもないものの3つなどです。2つの用語のセットには次のようなものが含まれます。へートゥ(チッタを安定させる根)とへートゥでないものの2つ、へートゥを伴う状態とへートゥを伴わないものの2つ、条件に左右される状態と条件に左右されない状態の2つ、ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域)とロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)の2つ、などです。カテゴリーを選ぶことにより、マトリックスは現象全体の統一を保持しながら、哲学的、心理学的、倫理的な様々角度から焦点を当てます。

アビダンマの際立った特徴の2番目は、明らかに連続している意識の流れを細かく分け、チッタと呼ばれる個別の認識現象が次から次へと生じては消えていくことを示している点です。チッタのそれぞれが複雑な統合体であり意識自体もその一部です。そして対象を知る基本となり、チェータスィカの一団が加わって認識過程におけるより特殊な働きをこなします。意識をこのようにとらえる見方は、少なくとも外観上は、スッタピタカ(経蔵)の分析に由来する可能性があります。スッタピタカ(経蔵)では経験をパンチャカンダ(生命を構成する5つの塊)として分析します。そのうちの4つの精神的なカンダ(塊)は常に一緒になっていて分けることが出来ません。しかしながらスッタピタカ(経蔵)ではアビダンマ(論蔵)における意識の分析を示唆しているに過ぎません。アビダンマピタカ(論蔵)では単なる示唆にとどまらずとてつもなく細かい点にまで幅を広げ、チッタの働きを顕微鏡的なレベルから、生涯と次の生涯と連続性に至るまで描いています。

アビダンマの3番目の貢献は仏教経典を構成するまとまりのない専門用語の数々を秩序立てようと奮闘している点です。個々のダンマを定義する際に、アビダンマは対照として主にスッタ(経)から引用した同意語のリストを長々と提示しています。このような定義法により、一つのダンマが別の名前で他のカテゴリーに編入されている状況を知ることが出来ます。例えば、キレーサ(心の汚れ)の中でローバ(欲)というチェータスィカは、カーマーサヴァ(官能的な欲望という流れ出る腐敗物) 、バヴァーサヴァ(存在への執着という流れ出る腐敗物)、アビッジャー(強欲)というカーヤガンタ(身体に結びつけるもの)、カームパーダーナ(官能的快楽にしがみつくこと)、カーマッチャンダニーヴァラナ(官能的欲望という妨害)として書かれています。ボディパッキヤ(覚りの必要条件)の中にあるパンニャー(智慧)は、パンニャー(真理を洞察する智慧)というインドゥリヤ(関連する事象をコントロールする要素)ないしバラ(力)、ダンマヴィチャヤサンボッジャンガ(真理に基づいた諸所の状態の探究という覚りの要素)、サンマーディッティ(正しい見解)というマッガンガ(道の要素)などの名称で書かれています。アビダンマではこのように用語同士の対応を明確に示すことにより、スッタ(経)を見るだけでははっきりしない教義上の用語の相互関係が分かりやすくなるように配慮されています。同時に、アビダンマはブッダの説法を正確に解釈するための道具ともなっています。

アビダンマの意識の概念は結果として存在の究極の構成要素を分類する上での新しい根本的な枠組みを示しています。この枠組みは後のアビダンマの文献において、カンダ(生命を構成する塊)、アーヤタナ(感覚基盤)、ダートゥ(基本要素)などスッタから受け継いだ枠組みにとって代わる先例となりました。アビダンマではスッタの分類の枠組みも使われてはいます。しかし心を瞬間瞬間に現れるチッタとその随伴要素の複合とする見方は、アビダンマシステム独特の4分類へとつながっていきます。真実を4つの究極の真理(パラマッタダンマ)すなわちチッタ、チェータスィカ、ルーパ(物質)、ニッバーナ(涅槃)に分ける分類法です。最初の三つは条件に左右される真理、そして最後のニッバーナ(涅槃)は条件に左右されない真理です。

アビダンマの手法における最後の特徴はアビダンマピタカ(論蔵)の最後の書籍であるパッターナに示された24通りの因果関係です。その目的はパラマッタダンマ(究極の真理)が秩序だったプロセスに組み込まれる様子を示すことです。パッターナの前に書かれた書籍のほとんどを占める分析的なアプローチをこの枠組みが捕捉しています。アビダンマの分析手法は一見まとまっているかのように見える事象を細かい要素に分け、自我や実体といった不可分の核は無いことを示すところにあります。こうした全体像を示す手法により、分析の結果得られた個々の事象の相互関係が明らかとなり、そうした事象が自己完結し独立したものではなく相互に関連、依存した広大な編み目構造の一点に過ぎない事が示されています。全体像を示すパッターナの手法に、それより前のアビダンマ文献に書かれた分析的手法が加わることで、仏教の二つの根本であるアナッター(自己や自我と呼べるものは存在しないこと)とパティッチャサムッパーダ(全ての事象は条件により生じていること)がみごとに統合されています。このようにアビダンマの手法の土台はダンマ全体の核心となる洞察と完全に調和しています。

アビダンマの起源

現代の学者はアビダンマが段階的に進歩しながら作られたものであるという説明を試みています。4 しかしテーラワーダ仏教の伝統ではアビダンマはブッダご自身が作られたとしています。ブッダゴーサ尊者が引用するマハーアッタカターという注釈書によれば、「アビダンマと呼ばれているものは弟子の領分ではなく、ブッダご自身の領分に属します」5とされています。注釈書は伝統的に、アビダンマのエッセンスのみならず、書かれた文字もブッダがご在世当時に説明されたものであるとしています。

アッタサーリニーによれば、ブッダは成道後4週目の時点でまだ菩提樹のそばにおられました。そして北西の方角にあるラタナグハラ(宝石の家)の中で座していました。宝石の家という名前がついていますが、実際に宝石で作られた家というわけではなく、ブッダがアビダンマピタカ(論蔵)の7つの本について深く考察された場所のことです。ブッダはダンマサンガニーを始めとして本を一つずつ考察されましたが、最初の6つを探求していた時には身体から光が放たれることはありませんでした。しかしながら、パッターナに至ると、ヘートゥ(チッタを安定させる根)やアーランマナ(チッタの対象)などについての24種類の普遍的な因果関係について深い考察を始めた時、ブッダの全能の智慧が顕わになりました。ティミラティピンガラという巨大な魚が、自分が住める場所を探すと84000ヨージャナ(当時の距離の単位)という深さの大海だけであったと言われています。これと同じようにブッダの全能の智慧が収まるのは(パッターナという)偉大な書籍だけです。 師であるブッダの身体から青、金色、赤、白、黄褐色、そして目がくらむような色をもった6種類の光が放たれました。陽の目を見た全能の智慧により微妙で難解なダンマを深く考察されておられた時のことです。6

テーラワーダ仏教の本流は、アビダンマピタカ(論蔵)は間違いなくブッダご自身の言葉であるという立場をとり続けています。この点は、初期の対立学派であるサルヴァースティヴァーディンと見解を異にしています。この学派も7つの書籍からなるアビダンマピタカ(論蔵)を所蔵していますが、細かい部分についてはテーラワーダ仏教の聖典とはかなり異なります。サルヴァースティヴァーディンによれば彼らのアビダンマピタカ(論蔵)はブッダの弟子により書かれたとされており、その弟子の中にはブッダの何世代も後の人たちが含まれていますう。これに対し、テーラワーダ仏教の学派はアビダンマピタカの内容はブッダご自身が説かれたという立場をとり続けています。ただしカターヴァットゥの中で常識を外れた見解を論破する部分は例外で、アソーカ王の統治時代にモッガリプッタティッサ長老の作とされています。

パーリ注釈書が古い伝統を踏襲していることは明らかであり、ブッダがアビダンマを説かれたという立場をつらぬいています。それによれば人間界で人間の弟子を対象に説かれたのではなく、ターヴァティムサ(33天)という天界においてデーヴァ(天人、神)の一団を対象に説かれたとされています。この伝統に基づけば、ブッダは7番目の雨安居の直前にターヴァティムサ(33天)に昇り、パリッチャッタカという木の根元、パドゥンカバラという石の上に座し、1万世界から集まったデーヴァ(天人、神)の一団に雨安居の3か月を使ってアビダンマを教えたとされています。聞き手の筆頭は死後デーヴァ(天人、神)として生まれ変わった実母、マハーマーヤーデーヴィでした。言い伝えによれば、ブッダが人間界ではなくデーヴァ(天人、神)の世界を教えの場として選ばれたのはアビダンマの全体を完全な形で教えたかったからだとされています。そのためには同じ聴衆を対象にし、最初から最後まで一続きとして教える必要があったのです。アビダンマの全てを説明するには3か月かかるため、途切れなく聞くことが出来るのはデーヴァ(天人、神)とブラーマー(梵天)だけでした。それだけ長い時間同じ姿勢で聞くことが出来るのは彼らだけだったからです。

しかしながら、ブッダは身体を維持するため、毎日人間界のウッタラクル北部に戻り托鉢するのを常としていました。托鉢を終えるとブッダはアノータッタ湖の湖岸で食事をとりました。ダンマを最も良く理解していた弟子のサーリプッタ長老はそこでブッダと会い、デーヴァ(天人、神)の世界でその日に説かれた内容の概要を聞くのを常としていました。「その時ブッダは『サーリプッタよ、かくも多くの教義が示された』と言いながら、サーリプッタにアビダンマの分析手法を伝えました。このようにして分析の智慧を持った一番弟子にアビダンマの手法が伝わりました。ブッダが湖岸の淵に立ち、開かれた手で大湖の水を指し示すかのようでした。サーリプッタがブッダから教えを受けた教義、何百、何千という手法が極めて明瞭になりました。」7

ブッダからダンマについての教えを受けたサーリプッタは、自分の弟子達500人に教えました。こうしてアビダンマピタカ(論蔵)を文章として伝える流れが確立しました。アビダンマの文章の順番を決め、パッターナのシリーズに番号をつけたのはサーリプッタ長老とされています。アッタサーリニーにおけるこうした記述は、アビダンマの哲学的見解と基本構造はブッダご自身の作であるものの、実際に詳細をつめ、おそらくは文章自体の原案を作ったのも高名な一番弟子であるサーリプッタと彼に付き従っていた弟子たちであることをほのめかしている、そのように考えるべきかもしれません。初期の仏教の他の学派においてもアビダンマとサーリプッタは密接に結びついています。一部の学派の伝統ではアビダンマの論述の著者はサーリプッタであると解釈しています。

7つの著作

アビダンマ聖典を構成する7つの著作の概要を示すことで、膨大な文章が凝縮されアビダンマッタサンガハとしてまとめられる過程を少し洞察できるかと思います。第一番目の著作であるダンマサンガニーはアビダンマの体系全体の根源となっています。タイトルを訳すとすれば「現象の列記」となります。そして、実際に存在の究極の構成要素を大変な労力を割いてカタログとして編纂しています。

ダンマサンガニーの最初はマーティカーすなわちカテゴリーのスケジュールで、アビダンマ全体の枠組みとして役立っています。その本文は4つの章に分かれており、第1章は「チッタの状態」で著作全体の半分を占めています。 マーティカーに最初に出てくる3つの項目の組、クサラ(善)、アクサラ(不善)、クサラでもアクサラでもないもの、の3つの分析について話を展開しています。このような分析のために倫理的な質により分類した121種類のチッタを本文に列記しています。9 次いで、それぞれのタイプのチッタを分解し、それに付随するチェータスィカ一つ一つを完全な形で定義しています。第2章「物質について」においては倫理的に善でも不善でもない、物質的現象を列記し、分類しています。第3章は「要約」と呼ばれ、アビダンマおよびスッタンタ(経)のマトリックスに見られる全ての用語について簡潔に説明しています。最終章である「概要」では、アビダンマのマトリックスについてさらに凝縮した説明を提示し結論としています。ここではスッタンタのマトリックスは省略されています。

ヴィバンガ「分析の本」は18章からなります。それぞれが自己完結する論述となっており、以下のような項目を順に扱っています。カンダ(生命を構成する塊)、アーヤタナ(感覚基盤)、ダートゥ(基本要素)、サッチャ(真理)、インドゥリヤ(能力)、パティッチャサムッパーダ(原因に基づいた生起)、サティパッターナ(気づきの土台)、サンマッパダーナ(最高の努力)、イディパダー(完遂するための手段)、ボッジャンガ(覚りの要素)、アッティンギカマッガ(八正道)、ジャーナ(禅定)、アッパマンニャー(対象に制限の無い優れた心)、修行のルール、分析の智慧、智慧の種類、小項目(心の汚れのリスト)、ダンマハダヤ(教義の核心)と呼ばれる仏教徒の宇宙観における心と宇宙の地形図、です。ヴィバンガの章のほとんどは次の三つの節からなります。スッタ(経)の方法論に従った分析のセクション、アビダンマの方法論に従った分析のセクション、そしてマトリックスのカテゴリーを調査対象に当てはめる照合のセクションです。

ダートゥカター、「基本要素についての説法」は全てが問答形式で書かれています。カンダ(生命を構成する塊)、アーヤタナ(感覚基盤)、ダートゥ(基本要素)という3つの図式に関連して、全ての現象を論じています。現象がこれらに含まれるか否か、含まれるとしたらどの程度か、現象がこれらと一緒に生じるか、あるいは別に生じるかなどを決定するために検証しています。

プッガラパンニャッティ、「人という概念」という著作は、アビダンマそのものよりもスッタ(経)の方法に近いものとなっています。最初に概念の種類を全般的に列記しています。これは、この著作が他の著作を補う形になっていることを示唆しています。アビダンマの方法を厳格に当てはめれば除外されるべき概念上の真理について説明することを目的にしています。異なるタイプの人について公式に定義しています。第1章は単一の人のタイプ、第2章は二つの組、第3章は三つの組と進み全部で10章あります。

カターヴァットゥ、「議論となる点」は論争形式の論述で、モッガリプッタティッサ長老の作とされています。ブッダの入滅から218年後、アソーカ王の時代に編纂されたと言われています。目的はテーラワーダの本流から外れた仏教学派からの対立意見に反論することであったとされています。この著作をアビダンマ聖典に含めることについて、注釈書は次のように擁護しています。教義の解釈における誤りが生じるであろうことをブッダご自身が予見され、あらかじめ反論を用意してそれを伝え、モッガリプッタ長老はブッダの意向に従ってそれを付け加えて補完しただけであるということです。

ヤマカ、「二つの組を記した著作」の目的は専門用語の不明瞭な点を正し、正確な用法を定義することです。題名はその手法にちなんで付けられています。ある質問とその質問の内容を逆にした質問を組にして提示しています。例えば第1章では「善なる現象は全て善なる根か?善なる根は全てが善なる現象か?」といった具合です。ヘートゥ(チッタを安定させる根)、カンダ(生命を構成する塊)、アーヤタナ(感覚基盤)、ダートゥ(基本要素)、サッチャ(真理)、サンカーラ(業を形成する作用)、アヌサヤ(潜在的な心の汚れ)、チッタ、現象、インドゥリヤ(能力)、の10章からなります。パッターナ、「条件づけられた関係についての著作」はおそらくアビダンマピタカ(論蔵)の中で最も重要な作品であり、そのため伝統的にマハーパカラナ(偉大な論述)と呼ばれています。内容と範囲が膨大で、第6結集の際にビルマ語で書かれた版は全5巻、ページ数2500に及ぶ大作です。パッターナの目的はアビダンマのマトリックスに組み込まれた全ての現象に、24種類の条件づけられた関係の図式を当てはめることです。この著作の主要部分は、大きく4つに分かれます。陽性の方法に従った生起、陰性の方法に従った生起、陽性-陰性の方法に従った生起、陰性-陽性の方法に従った生起の4つです。そしてそのそれぞれが更に6つに分かれています。3つの組の生起、2つの組の生起、3つの組と2つの組が一緒になった生起、2つの組と3つの組が一緒になった生起、3つの組と3つの組が一緒になった生起、2つの組と2つの組が一緒になった生起、の6つです。こうした24種類の節からなるパターンの中で、24種類の条件関係の様式を存在という現象の全てに、決められた順番で、そして考えうる全ての序列に従って、当てはめています。無味乾燥な表形式のフォーマットとなっていますが、「不敬」ながら人間的見地から見てもパッターナは人間の心による真に記念碑的な作品の一つであることは用意に認めることが可能と思われます。その見通しの広さ、一貫性に徹する姿勢、労を厭わない仔細へのこだわりは驚嘆に値します。正党のテーラワーダ仏教にとってパッターナは、妨げるものが無いブッダの全能の智慧を証明する最も雄弁な著作となっています。

注釈書

アビダンマピタカ(論蔵)に啓発されて、聖典で作られた鋳型を説明と例示により穴埋めする夥しい数の解釈文献が編纂されました。この範疇に入る最も重要な作品は、ブッダゴーサ尊者が書かれた権威ある注釈書で、3部あります。アッタサーリニー、「解説者」はダンマサンガニーの注釈書です。サンモーハヴィノーダニー、「妄想を追い払うもの」はヴィバンガの注釈書です。パンチャッパカラナ アッタカターは残りの5つのアビダンマ聖典に対する注釈書です。これと同じ文献の階層に属するのはヴィスッディマッガ、「心を清める道(清浄道論)」で、これもまた作者はブッダゴーサとなっています。ヴィスッディマッガは百科事典的な瞑想のガイドとなっていますが、「理解の土壌」に関する章(第14章から第17章)は事実上アビダンマについての論述となっています。それぞれの注釈書にはさらにその注釈書(ムーラティーカー)があり、その著者はアーチャリヤアーナンダというスリランカの長老です。そしてそうした注釈書の注釈書にもさらに注釈書があり、アーナンダ長老の弟子であるダンマパーラ(ブッダゴーサの著作のティーカー《注釈》を書いたアーチャリヤダンマパーラ大長老とは別人です)がその著者です。

注釈書の著者はアーチャリヤブッダゴーサ長老とされていますが、その内容は長老が独自に考案したものは一つもなく、また伝統的な素材を勝手に解釈しようとしたものでもないことに注意が必要です。スリランカのアヌラーダプラにあるマハーヴィハーラ僧院に残っていた膨大な解説資料をブッダゴーサ長老が見つけて注意深く編纂したというのが実情です。高名な注釈書の著者であるブッダゴーサ長老の何世紀も前から存在した資料であったと思われます。学識のある仏教指導者達がアビダンマ聖典の意味を分かりやすくするために代々積み上げてきたものを長老が代表してまとめたのです。長い歴史の中で注釈書がアビダンマピタカ(論蔵)の思想の枠を超えて発展してきたという証拠について論じる試みは魅力的ですが、そうした試みが行き過ぎるのは危険です。なぜならアビダンマ聖典の大部分は注釈書が必要であり、それにより内容が統一され、体系的な全体像の一部としての個々の要素がまとまりを得たものになるからです。それがなければ重要な意味が欠けてしまうことになります。ですから注釈書の大部分がアビダンマ聖典とほぼ同時期に生じて、それと一緒に伝えられてきたと考えるのは合理的ではありません。注釈書はアビダンマ聖典と異なりいまだ完結しておらず、修正や追加の門戸が開かれています。

こうした背景をふまえて、注釈書に特徴的なアビダンマの概念のうちアビダンマピタカ(論蔵)そのものには書かれていない、ないし説明が不足しているものを簡単に取り上げてみたいと思います。その一つはチッタヴィーティ(認識過程)についての詳細な説明です。聖典の中ではこの概念は暗黙の了解事項となっていますが、それが独自の説明用の道具として持ちだされるようになりました。その中で様々なチッタの機能が明示され、やがてチッタそのものがその機能の観点から命名されるようになりました。「瞬間」を意味するカナという言葉が、「機会」を意味するサマヤという聖典で使われている言葉にとって代わり、事象の存続を測る基本的な単位となりました。そして物質的現象の存続時間は、精神的現象17個分であると定義されました。瞬間の単位はさらに、生起、存続、壊滅の3つに分けられますが、これはアビダンマには無く、注釈書で初めて出てくる区分です。10 物質的現象を整理してグループ(カラーパ)に分けるやり方は、物質的現象を基本要素と基本要素に由来する物質に分けるという形でアビダンマピタカにも見られますが、基本的には注釈書が主体となります。例えば、ハダヤヴァットゥ(心臓というチッタの基盤)はマノーダートゥ(精神的現象という基本要素)とマノーヴィンニャーナダートゥ(精神的現象を感じ取ったという意識という基本要素)の物質的基盤となります。

注釈書はカンマ(業)を分類するためのカテゴリーの多く(全てではありません)を紹介し、カンマ(業)とその結果の関係を詳細に論じています。また、チェータスィカの総数についての制限を設けていません。ダンマダンガーニの中に「あるいは、条件に応じて生じた他の何らかの非物質的現象がその時存在します。」という表現は、追加についての道が開かれているチェータスィカの世界を想定していることは明らかです。注釈書は「あるいはその他の何らかの状態(イェーヴァーパナカー ダンマー)」と示すことで制限を外しているのです。また、注釈書は「本来備わった独自の性質を持つ事物(アッタノー サバーヴァン ダーレーンティー ティ ダンマー)というダンマの公式の定義を供給することでダンマ理論を完成させています。特定のダンマを定義する作業は最終的に性質、機能、現れ方、直近の原因という4通りの定義方法を広く採用することでまとめられています。これはペータコーパデーサとネッティパカラナという古い一組の解説書に由来します。

アビダンマッタサンガハ

聖典自体も膨大で、その後も量と複雑さを増しているアビダンマッタの体系は、それを学び理解することが益々難しくなったと思われます。このため、仏教が発展していく段階でアビダンマ全体の簡潔な要約が必要であるとテーラワーダ仏教徒たちは考えるようになりました。アビダンマのアウトラインを忠実かつ完全に、それでいて手に余る膨大な量の詳細を省いた教本を新参の生徒たちに用意したいと考えたのです。

この目的を遂げるためアビダンマの小手引書ないし概説書が、おそらく5世紀頃に現れはじめ、それが12世紀頃まで続きました。ビルマでは「レッタン」すなわち小指のマニュアルと呼ばれ全部で9つあります。
1、 アビダンマッタサンガハ(アーチャリヤアヌルッダ著)
2、 ナーマルーパパリッチェーダ(同上)
3、 パラマッタヴィニッチャヤ(同上?)
4、 アビダンマーヴァターラ(アーチャリヤブッダダッタ著:ブッダゴーサと同時代の人で年長です)
5、 ルーパールーパヴィバーガ(同上)
6、 サッチャサンケーパ(バダンタダンマパーラ著:おそらくスリランカ出身で、同名の亜注釈書の著者とは異なります。
7、 モーハヴィッチェーダニー(バダンタカッサパ著:南インドないしスリランカ出身)
8、 ケーマパカラナ(バダンタケーマ著:スリランカ出身)
9、 ナーマチャーラディーパカ(バダンタサッダンマジョーティパーラ:ビルマ出身)

これらの著作の中で12世紀頃から現在に至るまでアビダンマ研究の主体となっているのは1番目のアビダンマッタサンガハ、「アビダンマに書かれている事物についての概説」です。簡潔さと理解しやすさのバランスが卓越している点が人気の理由だと思われます。短いながらも、アビダンマの基本の全てが網羅され簡潔にかつ注意深くまとめられています。一人で読むと、不明瞭な点に至るまで題材の扱い方が極端に簡略化されています。しかし有能な指導者のもとで、あるいは説明手引書の助けを借りて読むと、アビダンマ体系の迷路をくぐり抜けて全体構造を明確に感じ取ることが出来ます。このため、テーラワーダ仏教の世界ではどこもアビダンマを学ぶ際の最初の教科書として常にアビダンマッタサンガハを使っています。仏教僧院、特にビルマの僧院では新参の比丘や年少の比丘はアビダンマピタカ(論蔵)とその注釈書を学ぶ前にアビダンマッタサンガハを暗記することが要求されます。

アビダンマッタサンガハの著者であるアーチャリヤアヌルッダについての詳細な情報はほとんど残っていません。彼は先に示した他の二つのマニュアルの著者でもあります。仏教国の言い伝えでは、彼はこの3つを含め全部で9つの概説書を書いたとされており、現在まで残っているのはこの3つだけです。パラマッタヴィニッチャヤは優雅なパーリ語で書かれており、文学的な卓越さの点でも高い評価を得ています。その奥付によれば、著者であるアーチャリヤアヌルッダは南インドのカーンチプラ(コンジーヴァラン)州のカーヴェリに生まれたとされています。アーチャリヤブッダダッタとアーチャリヤブッダゴーサも同じ地域に住んでいたと言われています。亜注釈書の著者であるアーチャリヤダンマパーラはおそらくその地区の原住民だったと思われます。カーンチプラは数世紀にわたり、テーラワーダ仏教の重要な拠点となっていた証拠がみつかっており、そこで学んだ比丘はスリランカに渡ってさらに勉学を進めたと言われています。

アーチャリヤアヌルッダがどの時代を生き、彼の手引書を書いたのかは正確には知られていません。古い僧院派の伝統では、彼はアーチャリヤブッダダッタの同級生であり、同じ指導者の下で学んだと考えられています。そうであれば彼が生存したのは5世紀ということになります。この伝統に従えば、二人の長老それぞれアビダンマッタサンガハ、アビダンマーヴァターラという教科書を書き、指導者の恩に報いたとされています。その指導者は「ブッダダッタはあらゆる宝物で部屋を満たして鍵をかけた、アヌルッダは部屋を宝物で満たし鍵を開けたままにした。」11と言ったそうです。しかしながら現代の学者たちはこの説を採用せず、アヌルッダの著作のスタイルと内容から考えて8世紀よりも前に生きたとは考えにくく、10世紀から12世紀初頭の間ではないかと考えています。12

アビダンマッタサンガハの奥付の中で、アーチャリヤアヌルッダはムーラソーマ僧院でこの手引書を書いたと述べています。伝統的解説は全てこの僧院はスリランカにあったとしています。一方、パラマッタヴィニッチャヤの結論部分では 南インドのカンチプラで生まれたと書いています。この2つを矛盾なく説明するための解釈がいくつか提示されています。一つの仮説は、アーチャリヤアヌルッダは南インドの出身で、スリランカに渡り、そこでアビダンマッタサンガハを書いたというものです。GPマララセーケーラが提唱するもう一つの仮説は、アーチャリヤアヌルッダはスリランカの出身で、カンチプラに滞在しというものです(しかしながらこの説は、自分がカンチプラで生まれたと書いた事実を考慮していません)。第3の説はアヌルッダという名前の僧が二人いたというものでAPブッダダッタマハーテーラ長老が提唱しています。一人はスリランカにいてアビダンマッタサンガハを書き、もう一人はカンチプラでパラマッタヴィニッチャヤを書いたとしています。13

サンガハの注釈書

アビダンマッタサンガハは極端に簡略化されているため、説明なしに理解するのは容易ではありません。このため、アビダンマッタサンガハに書かれている簡潔ではあるけれども含蓄に富んだアビダンマ哲学の概要を明瞭にするためたくさんのティーカー、注釈書が書かれました。実際のところこれほど多くの注釈書が書かれたパーリ教本他には見られず、パーリ語だけでなく、ビルマ語、シンハラ語、タイ語など様々な言葉で書かれています。15世紀以降、国際的なアビダンマ研究の中心がビルマとなった関係から、ビルマの学者によって書かれたパーリないしビルマ語の注釈書がたくさんあります。パーリ語でかかれた注釈書だけでも9つに登ります。そのうち大事なものは以下の通りです。

1、 アビダンマッタサンガハティーカー:ポラーナティーカー、「古い注釈書」とも呼ばれています。12世紀にスリランカで書かれた大変小さなティーカーで、作者はアーチャリヤナヴァヴィマラブッディという名前の長老です。
2、 アビダンマッタヴィバーヴィニーティーカー:ヴィバーヴィニーとも呼ばれています。同じく12世紀に、高名なスリランカの長老、サーリプッタマハーサーミの弟子であるアーチャリヤスマンガラサーミ長老が書いたとされています。このティーカーはあっという間にポラーナティーカーを凌駕し、一般的に最も奥が深く信頼性の高いサンガハ関連の著作と考えられています。ビルマでは、この著作はティーカージョー、「有名な注釈書」として知られています。著者はアビダンマに習熟し、深い学識を持ち合わせていることから大変尊敬されています。彼はアビダンマアヌティーカーやヴィスッディマッガマハーティーカー(パラマッタマンジューサーという名前でも知られています)の二つの権威ある著作に大きく依存しています。レディセヤドー(後述)は彼自身が書いたサンガハの注釈書の中でヴィバーヴィニーを厳しく批判していますが、その人気は衰えるどころか益々高まっており、ビルマの学者の中にはレディセヤドーの批判に反論する人も出てきています。
3、 サンケーパヴァンナナー:16世紀に書かれた注釈書で、著者はバダンタサッダンマジョーティパーラです。チャパダマハーテーラとしても知られている彼はビルマの比丘であり、コッテーのパラークラマバーフ6世(15世紀)が治めていたスリランカを訪れました。14
4、 パラマッタディーパニーティーカー:「究極の意味の明確化」とも呼ばれ、作者はレディセヤドーです。ビルマのレディセヤドー(1896-1923)は近年のテーラワーダの伝統における最も卓越した学問僧ならびに瞑想指導者の一人です。彼は様々な側面からテーラワーダ仏教のマニュアルを書き、その数は70を超えています。哲学、倫理学、瞑想実践、パーリ文法などその内容も多岐にわたっています。彼が書いたティーカーはアビダンマ研究の分野に大きな反響を呼び起こしました。高く評価されていたヴィバーヴィニーティーカーの325箇所に誤りや解釈の間違いがあると指摘したからです。彼の批判に対しヴィバーヴィニーティーカーを擁護する動きも生じました。
5、 アンクラティーカー:著者はヴィマーラセヤドーです。このティーカーはパラマッタディーパニーの発刊から15年後に書かれました。一般に受け入れられていたヴィバーヴィニーの意見を支持する内容になっています。
6、 ナヴァニータティーカー:元々は1993年にインドの学者であるダンマーナンダコーサンビがデーヴァナーガリーとして出版したものです。題名の文字通りの意味は「バター注釈書」で、哲学的な論争を避けてサンガハをスムーズに、かつシンプルに説明していることからそのように名付けられたのではないかと思われます。

サンガハの概要

アビダンマッタサンガハは9つの章からなります。まず冒頭でチッタ(対象を認識する働き)、チェータスィカ(チッタに特別な機能を付加する要素)、ルーパ(物質的現象)、ニッバーナ(涅槃)という4つのパラマッタダンマ(究極の真理)を列挙しています。最初の6章は、この四つについての詳細な説明に費やされています。第1章はチッタサンガハヴィバーガ(チッタの概要)で、チッタを89ないし121に分類します。この第1章はダンマサンガーニの「チッタの状態」という章と同じ領域をカバーしていますが、アプローチの仕方が異なります。聖典では、マーティカーに使われている最初の3組の性質に基づいた分析から始まり、チッタを倫理的な観点からクサラ(善)、アクサラ(不善)、アヴャーカタ(善でも不善でもないもの)の3つに分類します。その後、それぞれの範疇に入るチッタをアヴァチャラ(意識の領域)によりカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)、ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)、アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)の4つに細分類します。一方、サンガハではこうしたマーティカーの手法に捕らわれることなく、チッタをまずアヴァチャラ(意識の領域)の観点から分類し、次いで倫理的な観点から細分類します。

第2章、チェータスィカサンガハヴィバーガ(チェータスィカの概要)では52個のチェータスィカ、すなわちチッタに伴って生じそれに特別な機能を付加する要素を列挙し、サッバチッタサーダーラナ(全てのチッタに共通して見られるもの)、パキンナカ(一部のチッタのみ見られるもの)、アクサラ(不善なもの)、ソーバナ(倫理的に美しいもの)の4つの範疇に分類します。次いで二つの補足的な手法によりそれぞれのチェータスィカを検証します。一つ目はサンパヨーガナヤ(付随という手法)で、個々のチェータスィカがどのようなチッタに伴って生じるかを明らかにします。二つ目はサンガハナヤ(組み合わせないし参入)という手法で、チェータスィカ同士がどのような組み合わせで生じるかを明らかにしています。この章もまた、基本的にはダンマサンガーニの第1章に基づいて書かれています。

第3章は、パキンナカサンガ(様々なものの概要)というタイトルで、各種のチッタとチェータスィカを6つの範疇に分類しています。その範疇はヘートゥ(チッタを安定させる根)、ヴェーダナー(対象を認識した際に生じる感受=苦しいという感受、楽しいという感受、苦しくも楽しくもないという感受)、キッチャ(チッタとチェータスィカの機能)、ドゥヴァーラ(対象が認識過程に入る門)、アーランマナ(認識の対象)、ヴァットゥ(チッタの物質的基盤)です。

第1章から第3章までは主にチッタの構造を扱っており、生命存在の内部での構造、および外部の変数との関係について論じています。これに対し、第4章、第5章はチッタの動的な側面、すなわちどのように生じるかを取り扱っています。アビダンマによれば、チッタは、全く異なるけれども互いに関連しあう二つの様式により生じるとされています。能動的に働きかけるプロセスと受動的な流れの二つです。第4章では「チッタヴィーティ(認識過程)」の性質を探ります。第5章は受動的な「ヴィーティムッタ(認識過程に関わらない)」の流れを詳細に説明しますが、その冒頭で伝統的な仏教徒の宇宙論を概観します。この二つの章の記述の多くは、アビダンマの注釈書に基づいています。第6章、ルーパサンガハ(物質の概要)では精神的な領域から物質世界へと視点が変わります。主にダンマサンガーニの第2章に基づいたこの章では、物質的な現象を列挙し、それを様々なやり方で分類し、その生じ方を説明しています。また、注釈書に基づいた物質のグループの名称を詳細に説明し、異なる生存領域でどのように物質的現象が生じるかを記述しています。第6章の最後では、パラマッタダンマ(究極の真理)の4番目、この体系の中で唯一条件に左右されることの無いニッバーナ(涅槃)について短く説明しています。

第6章までで4つのパラマッタダンマ(究極の真理)についての分析と説明は終了しますが、アビダンマの全体像を余すことなく示すため説明しなければならない重要な項目が残っています。最後の第7章から9章がこれを扱います。第7章、サムッチャヤサンガハ(カテゴリーの概要)ではパラマッタダンマ(究極の真理)を様々なカテゴリーに従って分類します。そして以下のような4つの大きな表題にまとめています。最初は、アクサラサンガハ(不善なものの概要)、2番目はミッサカサンガハ(善と不善を混合したものの概要)で、倫理的な質が異なる項目を含んだカテゴリーです。3番目は、ボディパッキヤサンガハ(覚りの条件の概要、そして4番目は、サッバサンガハ(全体の概要)で、アビダンマの存在論を包括的にまとめています。この第7章の内容はヴィバンガに大きく依存しており、ダンマサンガーニの内容も一部含んでいます。

第8章、パッチャヤーサンガハ(条件の概要)は物質的現象と精神的現象の相互関係についてのアビダンマの教えを紹介しています。これによりパラマッタダンマ(究極の真理)の分析に、機能的な関係を加え統合させています。パーリ聖典に書かれている条件関係についての二つのアプローチを要約して説明しています。一つは、パティッチャサムッパーダ(条件に基づいた現象の生起、十二因縁)で、多くはスッタ(経蔵)に書かれていますが、ヴィバンガ(IV)
ではスッタンタ(経蔵)とアビダンマ(論蔵)の二つの角度から分析しています。パティッチャサムッパーダの手法は条件関係を原因と結果というパターン(これが生命を、誕生と死の繰り返しというサンサーラ、輪廻に結びつけ続けます。)の観点から検証します。もう一つのパッターナ(条件関係)は24個の条件関係に基づいた手法です。第8章の末尾ではパンニャッティ(概念)を簡潔に説明し、プッガラーパンニャッティの内容を少し盛り込んでいます。

最終章である第9章は理論ではなく実践に関連した内容になっています。題名はカンマッタナサンガハ(瞑想対象の概要)です。この章はヴィスッディマッガ(清浄道論)のまとめのような内容になっています。ヴィスッディマッガの中で極めて詳細に説明されているあらゆる瞑想方法を簡潔に紹介しています。また集中瞑想、洞察瞑想の双方における瞑想の発達段階を凝縮して提示しています。傑作とされているヴィスッディマッガと同じく、涅槃を悟った4つの段階の聖者およびそれぞれの聖者たちが成就するパラ(結果)、そして心の働きを一時的に止めるニローダサマーパッティ(滅尽定)について説明し、締めくくっています。このようなアビダンマッタサンガハの構成により、アビダンマが苦しみからの救済を意図したものであることが強調されています。心と物質についての論理的な分析は最終的に瞑想実践に集約されます。そして瞑想実践が最高潮に達した時に、仏教の最終目標である、執着から離れることによる心の解放を成し遂げることになります。

-dhamma