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第9章 カンマッターナサンガハヴィバーガ(瞑想対象についての概要)

2023年1月21日

第9章 カンマッターナサンガハヴィバーガ(瞑想対象についての概要)

第1節 導入の偈文

サマタヴィパッサナーナン バーヴァナーナン イトー パラン
カンマッターナン パヴァッカーミ ドゥヴィダン ピ ヤターカマン

ここからは、それぞれサマタ(静寂)とヴィパッサナー(洞察)を育てるための二種類の瞑想について、その対象を順に説明します。

第1節へのガイド

二種類の瞑想対象:カッマッターナというパーリ用語の文字通りの意味は「活動の場」「仕事場」です。瞑想という領域において瞑想者が特別の目的を達するための仕事場である、瞑想対象を指す用語です。仏教では瞑想を高めるために、サマタ(静寂)とヴィパッサナー(洞察)という二つのアプローチがあります。この二つのうち、ヴィパッサナー(洞察)は仏教特有の瞑想方法です。この瞑想体系は仏教独特であり、ブッダが発見され世に示された真理を自ら直接悟ることを目的としています。サマタ(静寂)瞑想は仏教以外の瞑想教室でも教えています。しかしながら、仏教ではサマタ(静寂)瞑想は、ヴィパッサナー(洞察)瞑想を実践する土台となる心の静寂と集中を育むことを目的として教えています。2種類の瞑想のそれぞれに独自の方法と瞑想対象があり、この章で順次説明します。

サマタ(静寂)とヴィパッサナー(洞察):「静寂」を意味するサマタは心の静けさを指す用語です。サマーディー(集中)とほとんど同意ですが、サム(平穏椅なること)という異なる語幹に由来します。技術的な側面から見た場合、サマタは瞑想で達する8つの状態におきて、心が一点に集中した状態(チッタッセーカッガター)と定義されています。8つの状態とは経典における4つのルーパジャーナ(物質を対象にしたサマタ瞑想で得られる禅定)と4つのアルーパジャーナ(物質ではないものを対象にしたサマタ瞑想で得られる禅定)です。なおアビダンマではルーパジャーナは5つとされています。これらの達成状態がサマタ(静寂)と呼ばれるのは、心が一点に集中することで心の動揺や振動が静まり、ついには止まるからです。1

「洞察」を意味するヴィパッサナーという用語は「様々な方法で見ること(ヴィヴィダーカーラトー)」と説明されています。洞察とは、アニッタ(無常)、ドゥッカ(苦)、アナッター(無我)という現象の3つの性質を瞑想により直接感じ取ることです。そして、それは物事の本質を明らかにすることを目的とした、パンニャー(智慧)というチェータスィカの働きの一つです。アビダンマッタサンガハにおけるサマタ(静寂)瞑想、ヴィパッサナー(洞察)瞑想の説明はヴィシュディマッガ(心を清める道)全体の要約です。詳細は原典を参照してください。

サマタサンガハ(静寂)についての概要

基本的な範疇

第2節 カンマッターナ(瞑想対象)

タッタ サマタサンガヘー ターヴァ ダサ カスィナーニ ダサ アスバー
ダサ アヌッサティヨー チャタッソー アッパマンニャーヨー エーカー サンニャー
エーカン ヴァヴァッターナン チャッターロー アールッパー チャー ティ
サッタヴィデーナ サマタカンマッターナサンガへー

サマタサンガハ(静寂についての概要)では、まずサマタ(静寂)を育むためのカンマッターナサンガハ(瞑想対象の概要)は7通りあります。(1)10個のカスィナ(円盤)、(2)10種類のアスバ(不浄)、(3)10のアヌッサティ(隨念)、(4)4つのアッパマンニャー(対象に制限のない心=メッター、カルナー、ムディター、ウペッカー)、(5)サンニャー(認知)、(6)ヴァヴァッターナ(分析)、(7)4つのアールッパ(物質ではない状態)

第2節へのガイド

7つの範疇を合わせると、瞑想対象は全部で40となります。第6節~第12節で一つずつ説明します。表9.1もご覧ください。

第3節 チャリタ(気性)

ラーガチャリタ ドーサチャリタ モーハチャリタ サッダーチャリタ ブッディチャリタ
ヴィタッカチャリタ チャー ティ チャッビデーナ チャリタサンガホー

チャリタ(気性)について概要を示すと6通りとなります。(1)ラーガチャリタ(欲が強い気性)、(2)ドーサチャリタ(怒りが強い気性)、(3)モーハチャリタ(真理がわからず混乱した状態が強い気性)、(4)サッダーチャリタ(正しい道に対する信が強い気性)、(5)ブッディチャリタ(知的な気性)、(6)ヴィタッカチャリタ(推論が多く散漫な気性)、です。

第3節へのガイド

「チャリタ(気性)」は個人的な性質、つまり普段の態度や行為が示す性格を意味します。人のチャリタ(気性)は過去のカンマ(業)のために多岐にわたります。注釈書ではチャリタ(気性)を決めるのはパティサンディチッタ(生存と次の生存を結び付け再生をもたらすチッタ)であるとされています。

6つの気性の中で、ラーガチャリタ(欲が強い気性)とサッダーチャリタ(正しい道に対する信が強い気性)は組になります。どちらも対象を好む態度を含んでいるからです。ただし、その対象は前者の場合アクサラ(不善)であり、後者の場合はクサラ(善)です。同様に、ドーサチャリタ(怒りが強い気性)とブッディチャリタ(知的な気性)は組になります。どちらも対象から離れる態度をとるからです。前者は不善な方法で対象を嫌いそれから離れます。後者は対象に欠陥を見出し、対象から離れます。モーハチャリタ(真理がわからず混乱した状態が強い気性)とヴィタッカチャリタ(推論が多く散漫な気性)も組になります。前者は物事の表面的な部分しか見ないため揺れ動きます。後者は安易な推論により揺れ動きます。チャリタ(気性)の詳細についてはヴィシュディマッガ(心を清らかにする道)、第3章、74-102をご覧ください。

第4節 バーヴァナー(心の成長)

パリカンマバーヴァナー ウパチャーラバーヴァナー アッパナーバーヴァナー チャー
ティ ティッソー バーヴァナー

3段階のバーヴァナー(心の成長)は次の通りです。パリカンマバーヴァナー(準備的な心の成長)、ウパチャーラバーヴァナー(没入の一歩手前の心の成長)、アッパナーバーヴァナー(没入状態という心の成長)です。

第4節へのガイド

パリカンマバーヴァナー(準備的な心の成長)は瞑想実践を始めてから、(集中を妨げる)五つの障害が抑制されてパティバーガニミッタ(心に浮かぶ瞑想対象のイメージ)が現れるまでです。ウパチャーラバーヴァナー(没入の一歩手前の心の成長)は(集中を妨げる)五つの障害が抑制されてパティバーガニミッタ(心に浮かぶ瞑想対象のイメージ)が現れた時点から始まります。そしてジャーナ(禅定)という頂点に向かう認識過程の中でゴートラブーチッタ(通常の状態から禅定へとレベルが変わる際のチッタ)が現れるまで続きます。ゴートラブーチッタの直後に現れるチッタはアッパナー(没入)と呼ばれます。その時点からアッパナーバーヴァナー(没入状態という心の成長)が始まります。これはルーパーヴァチャラジャーナ(物質を対象にした禅定)、アルーパーヴァチャラジャーナ(物質ではないものを対象にした禅定)の段階です。

第5章 ニミッタ(サマタ瞑想の対象のイメージ)

パリカンマニミッタン ウッガハニミッタン パティバーガニミッタン チャー ティ
ティーニ ニミッターニ チャ ヴェーディタッバーニ

ニミッタ(サマタ瞑想の対象のイメージ)は三つあります。パリカンマニミッタ(準備段階の対象のイメージ)、ウッガハニミッタ(禅定に向けた練習途上に現れる対象のイメージ)、パティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)です。

第5節へのガイド

パリカンマニミッタ(準備段階の対象のイメージ)は、瞑想実践の初歩段階で使われる集中の対象そのものです。ウッガハニミッタ(禅定に向けた練習途上に現れる対象のイメージ)は、対象が複製されたイメージで、元の対象と同じように眼前に現れます。心が作る対象のイメージがさらに洗練され、不備な点が全くなくなったものがパティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)です。パティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)は、ウッガハニミッタ(禅定に向けた練習途上に現れる対象のイメージ)を破り出てくるかのようである、100倍も1000倍も鮮明で雲の陰から現れた月のようである、と言われています(清浄道論 第4章、31)。

40種類の瞑想対象(カンマッターナサムッデーサ)

第6節 カスィナ(サマタ瞑想の対象となる物質)

カタン パタヴィーカスィナン アポーカスィナン テジョーカスィナン
ヴァーヨーカスィナン ニーラカスィナン ピータカスィナン
ローヒタカスィナン オーダータカスィナン アーカーサカスィナン
アーローカカスィナン チャー ティ イマーニ ダサ カスィナーニ ナーマ

10種類のカスィナは以下の通りです。パタヴィーカスィナ(地のカスィナ)、アポーカスィナ(水のカスィナ)、テージョーカスィナ(火のカスィナ)、ヴァーヨーカスィナ(風のカスィナ、ニーラカスィナ(青いカスィナ)、ピータカスィナ(黄色いカスィナ)、ローヒタカスィナ(赤いカスィナ)、オーダータカスィナ(白いカスィナ)、アーカーサカスィナ(空間というカスィナ)、
アーローカカスィナ(光というカスィナ)です。

第16節へのガイド

10種類のカスィナ:カスィナという言葉の意味は「全体」、「全体性」です。パティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)は制限なくどこへでも拡大、延長できることからこのように呼ばれています。

パタヴィーカスィナ(地のカスィナ)、他: パタヴィーカスィナ(地のカスィナ)の場合はまず、直径30cmほどの円盤を用意し、それを土色の粘土で被って平らにします。これがカスィナ円盤であり、パタヴィーカスィナ(地のカスィナ)を出現させるためのパリカンマニミッタ(準備段階の対象のイメージ)となります。次に、その円盤を約1m離れた場所に置き、目を半眼にして見つめてそれに集中し、「パタヴィー、パタヴィー」と瞑想します。

アポーカスィナ(水のカスィナ)を出現させるためには、透明な水を満たした瓶を用意し、「アポー、アポー」と瞑想瞬間します。テージョーカスィナ(火のカスィナ)を出現させるためには火を点し、革ないし布に開けた穴を通してその火を見つめ、「テージョー、テージョー」と考えます。ヴァーヨーカスィナ(風のカスィナ)を出現させるためには、窓や壁の隙間から入ってくる風に集中し、「ヴァーヨー、ヴァーヨー」と考えます。

色のカスィナを出現させるためにはパタヴィーカスィナと同様に、直径約30cmの円盤を用意し、それを青、黄色、赤、ないし白色に塗ります。そしてその色の名前を心の中で唱えながらそれに集中します。必要な色の花を用意してそれを瞑想対象にすることも出来ます。

アーローカカスィナ(光というカスィナ)を出現させるためには、月ないし点滅していないランプの光に集中します。あるいは地面に映った光の輪、壁の隙間や穴から差し込む日光ないし月光、壁面に映る光などを対象にする場合もあります。

アーカーサカスィナ(空間というカスィナ)を出現させるためには直径30cmほどの穴に集中し、それを対象にして「アーカーサ、アーカーサ」と瞑想します。

カスィナの全容については清浄道論、第4章、第5章を参照してください。

第7節 アスバー(不浄)

ウッドゥマータカン ヴィニーラカン ヴィプッバカン ヴィッチッダカン
ヴィッカーイタカン ヴィッキッタカン ハタヴィッキッタカン ローヒタカン
プラヴァカン アッティカン チャー ティ イメー ダサ アスバー ナーマ

10種類のアスバー(不浄)は以下の通りです。ウッドゥマータカ(膨れ上がった死体)、ヴィニーラカ(青黒くなった死体)、ヴィプッバカ(腐り始めて膿が流れ出る死体)、ヴィッチッダカン(手足がばらばらになった死体)、ヴィッカーイタカ(動物に食われる死体)、ヴィッキッタカ(散乱した死体)、 ハタヴィッキッタカ(ばらばらになり、散乱した死体)、ローヒタカ(血にまみれた死体)、プラヴァカン(蛆がわいた死体)、アッティカ(骸骨)、です。

第7節へのガイド

10種類のアスバー(不浄)は死体が朽ち果てていく段階です。この瞑想対象は官能的な欲望を取り除く際に特に有用です。清浄道論、第6章をご覧ください。

第8節 アヌッサティ(繰り返して念じること)

ブッダーヌサティ ダンマーヌサティ サンガーヌサティ スィーラーヌサティ
チャーガーヌサティ デーヴァターヌサティ ウパサマーヌサティ マラナーヌサティ カーヤガーターサティ アーナーパーナーサティ チャー ティ イマー ダサ アヌッサティヨーナーマ

10種類のアヌッサティ(繰り返して念じること)は以下の通りです。ブッダーヌサティ(ブッダを繰り返して念じること)、ダンマーヌサティ(ブッダの教えを繰り返して念じること)、サンガーヌサティ(ブッダの弟子の集まりであるサンガを繰り返して念じること)、スィーラーヌサティ(道徳を繰り返して念じること)、チャーガーヌサティ(寛大さを繰り返し念じること)、デーヴァターヌサティ(神々を繰り返して念じること)、ウパサマーヌサティ(平穏を繰り返して念じること)、マラナーヌサティ(死を繰り返して念じること)、カーヤガーターサティ(身体に対する気づき)、アーナーパーナーサティ(呼吸に対する気づき)、です。

第8節へのガイド

ブッダーヌサティ(ブッダを繰り返して念じること)、他:最初の三つのアヌッサティ(繰り返して念じること)は、ブッダ、ダンマ(ブッダの教え)、サンガ(ブッダの弟子の集まり)の徳を繰り返し思い起こすことです。これは伝統的な方法に挙げられています。2

スィーラーヌサティ(道徳を繰り返して念じること)は道徳的で欠点がなく非難されることがない道徳的な特質を気づきながら繰り返し思い起こすことです。

チャーガーヌサティ(寛大さを繰り返し念じること)は寛大さという特質を気づきながら思い出すことです。

デーヴァターヌサティ(神々を繰り返して念じること)は、気づきながら次のように考えることにより実践します。「神々はご自身の信、道徳、学習、寛大さ、智慧によってかくも優れたところにお生まれになった。私もまた同じ特質を持っている。」この瞑想では自分自身への信頼といった特質に気づき、それを対象に瞑想します。神々がその証人になります。

ウパサマーヌサティ(平穏を繰り返して念じること)では、平穏に満ちたニッバーナ(涅槃)の特徴を対象にして瞑想します。

マラナーヌサティ(死を繰り返して念じること)は、人の死は確実であり、死が何時やってくるかは全くわからず、死を迎えると全てを捨てていかなければならないという事実を対象にして瞑想します。

カーヤガーターサティ(身体に対する気づき)では、頭髪、体毛、爪、歯、皮膚、肉、腱、骨、骨髄など、嫌悪をもよおさせる32の身体の部分を対象に瞑想します。

アーナーパーナーサティ(呼吸に対する気づき)では鼻孔ないし上唇に感じる吸気・呼気の接触感に注意を向けますが、呼吸を強く感じ取れる場所であればどこでも構いません。

10種類のアヌッサティ(繰り返して念じること)に関しては清浄道論、第7章、第8章をご覧ください。

第9節 アッパマンニャー(対象に制限の無い健全な心)

メッター カルナー ムディター ウペッカー チャー ティ イマー チャタッソー
アッパマンニャーヨー ナーマ ブラフマヴィハーラ ティ ピ パヴッチャンティ

4種類のアッパマンニャー(対象に制限の無い健全な心)は、ブラフマヴィハーラ(梵天の生き方)とも呼ばれ、以下の通りです。メッター(他者をわが子のように慈しむこと)、カルナー(他者の苦しみに共感すること)、ムディター(他者の幸せを喜ぶこと)、ウペッカー(他者を公平に見ること)、です。

第9節へのガイド

4種類のアッパマンニャー(対象に制限の無い健全な心)は、全ての生命に分け隔てなく送るべきでものであることからそのように呼ばれています。これは、ブラフマヴィハーラ(梵天の生き方)とも呼ばれますが、梵天界の梵天たちはそのような心で生きているためです。

メッター(他者をわが子のように慈しむこと)は、全ての生命が幸福に生きられるようにと願うことです。悪意を取り除くのに役立ちます。

カルナー(他者の苦しみに共感すること)とは、他者が苦しんでいる姿を見て心が疼くことです。他者の苦しみが無くなるように願うことです。残酷さの反対です。

ムディター(他者の幸せを自分のことのように喜ぶこと)は、他者の成功や繁栄を喜ぶ性質です。これは他者を祝福する態度であり、他者の成功に対する嫉妬や不満を取り除くのに役立ちます。

ウペッカー(他者を公平に見ること)は、ブラフマヴィハーラ(梵天の生き方)の一つとしてみる場合、執着や嫌悪から離れて他者を公平に見る心の状態です。偏りの無い態度が主な特徴で、えこひいきや拒絶とは対極にあります。

ブラフマヴィハーラ(梵天の生き方)の詳細な説明については清浄道論、第9章を参照してください。

第10節 エーカー サンニャー(1種類の認知)

アーハーレー パティックーラサンニャー エーカー サンニャー ナーマ

エーカー サンニャー(1種類の認知)とは、食物に対する嫌気を認知することです。

第10節へのガイド

「食物に対する嫌気を認知すること」とは、食物を探すことの困難さ、食物を使うことの忌まわしさ、消化の過程、排泄など、栄養に関する嫌な側面を深く考えることにより生じる認知です。清浄道論、第11章、1―26を参照してください。

第11節 エーカ ヴァヴァッターナ(1種類の分析)

チャトゥダートゥヴァヴァッターナン エーカン ヴァヴァッターナン ナーマ

エーカ ヴァヴァッターナ(1種類の分析)とは、チャトゥダートゥ(4つの要素=地、水、火、風)の分析です。

第11節へのガイド

チャトゥダートゥ(4つの要素=地、水、火、風)の分析に含まれるのは、身体を4つの要素から作られたものとして考えることです。パタヴィーダートゥ(地の要素)は身体の固形部分として、アポーダートゥ(水の要素)は体液として、テージョーダートゥ(火の要素)は身体の熱として、ヴァーヨーダートゥ(風の要素)は息と生気の流れとして表現されます。清浄道論、第11章、27-117を参照してください。

第12節 アルーパ(物質ではないもの)

アーカーサーナンチャヤタナーダヨー チャッターロー アールッパー ナーマー ティ
サッバター ピ サマタニッデーセー チャッターリーサ カンマッターナーニ
バヴァンティ

4種類のアルーパ(物質ではないもの)とは、アーカーサーナンチャヤタナ(空間の無限性という基盤)などです。このように、サマタ(静寂)の説明においては全部で40種類の瞑想対象があります。

第12節へのガイド

4つのアルーパジャーナ(物質ではないものを対象にした禅定)は次の通りです。(1)空間の無限性という基盤)、(2)意識の無限性という基盤、(3)虚無という基盤、(4)サンニャー(認知)があるわけでも無いわけでもないという基盤、です。清浄道論第10章を参照してください。

第13節 サッパーヤベーダ(適合性についての分析)

チャリタース パナ ダサ アスバー カーヤガーターサティサンカーター
コッターサバーヴァナー チャ ラーガチャリタッサ サッパーヤー
チャッタソー アッパマンニャーヨー ニーラーディーニ チャ チャッターリ
カスィナーニ ドーサチャリタッサ
アーナーパーナン モーハチャリタッサ ヴィタッカチャリタッサ チャ
ブッダーヌサティ アーダヨー チャ サッダーチャリタッサ
マラナウパサマサンニャーヴォヴァッターナーニ ブッディチャリタッサ
セーサーニ パナ サッバーニ ピ カンマッターナーニ サッベーサン ピ サッパーヤーニ
タッター ピ カスィネース プトゥラン モーハチャリタッサ クッダカン
ヴィタッカチャリタッセーヴァー ティ

アヤン エッタ サッパーヤベードー

チャリタ(気性)に関しては、10種類のアスバー(不浄)と身体への気づき、すなわち32の身体の部分を対象にした瞑想は、ラーガチャリタ(欲が強い気性)に適しています。

4つのアッパマンニャー(対象に制限の無い健全な心)と4種類の色のついたカスィナ(サマタ瞑想の対象となるイメージ)はドーサチャリタ(怒りが強い気性)に適しています。

アーナーパーナー(呼吸)に対する気づきはモーハチャリタ(真理がわからず混乱した状態が強い気性)とヴィタッカチャリタ(推論が多く散漫な気性)に適しています。

ブッダーヌサティ(ブッダを繰り返して念じること)を始めとした6つのアヌッサティ(繰り返して念じること)はサッダーチャリタ(正しい道に対する信が強い気性)に適しています。マラナ(死)、ウパサマ(平穏)、サンニャー(食事に対する嫌悪の認知)、ヴァヴァッターナ(物質を構成する4つの要素)を対象としたアヌッサティ(繰り返して念じること)はブッディチャリタ(知的な気性)に適しています。
残りの瞑想対象は全てのチャリタ(気性)に適しています。

カスィナ(サマタ瞑想の対象となる物質)は、幅広いものはモーハチャリタ(真理がわからず混乱した状態が強い気性)に、小さなものはヴィタッカチャリタ(推論が多く散漫な気性)に適しています。

これがサッパーヤベーダ(適合性についての分析)です。

バーヴァナーベーダ(瞑想の上達についての分析)

第14節 3つの段階

バーヴァナース パナ サッバター ピ パリカンマバーヴァナー ラッバテーヴァ
ブッダーヌサティ アーディス アッタス サンニャーヴァヴァッターネース チャー ティ ダサス カンマッターネー ウパチャラバーヴァナー ヴァ サンパッジャティ ナッティ
アッパナー
セーセース パナ サマティンサ カンマッターネース アッパナーバーヴァナー ピ
サンパッジャティ

パリカンマバーヴァナー(初歩的な段階)は40個の瞑想対象全てにおいて達成することが出来ます。10個の瞑想対象、すなわちブッダーヌサティ(ブッダを繰り返して念じること)などの8つのアヌッサティ(繰り返して念じること)、サンニャー(食事に対する嫌悪感の認知)、ヴァヴァッターナ(4つの要素=地、水、火、風の分析)ではウパチャラバーヴァナー(瞑想対象への没入の一歩手前の段階)に達することが出来ますが、アッパナー(没入状態の段階)に達することは出来ません。残りの30個の瞑想対象ではアッパナーバーヴァナー(没入状態の段階)まで達することが出来ます。

第14節へのガイド

ブッダーヌサティ(ブッダを繰り返して念じること)を始めとした10個のアヌッサティ(繰り返して念じることでは、心はたくさんの異なる特質やテーマを念じます。強い思考(ヴィタッカ=対象に注意を向ける働き)を働かせなければならず、それが一点に集中し注意を固定することを妨げるため没入状態に達することが出来ません。

第15節 ジャーナ(禅定)

タッター ピ ダサ カスィナーニ アーナーパーナン チャ パンチャカッジャーニカーニ ダサ アスバー カーヤガターサティ チャ パタマッジャーニカー メッターダヨー タヨー
チャトゥッカッジャーニカー ウペッカー パンチャマッジャーニカー イティ
チャッビーサティ ルーパーヴァチャラッジャーニカーニ カンマッターナーニ
チャッターロー パナ アールッパー アルーパッジャーニカー

アヤン エッタバーヴァナーベードー

10種類のカスィナ(サマタ瞑想で用いる対象のイメージ)とアーナーパーナー(呼吸)は五段階のジャーナ(禅定)全てをもたらします。10種類のアスバー(不浄)、カーヤガターサティ(身体に対する気づき)はジャーナ(禅定)の第一段階だけです。メッタ(他者に対する慈しみ)などアッパマンニャー(対象に制限の無い健全な心)の最初の3つはジャーナ(禅定)の第一から第四段階まで達することが出来ます。ウペッカー(偏りの無い心)が作りだすのは第5段階のジャーナ(禅定)だけです。

以上の26種類の瞑想対象はルーパジャーナ(物質を対象にした禅定)を作り出します。

4種類の物質ではない瞑想対象はアルーパッジャーナ(物質ではないものを対象にした禅定)を作り出します。

これがバーヴァナーベーダ(瞑想の上達についての分析)です。

第15節へのガイド

10種類のアスバー(不浄)とカーヤガターサティ(身体に対する気づき)はヴィタッカ(対象に注意を向ける働き)を必要とするため、ヴィタッカが無くなる第2段階以降のジャーナ(禅定)は生じません。アッパマンニャー(対象に制限の無い健全な心)の最初の3つは、ソーマナッサ(精神的な楽しさ)を伴うため、ソーマナッサを伴う、第1から第4禅定までしか生じません。アッパマンニャー(対象に制限の無い健全な心)のうち、ウペッカー(偏りの無い心)はウペッカーヴェーダナー(楽しくも苦しくもない感受)とともに生じます。従ってうペッカーを伴い第5段階のジャーナ(禅定)の段階でしか生じません。

ゴーチャラベーダ(領域の分析)

第16節 ニミッタ(サマタ瞑想の対象のイメージ)

ニミッテース パナ パリカンマニミッタン ウッガハニミッタン チャ サッバター ピ
ヤターラハン パリヤーイェーナ ラッバンテーヴァ パティバーガニミッタン パナ
カスィナースバコッターサアーナーパーネースヴェーヴァ ラッバティ タッタ ヒ
パティバーガニミッタン アーラッバ ウパチャラサマーディ アッパナーサマーディ
チャ パヴァッタンティ

3種類のニミッタ(サマタ瞑想の対象のイメージ)の中で、パリカンマニミッタ(準備段階の対象のイメージ)とウッガハニミッタ(禅定に向けた練習途上に現れる対象のイメージ)は、適切な方法で実践すれば全ての対象で生じます。しかし、パティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)は、カスィナ(サマタ瞑想の対象となる物質)、アスバー(不浄)、身体の部分、アーナーパーナー(呼吸)の場合しか生じません。ウパチャーラサマーディー(没入状態の一歩手前の集中)とアッパナーサマーディー(没入状態に入った集中)はパティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)により生じます。

第17節 瞑想におけるニミッタの出現

カタン アーディカンミカッサ ヒ パタヴィーマンダラーディス ニミッタン
ウッガンハンタッサ タン アーランバナン パリカンマニミッタン ティ パヴッチャティ
サー チャ バーヴァナー パリカンマバーヴァナー ナーマ

瞑想の初心者がパタヴィー(地)の色をした円盤などから、特有のニミッタを認識する時、その対象はパリカンマニミッタ(準備段階の対象のイメージ)と呼ばれます。そしてその状態の瞑想は、瞑想実践の初歩的段階と呼ばれます。

ヤダー パナ タン ニミッタン チッテーナ サムッガヒタン ホーティ チャックナー
パッサンタッセーヴァ マノードゥヴァーラッサ アーパータン アーガタン タダー
タン エヴァーランバナン ウガッハニミッタン ナーマ サー チャ バーヴァナー
サマーディヤーティ

ニミッタの認識が完全になり、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)の領域に入って、あたかも眼で見ているかのようになるとそれはウッガハニミッタ(禅定に向けた練習途上に現れる対象のイメージ)と呼ばれます。瞑想は集中状態になります。

タターサマーヒタッサ パネータッサ タトー パラン タスミン ウガッハニミッテー
パリカンマサマーディナー バーンヴァナン アヌユンジャンタッサ ヤダー
タッパティバーガン ヴァットゥダンマヴィムッチタン パンニャーティサンカータン
バーヴァナーマヤン アーランバナン チッテー サンニスィンナン サマッピタン
ホーティ タダー タン パティバーガニミッタン サムッパンナン ティ パヴッチャティ

集中が高まってきたら、ウッガハニミッタ(禅定に向けた練習途上に現れる対象のイメージ)に基づいた初歩段階の集中により、さらに瞑想に専念します。そのうちに、ウッガハニミッタ(禅定に向けた練習途上に現れる対象のイメージ)の複製が瞑想対象として確立し、心の中に固定されます。瞑想によって生じた概念の一つですが、元々の瞑想対象と寸分違わない対象です。この時点でパティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)が生じたと言われます。

第18節 ジャーナ(禅定)の達成

タトー パッターヤ パリパンタヴィッパヒナー
カーマーヴァチャラサマーディサンカーター ウパチャラバーヴァナー ニッパンナー
ナーマ ホーティ タトー パラン タン エーヴァ パティバーガニミッタン
ウパチャラサマーディナー サマーセーヴァンタッサ
ルーパーヴァチャラパタマッジャーナン アッペーティ

その次に、ウパチャラバーヴァナー(ジャーナ、禅定の一歩手前の瞑想レベル)が確立します。カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しさを追い求める意識の領域)での集中状態であり、ジャーナ(禅定)の妨げとなる障害が一時的に無くなっています。次いで、瞑想者はウパチャラサマーディ(ジャーナの1歩手前の集中)を使ってパティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)を出現させようと努力するうちに、ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)におけるジャーナ(禅定)の第1段階に達します。

タトー パラン タン パタマッジャーナン アーヴァッジャナン サマーパッジャナン
アディッターナン ヴッターナン パッチャヴェーカンナー チャー ティ イマーヒ
パンチャヒ ヴァスィターヒ ヴァスィブータン カトゥヴァー ヴィタッカーディカン
オーラーリカンガン パハーナーヤ ヴィチャーラーディスクマングッパティヤー
パダハトー ヤターカマン ドゥティヤッジャーナーダヨー ヤターラハン アッペーンティ

これに続き、瞑想者は5つの熟達するための方法により、第1段階の禅定に熟達します。禅定に注意を向け、禅定に達し、決意し、禅定から出て、省察します。その後、ヴィタッカ(対象に注意を向ける働き)などの、粗大な因子を段階的に捨て去ろうと努力し、またヴィチャーラ(対象に向かった注意を維持する働き)などの微細な要素を段階的に高めようとする過程で禅定の第2段階、第3段階、第4段階、第5段階へと順次達します。この順番は決まっており、瞑想者の能力に従って進んでいきます。

イッチェーヴァン パタヴィーカスィナーディースー
ドゥヴァーヴィーサティカンマッターネース パティバーガニミッタン ウパラッバティ
アヴァセーセース パナ アッパマンニャー サッタパンニャッティヤン パヴァッタンティ

このようにパティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)はパタヴィーカスィナ(地のカスィナ)などの22種類の瞑想対象で見られます。残りの18種類の瞑想対象のうち、アッパマンニャー(対象に制限のない健全な心)は生命という概念とともに生じます。

第18節へのガイド

5つの熟達するための方法:この5つの中でアーヴァッジャナヴァスィター(禅定の要素に自在に注意を向けること)とは、ヴィタッカー(対象に注意を向ける働き)、ヴィチャーラ(対象に向かった注意を維持させる働き)などの異なるジャーナンガ(禅定の要素)に、望み通りに素早くかつ容易に注意を向けることです。サマーパッジャナジャスィター(自在に禅定に入ること)とは、ジャーナ(禅定)に入る際にバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり生存を連続させるチッタ)があまり生じることなく、異なるジャーナ(禅定に)素早くかつ容易に入る能力です。アディッターナヴァスィター(禅定に入っている時間を自在に決められる能力)とは、事前に決めておいた長さだけジャーナ(禅定)に入り続けることが出来る能力です。ヴッターナヴァスィター(禅定から自在に出る能力)とは、素早くかつ容易にジャーナ(禅定)から出る能力です。パッチャヴェーカナーヴァスィター(禅定を省察する能力)とは、たった今出たばかりのジャーナ(禅定)について振り返って観察する能力です。瞑想者はこの5つの熟達の他に、眼前に浮かんだパティバーガニミッタ(実物と寸分違わないイメージ)のサイズを徐々に増大させてついには世界全体を覆い尽くすようにすることを求められます。

第19節 アルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)への到達

アーカーサヴァッジタカスィネース パナ ヤン キンチ カスィナン
ウッガハーテトゥヴァー ラッダン アーカーサン アナンタヴァセーナ
パリカンマン カローンタッサ パタマールッパン アッペーティ タン エーヴァ
パタマールッパヴィンニャーナン アナンタヴァセーナ パリカンマン カローンタッサ
ドゥティヤールッパン アッペーティ タン エーヴァ パタマールッパヴィンニャーナバーヴァン パナ ナッティ キンチー ティ パリカンマン カローンタッサ
タティヤールッパン アッペーティ タティヤルッパン サンタン エータン パニータン
エータン ティ パリカンマン カローンタッサ チャトゥッタールッパン アッペーティー

次に、瞑想者は空間というカスィナ以外のカスィナを意識から取り除き、残った無限の空間を対象にして瞑想します。このようにすることで、瞑想者はアルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の第1段階に入ります。次いで、第1段階のアルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)の意識の無限性を対象にして瞑想することで、瞑想者はアルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の第2段階に入ります。その後、第1段階のアルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)の意識が無くなって「何も無い」状態を対象に瞑想することで、瞑想者はアルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の第3段階に入ります。アルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の第3段階を対象にして「これは平穏である、これは崇高である」と瞑想することで、瞑想者はアルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の第4段階に入ります。

第20節 他の瞑想対象

アヴァセーセース チャ ダサス カンマッターネース ブッダグナーディカン
アーランバナン アーラッバ パリカンマン カトゥヴァー タスミン ニミッテー
サードゥカン ウッガヒテー タッテーヴァ パリカンマン チャ サマーディヤティ
ウパチャーロー チャ サンパッジャティ

他の10種類の瞑想対象については、例えば、ブッダの徳を対象に瞑想を進め、そのニミッタ(瞑想対象を複製したイメージ)が完全な形で生じると、瞑想者は初期段階の瞑想の力によりそれに集中した状態となり、ウパチャラサマーディ(禅定の一歩手前の集中)が完成します。

第21節 アビンニャー(直接の知恵)

アビンニャーヴァセーナ パヴァッタマーナン パナ
ルーパーヴァチャラパンチャマッジャーナン アビンニャーパーダカー
パンチャマッジャーナー ヴッタヒトゥヴァー アディッテッヤーディカン
アーヴァッジェートゥヴァー パリカンマン カローンタッサ ルーパーディス
アーランバネース ヤターラハン アッペーティ

アビンニャー チャ ナーマ

イディヴィダン ディッバソータン パラチッタヴィジャーナナー
プッベーニヴァーサーヌッサティ ディッバチャックー ティ パンチャダー

アヤン エッタ ゴーチャラベードー

ニッティトー チャ サマタカンマッターナナヨー

アビンニャー(直接の知恵)の土台となるジャーナ(禅定)の第5段階から出た後、決意し準備を進めることで、瞑想者は目に見える形などの瞑想対象に関連したアビンニャー(直接の知恵)によりルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)の第5段階の禅定に入ります。

アビンニャー(直接の知恵)には5種類あります。イディヴィダ(超能力)、 ディッバソータ(神の耳)、 パラチッタヴィジャーナナー(他者の心を知る知恵)、プッベーニヴァーサーヌッサティ(過去生を思い出す知恵)、 ディッバチャック(神の眼)です。

これがゴーチャラベーダ(領域の分析)です。

静寂を培うための瞑想方法はこれで終了します。

第21節へのガイド

第5段階から出た後:ヴィシュディマッガ(清浄道論)はアビンニャー(直接の知恵)を実践する手順を次のように説明しています。(準備が完了した後に)瞑想者はアビンニャー(直接の知恵)の土台となるジャーナ(禅定)に入り、そこから出ます。もし、100個の分身を作りたければ「私が100個になりますように」と準備します3。その後、アビンニャー(直接の知恵)の土台となるジャーナ(禅定)に再び入り、そこから出て決意します。瞑想者は決意のチッタとともに同時に100個の分身となります。(12章、57)

アビンニャー(直接の知恵)には5種類あります:
(1) イディヴィダ(超能力)に含まれるのは、自分の分身をたくさん作って見せる、自在に現れたり消えたりする、壁をすり抜ける、地面に潜ったり出たりする、水上を歩く、空を飛ぶ、太陽や月を触ったりつついたりする、梵天界に至るまで移動する術をマスターする、です。
(2) ディッバソータ(神の耳)を身につけると、微かな音でも大きな音でも、遠くの音でも近くの音でも聞くことが出来ます。
(3) パラチッタヴィジャーナナー(他者の心を知る知恵)とは他人の思考を読んだり、その心の状態を直接知ったりする能力です。
(4) プッベーニヴァーサーヌッサティ(過去生を思い出す知恵)とは、過去の生存を知りその仔細を見出す能力です。
(5) ディッバチャック(神の眼)は千里眼のことで、天界であれ地上であれ、遠くであれ近くであれ見ることが出来ます。チュトゥーパパータニャーナ(他者の死と再生についての知恵)もディッバチャック(神の眼)に含まれます。生命が死に、カンマ(業)にしたがって再生する様子を直接知覚します。
これらのアビンニャー(直接の知恵)は全てローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人々の意識の領域)に属し、ジャーナ(禅定)の第5段階の習熟に依存します。教本では6番目のアビンニャー(直接の知恵)についても書かれています。アーサヴァッカヤニャーナ(心の汚れを破壊する知恵)で、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)に属し、洞察を通して生じます。

ヴィパッサナーサンガハ(洞察の概要)

基本的なカテゴリー

第22節 心の浄化の段階

ヴィパッサナーカンマッターネー パナ スィーラヴィスッディ チッタヴィスッディ
ディッティヴスッディ カンカーヴィタラナヴィスッディ
マッガーマッガーニャーナダッサナヴィスッディ
パティパダーニャーナダッサナヴィスッディ ニャーナダッサナヴィスッディ チャー
ティ サッタヴィデーナ ヴィスッディサンガホー

洞察瞑想における心の清浄を要約すると7つになります。(1)戒律の清浄、(2)チッタの清浄、(3)見解の清浄、(4)疑いを乗り越えることによる清浄、(5)知恵と見解により正しい道と正しくない道を知る清浄、(6)知恵と見解による修行法の清浄、(7)知恵と見解による清浄、です。

第22節へのガイド

ここに挙げられている清浄の段階は、この順番に到達することになります。それぞれが次の段階の支えとなります。最初の段階は清浄道のうちで戒律に関する部分に、2番目は集中に関する部分、そして3番目から7番目は智慧に関する部分に相当します。1番目から6番目はローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域)に属し、最後の7番目はロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)に属します。

第23節 3つのラッカナ(性質)

アニッチャラッカナン ドゥッカラッカナン アナッタラッカナン チャー ティ ティーニ ラッカナーニ

性質には3つあります。アニッチャ(永続しない)という性質、ドゥッカ(苦しみ)という性質、アナッタ(実体が無い)という性質です。

第23節へのガイド

アニッチャ(永続しない)という性質とは、常に変化、生滅している、すなわち生じては消え去るという態様です。
ドゥッカ(苦しみ)という性質とは、生滅のために絶えず危険にさらされている態様です。
アナッタ(実体が無い)という性質とは、支配することが出来ないという態様、すなわちナーマ(精神的現象)もルーパ(物質的現象)も自分の思い通りには出来ないという事実のことです。

第24節 3つのアヌパッサナー(観察瞑想)

アニッチャーヌパッサナー ドゥッカーヌパッサナー アナッターヌパッサナー チャー
ティ ティッソー アヌパッサナー

3つのアヌパッサナー(観察瞑想)があります。

アヌッサティ(観察瞑想)には3つあります。アニッチャ(永続しない)の観察瞑想、ドゥッカ(苦しみ)の観察瞑想、アナッタ(実体が無い)の観察瞑想です。

第25節 10個のヴィパッサナーニャーナ(洞察の智慧)

(1)サンマサナニャーナン、(2)ウダヤバヤニャーナン、(3)バンガニャーナン、
(4)バヤニャーナン、(5)アーディナバニャーナン、(6)ニッビダーニャーナン、
(7)ムンチトゥカンヤターニャーナン、(8)パティサンカーニャーナン、
(9)サンカールペッカーニャーナン、(10)アヌローマニャーナン、チャー
ティ ダサ ヴィパッサナーニャーナーニ

洞察の智慧は10個あります。(1)(現象の本質を)正しく理解する智慧(思惟智)、(2)形成作用により生じた現象が生じては消え去る様子を正しく観察する智慧(生滅智)、(3)形成作用により生じた現象が次々と壊滅していく様子を正しく観察する智慧(壊滅智)、(4)次々と壊滅していく現象は恐ろしいものであると感じ取る智慧(畏怖智)、(5)恐ろしいものである形成された現象は危険であると感じ取る智慧(禍患智)、(6)全ての形成された現象に嫌気がさす智慧(厭離智)、(7)(形成された現象からなるこの世界から)解放されたいと思う智慧(脱欲智)、(8)洞察の内容を振り返る智慧(省察智)、(9)形成された現象にとらわれなくなる智慧(行捨智)、(10)聖者の流れに適合する智慧(随順智)、です。

第26節 3つのヴィモッカ(解放)

スンニャトー ヴィモッコー アニミットー ヴィモッコー アッパニヒトー
ヴィモッコー チャー ティ タヨー ヴィモッカー

ヴィモッカ(解放)には3種類あります。空虚であるというヴィモッカ(解放)、表彰が無いというヴィモッカ(解放)、欲がないというヴィモッカ(解放)です。

第27節 ヴィモッカ(解放)への3つの門

スンニャターヌパッサナー アニミッターヌパッサナー アッパニヒターヌパッサナー
チャー ティ ティーニ ヴィモッカムカーニ チャ ヴェーディタッボー

第26節、27節へのガイド

これらのカテゴリーについては以下に続く節で順次説明します。

ヴィスッディベーダ(清浄の分析)

第28節 スィーラヴィスッディ(戒律の清浄)

カタン パーティモッカサンヴァラスィーラン インドゥリヤサンヴァラスィーラン
アージーヴァパーリスッディスィーラン パッチャヤサンニッスィタスィーラン
チャー ティ チャトゥパーリスッディスィーラン スィーラヴィスッディ ナーマ

スィーラヴィスッディ(戒律の清浄)は次の4種類の清浄なスィーラ(戒律)からなります。
(1) パーティモッカ(比丘戒)に沿って行動を慎むことに関する戒律
(2) 感覚器官を慎むことに関する戒律
(3) 穢れの無い生計からなる戒律
(4) 出家生活に必要な資具に関連した戒律

第28節へのガイド

この4つの清浄な戒律は仏教僧、比丘の生活に照らし合わせたものです。

パーティモッカ(比丘戒)に沿って行動を慎むことに関する戒律:パーティモッカは修行を進める上での根本的な規律条項で、仏教僧に課せられるものです。この条項は227の規律からなり、その重みはさまざまです。パーティモッカに定められた規律を完璧に守ることは「パーティモッカに沿って行動を慎む道徳」と呼ばれます。
感覚器官を慎むことに関する戒律とは、感覚対象に出会った時に気づきを働かせて、好ましい対象に心惹かれたり、不快な対象に嫌悪を感じたりしないようにすることを意味します。
(5) 穢れの無い生計からなる戒律とは、比丘が生活必需品を得る方法を取り扱っています。比丘は、心の清浄と誠実さに身を捧げる仏教僧に相応しくない方法で必需品を得ることを禁止されています。
(6) 出家生活に必要な資具に関連した戒律とは、比丘は4つの必需品、すなわち袈裟、托鉢食、居所、薬を使う前にその正しい目的について良く考えるという意味です。

第29節 チッタヴィスッディ

ウパチャーラサマーディー アッパナーサマーディー チャー ティ ドゥヴィドー ピ
サマーディー チッタヴィスッディ ナーマ

チッタの清浄は2種類の集中からなります。ウパチャーラサマーディ(没入状態の一歩手前の集中)とアッパナーサマーディー(没入状態の集中)です。

第29節へのガイド

パーリ聖典における仏教の伝統には、洞察を育てる2つの異なるアプローチがあります。アプローチの一つはサマタヤーナ(静寂の乗り物)と呼ばれ、まず静寂瞑想によりウパチャーラサマーディ(没入状態の一歩手前の集中)ないしアッパナーサマーディー(没入状態の集中)のレベルに達し、それを土台にして洞察を培います。このアプローチを取る修行者はサマタヤーニカ(静寂という乗り物を使う)瞑想者と呼ばれます。まず初ウパチャーラサマーディ(没入状態の一歩手前の集中)あるいはルーパジャーナ(物質を対象にした禅定)ないしアルーパジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)のいずれを得ます。その後、ジャーナ(禅定)の中で生じるナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)を仔細に観察しそれが生じる条件を探究ことにより洞察を育てる方向へ転換します(第30、31節参照)。次いで、ナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)をアニッチャ(常に生滅変化している)、ドゥッカ(苦しみをもたらす)、アナッタ(自分という実体が無い)という3つの性質(第32節参照)の観点から観察瞑想します。このタイプの瞑想者の場合、先行するウパチャーラサマーディ(没入状態の一歩手前の集中)ないしアッパナーサマーディー(没入状態の集中)はチッタヴィスッディ(チッタの清浄)として数えられています。

もう一つのタイプのアプローチは スッダヴィパッサナーヤーナ(純粋な洞察という乗り物)と呼ばれ、洞察の土台としてサマタヴァーヴァナー(静寂瞑想)を使うことはしません。瞑想者はスィーラヴィスッディ(戒律の清浄)を達成した後に、直接ヴィパッサナーバーヴァナー(洞察瞑想の修行)に入り、ナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)を自分自身の経験として観察します。ヴィパッサナーバーヴァナー(洞察瞑想)が力を増し正確になると、心は絶えず変化を続ける現象に集中し、ウパチャーラサマーディ(没入状態の一歩手前の集中)と同じレベルに達します。心が瞬間瞬間変化生滅するナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)に次から次へと集中するこの状態はカニカサマーディー(瞬間定)と呼ばれています。ヴィパッサナーヤーニカ(洞察という乗り物だけを使う修行者)の場合、このカニカサマーディー(瞬間定)がチッタヴィスッディ(チッタの清浄)となります。何故なら、ウパチャーラサマーディ(没入状態の一歩手前の集中)と同じ程度に心が安定しているからです。このタイプの修行者はスゥッカヴィパッサカ(乾いた洞察瞑想者)とも呼ばれています。ジャーナ(禅定)という「湿気」なしに洞察を育てるからです。4

第30節 ディッティヴィスッディ(見解の清浄)

ラッカナラサパッチュパッターナパダッターナヴァセーナ ナーマルーパパリッガホー
ディッティヴィスッディ ナーマ

ディッティヴィスッディ(見解の清浄)とはナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)を、ラッカナ(性質)、ラサ(機能)、パッチュパッターナ(現れ方)、パダッターナ(至近の原因)の観点から識別することです。

第30節へのガイド

ディッティヴィスッディ(見解の清浄)は、ミッチャーディッティ(誤った見解)の一つである、変わらない自我があるという見解を正して清めるのに役立つためそのように呼ばれています。瞑想修行を進める中で、「自分」と思っていたものが実際には、相互に依存して生じるナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の組み合わせに過ぎず、その背後でそれをコントロールする「自分」はいないと正しく観察洞察することでこのディッティヴィスッディ(見解の清浄)に達します。この段階はナーマルーパパヴァッターナニャーナ(ナーマとルーパを区別して分析する智慧)とも呼ばれています。何故なら、ナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)がその性質などにより識別されるからです。

第31節 カンカーヴィタラナヴィスッディ(疑いを乗り越えるという清浄)

テーサン エーヴァ チャ ナーマルーパーナン パッチャヤーパリッガホー
カンカーヴィタラナヴィスッディ ナーマ

カンカーヴィタラナヴィスッディ(疑いを乗り越えるという清浄)とは同じナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)を作りだす、諸条件を識別することです。

第31節へのガイド

カンカーヴィタラナヴィスッディ(疑いを乗り越えるという清浄)がそのように呼ばれるのは、それが過去、現在、未来のナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)が生じる諸条件に対する疑いを除去する智慧を育てる一助となるからです。瞑想の途上で因縁の法則についての知識を用いて、現在のこのナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の組み合わせが偶然や創造神・魂などの創造の産物により生じたのではなく、過去のアヴィッジャー(真理に対する無知)・タンハー(渇愛)・ウパーダーナ(執着)とカンマ(業)の結果として生じたことを理解することですこの段階に達します。次いで瞑想者はこの同じ原則を過去や未来にも当てはめます。この段階はパッチャヤーパリッガハニャーナ(条件を識別する智慧)とも呼ばれます。

第32節 マッガーマッガーニャーナダッサナヴィスッディ(正しい道と正しくない道についての智慧と見方による清浄)

タトー パラン パナ タターパリッガヒテース サッパッチャイェース
テーブーマカサンカーレース アティーターディベーダビンネース
カンダーディナヤン アーラッバカラーパヴァセーナ サンキピトゥヴァー
アニッチャン カヤッテーナ ドッカン ヴァヤッテーナ アナッター
アサーラカッテーナー ティ アッダーナーヴァセーナ サンタティヴァセーナ
カナヴァセーナ ヴァー サンマサナニャーネーナ ラッカナッタヤン サンマサンタッサ
テスヴェーヴァ パッチャヤヴァセーナ カナヴァセーナ チャ ウダヤッバヤニャーネーナ
ウダヤッバヤン サマヌパッサナタッサ チャ

このように三つの生存領域における形成された現象とその条件を識別した瞑想者は、それらを集め、過去・現在・未来に分けてカンダ(生命を構成する塊)などのカテゴリーに分類します。

次いで、瞑想者はサンマッサナニャーナ(現象の本質を正しく理解する智慧、思惟智)により、形成された現象の3つの特徴を持続時間、継続、瞬間の観点から理解します。アニッチャ(常に生滅変化していること)を見て全ての現象が壊れてしまうと感じ、ドゥッカ(苦しみであること)を見て恐怖に満ちていると感じ、アナッタ(変わらない実体が無いこと)を見て現象には魂などの核となるものは無いと感じます。その後、ウダヤッバヤニャーナ(形成作用により生じた現象が生じては消え去る様子を正しく観察する智慧、生滅智)により、形成された現象の生滅を条件という観点から、そして瞬間という観点から理解します。

オーバーソー ピーティ パッサッディ アディモッコー チャ パッガホー スカン
ニャーナン ウパッターナン ウペッカー チャ ニカンティ チャー ティ

オーバーサーディーヴィパッサヌパッキレーセー パリパンタパリッガハヴァセーナ
マッガーマッガラッカナヴァヴァッターナン マッガーマッガダッサナヴィスッディ
ナーマ

そのようにするうちに、瞑想者にオーバーサ(光のオーラ)、ピーティ(喜び)、パッサッディ(静寂)、アディモッカ(決意)、パッガハ(実行)、スカ(楽)、ニャーナ(智慧)、ウパッターナ(気づき)、ウペッカー(とらわれの無いバランスの取れた心)、ニカンティ(執着や)が生じます。

マッガーマッガーニャーナダッサナヴィスッディ(正しい道と正しくない道についての智慧と見方による清浄)とは、洞察が熟すると生じるオーバーサ(光のオーラ)などは、瞑想修行の進歩の障害になることを理解し、正しい道と正しくない道の特徴を識別することです。

第32節へのガイド

それらを集め・・・カテゴリーに分類します:これはサンマッサナニャーナ(現象の本質を正しく理解する智慧、思惟智)の準備段階を示しています。この段階ではナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)を3つの特徴の観点から検証します。まず最初に、瞑想者は、過去であれ現在であれ未来であれ、内部のものであれ外部のものであれ、大きなものであれ小さなものであれ、上位のものであれカ下位のものであれ、遠くのものであれ近くのものであれ、全ての物質的現象はルーパッカンダ(物質的現象という塊)から成り立っていると考えます。同様に、全てのヴェーダナー(感受)、全てのサンニャー(認知)、全てのサンカーラ(精神的な形成作用)、全てのヴィンニャーナ(意識の働き)は、それぞれのカンダ(生命を構成する塊)、ヴェーダナーカンダ、サンニャーカンダ、サンカーラカンダ、ヴィンニャーナカンダにより構成されると考えます。

次いで、瞑想者はサンマッサナニャーナ(現象の本質を正しく理解する智慧、思惟智)により・・・理解します:これは、パンチャッカンダ(生命を構成する5つの塊)に分類した形成された現象に、3つの性質を実際にあてはめてみることを示しています。形成された現象は全て次の3つの特徴を持ちます。「壊れてしまうという意味でアニッチャ(常に生滅変化していること) 」(カヤッテーナ)です。何故なら、生じたまさにその場で壊れてしまい、遺残が他の状態に持ちこされることが無いからです。「恐怖に満ちているとという意味でドゥッカ(苦しみをもたらすこと)」(バヤッテーナ)です。何故なら、何であれアニッチャ(常に生滅変化すること)の性質を持ったものからは安定した保証は得られず、恐ろしいものだからです。「核となる実体が無いという意味でアナッタ(主体となる変わらぬ実体が無いこと)」(アサーラカッテーナ)です。何故なら、自我、実体、内部の支配者などの核となるものを欠いているからです。

持続時間、継続、瞬間の観点から理解します:「持続時間の観点から」(アッダーナ)の意味は、「時間の長さを変えて」という意味です。瞑想者はまず最初に、一つの生涯の間に生じる、形成された現象は全てアニッチャ(常に生滅変化している)、ドゥッカ(苦しみをもたらす)、アナッタ(魂などの変わらぬ実体が無い)、と考察します。次いで、生涯の三区分、十年、一年、一月、二週間、一日、一時間と段階的に時間の長さを短くして同様に、考察します。終いにはほんの一瞬の間でさえもアニッチャ(常に生滅変化している)、ドゥッカ(苦しみをもたらす)、アナッタ(魂などの変わらぬ実体が無い)であると理解します(清浄道論、第10章、46―65を参照)。「継続の観点から(カナ)」とは、瞬間的なナーマ(精神的現象)、ルーパ(物質的現象)の観点からという意味です。

ウダヤッバヤニャーナ(形成作用により生じた現象が生じては消え去る様子を正しく観察する智慧、生滅智)とは、形成された現象が生じては消え去る様子を瞑想の中で把握する智慧です。ウダヤ(生起)は、状況の創造、産生、生起を意味します。バヤ(消滅)は、状況の変化、破壊、分解を意味します。ウダヤッバヤニャーナ(形成作用により生じた現象が生じては消え去る様子を正しく観察する智慧、生滅智)の瞑想は「条件という観点により(パッチャヤヴァセーナ)」実践します。形成された現象が条件の生起とともに生じ、条件の消滅とともに消え去る様子を観察します。また、「瞬間という観点により(カナヴァセーナ)」実践します。瞬間的な現象が、現在の瞬間に実際に生じて滅する様子を観察洞察します(清浄道論、第10章、93-99)。

そのようにするうちに: ウダヤッバヤニャーナ(形成作用により生じた現象が生じては消え去る様子を正しく観察する智慧、生滅智)は2段階で生じます。最初の段階、「柔らかい」ウダヤッバヤニャーナ(形成作用により生じた現象が生じては消え去る様子を正しく観察する智慧、生滅智)の段階では瞑想のプロセスが勢いを増すと、瞑想者に10個の「洞察の欠点(ヴィパッサヌパッキレーサ)」が生じます。オーバーサ(光のオーラ)が身体から放射されるのを目にすることがあります。かつて経験したことが無いピーティ(喜び)、パッサッディ(静寂)、スカ(楽)を経験します。瞑想者のアディモッカ(決意)は増し、大いに努力します(パッガハ)。彼のニャーナ(智慧)は熟し、そのウパッターナ(気づき)は強固なものになります。そして揺るぎないウペッカー(何ものにもとらわれないバランスの取れた心)が生じます。こうした経験の背後で微かなニカンティ(執着)が生じます。これらの経験に喜びを感じそれにしがみつきます。

正しい道と正しくない道の特徴を識別すること:そのような高揚した経験が瞑想者に生じた時に、何が正しい道か区別できなければ自分がロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域)の道果に達したという誤った考えが生じることになります。その場合、瞑想者はヴィパッサナー瞑想を中断し、こうした経験を座して楽しみます。自分がその経験にしがみついていることに気が付きません。しかし、もし瞑想者に正しい道を識別する能力があれば、こうした状態が、洞察が熟した際に自然に生じる副産物であることを理解します。彼はとらわれることなく 洞察瞑想を更に先へと進めて、そうした経験がアニッチャ(常に生滅変化している)、ドゥッカ(苦しみをもたらす)、アナッタ(変わらぬ実体が無い)であることを観察洞察します。10個の洞察の欠陥は正しい道ではなく、洞察瞑想を続けることが正しい道であると区別することが、マッガーマッガーニャーナダッサナヴィスッディ(正しい道と正しくない道についての智慧と見方による清浄)と呼ばれています。

第33節 パティパダーニャーナダッサナヴィスッディ(智慧と見方による涅槃へ至る道の清浄)

タター パリパンタヴィムッタッサ パナ タッサ ウダヤバヤニャーナトー パッターヤ
ヤーヴァーヌローマー ティラッカナン ヴィパッサナーパランパラーヤ
パティパッジャンタッサ ナヴァ ヴィパッサナーニャーナーニ パティパダーニャーナダッサナヴィスッディ ナーマ

このようにして進歩を妨げる障害を乗り越えた瞑想者は、アニッチャ、ドゥッカ、アナッタという3つの性質に関連した一連の洞察を順次通過していきます。ウダヤバヤニャーナ(形成作用により生じた現象が生じては消え去る様子を正しく観察する智慧、生滅智)に始まり、アヌローマニャーナ(聖者の流れに適合する智慧、随順智)で頂点に達します。この9つの洞察の智慧がパティパダーニャーナダッサナヴィスッディ(智慧と見方による涅槃へ至る道の清浄)と呼ばれます。

第33節へのガイド

この9つの洞察の智慧: パティパダーニャーナダッサナヴィスッディ(智慧と見方による涅槃へ至る道の清浄)を構成する9つの智慧は以下の通りです(第25節参照)。

(1)ウダヤバヤニャーナ(形成作用により生じた現象が生じては消え去る様子を正しく観察する智慧、生滅智):これは、洞察の欠陥に先んじて生じる智慧と同じです。ただし、洞察の欠陥を乗り越えると、より強力で透明になります。
(2)バンガニャーナ(形成作用により生じた現象が次々と壊滅していく様子を正しく観察する智慧、壊滅智):瞑想者の智慧が鋭くなると、生滅の全体に向かっていた気づきが生起や存続へは向かわなくなり、止滅、破壊、消滅、壊滅だけに向かうようになります。これが壊滅智です。
(3)バヤニャーナ(次々と壊滅していく現象は恐ろしいものであると感じ取る智慧、畏怖智):瞑想者が生起、存続、消滅という3つの時間区分の全てにおいて形成された現象の壊滅を対象に瞑想すると、このように壊滅している物はどの生存領域であれ恐ろしいものであると自然に感じるようになります。
(4)アーディーナヴァニャーナ(恐ろしいものである形成された現象は危険であると感じ取る智慧、禍患智):全ての形成された現象が恐ろしいものであると理解した瞑想者は、現象には核となるものは無く、全く満足できず、ただ危険なだけであると観察します。また安全な場所があるとしたら、それは条件に左右されず、生滅の無いところだけであると理解します。
(5)ニッビダーニャーナ(全ての形成された現象に嫌気がさす智慧、厭離智):形成された現象は全て危険であると観察した瞑想者は、現象に心惹かれることがなくなり、いかなる生存領域であれ形成された現象に喜びを感じることは無くなります。
(6)ムンチトゥカンヤターニャーナ(形成された現象からなるこの世界から解放されたいと思う智慧、脱欲智)とは、瞑想途上で生じる、形成された現象の世界から解放され、そこから脱出したいという願望です。
(7)パティサンカーニャーナ(洞察の内容を振り返る智慧、省察智):形成された現象からなる世界からの解放を目指す瞑想者は、同じ形成された現象を再び検証し、アニッチャ、ドゥッカ、アナッタという3つの性質を様々な角度から当てはめます。この3つの性質を特徴とする形成された現象を明瞭に振り返って見る時、それがパティサンカーニャーナ(洞察の内容を振り返る智慧、省察智)です。
(8)サンカールペッカーニャーナ(形成された現象にとらわれなくなる智慧、行捨智): パティサンカーニャーナ(洞察の内容を振り返る智慧、省察智)の段階を通過した瞑想者は、形成された現象には「私」、「私のもの」と呼べるものは何もないことを観察し、恐怖も喜びも無くなって全ての形成された現象に対して中立で無関心になります。こうして瞑想者にサンカールペッカーニャーナ(形成された現象にとらわれなくなる智慧、行捨智)が現れます。
(9)アヌローマニャーナ(聖者の流れに適合する智慧、随順智):この智慧(適応とも呼ばれます)は、カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)チッタの智慧です。このチッタの後にロークッタラマッガ(涅槃を悟った聖者の意識の領域の道、これについては次の章で詳しく説明します)の認識過程となる、ゴートラブーチッタ(聖者の意識へと移り変わるチッタ)が生じます。この段階の洞察が適合と呼ばれるのは、先行する8つの洞察智と、後に続くマッガ(道)における真理の働きを適合させるからです。

第34節 ニャーナダッサナヴィスッディ(智慧と見方による清浄)

タッセーヴァン パティパッジャンタッサ パナ ヴィパッサナーパリカーマン アーガンマ
イダーニ アッパナー ウッパッジッサティー ティ バヴァンガン
ヴォッチンディトゥヴァー ウッパンナマノードゥヴァーラーヴァッジャナーナンタラン
ドぅヴェー ティーニー ヴィパッサナーチッターニ ヤン キンチ
アニッチャーディラッカナン アーラッバ パリカンモーパチャーラーヌローマナーメーナ
パヴァッタンティ ヤー スィッカッパッター サー サーヌローマサンカールペッカー
ヴッターナガーミニヴィパッサナー ティ チャ パヴッチャティ

このように瞑想実践する瞑想者は、洞察が熟し、「今、マッガ(道)の没入状態が生じるだろう」と感じます。その後、バヴァンガチッタ(認識過程と認識過程の間にあり生存を持続させるチッタ)が停止、マノードゥヴァーラーヴァッジャナチッタ(イメージなどの精神的現象を感じ取る門に注意を向けるチッタ)が生じ、アニッチャ(常に生滅変化していること)などの現象の特徴を対象にした洞察のチッタが2ないし3個生じます。それらのチッタはパリカンマ(聖者の流れに入る準備)、ウパチャーラ(没入の一歩手前)、アヌローマ(聖者の流れに適合)と呼ばれています。サーヌローマサンカールペッカーニャーナ(全ての形成された現象に対するとらわれがなくなる智慧と真理に適合する智慧が一緒になったもの)はヴッターナガーミニヴィパッサナー(脱出へと導く洞察)とも呼ばれています。

タトー パラン ゴートラブーチッタン ニッバーナン アーランビトゥヴァー
プトゥッジャナゴッタン アビバヴァンタン アリヤゴッタン アビサンボータン チャ
パヴァッタティ タッサーナンタラン エーヴァ マッゴー ドゥッカサッチャン
パリジャーナントー サムダヤサッチャン パジャハントー ニローダサッチャン
サッチカローントー マッガサッチャン バーヴァナーヴァセーナ
アッパナーヴィーティン オータラティ タトー パラン ドゥヴェー ティーニ
パラチッターニ パヴァッティトゥヴァー ニルッジャンティ タトー パラン
バヴァンガパートー ヴァ ホーティ

その後、ニッバーナ(涅槃)を対象とする、ゴートラブーチッタ(聖者の意識へと移り変わるチッタ)が生じ、プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)の流れを克服し、聖者の流れへと進化を遂げます。その直後に、覚りの第1段階となるマッガ(道)は没入という認識過程に入ります。ドゥッカサッチャ(形成された全ての現象は苦しみであるという真理)を完全に理解し、サムダヤサッチャ(苦しみの原因という真理=渇愛)を捨て去り、ニローダサッチャ(苦しみが無くなった状態=涅槃)を悟り、マッガサッチャ(涅槃へと至る道)を育てます。続いて、果のチッタが2~3個生じ滅します。そしてまたバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の流れに戻ります。

プナ バヴァンガン ヴォッチンディトゥヴァー パッチャヴェッカナニャーナーニ
パヴァッタンティ

マッガン パラン チャ ニッバーナン パッチャヴェッカティ パンディトー
ヒーネー キレーセー セーセー チャ パッチャヴェッカティ ヴァー ナ ヴァー
チャッビスッディッカメーネーヴァン バーヴェータッボー チャトゥッビドー
ニャーナダッサナヴィスッディ ナーマ マッゴー パヴッチャティ

アヤン エッタ ヴィスッディベードー

その後、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の流れが止まり、パッチャヴェッカナニャーナ(振り返って観察する智慧、省察智)が生じます。

賢者はマッガ(道)、パラ(果)、ニッバーナ(涅槃)を振り返って観察します。また破壊された煩悩と残っている煩悩について振り返って観察しますが、これは行われないこともあります。

このように、6段階の清浄により順番に育てるべき4つの道をニャーナダッサナヴィスッディ(智慧と見方による清浄)と読んでいます。

これで清浄に関する部分は終わります。

第34節へのガイド

マノードゥヴァーラーヴァッジャナチッタ(イメージなどの精神的現象を感じ取る門に注意を向けるチッタ)が生じ:マッガ(道)の認識過程については第4章、第14節をご覧ください。通常の能力を持つ人には洞察のチッタが3つ生じます。能力が敏捷な人の場合は(準備の段階が省略されて)2つとなります。

ヴッターナガーミニヴィパッサナー(脱出へと導く洞察):これはヴィパッサナー(洞察)が最高潮に達した状態であり、その後ロークッタラマッガ(涅槃を悟った聖者の道)が続きます。マッガ(道)がヴッターナガーミニ(脱出へと導く)と呼ばれるのは、客観的には形成された現象の世界から脱出し、ニッバーナ(涅槃)を対象とするからです。また、主観的にはキレーサ(心の汚れ)から脱出するからです。

ゴートラブーチッタ(聖者の意識へと移り変わるチッタ) :このチッタはニッバーナ(涅槃)に注意を向ける最初のチッタで、ロークッタラマッガ(涅槃を悟った聖者の道)の直近の原因となります。ゴートラブー(系譜が変わる)という名で呼ばれているのは、プトゥッジャナゴートラ(涅槃を悟っていない普通の人の系譜ないし一族)からアリヤゴートラ(涅槃を悟った聖者の系譜ないし一族)へと移り変わる転換点となるためです。このニャーナ(智慧)はニッバーナ(涅槃)を認識対象とするという点でマッガ(道)と類似しますが、4つの聖なる真理を覆い隠すキレーサ(心の汚れ)を追い払うことは出来ません。ソーターパンナ(覚りの第1段階)から、サカダーガーミ(覚りの第2段階)、アナーガーミ(覚りの第3段階)、アラハット(覚りの最終段階へと昇っていく過程でも同じチッタが生じますが、その場合はゴートラブー(系譜が変わる)ではなく、ヴォーダーナ(浄化)と呼ばれます。何故なら、瞑想者は既にアリヤゴートラ(涅槃を悟った聖者の系譜)に属しているからです。

マッガ(道):マッガチッタ(道のチッタ)は同時に4つの働きをします。一つ一つが4つの真理のそれぞれに関係します。ここに書かれている4つの働きとは、ドゥッカ(苦しみ)を完全に理解すること(パリンニャー)、ドゥッカ(苦しみ)の原因であるタンハー(渇愛)を捨て去ること(パハーナ)、ドゥッカ(苦しみ)が無くなった状態であるニッバーナ(涅槃)を悟ること(サッチキリヤ)、アリヤアッティンギカマッガ(聖なる八正道)を育てること(バーヴァナー)、鋭い能力を持ち、準備段階のチッタ(パリカンマ)無しにマッガ(道)に達した人の場合は、マッガチッタ(道のチッタ)の後にパラチッタ(果のチッタ)が3つ生じます。それ以外の人は、準備段階のチッタ(パリカンマ)を経てマッガ(道)に達し、マッガチッタ(道のチッタ)の後にパラチッタ(果のチッタ)が2つ生じます。

パッチャヴェッカナニャーナ(振り返って観察する智慧、省察智):4つあるロークッタラマッガ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における道)のそれぞれに達した後にブッダの弟子はマッガ(道)、パラ(果)、ニッバーナ(涅槃)を振り返ります。必ずというわけではありませんが、通常は捨て去ったキレーサ(心の汚れ)とまだ残っているキレーサ(心の汚れ)も同様に、振り返ります。このようにして最大19個のパッチャヴェッカナニャーナ(振り返って観察する智慧、省察智)が生じます。ソーターパンナ(覚りの第1段階)、サカダーガーミ(覚りの第2段階)、アナーガーミ(覚りの第3段階)についてはそれぞれ5つのパッチャヴェッカナニャーナ(振り返って観察する智慧、省察智)が生じます。一方、アラハット(覚りの最終段階)では4つまでしか生じません。アラハット(覚りの最終段階)では完全に解放され、省察の対象となるキレーサ(心の汚れ)は残っていないからです。

ヴィモッカベーダ(輪廻からの解放の分析)

第35節 輪廻からの解放に至る三つの門

タッタ アナッターヌパッサナー アッターヒニベーサン ムンチャンティー
スンニャターヌパッサナー ナーマ ヴィモッカムカン ホーティ
アニッチャーヌパッサナー ヴィパッラーサニミッタン ムンチャンティー
アニミッターヌパッサナー ナーマ ドゥッカーヌパッサナー
タンハーパニディン ムンチャンティー アッパニヒターヌパッサナー ナーマ

アナッターヌパッサナー(自分という変わらぬ実体が無いことを対象にした瞑想)により、「自分」に対する執着を捨て去ることであり、ヴィモッカムカ(輪廻からの解放に至る門)となります。これはスンニャターヌパッサナー(何も無いということを対象にした瞑想)とも呼ばれます。アニッチャーヌパッサナー(現象は常に変化しており変わらぬ実体は無いということを対象にした瞑想)は、ヴィパッラーサニミッタ(誤った解釈により生じる見せかけの兆候)を捨て去ることであり、ヴィモッカムカ(輪廻からの解放に至る門)となります。アニミッターヌパッサナー(兆候が無いことを対象にした瞑想)とも呼ばれます。ドゥッカーヌパッサナー(全ての形成された現象は苦しみであることを対象にした瞑想)は、タンハー(渇愛)を原因とした欲望を捨て去ることであり、ヴィモッカムカ(輪廻からの解放に至る門)となります。アッパニヒターヌパッサナー(欲望の無いことを対象にした瞑想)とも呼ばれます。

第35節へのガイド

洞察が最高潮に達すると、アニッチャーヌパッサナー、ドゥッカーヌパッサナー、アナッターヌパッサナーという三つのパッサナー(瞑想)のいずれかに帰着します。どの瞑想に帰着するかは瞑想者の傾向により決まります。注釈書によれば、サッダー(ブッダとその教えに対する確信)の力が優勢な場合、アニッチャーヌパッサナーに帰着します。サマーディー(集中)の力が優勢な場合はドッッカーヌパッサナーに帰着します。パンニャー(智慧)の力が優勢な場合、アナッターヌパッサナーに帰着します。この瞑想の最終段階は、その直後にロークッタラマッガ(涅槃を悟った聖者の意識の領域における道)での解放を経験することからヴィモッカムカ(解放への門)と呼ばれています。ここで使われている「解放」はアリヤマッガ(聖なる道)と呼ばれているものであり、「マッガ(道)へと導く瞑想」はヴィモッカムカ(解放への門)と呼ばれているものです。

アナッターヌパッサナー(自分という変わらぬ実体が無いことを対象にした瞑想)がスンニャターヌパッサナー(何も無いということを対象にした瞑想)と呼ばれる理由は、形成された現象には自我や、生命や、人と言ったものは無いことを観察するからです。アニッチャーヌパッサナー(現象は常に変化しており変わらぬ実体は無いということを対象にした瞑想)がアニミッターヌパッサナー(兆候が無いことを対象にした瞑想)と呼ばれるのはヴィパッラーサニミッタ(誤った解釈により生じる見せかけの兆候)を捨て去るからです。ヴィパッラーサニミッタ(誤った解釈により生じる見せかけの兆候)とは、誤った認知が原因となって、形成された現象が永久に存在し、安定していて、持続可能であるかのように見えることです。そして、ドゥッカーヌパッサナー(全ての形成された現象は苦しみであることを対象にした瞑想) がアッパニヒターヌパッサナー(欲望の無いことを対象にした瞑想)と呼ばれる理由は、形成された現象に見せかけの楽しみを感じることから生じる欲望を断ち切るからです。

第36節 マッガパラ(道と果)における解放

タスマー ヤディ ヴッターナガーミニーヴィパッサナー アナッタトー ヴィパッサティ スンニャトー ヴィモッコー ナーマ ホーティ マッゴー ヤディ アニッチャトー ヴィパッサティ アニミットー ヴィモッコー ナーマ ヤディ ドゥッカトー ヴィパッサティ アッパニヒトー ヴィモッコー ナーマー ティ チャ マッゴー
ヴィパッサナーガマナヴァセーナ ティーニー ナーマーニ ラバティ タター パラン チャ
マッガーガマナヴァセーナ マッガヴィーティヤン

もし脱出へと導く洞察とともにアナッターヌパッサナー(自分という実体は無いことを対象にした瞑想)を行うならば、マッガ(道)は、「何も無いということによる解放」となります。アニッチャーヌパッサナー(現象は常に変化しており変わらぬ実体はないことを対象にした瞑想)を行うならば、マッガ(道)は「兆候が無いということによる解放」となります。ドゥッカーヌパッサナー(全ての形成された現象は苦しみであることを対象にした瞑想)を行うならば、マッガ(道)は「欲望が無いという解放」になります。このように、マッガ(道)には洞察がどのように行われるかによって3つの名前があります。同様に、マッガ(道)を認識する過程で生じるパラ(果)も、どのようにしてマッガ(道)に到達したかによって3つの名前があります。

第36節へのガイド

瞑想者がアナッターヌパッサナー(自分という実体は無いことを対象にした瞑想)によりマッガ(道)に達した場合、マッガ(道)は「自己という実体は無い」という虚無の観点からニッバーナ(涅槃)を対象にします。このためマッガ(道)は、「何も無いということによる解放」となります。アニッチャーヌパッサナー(現象は常に変化しており変わらぬ実体はないことを対象にした瞑想)によりマッガ(道)に達した場合、マッガ(道)は「形成された現象の見せかけの兆候には実体が無い」という無兆候の観点からニッバーナ(涅槃)を対象にします。このためマッガ(道)は「兆候が無いということによる解放」となります。ドゥッカーヌパッサナー(全ての形成された現象は苦しみであることを対象にした瞑想)によりマッガ(道)に達した場合は「タンハー(渇愛)という欲望から解放されるという無欲の観点からニッバーナ(涅槃)を対象にします。このためマッガ(道)は「欲望が無いということによる解放」になります。パラ(果)も先行するマッガ(道)と同じように分類されます。

第37節 パラ(果)の成就における解放

パラサマーパッティヴィーティヤン パナ ヤターヴッタナイェーナ
ヴィパッサンターナン ヤターサカン パラン ウッパッジャマーナン ピ
ヴィパッサナーガマナヴァセーネーヴァ スンニャーターディヴィモッコー
ティ チャ パヴッチャティ アーランバナヴァセーナ パナ サラサヴァセーナ
チャ ナーマッタヤン サッバッタ サッベーサン ピ サマン エーヴァ

アヤン エッタ ヴィモッカベードー

先に述べたような方法で瞑想する修行者がパラ(果)に達する認識過程において、それぞれの状況で生じるパラ(果)は、「何も無いということによる解放」、「兆候が無いということによる解放」、「欲望が無いということによる解放」という3つの名称で呼ばれますが、その区分は洞察がどのように行われたかのみに基づいています。しかし、対象とそれぞれの質に関しては、この3つの名称は全てのマッガ(道)・パラ(果)に同じように当てはまります。

これで、解放の分析を終わります。

第37節へのガイド

聖なる弟子がそれぞれのパラ(果)に達した場合、パラ(果)の経験は直接導いた洞察の種類に従って名付けられます。マッガ(道)の認識過程において到達した、パラ(果)の原因となるマッガ(道)により名前が付けられるのではありません。つまり、アナッターヌパッサナー(自分という実体は無いことを対象にした瞑想)によりパラ(道)を達成すれば、「何も無いということによる解放」となり、アニッチャーヌパッサナー(現象は常に変化しており変わらぬ実体はないことを対象にした瞑想)によりパラ(果)を達成すれば「兆候が無いということによる解放」となり、ドゥッカーヌパッサナー(全ての形成された現象は苦しみであることを対象にした瞑想)によりパラ(果)を達成すれば「欲望が無いということによる解放」になります。しかし、大雑把に言えば、マッガ(道)もパラ(果)も3つの名称全てが当てはまります。何故なら、全てがニッバーナ(涅槃)を対象とし、そのニッバーナ(涅槃)は、無兆候で、無欲で、虚無だからです。また、全てが無兆候、無欲、虚無という特徴を共有しているからです。

プッガラベーダ(聖者の分析)

第38節 ソーターパンナ(聖者の流れに入った者、預流者)

エッタ パナ ソーターパッティマッガン バーヴェートゥヴァー
ディッティヴィチキッチャーパハーネーナ パヒーナーヤーガマノー
サッタッカットゥパラモー ソーターパンノー ナーマ ホーティ

ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)とヴィチキッチャー(ブッダとその教えに対する疑い)を捨て去り、ソーターパッティマッガ(聖者の第一段階の道)を培った修行者は、ソーターパンナ(聖者の流れに入った者、預流者)となり、アパーヤブーミ(人間より下位の悲惨な生存領域)に再生することは無くなり、また最大7回までしか再生しません。

第38節へのガイド

ソーターパンナ(聖者の流れに入った者、預流者)は、後戻りすることなくニッバーナ(涅槃)へと導く流れ、すなわち聖なる八正道に入った人です。ソーターパンナ(聖者の流れに入った者、預流者)は粗大な3つの足枷、すなわちサッカーヤディッティ(「自分」という実体があるという誤った見解)、ヴィチキッチャー(ブッダとその教えに対する疑い)、スィーラッバタパラーマーサ(解脱の方法として儀式や儀礼に対する執着すること)を断ち切っています。ブッダ、ダンマ、サンガに対する揺るぎない確信を持っています。アパーヤブーミ(人間より下位の悲惨な生存領域:餓鬼、畜生、阿修羅、地獄)のいずれにも再生することはありません。4つのアーサヴァ(心の汚れ)のうち、ミッチャーディッティ(真理にそぐわない誤った見解)が取り除かれています。また14個のアクサラチェータスィカ(不善なチェータスィカ)のうち、ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)とヴィチキッチャー(ブッダとその教えに対する疑い)が取り除かれています。注釈書ではイッサー(嫉妬)とマッチャリヤ(物惜しみ)も取り除かれているとされています。またアパーヤブーミ(人間より下位の悲惨な生存領域:餓鬼、畜生、阿修羅、地獄)に導くような強いキレーサ(心の汚れ)から解放されています。五戒を厳格に守り、命を奪うこと、盗みを働くこと、不貞を働くこと、嘘をつくこと、酒など酩酊作用のあるものを摂取することから離れています。ソーターパンナ(聖者の流れに入った者、預流者)には次の3種類があると言われています。
(1) サッタッカットゥパラマ(人間界、天界に最大で7回まで再生する者)
(2) コーランコーラ(2、3回良家に生まれた後、アラハットになる者)
(3) エーカビージー(涅槃に達するまで1回のみ再生する者)

第39節 サカダーガーミ(この世に一回だけ戻る者:一来者)

サカダーガーミマッガン バーヴェートゥヴァー ラーガドーサモーハーナン
タヌカラッター サカダーガーミー ナーマ ホーティ サキッド エーヴァ イマン
ローカン アーガンター

ラーガ(欲望)、ドーサ(怒り)、モーハ(真理が分からず混乱した状態)が極めて小さくなり、サカダーガーミ(この世に一回だけ戻る者:一来者)のマッガ(道)を培った者は、サカダーガーミ(この世に一回だけ戻る者:一来者)になります。彼はこの世に一度だけ戻ります。

第39節へのガイド

サカダーガーミ(この世に一回だけ戻る者:一来者)からは、粗大な形でのラーガ(欲望)、ドーサ(怒り)、モーハ(真理が分からず混乱した状態)が取り除かれています。このため、これらのキレーサ(心の汚れ)がわずかに生じることはあります。しかしながら、頻繁に生じることは無く、その力も強くありません

レディセヤドーの指摘によれば、サカダーガーミが一度だけ戻る「この世(イマン ローカン)」の解釈について注釈書には二つの対立する説が提唱されています。一説によれば、それは人間界のことであり、サカダーガーミ(この世に一回だけ戻る者:一来者)は天界から人間界へ戻るとされています。一方、もう一つの節では、それはカーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)のことであり、サカダーガーミ(この世に一回だけ戻る者:一来者)は梵天界からそこへ戻るとされています。レディセヤドーは、注釈書は前者を支持しているものの、経典は後者のほうを指示するものが多いという立場をとり続けています。

プッガラパンニャッティという経典の注釈書によれば、サカダーガーミ(この世に一回だけ戻る者:一来者)には次の5種類があるとされています。
(1) サカダーガーミのパラ(果)を人間界で成就して、人間界に再生し、そこで最終的にニッバーナ(涅槃)に達する。
(2) サカダーガーミのパラ(果)を人間界で成就して、天界に再生し、そこで最終的にニッバーナ(涅槃)に達する。
(3) サカダーガーミのパラ(果)を天界で成就して、天界に再生し、そこで最終的にニッバーナ(涅槃)に達する。
(4) サカダーガーミのパラ(果)を天界で成就して、人間界に再生し、そこで最終的にニッバーナ(涅槃)に達する。
(5) サカダーガーミのパラ(果)を人間界で成就して、天界に再生し寿命を全うした後人間界に再生、そこで最終的にニッバーナ(涅槃)に達する。

ソーターパンナのうち、エーカビージーは1回だけしか再生しない一方で、5番目のサカダーガーミは2回再生します。それでも「サカダーガーミ(この世に一回だけ戻る者:一来者)」と呼ばれるのは、人間界には一度しか戻らないためなので注意してくさい。

第40節 アナーガーミ(この世に戻らない者)

アナーガーミマッガン バーヴェートゥヴァー カーマラーガヴャーパーダーナン
アナヴァセーサッパハーネーナ アナーガーミ ナーマ ホーティ アナーガーミ
イッタッタン

カーマラーガ(官能的熱望)、ヴャーパーダ(悪意、強い怒り)を完全に捨て去り、アナーガーミ(この世に戻らない者:不還者)のマッガ(道)を培った者は、アナーガーミ(この世に戻らない者:不還者)になります。彼は(感覚的な楽しみを追い求める)この世に一度だけ戻ります。

第40節へのガイド

アナーガーミ(この世に戻らない者:不還者)は、人をカーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)へ結びつける足枷であるカーマラーガ(官能的熱望)、ヴャーパーダ(悪意、強い怒り)を根絶しています。またカーマチャンダ(官能的欲望)と、アクサラチェータスィカ(不善なチェータスィカ)であるドーサ(怒り)とクックッチャ(後悔)、そして感覚的な対象に向けた全てのローバ(貪欲)も根絶されています。このため、彼は自然にルーパローカ(微細な物質からなる世界)にさいせいし、そこで最終的にニッバーナ(涅槃)に達します。スッダーヴァーサ(浄居天)に再生するのはアナーガーミ(この世に戻らない者:不還者)だけですが、アナーガーミが必ずスッダーヴァーサ(浄居天)に再生するわけではないことに注意してください。教典では5種類のアナーガーミ(この世に戻らない者:不還者)があるとされています。
(1) アンタラーパリニッバーイー:高い生存領域(浄居天)に自然に再生し、そこで寿命の半分に達する前に最終的なマッガ(道)へと進む者。
(2) ウパハッチャパリニッバーイー:寿命の半分を超えてから最終的なマッガ(道)へと進む者。死の瀬戸際に達する場合もあります。
(3) アサンカーラパリニッバーイー:努力せずに最終的なマッガ(道)に達するもの。
(4) ササンカーラパリニッバーイー:努力して最終的なマッガ(道)に達する者。
(5) ウッダンソートーパリニッバーイー:高い生存領域(浄居天)の一つ一つを昇っていき、最高のスッダーヴァーサ(浄居天)である、アカニッタという生存領域に再生してから最終的なマッガ(道)に達する者。

第41節 アラハット(最終的な覚りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者:阿羅漢)

アラハッタマッガン バーヴェートゥヴァー アナヴァセーサキレーサッパハーネーナ
アラハー ナーマ ホーティ キナーサヴォー ローケー アッガダッキネッヨー

アヤン エッタ プッガラーベードー

全てのキレーサ(心の汚れ)を完全に捨て去り、アラハット(最終的な覚りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者:阿羅漢)のマッガ(道)を培った者は、アーサヴァ(心の汚れ)の破壊者であるアラハット(最終的な覚りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者:阿羅漢)になります。布施を受けるのに相応しいこの世で最高の者となります。

これでプッガラベーダ(聖者の分析)を終わります。

第41節へのガイド

最初の三つの覚りの段階で捨て去られる5つの足枷はオーランバーギヤサンヨージャナ(五下分決)と呼ばれます。官能的な楽しみを追い求める下位の生存世界に結びつけるからです。これを絶滅した聖者、すなわちアナーガーミ(この世に戻らない者:不還者)は、もはや官能的な楽しみを追い求める世界に戻ることはありませんが、ウッダンバーギヤサンヨージャナ(五上分結)という足枷のために、輪廻に繋ぎ止められています。アラハット(最終的な覚りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者:阿羅漢)のマッガ(道)に達するとこれらの足枷も取り除かれます。ウッダンバーギヤサンヨージャナ(五上分結)は、ルーパローカ(微細な物質からなる世界)で生存したいといいう欲望、アルーパローカ(物質の無い世界)で生存したいといいう欲望、マーナ(自分と他者を比較する心の汚れ)、ウッダッチャ(不穏・混乱した状態)、アヴィッジャー(真理に対する無知)です。アラハット(最終的な覚りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者:阿羅漢)のマッガ(道)は残った二つのアーサヴァ(心の汚れ)も根絶します。以上のような理由からアラハットはキーナーサヴァ(心の汚れの破壊者)と呼ばれます。アラハット(最終的な覚りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者:阿羅漢)のマッガ(道)はそれ以前の段階で捨て去られず残っているアクサラチェータスィカ(不善なチェータスィカ)、すなわちモーハ(真理が分からず混乱した状態)、アヒリカ(不善行為を恥じないこと)、アノッタッパ(不善行為を恐れないこと)、ウッダッチャ(不穏・混乱した状態)、マーナ(自分と他者を比較すること)、ティーナ(怠け)、ミッダ(惰眠)が根絶されます。

サマーパッティベーダ:パラサマーパッティ(果定)とニローダサマーパッティ(滅尽定)の解説

第42節 聖者の種類とパラサマーパッティ(果定)とニローダサマーパッティ(滅尽定)への入定

パラサマーパッティヨー パネッタ サッベーサン ピ ヤターサカパラヴァセーナ
サーダラーナーヴァ ニローダサマーパッティサマーパッジャナン パナ
アナーガーミナン チェーヴァ アラハターナン チャ ラッバティ

パラサマーパッティ(果定)への到達は4つの段階全てに共通で、それぞれの段階のパラ(果)に達します。一方、ニローダサマーパッティ(滅尽定)に達することが出来るのはアナーガーミ(この世に戻らない者:不還者)とアラハット(最終的な覚りを経て輪廻からの解脱を果たした聖者:阿羅漢)だけです。

第42節へのガイド

パラサマーパッティ(果定)とは瞑想上の到達点であり、それにより聖なる弟子はニッバーナ(涅槃)を対象にしたロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)の没入状態に入ります。
そこに達する目的は今ここでニッバーナ(涅槃)の至福を経験することです。この段階で生じるチッタは修行者の覚りのレベルに応じたパラチッタ(果のチッタ)です。このように4つある聖者の段階のそれぞれが独自のパラサマーパッティ(果定)に入ります。ソーターパンナ(聖者の第1段階に達した聖者:預流者)はソーターパンナのサマーパッティ(果定)に入るといった具合です。パラサマーパッティ(果定)に入るにはまず、パラ(果)に到達すると決意し、次いでウダヤバヤニャーナ(生滅智)から始まる智慧の段階を昇っていきます。(清浄道論、台18章、6-15参照)

第43節 ニローダサマーパッティ(滅尽定)

タッタ ヤタッカマン パタマッジャーナーディマハッガタサンパーパッティン
サマーパッジトゥヴァー ヴッターヤ タッタ ガテー サンカーラダンメー
タッタ タッテーヴァ ヴィパッサントー ヤーヴァ アーキンチャンニャーヤタナン
ガントゥヴァー タトー パラン アディッテッヤーディカン プッバキッチャン
カトゥヴァー ネーヴァサンニャーナサンニャーヤタナン サマーパッジャティ
タッサ ドゥヴィナン アッパナージャヴァナーナン パラトー ヴォッチッジャティ
チッタサンタティ タトー ニローダサマーパンノー ナーマ ホーティ

この場合、瞑想者はパタマッジャーナ(禅定の第一段階)から始まる高度の集中状態に段階的に入ります。それぞれのジャーナ(禅定)から出たあと、その中の条件づけられた状態を対象に、洞察をもって観察します。

そのようにして何もないことを基にした瞑想まで進みます。そして決意などの予備的な作業を行ない、ネーヴァサンニャーナサンニャーヤタナ(認知があるわけでも無いわけでもないという基盤)に入ります。その後、没入状態の中でジャヴァナが二つ生じた後にチッタの流れが止まります。このようにして瞑想者はニローダサマーパッティ(滅尽定)に入ります。

第43節へのガイド

ニローダサマーパッティ(滅尽定)は、チッタとチェータスィカの流れが一時的に停止した瞑想状態です。この状態に達することが出来るのはルーパッジャーナ(物質を対象にした禅定)とアルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)を全てマスターしたアナーガーミ(第3段階の覚りに達した聖者:不還者)とアラハット(覚りの最終段階を得て輪廻からの解脱を果たした聖者:阿羅漢)だけです。また、カーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める生存世界)とルーパローカ(微細な物質からなる世界)でしか達することが出来ません。アルーパローカ(物質の無い生存世界)では、ニローダサマーパッティ(滅尽定)に入る前提条件である4つのルーパッジャーナ(物質を対象にした禅定)に達することが出来ないからです。

ニローダサマーパッティ(滅尽定)に入るためには、それぞれのジャーナ(禅定)に正しい順番で段階的に達していく必要があります。瞑想者はそれぞれのジャーナ(禅定)から出るたびに、その禅定の要素がアニッチャ(永続しない)、ドゥッカ(苦しみである)、アナッタ(実体が無い)であることを観察します。このようにしてアーキンチャンニャーヤタナ(虚無という基盤)まで手順を進めていきます。アーキンチャンニャーヤタナ(虚無という基盤)から出た後、瞑想者は4つの誓いをたてます。(1)現在自分の手元にある他人の所有物である必需品がニローダサマーパッティ(滅尽定)の間に破壊されない(瞑想者自身の必需品はニローダサマーパッティそのものにより自動的に守られます)、(2)サンガからの要請があればニローダサマーパッティを出る、(3)ブッダからの召集があったらニローダサマーパッティから出る(ブッダのご在世当時)、(4)7日間の間は死なない。

これらの誓いをたてた後に、瞑想者はアルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)に入り、ジャヴァナが二つ生じます。直後にニローダサマーパッティ(滅尽定)に達し、チッタの流れが一時的に止まります。

第44節 ニローダサマーパッティ(滅尽定)からの出定

ヴッターナカーレー パナ アナーガーミノー アナーガーミパラチッタン アラハトー
アラハッタパラチッタン エーカヴァーラン エーヴァ パヴァッティトゥヴァー
バヴァンガパートー ホーティ タトー パラン パッチャヴェッカナニャーナン
パヴァッタティ

アヤン エッタ サマーパッティベードー

ニッティトー チャ ヴィパッサナーカンマッターナナーヨー

ニローダサマーパッティ(滅尽定)から出る際には、アナーガーミ(覚りの第3段階に達した聖者、不還者)の場合アナーガーミパラチッタ(アナーガーミの果のチッタ)が一度だけ生じます。アラハット(覚りの最終段階を経て輪廻からの解脱を果たした聖者、阿羅漢)の場合は、アラハッタパラチッタ(アラハットの果のチッタ)が一度だけ生じます。その後はバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、命を存続させるチッタ)に戻ります。次いでパッチャヴェッカナニャーナ(瞑想の内容を振り返って観察する智慧:省察智)が生じます。

以上がサマーパッティベーダ:パラサマーパッティ(果定)とニローダサマーパッティ(滅尽定)の解説です。

これで洞察を育てるための方法を終わります。

第45節 結論

バーヴェータッバン パニッチェーバン バーヴァナードゥヴァヤン ウッタマン
パティパッティラサッサーダン パッタヤンテーナ サーサネー

ブッダが遺された修行実践の醍醐味を味わいたと願う者はここで明瞭に説明したこの2通りの瞑想に励んで下さい。

第45節へのガイド

2通りの瞑想法とはサマタ(集中)瞑想とヴィパッサナー(洞察)瞑想です。

イティ アビダンマッタサンガヘー カンマッターナサンガハヴィバーゴー ナーマ
ナヴァモー パリッチェードー

アビダンマッタサンガハの第9章、カンマッターナサンガハ(瞑想対象の分析)はこれで終了です。

奥付

チャリッタソービタヴィサーラクローダイェーナ
サッダービヴッダパリスッダグノーダイェーナ
ナンバヴァイェーナ パニダーヤ パラーヌカパン
ヤン パッティタン パカラナン パリニッティタン タン

プンニェーナ テーナ ヴィプレーナ トゥ ムーラソーマン
ダンニャーディヴァーサムディトーディタマーユガンタン
パンニャーヴァダータグナソービタラッジビックー
マンニャントゥ プンニャヴィバヴォーダヤマンガラーヤ

ナンバの要請により、他者への哀れみから書かれたこの著述が終わりました。ナンバは威儀正しく、良家の出身で、喜んで戒律を守る人です。

この大いなる功徳により、智慧で清浄となり戒律で輝く、慎み深い比丘たちが高名なムーラソーマ僧院と恵まれた生涯を世界の終りまで忘れませんように。彼らが功徳を得て幸せでありますように。

奥付へのガイド

アーチャリヤ・アヌルッダがアビダンマッタサンガハを執筆した僧院の名称については二つの意見があります。一つの学派はトゥムーラソーマであり、トゥムーラはマハー(偉大な)と同意であると主張しています。しかしながらパーリ語にもサンスクリット語にもトゥムーラという言葉はありません。どちらもトゥムラという言葉はありますが偉大なという意味は無く、騒動ないし語源的に関連があるトゥムルトという意味で使われています。トゥムルトという単語は一般的に戦争に関連した意味で使われています。ヴェッサンタラジャータカの次の一文に見られます。アッテッタ ヴァッタティー サッドー トゥムロー
ベーラヴォー マハー:「その後、前方から大きな音がした。恐ろしい大きなトゥムルトの音が。」(マハーニパータ、v.1809:PTS版、vi, 504)

もう一つの解釈では、僧院の名前はムーラソーマ・ヴィハーラであるとされています。トゥという音節は音調を整えるために加えられた接頭辞であり、格変化しません。アーチャリヤ・アヌルッダがトゥを同じように使っている部分がこの本にもいくつか見られます(第1章、第32節、第8章、第12節)。このため、ここでも同様に使われた可能性があります。
このような背景からここでは僧院の名前をムーラソーマ ヴィハーラとします。スリランカは伝統的にこの僧院がチラウという行政区にあると信じられており、現在そこに建っているのは、ムンネッサラン コヴィルです。1

著者がこの僧院を表現するために使っているダンニャーディヴァーサという言葉は、古くからある「穀物の土地」という意味ではありません。ダンニャーはここでは派生的な意味で使われており、財産ないし徳という意味です。レディ・セヤドーによれば、創設者であるマヒンダ長老を始めとした徳の高い長老たちが暮らしていたためそのように表現されているそうです。

イティ アヌルッダーチャリヤイェーナ ラチタン
アビダンマッタサンガハン ナーマ
パカラナン ニッティタン

アーチャリヤ・アヌルッダが書かれた、アビダンマッタサンガハと呼ばれる著述はこれで終了します。

-dhamma