dhamma

第8章 パッチャヤーサンガハヴィバーガ(因果法則についての概要)

2023年1月21日

第8章 パッチャヤーサンガハヴィバーガ(因果法則についての概要)

第1節 導入の偈文

イェーサンサンカタダンマーナン イェー ダンマー パッチャヤー ヤター タン ヴィバーガン イヘーダーニ パヴァッカーミ ヤターラハン

これから、ふさわしい方法で、条件により生じる状態、その条件となる状態、そしてそれらがどのようにして関係するかについての詳細な分析について説明します。

第1節へのガイド

これから説明します:ここまで、4種類のパラマッタダンマ(究極の真理)とそのカテゴリーについて説明してきました。続いてアヌルッダ尊者は、このパッチャヤーサンガハヴィバーガ(因果法則についての概要)の中で、パッチャヤサッティ(因果法則の力)で結びつく、パッチャヤーダンマ(条件となる状態)と、パッチャユッパンナダンマ(条件に応じて生じる状態)に
(1)アヴィッジャー(真理に対する無知)のためにサンカーラ(業を作る働き)が生じます。(2)サンカーラ(業を作る働き)のためにヴィンニャーナ(チッタ)が生じます。
(3)ヴィンニャーナ(チッタ)によりナーマルーパ(精神的な活動と物質としての身体)が生じます。
(4)ナーマルーパ(精神的な活動と物質としての身体)によりサラーヤタナ(6つの感覚基盤)が生じます。
(5)サラーヤタナ(6つの感覚基盤)によりパッサ(感覚基盤と感覚対象の接触)が生じます。
(6)パッサ(感覚基盤と感覚対象の接触)によりヴェーダナー(感受)が生じます。
(7)ヴェーダナー(感受)によりタンハー(渇愛)が生じます。
(8)タンハー(渇愛)によりウパーダーナ(執着)が生じます。
(9)ウパーダーナ(執着)によりバヴァ(生存)が生じます。
(10) バヴァ(生存)によりジャーティ(誕生)が生じます。
(11) ジャーティ(誕生)によりジャラーマラナ(老いと死)、ソーカ(悲哀)、パリデーヴァ(悲嘆)、ドゥッカ(身体的な苦痛)、ドーマナッサ(悲痛)、ウパーヤーサ(絶望)が生じます。

こうしてあらゆる苦しみが生じます。

これが「条件に依存して生じる方法」です。

条件に依存して生じる方法:パティッチャサムッパーダ(条件に依存して生じること)は、生存の繰り返し(ヴァッタ)が生じる枠組みを原因の観点からみたものです。生存と死という車輪を維持し、生存から次の生存へとその車輪を回し続ける条件を明らかにしています。注釈書によれば、パティッチャサムッパーダ(条件に依存して生じること)とは関連する複数の原因に等分に依存して複数の結果が生じること(パッチャヤー サーマッギンパティッチャ サマン パラーナン ウッパードー)であると定義されています。これは、ある結果が生じる条件は一つではなく、ある条件から生じる結果も一つではないということをほのめかしています。常に複数の条件の集合が、複数の結果の集合を生じさせます。私たちが良く知っているパティッチャサムッパーダ(12因縁)では、1つの条件が1つの結果を生じさせるように言い切っていますが、これは複数の条件の集合の中から主となる条件を一つ選び出し、その条件に関連する複数の結果の集合の中から、最も大事な結果を一つ選び出して示しています。1

(1)アヴィッジャー(真理に対する無知)のためにサンカーラ(業を作る働き)が生じます:アヴィッジャー(真理に対する無知)は、モーハ(真理が分からず混乱した状態を)というチェータスィカのことです。白内障が視覚対象の認知を妨げるように、物事の本質を認知することが難しくなります。スッタ(経)の中ではアヴィッジャーは4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)を知らないことであると説明されています。一方、アビダンマでは次の8つを知らないことであると説明されています。4つのアーリヤサッチャ(聖なる真理)、生まれる前の過去、生まれた後の未来、過去と未来、物事が条件に依存して生じること、の8つです。

サンカーラ(業を作ること)はローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの世界)のクサラ(善業を作る)チッタないしアクサラ(不善業を作る)チッタが伴う、29種類のチェータナー(意思)のことです。8つのマハークサラ(偉大なる、善業を作る)チッタと5つのクサラルーパッジャーナチッタ(物質を対象にした禅定のチッタ)を合わせて、プンニャービサンカーラ(徳となる、業を作る作用)と読んでいます。12種類のアクサラ(不善業を作る)チッタにおけるチェータナー(意思)はアプンニャービサンカーラ(徳とならない、業を作る作用)と呼ばれます。4つのクサラールーパッジャーナチッタ(善業を作る、物質でないも物を対象にした禅定のチッタ)はアーネーンジャービサンカーラ(乱すことが出来ない、意思による業の形成作用)と呼ばれます。生命の持続的な精神的活動にアヴィッジャーが染み込んでいる場合、意思を伴った活動は、未来に結果を出す力を持ったカンマ(業)を作り出します。このため、アヴィッジャー(真理に対する無知)は、サンカーラ(業を作る作用)の主体となる状態と呼ばれます。アヴィッジャーはアクサラ(不善)な活動で大きな力を発揮しますが、ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの世界)ではクサラ(善)なる活動でもアヴィッジャーが潜んでいます。従って、ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの世界)ではクサラ(善なる)サンカーラもアクサラ(不善な)サンカーラもアヴィッジャー(真理に対する無知)が条件になると言われています。

(2)サンカーラ(業を作る作用)のためにヴィンニャーナ(チッタ)が生じます:これはサンカーラ(業を作る作用)が条件となって19種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタが生じるということを示していま。サンカーラ(業を作る作用)とは29種類のクサラ(善なる)及びアクサラ(不善な)チェータナー(意思)のことです。妊娠の瞬間は、死んだ生命の生涯におけるチッタの連続の中で蓄積されたサンカーラのうち、特に力の強い一つのサンカーラが、業が熟するのにふさわしい生存領域において、19種類あるパティサンディ(生存と次の生存を結び付ける)チッタのいずれかを作り出します。その後の生存の過程において、過去生において蓄積された他の業が、状況に応じて別のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタを作り出します。これについては第5章、第27~33節で説明しました。

(3)ヴィンニャーナ(チッタ)によりナーマルーパ(精神的な活動と物質としての身体)が生じます:(2)のステップでは、ヴィンニャーナはヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタという意味でのみ使われていますが、ここではヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタの他に、前世での業を作るチッタも含んでいます。ナーマ(心)はヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタに付随するチェータスィカを指しています。またルーパ(物質)は、カンマ(業)により作られる物質的現象を指しています。パンチャヴォーカーラバヴァ(5つのカンダが全てそろった生存)ではチッタがナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)両方の条件となります。しかしチャトゥヴォーカーラバヴァ(5つのカンダのうちルーパがない生存)、つまりアルーパローカ(物質でない物を対象にした禅定に関連する、物質の無い世界では、ヴィンニャーナ(チッタ)が条件になるのは、ナーマ(精神的現象)だけです。そしてエーカヴォーカーラバヴァ(5つのカンダのうちルーパだけしかない生存)、つまりアサンニャーサッタ(認知の無い生命)の場合は、ヴィンニャーナ(チッタ)が条件になるのは、ルーパ(物質的現象)だけです。パンチャヴォーカーラバヴァ(5つのカンダが全てそろった生存)で再生する場合、次の生存が始まってパティサンディ(生存と次の生存を結び付ける)チッタが生じると同時に他の三つの精神的なカンダ(塊)、つまりヴェーダナー(感受)、サンニャー(認知)、サンカーラ(業を作る作用)が生じます。同時に特定の物質の集合が生じますが、人間の場合は身体という10個の組み合わせ(パタヴィー、アーポー、テージョー、ヴァーヨー、ジーヴィティンドゥリヤ、ルーパ、アーハーラ)、バーヴァルーパ(性)、ハダヤヴァットゥ(心臓という基盤)が生じます。同時に存在するこうした精神的、物質的現象の中で、主となるのはヴィンニャーナ(=チッタ)であり、このためヴィンニャーナ(チッタ)がナーマとルーパの条件になると言われています。

(4)ナーマルーパ(精神的な活動と物質としての身体)によりサラーヤタナ(6つの感覚基盤)が生じます:ここで使われているナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)は(3)の段階と同じ意味です。6つの感覚基盤のうち、最初の5つは、眼、耳、鼻、舌、身体という感覚物質です。一方マーナーヤタナ(イメージなどの精神現象を感じ取る基盤)は32種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタのことを指しています。業から作られる物質的現象が生じると、それが条件となって5つの感覚器官が生じます。この5つの感覚器官もた業により作られる物質です。関連するチェータスィカが生じると、それが条件となってヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタが生じます。ここではこのヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタをマーナーヤタナ(イメージなどの精神現象を感じ取る基盤)と呼んでいます。言い換えれば、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタが条件となってナーマ(精神的現象)が生じ、ナーマ(精神的現象)がじょうけんとなってヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタが生じます。この二つはアンニャーマンニャーパッチャヤー(相互関係にある条件)として相互に関連します。カーマブーミ(官能的な楽しみを追い求める世界)においてはナーマ((5精神的現象)とルーパ(物質的現象)が条件となってサラーヤタナ(6つの感覚基盤)全てが生じます。ルーパブーミ(物質を対象にした禅定を得た人が再生する、微細な物質から成る生存領域)においてはチャッカーヤタナ(眼という感覚基盤)、ソーターヤタナ(耳という感覚基盤)、マーナーヤタナ(イメージなどの精神的な現象を感じ取る感覚基盤)の3つしか生じません。アルーパブーミ(物質でないものを対象にした禅定を得た人が再生する、物質の無い生存領域)においては、ナーマ(精神的現象)だけが条件となって、唯一のアーヤタナ(感覚基盤) であるマーナーヤタナ(イメージなどの精神的現象を感じ取る感覚基盤)が生じます。何故なら物質が無いので当然他の5つのアーヤタナ(感覚基盤)は生じないからです。

(5)サラーヤタナ(6つの感覚基盤)によりパッサ(感覚基盤と感覚対象の接触)が生じます:ここではパッサ(接触)は、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタに伴う接触という意味で使われています。パッサ(接触)とはサラーヤタナ(6つの感覚基盤)のいずれかに、おいて、感覚の対象とチッタ、チェータスィカが「同時にやってくる(サンガティ)」ことです。チャック(眼)という基盤に生じるパッサはチャックパッサ(眼での接触)と呼ばれます。チャック(眼)とルーパ(眼に見える形)とチャックヴィンニャーナ(眼に感覚を感じたという意識)が一緒にやってくることを示します。ソータパッサ(耳での接触)など他の種類のパッサ(接触)も、それぞれのアーヤタナー(感覚基盤)に依存して同じようにしょうじます。マノーパッサ(イメージなどの精神的な現象を感じたとる感覚基盤における接触)は、5通りのヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)のペアーを除く、22種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタの伴う接触です。パッサ(接触)はアーヤタナー(感覚基盤)がある時だけ生じるため、パッサ(接触)はサラーヤタナ(6つの感覚基盤)に依存すると言われています。

(6)パッサ(感覚基盤と感覚対象の接触)によりヴェーダナー(感受)が生じます:パッサ(接触)が生じた時には必ず、そのパッサ(接触)が条件となって、ヴェーダナー(感受)が同時に生じます。パッサ(接触)は、チッタが対象に遭遇することです。そして、その遭遇は、当然ながら特定の感情的な音色、すなわち、パッサにより作られるヴェーダナー(感受)を伴います。ヴェーダナー(感受)には6つのクラスがあります。チャックパッサ(眼での接触)から生じるヴェーダナー、ソータパッサ(耳での接触)から生じるヴェーダナーなど、そしてマノーパッサ(イメージなどの精神的な現象を感じとる感覚基盤における接触)から生じるヴェーダナーです。感情の面からすると、ヴェーダナーはアーヤタナー(感覚基盤)とアーランマナ(対象)に応じて、スゥッカ(楽しさ)、ドゥッカ(苦しさ)、ウペッカー「(苦しくも楽しくもない状態)の3つがあります。

(7)ヴェーダナー(感受)によりタンハー(渇愛)が生じます:ヴェーダナーはタンハー(渇愛)が生じる条件となります。タンハー(渇愛)には6種類あります。眼に見える形に対するタンハー、音に対するタンハー、臭いに対するタンハー、味に対するタンハー、触覚に対するタンハー、イメージなどの精神的な対象に対するタンハー、です。そして、それぞれのタンハーは3通りあります。官能的快楽に対する単純なタンハー(渇愛)つまりカーマタンハー、サッサタディッティ(永遠に変わらないものがあるという誤った見解)を伴うタンハー(渇愛)つまりバヴァタンハー、ウッチェーダディッティ(死後は何もないという誤った見解)を伴うたんはー(渇愛)つまりビバヴァタンハー、です。このようにタンハー、(渇愛)は様々ですが、突き詰めればローバ(欲)というチェータスィカに集約されます。第7章、第38節をご覧ください。
タンハー(渇愛)はその対象により区別することが出来ますが、タンハー、(渇愛)そのものは、実際にはその対象とのパッサ(接触)を通じて生じるヴェーダナー(感受)に依存します。スゥッカヴェーダナー(楽しいという感受)を経験すると、スゥッカヴェーダナー(楽しいという感受)をもたらすその対象に対する欲望が生じます。一方、ドゥッカヴェーダナー(苦しいという感受)を経験すると、その苦しさから逃れたいと渇望し、代わりに好ましいヴェーダナー(感受)を得たいと考えます。ウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)は、平穏ですがこれもまたタンハー(渇愛)の対象になります。このように、3種類のヴェーダナー(感受)は様々な種類のタンハー(渇愛)が生じる条件となります。

(8)タンハー(渇愛)によりウパーダーナ(執着)が生じます:ここでは、ウパーダーナ(執着)は前に説明したように4種類あります(第7章、第7節)。官能的快楽に対するウパーダーナ(執着)はタンハー(渇愛)が強化されたものであり、ローバ(欲)というチェータスィカの様相の一つです。他の3種類のウパーダーナ(執着)はディッティ(真理にそぐわない誤った見解)というチェータスィカの様相を表しています。この種のウパーダーナ(執着)のそれぞれが、タンハー(渇愛)が条件となって生じます。一番目のウパーダーナ(執着)の場合、対象に対する弱い、あるいは初期の欲望がタンハー(渇愛)と呼ばれ、その欲が強くなったものがウパーダーナ(執着)と呼ばれます。残りの3種類の場合、ディッティ(真理にそぐわない誤った見解)の条件となる欲望がタンハー(渇愛)と呼ばれ、その欲望の影響により受け入れたディッティ(真理にそぐわない誤った見解)がウパーダーナ(執着)と呼ばれます。

(9)ウパーダーナ(執着)によりバヴァ(生存)が生じます:バヴァ(生存)には2種類あります。一つはカンマバヴァ(業が積極的に働く生存)と、もう一つはウパパッティバヴァ(受動的ないし業の結果としての生存)です。カンマバヴァはクサラ(善業を作る)ないしアクサラ(不善業を作る)サンカーラ(意思を伴った行為)29種類、または新たな生存を創り出すクサラカンマ(善業)ないしアクサラカンマ(不善業)全体のことを指しています。ウパパッティバヴァは32種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタ、ヴィパーカチッタに付随するチェータスィカ、カンマ(業)から生じるルーパ(物質)のことを指しています。
ウパーダーナ(執着)はカンマバヴァの条件となります。生命はウパーダーナ(執着)の影響の下でカンマ(業)を蓄積する行為を行うからです。ウパーダーナ(執着)は、結果として生じるバヴァ(生存)の条件となります。何故ならまさにそのウパーダーナ(執着)が生命を再生の繰り返しへと引き戻し、カンマ(業)により決まる状態へと導くからです。

(10)バヴァ(生存)によりジャーティ(誕生)が生じます:ここで使われているジャーティ(誕生)の意味は、ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域の)ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタ、それに付随するチェータスィカ、そしてカンマ(業)により作られるルーパ(物質)がいずれかのブーミ(生存領域) に生じるということです。将来の生存が生じる根本的な条件は、カンマ(業)が機能する現在の生存において作られるクサラカンマ(善業)ないしアクサラカンマ(不善業)です。

(11)ジャーティ(誕生)によりジャラーマラナ(老いと死)、ソーカ(悲哀)、パリデーヴァ(悲嘆)、ドゥッカ(身体的な苦痛)、ドーマナッサ(悲痛)、ウパーヤーサ(絶望)が生じます: ジャーティ(誕生)が生じてしまうと、ジャラーマラナ(老いと死)は避けることが出来ません。そして、誕生から死までの間にソーカ(悲哀)、パリデーヴァ(悲嘆)、ドゥッカ(身体的な苦痛)、ドーマナッサ(悲痛)、ウパーヤーサ(絶望)などのあらゆる苦しみが生じます。こうした苦しみは全てジャーティ(誕生)に根差しています。従って、苦しみの根本的な条件はジャーティ(誕生)であるとされています。
こうしてあらゆる苦しみが生じます:(11)で提示した全ての苦しみは、ここで示す図式に従い、条件と条件に依存する状態の連鎖を通じて生じます。

第4節 分析のカテゴリー

タッタ タヨー アッダー ドゥヴァーダサンガーニ ヴィーサターカーラー ティサンディ
チャトゥサンケーパー ティーニ ヴァッターニ ドゥヴェームーラーニ チャ ヴェーディタッバーニ

3つのアッダー(時間区分)、12個のアンガ(要素)、20個のアカーラ(様相)、三つのサンディ(連結)、4つのサンケーパ(グループ)、3つのヴァッターニ(回転)、2つのムーラ(根)があることを理解しましょう。

第5節 3つのアッダー(時間区分)

カタン アヴィッジャー サンカーラー アティートー アッダー ジャーティ ジャラーマラナン アナーガトー アッダー マッジェー アッタ パッチュパンノー アッダー ティ
タヨー アッダー

どのように区分されるのでしょうか。アヴィッジャー(真理に対する無知)とサンカーラ(業を作る作用)は過去に属します。ジャーティ(誕生)とジャラーマラナ(老いと死)は未来にぞくします。その間にある8つの要素は現在に属します。このように3つのアッダー(時間区分)があります。

第5節へのガイド

12個の要素を3つの時間区分に分ける場合、それは生存の回転を引き起こす原因となる構造を説明するための便宜的なものです。特定の時間区分に振り分けたからと言って、その区分でしか働かないという意味ではありませんので注意してください。実際には、一つの生涯の中で12個の要素が常に一緒に存在します。それぞれの要素が互いに影響しあい、相互に浸透ます。これについては続く第7節で提示します。

第6節 12個のアンガ(要素)

アヴィッジャー サンカーラー ヴィンニャーナン ナーマルーパン サラーヤタナン パッソー ヴェーダナー、タンハー ウパーダーナン バヴォー ジャーティ ジャラーマラナン
ティ ドゥヴァーダサンガーニ ソーカーディヴァチャナンパネーッタ
ニッサンダパラニダッサナン

12個のアンガ(要素)とは、(1)アヴィッジャー(真理に対する無知)、(2)サンカーラ(業を作る働き)、(3)ヴィンニャーナ(チッタ)、(4)ナーマルーパ(精神的な活動と物質としての身体)、(5)サラーヤタナ(6つの感覚基盤)、(6)パッサ(感覚基盤と感覚対象の接触)、(7)ヴェーダナー(感受)、(8)タンハー(渇愛)、(9)ウパーダーナ(執着)、(10) バヴァ(生存)、(11) ジャーティ(誕生)、(12)ジャラーマラナ(老いと死)、です。ソーカ(悲哀)、パリデーヴァ(悲嘆)、ドゥッカ(身体的な苦痛)、ドーマナッサ(悲痛)、ウパーヤーサ(絶望)についてはジャーティ(誕生)の結果、偶発的に生じるとされています。

第7節 4つのサンケーパー(グループ)

アヴィッジャーサンカーラッガハネーナ パネーッタ
タンフーパーダーナバヴァー ピ ガヒター バヴァンティ
タター タンフーパーダーナバヴァッガハネーナ チャ アヴィッジャーサンカーラー
ジャーティジャラーマラナッガハネーナ チャ ヴィンニャーナディパラパンチャカン
エーヴァ ガヒタン ティ カトゥヴァー

アティーテー ヘータヴォー パンチャ イダーニ パラパンチャカン
イダーニ ヘータヴォー パンチャ アーヤティン パラパンチャカン ティ
ヴィーサターカーラー ティサンディ チャトゥサンケーパー チャ バヴァンティ

アヴィッジャー(真理に対する無知)とサンカーラ(業を形成する作用)がある時にはタンハー(渇愛)、ウパーダーナ(執着)、バヴァ(生存)があります。同様に、タンハー(渇愛)、ウパーダーナ(執着)、バヴァ(生存)がある時にはアヴィッジャー(真理に対する無知)とサンカーラ(業を形成する作用)があります。また、ジャーティ(誕生)とジャラーマラナ(老いと死)がある時にはヴィンニャーナ(チッタ)、ナーマルーパ(精神的な活動と物質としての身体)、サラーヤタナ(6つの感覚基盤)、パッサ(感覚基盤と感覚対象の接触)があります。

このため以下の4つのグループがあります。

(1) 過去の属する5つの原因
(2) 現在に属する5つの結果
(3) 現在に属する5つの原因
(4) 未来に属する5つの結果

様相(アーカーラ)は20、結合(サンディ)は3、グループ(サンケーパ)は4つとなります。

第7節へのガイド

アヴィッジャー(真理に対する無知)が捨て去られずに心に残っていると、必ずタンハー(渇愛)とウパーダーナ(執着)が生じます。この二つはアヴィッジャー(真理に対する無知)に根差し、アヴィッジャー(真理に対する無知)を伴います。さらに、サンカーラ(業を形成する作用)とバヴァ(生存)という用語は、業を形成する作用を持ったチェータナー(意思)という同じ真理を指しています。このためセットになっている用語の一つについて話をする場合、他の用語のことも含むことになります。その逆も同じです。ジャーティ(誕生)とジャラーマラナ(老いと死)は20の様相(アーカーラ)には含まれていません。何故なら、それらはナーマルーパ(精神的な活動と物質としての身体)の性質であり、究極の真理(パラマッタダンマ)ではないからです。ジャーティ(誕生)とジャラーマラナ(老いと死)に関する究極の真理(パラマッタダンマ)はヴィンニャーナ(チッタ)、ナーマルーパ(精神的な活動と物質としての身体)、サラーヤタナ(6つの感覚基盤)、パッサ(感覚基盤と感覚対象の接触)、ヴェーダナー(感受)です。3つの結合(サンディ)は、過去の原因と現在の結果の間(サンカーラとヴィンニャーナの間)、現在の結果と現在の原因の間(ヴェーダナーとタンハーの間)、そして現在の原因と未来の結果の間(バヴァとジャーティの間)となります。この節で提示されている分類について表8.1に模式的に示します。

第8節 3つのヴァッタ(回転)

アヴィッジャータンハーウパーダーナー チャ キレーサヴァッタン
カンマバヴァサンカートー バヴェーカーデーソー サンカーラー チャ カンマヴァッタン
バヴェーカーデーソー アヴァセーサー チャ ヴィパーカヴァッタン ティ ティーニ ヴァッターニ

3つのヴァッタ(回転)は以下のとおりです。
(1) アヴィッジャー(真理に対する無知)、タンハー(渇愛)、ウパーダーナ(執着)はキレーサヴァッタ(心の汚れの回転)に属します。
(2) バヴァ(生存)の一部であるカンマバヴァ(業としての生存)とサンカーラ(業を形成する作用)はカンマヴァッタ(業の回転)に属します。
(3) バヴァ(生存)の一部であるウパパッティバヴァ(再生としての生存)と残った部分はヴィパーカヴァッタ(業の結果としての回転)に属します。

第8節へのガイド

3つのヴァッタ(回転)は、サンサーラ(輪廻)における生存の繰り返しのパターンを示しています。最も根本的な回転はキレーサヴァッタ(心の汚れの回転)です。人はアヴィッジャー(真理に対する無知)の為に真理が見えなくなり、様々なアクサラ(不善業を作る)行為、ローキヤ(涅槃を悟っていない普通の人たちの意識の領域)のクサラ(善業を作る)行為をおこないます。こうして、キレーサヴァッタ(心の汚れの回転)はカンマヴァッタ(業の回転)を作り出します。このカンマ(業)が熟すると、ヴィパーカ(業の結果)が生じます。こうして、カンマヴァッタ(業の回転)がヴィパーカヴァッタ(業の結果の回転)を作り出します。アヴィッジャー(真理に対する無知)に浸りきったままの人は、こうしたヴィパーカ(業の結果)、つまり自分自身の行為がもたらす楽しさや苦しさに反応し、もっと楽しい経験をしたいという渇愛(タンハー)に打ちのめされ、既に持っているものに執着(ウパーダーナ)し、苦しみを避けようとします。こうして、ヴィパーカヴァッタ(業の結果の回転)が新たなキレーサヴァッタ(心の汚れの回転)を作り出します。このように、3通りのヴァッタ(回転)は、その根本にあるアヴィッジャー(真理に対する無知)が洞察の智慧とロークッタラマッガ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域における道の智慧)により取り除かれるまで、絶え間なく回り続けます。

第9節 2つのムーラ(根)

アヴィッジャータンハーヴァセーナ ドゥヴェー ムーラーニ ヴェーディタッバーニ

アヴィッジャー(真理に対する無知)とタンハー(渇愛)は、2つの根として理解しましょう。

第9節へのガイド

アヴィッジャー(真理に対する無知)は過去から現在の範囲に渡るムーラ(根)と呼ばれ、ヴェーダナー(感受)で最高潮に達します。タンハー(渇愛)は現在から未来の範囲に渡るムーラ(根)と呼ばれ、ジャラーマラナ(老いと死)で最高潮に達します。

第10節 まとめ

テーサン エーヴァ チャ ムーラーナン ニローデーナ ニルッジャティ
ジャラーマラナムッチャーヤ ピーリターナン アビンハソー
アーサヴァーナン サムッパーダ アヴィッジャー チャ パヴァッタティ
ヴァッタン アバンダン イッチェーヴァン テーブーマカン アナーディカン
パティッチャサムュパードー ティ パッタペースィ マハームーニ

この二つのムーラ(根)を破壊することにより、ヴァッタ(回転を止めることができます。
ジャラーマラナ(老いと死)に常に苛まれている人にアーサヴァ(潜在的な心の汚れ)が生じると、再びアヴィッジャー(真理に対する無知)が生じます。
偉大なるムニ(沈黙する賢者=ブッダ)は、(過去、現在、未来という)三つの領域がある、
もつれ合って始まりの無い存在の繰り返しを「パティッチャサムッパーダ(原因と結果の法則)として説明されました。

第10節へのガイド

サンマーディッティスッタ(正見経:中部経典9/i, 54-55) の中でサーリプッタ尊者は、アヴィッジャー(真理に対する無知)の原因を問われた時、アーサヴァ(潜在的な心の汚れ)が原因であると答えました(アーサヴァサムダヤー アヴィッジャーサムダヨー)。またアーサヴァ(潜在的な心の汚れ)の原因を問われた時に、アーサヴァ(潜在的な心の汚れ)はアヴィッジャー(真理に対する無知)から生じる(アヴィッジャーサムダヤー アーサヴァサムダヨー)と答えました。最も根本的なアーサヴァ(潜在的な心の汚れ)はアヴィッジャーサヴァ(真理に対する無知という、潜在的な心の汚れ)です。ですからサーリプッタ尊者の言葉は、ある生存におけるアヴィッジャー(真理に対する無知)は、それに先行する生存におけるアヴィッジャー(真理に対する無知)から生じることをほのめかしています。結果として、生存の繰り返しに始まりがない(アナーディカン)ことがはっきりと示されています。何故ならどのような時点においてもアヴィッジャー(真理に対する無知)は、アヴィッジャー(真理に対する無知)が存在する、一つ前の生存に依存し、果てしなく遡っていくからです。アーサヴァ(潜在的な心の汚れについては第7章、第3節を参照してください。

パッターナナヤ(条件に基づいた関係の仕組み)

第11節 24個のパッチャヤー(条件)

(1)へートゥパッチャヨー、(2)アーランマナパッチャヨー、(3)アディパティパッチャヨー、(4)アナンタラパッチャヨー、(5)サマナンタラパッチャヨー、(6)サハジャータパッチャヨー、(7)アンニャーマンニャーパッチャヨー、(8)ニッサヤパッチャヨー、(9)ウパニッサヤパッチャヨー、(10)プレージャータパッチャヨー、(11)パッチャージャータパッチャヨー、(12)アーセーヴァナパッチャヨー、(13)カンマパッチャヨー、(14)ヴィパーカパッチャヨー、(15)アーハーラパッチャヨー、(16)インドゥリヤパッチャヨー、(17)ジャーナパッチャヨー、(18)マッガパッチャヨー、(19)サンパユッタパッチャヨー、(20)ヴィッパユッタパッチャヨー、(21)アッティパッチャヨー、(22)ナッティパッチャヨー、(23)ヴィガタパッチャヨー、(24)アヴィガタパッチャヨー ティ アヤン エッタ パッターナナヨー

条件に基づいた関係は以下のとおりです。
(1)へートゥ(根)という条件、(2)アーランマナ(対象)という条件、(3)アディパティ(優勢)という条件、(4)アナンタラ(直近)という条件、(5)サマナンタラ(連続性)という条件、(6)サハジャータ(同時に生じる)という条件、(7)アンニャーマンニャー(相互性)という条件、(8)ニッサヤ(支持)という条件、(9)ウパニッサヤ(決定における支持)という条件、(10)プレージャータ(前に生じる)という条件、(11)パッチャージャータ(後に生じる)という条件、(12)アーセーヴァナ(反復)という条件、(13)カンマ(業)という条件、(14)ヴィパーカ(結果)という条件、(15)アーハーラ(栄養)という条件、(16)インドゥリヤ(能力)という条件、(17)ジャーナ(禅定)という条件、(18)マッガ(道)という条件、(19)サンパユッタ(混じり合う)という条件、(20)ヴィッパユッタ(交じり合わない)という条件、(21)アッティ(存在)という条件、(22)ナッティ(欠如)という条件、(23)ヴィガタ(消え去る)という条件、(24)アヴィガタ(消え去らない)という条件。

第11節へのガイド

上記の24の条件はパッターナ(条件に基づく関係)の項目を示したもので、ダンマサンガーニ(アビダンマピタカの第1巻)に列挙されている精神的・物質的現象を相互に結び付ける様々な仕組みを詳細に説明しています。因果関係についてのアビダンマの教えを正しく把握するためには個々の関係に関連する次の三つの要素を理解する必要があります。(1)条件となる状態(パッチャヤダンマ):他の現象の条件として機能する現象のことです。他の現象を作りだしたり、支持したり、維持したりします。(2)条件の結果として生じる状態(パッチャユッパンナダンマ):条件となる状態(パッチャヤダンマ)によって条件づけられた状態のことです。条件となる状態(パッチャヤーダンマ)に支えられて生じたり、持続したりします。
(3)条件が条件として作用する力(パッチャヤサッティ):条件となる状態(パッチャヤダンマ)が条件の結果として生じる状態(パッチャユッパンナダンマ)に対して、条件として作用する特定のメカニズムのことです。
この後に続く第13節から第27節の中で、アヌルッダ尊者は、上記の24個の条件が、異なるクラスの現象をどのように関係づけるかについて説明します。元々の順序に従って解説するにではなく条件となる状態(パッチャヤダンマ)と条件の結果となる状態(パッチャユッパンナダンマ)を、ナーマ(心)、ルーパ(物質)、ナーマ(心)とルーパ(物質)の複合、の三つに分類します。そしてその三つのクラス相互の関係に関連する条件を6つの序列に分けて説明します。13節から第27節を詳しく説明する際、本文だけでははっきりしない部分がある場合には、それぞれの条件に関わる三つの要素について解説します。

第12節 概説

チャダー ナーマン トゥ ナーマッサ パンチャダー ナーマルーピナン
エーカダー プナ ルーパッサ ルーパン ナーマッサ チェーカダー
パンニャッティナーマルーパーニ ナーマッサ ドゥヴィダー ドゥヴァヤン
ドゥヴァヤッサ ナヴァダー チャー ティ チャッビダー パッチャヤー カタン

ナーマ(精神的現象)がナーマ(精神的現象)の条件となるのは6通りです。ナーマ(精神的現象)がナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の条件となるのは5通りです。ナーマ(精神的現象)がルーパ(物質的現象)の条件となるのは1通りです。ルーパ(物質的現象)がナーマ(精神的現象)の条件となるのは1通りです。パンニャッティ(概念)とナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)がナーマ(精神的現象)の条件となるのは2通りです。ナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)がナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の条件となるのは9通りです。このように、6つの関係があります。

第13節 ナーマ(精神的現象)がナーマ(精神的現象)の条件となる場合

アナンタラニルッダー チッタチェータスィカー ダンマー パッチュパンナーナン
チッタチェータスィカーナン ダンマーナン
アナンラタサマナンタラナッティヴィガタヴァセーナ プリマーニ ジャヴァナーニ
パッチマーナン ジャヴァナーナン アーセーヴァナヴァセーナ サハジャーター
チッタチェータスィカー ダンマー アンニャーマンニャン サンパユッタヴァセーナ
ティ チャダー ナーナン ナーマッサ パッチャヨー ホーティ

ナーマ(精神的現象)がナーマ(精神的現象)の条件となるのは6通りです。直前に止滅したチッタとチェータスィカは現在のチッタとチェータスィカの条件となり、アナンタラ(直近)、サマナンタラ(連続性)、ナッティ(欠如)、ヴィガタ(消え去る)という条件がこれに該当します。先行するジャヴァナはそれに続くジャヴァナの条件となり、アーセーヴァナ(反復)という条件がこれに該当します。同時に生じるチッタとチェータスィカは相互に条件となり、サンパユッタ(付随する)という条件がこれに該当します。

第13節へのガイド

アナンタラ(直近)(4)、サマナンタラ(連続性)(5)という条件:この二つの条件は、意味は同じであり、表記だけが異なります。同一の関係を少しだけ異なる角度から強調しています。公式な定義によれば、アナンタラ(直近)という条件とは、条件となる精神的状態が、条件の結果であるもう一つの精神的状態を間断なしに生じさせる場合であり、他の精神的状態が介在することは出来ません。サマナンタラ(連続性)という条件とは、決まった精神現象のプロセスに従って、条件となる精神的状態が、それ自体が終了した直後に条件の結果である他の精神的状態を生じさせる場合です。この二つの条件は、終了しようとしているチッタとチェータスィカ、そしてその直後に生じるチッタとチェータスィカの関係に該当します。終了したチッタが条件となる状態で、その直後に生じるチッタとチェータスィカが条件により生じる状態です。アラハッタ(最終的な覚りを得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)のチュティチッタ(死のチッタ)はアナンタラ(直近)、サマナンタラ(連続性)という条件として機能することはありません。その直後にいかなるチッタも生じないからです。

ナッティ(欠如)(22)、ヴィガタ(消え去る)(23)という条件:この二つの条件もまた実質は同じで表記だけが異なるペアーのひとつです。ナッティ(欠如)という条件とは、終了しようとしている精神的状態がその直後に別の精神的状態が生じる機会を与える場合です。ヴィガタ(消え去る)という条件とは、あるせい精神的状態が、自身が消え去ることで次の精神的状態が生じる機会を与える場合です。このふたつの関係における条件となる状態と条件の結果として生じる状態はアナンタラ(直近)、サマナンタラ(連続性)の場合と同じです。

アーセーヴァナ(反復)という条件(12)とは、条件となるある精神的状態が、それ自身が終了した後に、条件の結果として生じる状態として自身と類似し、かつより強力で効果的な精神的現象を作り出す場合です。学生が勉強を繰り返すことで学習効率が上がるように、条件となる状態が続けて類似する状態を生じさせることで、その状態をさらに効率的なものにします。この関係における条件となる精神的現象はジャヴァナのいずれか(最後のジャヴァナを除く)であり、クサラ(善業を作る)、アクサラ(不善業を作る)、キリヤ(機能だけの)の3種類あります。そして直後のジャヴァナの瞬間において同じ業の質(クサラ、アクサラ、キリヤ)を持った精神的現象が生じる条件として働きます。こうして生じた精神的現象がこの関係における、条件の結果として生じる状態です。

4つのロークッタラマッガチッタ(涅槃を悟った聖者たちの意識の領域における道のチッタ)はクサラ(善業を作る)ジャヴァナですが、アーセーヴァナ(反復)という条件にはなりません。何故ならその直後に生じるのはヴィパーカチッタ(業の結果として生じるチッタ)であるパラチッタ(果のチッタ)であり、反復という関係が成り立たないからです。また、パラチッタ(果のチッタ)はジャヴァナの過程で反復して生じますが、それらはヴィパーカチッタ(業の結果として生じるチッタ)であり、アーセーヴァナ(反復)という条件における条件となる状態の定義を満たしません。しかしながら、パラチッタ(果のチッタ)の直前に生じるティヘートゥカカーマーヴァチャラクサラチッタ(チッタを安定させる根三つ=アローバ、アドーサ、アモーハを全て持つ、感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、善業を作るチッタ)はアーセーヴァナ(反復)という条件における条件となる状態であり、パラチッタ(果のチッタ)は条件の結果として生じる状態です。

サンパユッタ(付随する)という条件とは、条件となるある精神的状態が、不可分の関係にあるグループの中の別の精神的状態を付随的に生じさせる場合です。不可分のグループに属する精神的状態は同時に生じ、同時に終了した、同じ身体的基盤を持つという特徴があります(第2章、第1節参照)。この条件においてはチッタないしチェータスィカが条件となる状態であり、同じグループに属する精神的現象が条件の結果として生じる状態です。

第14節 ナーマ(精神的現象)がナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の条件となる場合

へートゥ ジャーナンガ マッガンガーニ サハージャーターナン ナーマルーパーナン
ヘーターディヴァセーナ サハジャーター チェータナー サハジャーターナン
ナーマルーパーナン ナーナーカニカー チェータナー カンマービニッバッターナン
ナーマルーパーナン カンマヴァセーナ ヴィパーカッカンダー
アンニャーマンニャーナン サハージャーターナン ルーパーナン
ヴィパーカヴァセーナー ティ チャ パンチャダー ナーマン ナーマルーパーナン
パッチャヨー ホーティ

ナーマ(精神的現象)がナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の条件となるのは5通りです。へートゥ(チッタを安定させる根)、ジャーナンガ(禅定の要素)、マッガンガ(道の要素)はそれぞれ、へートゥ、ジャーナンガ、マッガンガという形で同時に生じるナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の条件となります。チェータナー(意志)は同時に生じるナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の条件となり、またカンマ(業)という形で、時間を隔てて生じるカンマ(業)から作られるナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)の条件となります。ナーマ(精神的現象)のヴィパーカ(結果)として生じるカンダ(生命を構成する五つの塊)は相互に相手の条件となります。またヴィパーカ(結果)という形で、同時に生じるルーパ(物質的現象)の条件となります。

第14節へのガイド

へートゥ(根)という条件(1)とは、条件となる状態があたかも根のようにさようして、条件により生じる状態を堅牢で揺るぎないものにする場合です。この関係における条件となる状態はヘートゥ(根)と呼ばれる6つのチェータスィカです(第3章、第5節参照)。ローバ(欲)、ドーサ(怒り)、モーハ(真理が分からず混乱した状態)の三つはアクサラヘートゥ(不善な根)です。アローバ(欲から離れること)、アドーサ(怒りから離れること)、アモーハ(真理が分からず混乱した状態から離れること)の三つはソーバナへートゥ(道徳的に美しい根)であり、クサラ(善)の場合と、クサラ(善)でもアクサラ(不善)でもない場合の二通りあります。条件となる状態はそれぞれのへートゥ(根)に付随する精神的状態と、同時に生じるルーパ(物質的現象)です。同時に生じるルーパ(物質的現象)はパティサンディ(再生)の瞬間にカンマ(業)により作られるルーパ(物質的現象)と、生存している間にチッタから作られルーパ(物質的現象)のことです。 木の根が、木が生え、育ち、安定する土台となるように、へートゥ(根)は、条件の結果として生じる状態を確固たるものにします。

ジャーナ(禅定)という条件(17)は、条件となる状態が、一つの対象に集中するという、条件から生じる結果をもたらす場合です。条件となる状態は7つのジャーナンガ(禅定の要素)で、あり、チェータスィカとして見た場合は5つに集約されます(第7章、第16節、第23節参照)。条件の結果として生じる状態とはジャーナンガ(禅定の要素)に伴うチッタ(10個のヴィンニャーナを除く全てのチッタ)とチェータスィカ、そして同時に生じるルーパ(物質的現象)です。同時に生じるルーパ(物質的現象)自体が対象について瞑想することはありませんが、ジャーナンガ(禅定の要素)に伴う深い瞑想から生じるため、条件の結果として生じる状態に含まれます。

マッガ(道)という条件(18)とは、条件となる状態が条件の結果として生じる状態を働かせて特定の行先に到達させる場合です。この関係における条件となる状態は12個のマッガンガ(道の要素)であり、チェータスィカとして見た場合は9つのチェータスィカに集約されます(第7章、第17節、第23節参照)。4つのミッチャーマッガンガ(正しくない道の要素)はアパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存世界)へ達する方便となります。8つのサンマーマッガンガ(正しい道の要素)は、スガティ(恵まれた生存世界)とニッバーナ(涅槃)へ達する方便となります。条件となる状態はアヘートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタ18個を除くと全てのチッタを安定させると、それに付随するチェータスィカ、および同時に生じるルーパ(物質的現象)です。ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタとキリヤ(機能だけの)チッタに含まれるマッガンガ(道の要素)はどこかへ導く働きはありませんが、それでもやはりマッガンガ(道の要素)に分類されます。その理由は、そうしたチッタの独自の性質をちゅう抽象的に考えれば、異なる行先へと導く能力のある他のマッガンガ(道の要素)と同一だからです。

カンマ(業)という条件(13)には2種類あります。(i)同時に生じるカンマ(業)という条件(サハジャータカンマパッチャヤー)、(ii)時間を違えて生じるカンマ(業)という条件(ナーナーカニカカンマパッチャヤー)、です。

(i)同時に生じるカンマ(業)という条件の場合、条件となる状態は89種類あるチッタの中のチェータナー(何かをしようとする意志)です。条件の結果として生じる状態は、そのチェータナー(何かをしょうとする意志)に付随するチッタ、チェータスィカ、同時に生じるルーパ(物質的現象)です。ここではチェータナー(何かをしようとする意志)は「同時に生じるカンマ(業)という条件」として機能します。そして、揃って生じる他の状態にそれぞれの役割を果たさせます。また自分と同時に生じた、その状態にふさわしいルーパ(物質的現象)を生じさせます。

(ii)時間を違えて生じるカンマ(業)という条件の場合は、条件となる状態と条件の結果として生じる状態の間に一時的なギャップがあります。この関係における条件となる状態は過去のクサラカンマ(善業)ないしアクサラカンマ(不善業)です。条件の結果として生じる状態は、ヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタとそのチェータスィカおよびカンマ(業)から生じるルーパ(物質的現象、再生の瞬と生存中の両方)です。ここでの条件を作る力は、チェータナー(何かをしようという意志)が持つ、ふさわしい結果と業から生じるルーパ(物質的現象)を作りだす能力です。この条件関係は、マッガチッタ(道のチッタ)とそのパラ(果)にもあてはまります。

ヴィパーカ(結果)という条件(14)とは、条件となる状態によって条件の結果となる状態が同時に生じる際、それが受動的で努力を要せず働きかけを要しない場合です。この関係における条件となる状態はヴィパーカチッタ(業の結果として生じるチッタ)、ヴィパーカチェータスィカ(業の結果として生じるチェータスィカ)です。条件の結果として生じる状態はそうしたヴィパーカチッタ、ヴィパーカチェータスィカお互い同士、そして同時に生じるルーパ(物質的現象)です。ヴィパーカ(業の結果)は、カンマ(業)から作られるため受動的で、自ら働きかけることはありません。このため、熟睡している人の心にはヴィパーカ(業の結果)であるバヴァンガチッタ(認識過程と認識過程の間にある生存を維持するチッタ)絶えず現れては消え去りますが、身体、言葉、心を使った努力を要せず、チッタの対象を明瞭に把握することもありません。同様に、5つの感覚門においては、ヴィパーカチッタ(業の結果として生じるチッタ)はその対象を知ろうと積極的に働きかけることはありません。対象を明瞭にとらえるのはジャヴァナの相だけです。また行動を起こすのもジャヴァナの相だけです。

第15節 マーナ(精神的現象)が条件となってルーパ(物質的現象)が生じる場合

パッチャージャーター チッタチェータスィカー ダンマー プレージャータッサ イマッサ
カーヤッサ パッチャージャーターヴァセーナ ティ エーカダー ヴァ ナーマン
ルーパッサ パッチャヨー ホーティ

ナーマ(精神的現象)がルーパ(物質的現象)の条件となるのは1通りだけです。後から生じるチッタとチェータスィカは前に生じる物質としての身体の条件(パッチャージャーター:後から生じる条件)となります。

第15節へのガイド

パッチャージャーター(後から生じる)という条件(11)とは「条件となる状態」が、それ自身の前に生じた「条件により生じる状態」を支え、強化して補助する場合です。この関係における「条件となる状態」は後から生じるチッタとチェータスィカであり、「条件により生じる状態」は4つの原因から生まれる身体のルーパ(物質的現象)です。この条件はパティサンディ(再生)の瞬間にカンマ(業)から生まれるルーパに関連する最初のバヴァンガチッタ(認識過程と認識過程の間にある生存を維持するチッタ)とともに始まります。既に存在している植物の成長と発達が、後から降った雨の水で促進される場合と同じように、後から生じるナーマ(精神的現象)の状態が既に生じているルーパ(物質的現象)を支え、類似したルーパ(物質的現象)の産生を持続させます。

第16節 ルーパ(物質的現象)がナーマ(精神的現象)の条件となる場合

チャ ヴァットゥーニ パヴァッティヤン サッタンナンヴィンニャーナダートゥナン
パンチャーランバナーニ チャ パンチャヴィンニャーナヴィーティヤー
プレージャータヴァセーナ ティ エーカダー ヴァ ルーパン ナーマッサ パッチャヨー
ホーティ

ルーパ(物質的現象)がナーマ(精神的現象)の条件となるのは一通りだけです。生存中の6つのヴァットゥ(チッタを支える基盤)はチッタの7つの要素の条件となります。プレージャータ(先に生じる)という条件に基づいた関係です。

第16節へのガイド

プレージャータ(先に生じる)という条件(10)とは、既に生じて存在の段階(ティティ)まで達したルーパ(物質的現象)が「条件となる状態」として、「条件の結果として生じる状態」であるナーマ(精神的現象)を後から生じさせる場合です。これは、まず太陽が昇って、その後に現れる人々に光をもたらすのに似ています。プレージャータ(先に生じる)とい条件には主に2種類あります。(i)ヴァットゥプレージャータ(基盤における、先に生じる)、(ii)アーランマナプレージャータ(対象にける、先に生じる)、の2種類です。

(i)6つの物質的なヴァットゥ(チッタを支える物質的基盤)は生涯を通じ、ヴァットゥプレージャータ(基盤における、先に生じる)としてチッタとチェータスィカの条件となります。チッタ、チェータスィカはヴァットゥ(チッタを支える物質的基盤)を支えとして生じます(第3章、第20節~第22節)。再生の瞬間におけるハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える基盤)は精神的な状態のプレージャータ(前に生じる)という条件にはなりません。何故なら、再生の瞬間にはハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える基盤)と精神的な状態は「サハジャータ(同時に生じる)という条件」「アンニャーマンニャー(相互性)という条件」として同時に生じるからです。しかし、再生の瞬間に生じたハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える基盤)はパティサンディチッタ(生存と次の生存を結び付けて再生をもたらすチッタ)の直後に生じる最初のバヴァンガチッタ(認識過程と認識過程の間にあり生存を維持させるチッタ)のプレージャータ(先に生じる)とい条件になります。そしてそれ以降は生涯を通じて、生じる全てのマノーダートゥ(精神現象の要素)とマノーヴィンニャーナダートゥ(精神現象と意識の要素)チッタに対するプレージャータ(先に生じる)とい条件になります。

(ii)5つの感覚対象のそれぞれが「アーランマナ(対象)という条件」として、それを対象とするドゥヴァーラ(感覚門)の認識過程におけるチッタとチェータスィカの条件となります。また、18種類の具体的に作られたルーパ(物質的現象)(第6章、第2節参照)が存在のステージ(ティティ)に達するとマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)におけるチッタとチェータスィカに対するアーランマナ(対象)、プレージャータ(先に生じる)という条件になります。

第17節 パンニャティ(概念)とナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)がナーマ(精神的現象)の条件になる場合

アーランマナヴァセーナ ウパニッサヤヴァセーナ ティ チャ ドゥヴィダー
パンニャティ ナーマルーパーニ ナーマッセーヴァ パッチャヤーホーンティ
タッタ ルーパーディヴァセーナ チャッビダン ホーンティ アーランマナン
ウパニッサヨー パナ ティヴィドー ホーンティ アーランマヌーパニッサヨー
アナンタルーパーニッサヨー パカトゥーパニッサヨー チャー ティ タッターランバナン
エーヴァ ガルカタン アーランマヌーパニッサヨー アナンタラニルッダー
チッタチェータスィカー ダンマー サッダーダヨー チャ スッカン ドゥッカン
プッガロー ボージャナン ウトゥ セーナーサナン チャ ヤターラハン アッジャタン
チャ バビッダー チャ クサラーディダンマーナン カンマン ヴィパーカーナン ティ
チャ バフダー ホーティ パカトゥーパニッサヨー

パンニャティ(概念)とナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)がナーマ(精神的現象)の条件になる場合は二通りです。すなわち、アーランマナ(対象)という条件と、ウパニッサヤ(決定における支持)という条件の二つです。そのうち、アーランマナ(対象)はルーパ(目に見える形)など6つあります。一方、ウパニッサヤ(決定における支持)は3つあります。アーランマヌパニッサヤ(対象という、決定における支持)、アナンタルーパニッサヤ(至近という、決定における支持)、パカトゥーパニッサヤ(自然という、決定における支持)の3つです。

その中で、アーランマナ(対象)が顕著になるとそれ自体がアーランマヌパニッサヤ(対象という、決定における支持)になります。直ちに止滅するチッタとチェータスィカはアナンタルーパニッサヤ(至近という、決定における支持)として働きます。パカトゥーパニッサヤ(自然という、決定における支持)にはたくさんの種類があります。ラーガ(欲望)などの状態、サッダー(信)などの状態、スッカ(楽しさ)、ドゥッカ(苦しさ)、プッガラー(個々人)、ボージャナ(食物)、ウトゥ(季節)、セーナーサナ(住居)など(そうした全ての事物は状況によりクサラ(善)の状態の条件となります。同様に、カンマ(業)はその結果の条件となります。

第17節へのガイド

アーランマナ(対象)という条件(2)とは条件となる状態(対象)が、条件の結果として生じる他の状態(それを対象とするチッタ、チェータスィカ)を生じさせ、自分をその対象にさせる場合です。この関係においては、6つのクラスの対象(第3章、第6節参照)が「条件となる状態」であり、対応するチッタとチェータスィカが「条件の結果として生じる状態」です。

ウパニッサヤ(決定における支持)という条件(9):この条件に含まれる3つのタイプの中で(i)アーランマヌパニッサヤ(対象という、決定における支持)とは、条件となる状態が極めて好ましいあるいは重要である場合です。条件の結果として生じる状態はそれを把握するナーマ(精神的現象)で、その対象に強く依存します。
(ii)アナンタルーパニッサヤ(至近という、決定における支持)は、「条件となる状態」「条件の結果として生じる状態」という点ではアナンタラ(至近)という条件と同じです。しかし条件の力強さが少し異なります。アナンタラ(至近)という条件とは、それが止滅した直後に次の精神的な状態を生じさせる力です。アナンタルーパニッサヤ(至近という、決定における支持)の場合は、続いて生じる精神的な状態がその直前の「条件となる状態」に強く依存します。
(iii)パカトゥーパニッサヤ(自然という、決定における支持)は広い範囲の関係をカバーします。条件となる状態としてのチッタ、チェータスィカが強力に作用して、次の瞬間に条件の結果である状態としてのチッタ、チェータスィカが生じる場合です。例えば、先に生じたラーガ(欲)は殺生、盗み、不貞などのチェータナー(意志)のパカトゥーパニッサヤ(自然という、決定における支持)となることがあります。先に生じたサッダー(信)は布施、持戒、瞑想実践などのチェータナー(意志)のパカトゥーパニッサヤ(自然という、決定における支持)となることがあります。その他、健康になれば、幸せとエネルギーを得ます。病気にかかれば悲しみが生じ無気力になります。

第18節 ナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)がナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)の条件になる場合

アディパティ サハジャータ アンニャーマンニャー ニッサヤ アーハーラ インドゥリヤ ヴィッパユッタ アッティ アヴィガタヴァセーナ ティ ヤターラハン ナヴァダー
ナーマルーパーニ ナーマルーパーナン パッチャヤー バヴァンティ

ナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)がナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)の条件になるのは状況に応じて9通りあります。すなわち、アディパティ(優勢)、サハジャータ(同時に生じる)、アンニャーマンニャー(相互性)、ニッサヤ(支持)、アーハーラ(栄養)、インドゥリヤ(能力)、ヴィッパユッタ(付随しない)、アッティ(存在)、アヴィガタ(消え去らない)、です。

第18節へのガイド

これらの条件については以下の節で詳しく説明します。

第19節 アディパティパッチャヤー(優勢という条件)

タッタ ガルカタン アーランバナン アーランバナーディパティヴァセーナ ナーマナン
サハジャーターディパティ チャトッビドー ピ サハジャータヴァセーナ サハジャーターナン ナーマルーパーナン ティ チャ ドゥヴィドー ホーティ アディパティパッチャヨー

アディパティパッチャヨー(優勢という条件)は2通りです。
(i)重さが付加された対象は、アーランバナーディパティ(対象による優勢)として、精神的状態の条件となります。
(ii)4通りある、サハージャーターディパティ(同時に生じるという優勢)は、サハージャータ(同時に生じる)ナーマルーパーナ(精神的現象と物質的現象)の条件となります。

第19節へのガイド

アディパティパッチャヤー(優勢という条件)(3):2つのタイプの条件のうち、(i)アーランバナーディパティ(対象という優勢)は条件であるアーランバナ(対象)が、自分を対象とする精神的状態を支配する場合です。この関係では、高く評価され、大事にされ、強い欲望の対象となるものだけが「条件となる状態」になることが出来ます。アーランマヌパニッサヤ(対象という、決定における支持)とほとんど同じですが、条件づける力だけが若干異なります。アーランマヌパニッサヤ(対象という、決定における支持)の場合はチッタ、チェータスィカを生じさせる作用が極めて強い力を持っており、一方、アーランバナーディパティ(対象という優勢)の場合は大変魅力的であるという力を持っており、条件の結果として生じる状態を支配します。
(ii)サハージャーターディパティ(同時に生じるという優勢)は、「条件となる状態」が、自身と同時に生じる「条件の結果として生じる状態」を支配する場合です。この関係における「条件となる状態」は4つのアディパティ(優勢)、すなわちチャンダ(欲望)、ヴィリヤ(エネルギー)、チッタ、ヴィーマンサ(探究)です(第7章、第20節参照)。一つの瞬間に、アディパティパッチャヤー(優勢という条件)の役割を果たせるのは、上の4つのアディパティ(優勢)のいずれか一つだけです。またへートゥ(チッタを安定させる根)を2つないし3つ持つ、ジャヴァナチッタ(認識過程の中心となり業を作る一連のチッタ)の中でしか、その機能を果たすことが出来ません。同時に生じるナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)が「条件の結果として生じる状態」です。

第20節 サハジャータパッチャヤー(同時に生じるという条件)

チッタチェータスィカー ダンマー アンニャーマンニャー サハージャタルーパーナン
チャ マハーブーター アンニャーマンニャン ウパーダールーパーナン チャ
パティサンディッカネー ヴァットゥヴィパーカ アンニャーマンニャン ティ チャ
ティヴィドー ホーティ サハジャータパッチャヨー

サハジャータパッチャヤー(同時に生じるという条件)は3通りです。チッタとチェータスィカは互いに相手の条件となります。また同時に生じるルーパ(物質的現象)の条件になります。4つのマハーブータ(物質を構成する地、水、火、風という基本要素)はそれぞれが互いに相手の条件となります。またマハーブータから派生するルーパ(物質的現象)の条件となります。
ハダヤヴァットゥ(心臓という基盤)とヴィパーカ(業の結果として生じたもの=感受、認知、意思を伴った行為、チッタ)は再生の時点において、互いに相手の条件となります。

第20節へのガイド

サハジャータパッチャヤー(同時に生じるという条件)(6)とは、「条件となる状態」が、それ自体が生じると同時に「条件の結果として生じる状態」を生じさせる場合です。これはランプの火に例えられます。火がつくと同時に光と、色と、熱が生じます。この条件は上記のように3つに分かれますが、次のように5つに細分することも出来ます。(i)精神的状態(チッタないしチェータスィカ)のひとつと、それに付随する精神的状態、(ii)、精神的状態(チッタないしチェータスィカ)ひとつと、同時に生じるルーパ(物質的現象)、(iii) マハーブータ(物質を構成する地、水、火、風という基本要素)のひとつと、他の3つのマハーブータ、(iv) マハーブータ(物質を構成する地、水、火、風という基本要素)のひとつと、それから派生するルーパ(物質的現象)、(v)再生時におけるハダヤヴァットゥ(心臓という基盤)と、業の結果として生じる精神的状態、そして逆に業の結果として生じるとハダヤヴァットゥ(心臓という基盤)、です。

第21節 アンニャーマンニャーパッチャヤー(相互性)という条件

チェータスィカー ダンマー アンニャーマンニャン マハーブーター
アンニャーマンニャン パティサンディッカネー ヴァットウヴィパーカ
アンニャーマンニャン ティ チャ ティヴィドー ホーティ アンニャーマンニャーパッチャヨー

アンニャーマンニャーパッチャヤー(相互性)という条件は3通りあります。チッタとチェータスィカは互いに相手の条件となります。マハーブータ(物質を構成する地、水、火、風という基本要素)はそれぞれが互いに相手の条件となります。再生時にはハダヤヴァットゥ(心臓という基盤)と業の結果として生じるもの(生命を構成する5つの塊のうちの感受、認知、意思を伴った行為、チッタ)はそれぞれがお互いに相手の条件となります。

第21節へのガイド

アンニャーマンニャーパッチャヤー(相互性という条件)(7)とは、実際にはサハジャータパッチャヤー(同時に生じるという条件)の一部に相当します。サハジャータパッチャヤー(同時に生じるという条件)の場合は、単に「条件の結果として生じる状態」を同時に生じさせるだけであり、条件を作る力に相互的な関係はありません。しかしながら、アンニャーマンニャーパッチャヤー(相互性という条件)の場合、「条件となる状態」と「条件の結果として生じる状態」が同時に相手の「条件の結果として生じる状態」と「条件となる状態」になります。ですからアンニャーマンニャーパッチャヤー(相互性という条件)という関係においては互いに相手から条件を作る力を受けることになります。これは三脚に例えられます。それぞれの脚が他の二つの脚を相互に支えることで三脚は真っ直ぐ立つことが出来ます。

第22節 ニッサヤパッチャヤー(支持という条件)

チッタチェータスィカー ダンマー アンニャーマンニャン サハジャータルーパーナン
チャ マハーブーター アンニャーマンニャン ウパーダールーパーナン チャ チャ ヴァットゥーニ サッタンナン ヴィンニャーナダートゥーナン ティ チャ ティヴィドー ホーティ ニッサヤパッチャヨー

ニッサヤパッチャヤー(支持という条件)は3通りです。チッタとチェータスィカは互いに相手の条件となります。またチッタとチェータスィカは同時に生じるルーパ(物質的現象)の条件となります。4つのマハーブータ(物質を構成する地、水、火、風という基本要素)はそれぞれが他のマハーブータの条件となります。またマハーブータはそれから派生するルーパ(物質的現象)の条件となります。6つのヴァットゥ(基盤)は7つのヴィンニャーナダートゥ(チッタの要素)の条件となります。

第22節へのガイド

ニッサヤパッチャヤー(支持という条件)(8)とは、「条件となる状態」が「条件の結果として生じる状態」の支持ないし土台として働き、それを生じさせる場合です。「条件となる状態」と「条件の結果として生じる状態」の関係は、大地が木や植物を支える、あるいはキャンバスが絵をかく土台となるのに類似しています。

ニッサヤパッチャヤー(支持という条件)は大きく二つのカテゴリーに分かれます。(i)サハジャータニッサヤ(同時に生じる支持)、と(ii)プレージャータニッサヤ(先に生じる支持)です。サハジャータニッサヤパッチャヤー(同時に生じる支持という条件)は全ての点でサハジャータパッチャヤー(同時に生じるという条件)と同一です。プレージャーニッサヤ(先に生じる支持)は二つに分かれます。一つはヴァットゥプレジャータニッサヤ(基盤という、先に生じる支持)で、プレージャータパッチャヤー(先に生じるという条件)の項で説明したヴァットゥプレージャータ(基盤という、先に生じる)と同じです。もう一つはヴァッターランマナプレージャータニッサヤ(基盤の対象という、先に生じる支持)です。これはハダヤヴァットゥ(心臓という基盤)に支えられてチッタが生じ、そのチッタがハダヤヴァットゥ(心臓という基盤)を対象にするという特殊なケースです。その場合はハダヤヴァットゥ(心臓という基盤)は同時に一つのチッタの支持となり、かつそのチッタの対象となります。これに関連してパッターナという解説書には次のように書かれています。修行者は洞察により、自分の中にある基盤は無常で、苦しみで、自分ではないと観察します。普通の人たちのは、それを楽しみ、喜びます。それに目を向けながら、欲が生じ、誤った考えが生じ、疑いが生じ、不穏が生じ、不快が生じます3。

第23節 アーハーラパッチャヤー(栄養という条件)

カバリーカーロー アーㇵ―ロー イマッサ カーヤッサ アルーピノー アーハーラー
サハジャーターナン ナーマルーパーナン ティ チャ ドゥヴィドー ホーティ
アーハーラパッチャヨー

アーハーラパッチャヤー(栄養という条件)は2通りです。食物は身体の条件となります。そして物質でない栄養は同時に生じるナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)の条件となります。

第23節へのガイド

アーハーラパッチャヤー(栄養という条件)(15)とは「条件となる状態」が「条件の結果として生じる状態」を作り、その存在を維持し、その成長と発達を支える関係です。古い家を支え、崩れないようにする支柱に例えられています。アーハーラ(栄養)の基本的な働きは支えることと強化すること(ウパッタンバナ)です。
アーハーラパッチャヤー(栄養という条件)には2通りあります。(i)ルーパーハーラ(物質的な栄養)と(ii)ナーマーハーラ(精神的栄養)です。
(i)ルーパーハーラ(物質的な栄養)は食物に含まれ、身体の条件となるます。食物が紹介吸収されると栄養素が、栄養から作られる新しい物質を作り出します。ルーパーハーラ(物質的な栄養)はまた四つの原因から生じる物質のグループを強化し、力強く新鮮な状態に保ち続けて生じることを可能にします。4つの原因から生じた物質のグループに含まれる体内の栄養素もまた「条件となる状態」として働き、同時に存在する同じグループないし他のグループに属する体内の物質的現象を強化します。
(ii)ナーマーラーハ(精神的な栄養)は3通りです。栄養素の接触、精神的な意志、チッタの3つで、同時に生じるナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)の条件となります。

第24節 インドゥリヤパッチャヤー(能力という条件)

パンチャパサーダー パンチャンナン ヴィンニャーナーナン
ルーパジーヴィティンドゥリヤン ウパーディンナルーパーナン アルーピノー
インドゥリヤー サハジャーターナン ナーマルーパーナン ティ チャ ティヴィドー ホーティ インドゥリヤパッチャヨー

インドゥリヤパッチャヤー(能力という条件)は3通りです。5つのパサーダ(感覚器官)は5種類のヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)の条件となります。ルーパジーヴィティンドゥリヤ(物質的な生命力)は業から生じる物質的現象の条件となります。物質ではないインドゥリヤ(能力)は同時に生じるナーマルーパ(精神的現象と物質的現象)の条件となります。

第24節へのガイド

インドゥリヤパッチャヤー(能力という条件)(16)とは、「条件となる状態」が「条件の結果として生じる状態」に特定の機能を及ぼす関係です。この条件は大臣の一団に例えられます。大臣の一人一人は自分が管轄する特定の地域だけを統治します。他の地域を統治しようとはしません。本文にあるように3種類のインドゥリヤパッチャヤー(能力という条件)があります。(i) プレージャータインドゥリヤ(先に生じる能力)、(ii)ルーパジーヴィティンドゥリヤ(物質的な生命力)、(iii)サハジャーターインドゥリヤ(同時に生じる能力)、です。

(i)プレージャータインドゥリヤ(先に生じる能力):五感のいずれかがそれぞれの感覚器官に応じたヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)とそれに付随するチェータスィカのプレージャータインドゥリヤ(先に生じる能力)になります。何故なら、感覚器官が、その感覚器官を基盤とするヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)の効率を決めるからです。例えば、眼が良ければくっきりと見ることが出来ますが、眼が悪いとぼやけます。
(ii)カンマ(業)から生じる物質のグループの中で、ルーパジーヴィティンドゥリヤ(物質的な生命力)は同じグループに属する他の9つのルーパ(物質的現象)に対するジーヴィティンドゥリヤ(生命力)となり、その活力を維持することでコントロールします。
(iii)14個のアルーパインドゥリヤ(物質でない能力)(第7章、第18節参照)は、同時に生じる付随的な精神的状態とルーパ(物質的現象)に対して、「同時に生じるインドゥリヤパッチャヤー(能力という条件)」となります。
インドゥリヤ(能力)の中で、男性、女性という二つの性に関わるインドゥリヤ(能力)は「条件となる状態」その二つは条件としての働きは持たないため除外されます。「条件」は、産生、支持、維持という3つの働きを持ちます。しかし、性に関わるインドゥリヤ(能力)はこれらの機能を持ち合わせていません。それにもかかわらずインドゥリヤ(能力)として分類されているのは、性的な体格、外見、身体の性質をコントロールし、人格全体が男性ないし女性の方向に向かうからです。4

第25節 ヴィッパユッタパッチャヤー(交じり合わないという条件)

オッカンティッカネー ヴァットゥ ヴィパーカーナンチッタチェータスィカー
ダンマー サハジャータルーパーナン サハジャータヴァセーナ パッチャージャーター
チッタチェータスィカー ダンマー プレージャータッサ イマッサ カーヤッサ     パッチャージャータヴァセーナ チャ ヴァットゥーニ パヴァッティヤン サッタンナン
ヴィンニャーナダートゥーナン プレージャータヴァセーナー ティ チャ
ティヴィドー ホーティ ヴィッパユッタパッチャヨー

ヴィッパユッタパッチャヤー(交じり合わないという条件)は3通りです。再生の瞬間には、ハダヤヴァットゥ(心臓というチッタの基盤)がヴィパーカ(業の結果として生じる精神的現象の塊=感受、認知、業の形成作用、チッタ)の条件となり、またチッタとチェータスィカが「同時に生じるという条件」として、「同時に生じるルーパ(物質的現象)」の条件となります。「後から生じるチッタとチェータスィカは「後から生じる条件」として、先に生じる物質的な身体の条件となります。生存中は、6つの基盤が「先に生じるという条件」として、7つのヴィンニャーナダートゥ(感覚を感じたという意識の要素)の条件となります。

第25節へのガイド

ヴィッパユッタパッチャヤー(交じり合わないという条件)(20)における条件は、現在生じているルーパ(物質的現象)を補助するナーマ(精神的現象)、ないし現在生じているナーマ(精神的現象)を補助するルーパ(物質的現象)です。この関係においては「条件となる状態」と「条件の結果として生じる状態」という二つの構成要素は異なるタイプとなります。片方が物質的現象であればもう片方は精神的現象でなければなりません。同様に、片方が精神的現象の場合はもう片方は必ず物質的現象となります。一緒にしても交じり合わない水と油のようなものです。
ですから、再生の瞬間に生じるハダヤヴァットゥ(心臓というチッタの基盤)と精神的現象の塊はお互いに相手のヴィッパユッタパッチャヤー(交じり合わないという条件)となります。何故なら、それぞれが特有の性質を持っており、それによってナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)に区分されるからです。繰り返しますが、ルーパッカンダ(物質的現象の塊)は「ヴィッパユッタパッチャヤー(交じり合わないという条件)」として、自分とは異なる種類である、カンマ(業)から生じる物質的現象の条件となり(再生の瞬間)、あるいはチッタから生じる物質的現象の条件となります(生存中)。ヴィッパユッタパッチャヤー(交じり合わないという条件)は先に生じる場合と、後から生じる場合があります。先に生じる場合については、「条件となる状態」としてのルーパ(物質的現象)と、「条件の結果として生じる状態」としてのナーマ(精神的現象)との間の関係がこれにあたります。後から生じる場合とは、「条件となる状態」としてのナーマ(精神的現象)と、「条件の結果として生じる状態」としてのルーパ(物質的現象)との間の関係です。これらはそれぞれプレージャーターニッサヤパッチャヨー(先に生じる、支持という条件)、パッチャージャータパッチャヤー(後から生じるという条件)と同一です。

第26節 アッティパッチャヤー(存在という条件)、アヴィガタパッチャヤー(消え去らないという条件)

サハージャータン プレージャータン パッチャージャータン チャ サッバター
カバリーカーロー アーㇵ―ロー ルーパジーヴィタン イッチャヤン ティ
パンチャヴィドー ホーティ アッティパッチャヨー アヴィガタパッチャヨー チャ

アッティパッチャヤー(存在という条件)とアヴィガタパッチャヤー(消え去らないという条件)には全部で5種類あります。サハジャータ(同時に生じる)、プレージャータ(先に生じる)、パッチャージャータ(後から生じる)、カバリカーローアーハーラ(食べられる栄養)、ルーパジーヴィタ(物質としての命)です。

第26節へのガイド

アッティパッチャヤー(存在という条件)(21)、アヴィガタパッチャヤー(消え去らないという条件)(24):この二つの条件は、意味は同じで表記が異なるだけです。この関係においては、「条件となる状態」は「条件の結果として生じる状態」を、両者が一緒に生じている間だけ支え、存続させます。「条件となる状態」と「条件の結果として生じる状態」は必ずしも同時に生じる必要はありません。必要なのは「条件となる状態」と「条件の結果として生じる状態」が少なくとも部分的にオーバーラップすることと、そしてオーバーラップしている間に、「条件となる状態」が「条件の結果として生じる状態」をなんらかの形で支えることだけです。このため、アッティパッチャヤー(存在という条件)には
サハジャータ(同時に生じる)、プレージャータ(先に生じる)、パッチャージャータ(後から生じる)の三つが含まれることになります。本文ではアッティパッチャヤー(存在という条件)として5つの条件しか書かれていませんが、その5つのそれぞれがさらに細かいタイプに分かれます。したがってアッティパッチャヤー(存在という条件)には他の様々な条件が含まれます。これについては次節で分かりやすく説明します。次節では全ての条件関係を4つの主な条件という観点から細分します。

第27節 条件の統合

アーランマンウーパニッサヤーカンマアッティパッチャイェース チャ サッベー ピ
パッチャヤー サモーダーナン ガッチャンティ
サハージャタルーパーン ティ パネータ サッバッター ピ パヴァッテー
チッタサムッターナーナン パティサンディヤン カタッター ルーパーナン
チャ ヴァセーナードゥヴィドー ホーティ ヴェーディタッバン

全ての条件はアーランマナ(対象)、ウパニッサヤ(決定における支持)、カンマ(業)、アッティ(存在)のどれかに含まれます。

全ての例において、同時に生じるルーパ(物質的現象)は2通りに理解してください。生涯を通じてチッタから生じるルーパ(物質的現象)と、パティサンディ(再生)の瞬間にカンマ(業)から生じるルーパ(物質的現象)です。

第27節へのガイド

様々な条件がどのようにして上記の4つの主要な条件に区分されるかについて、レディー セヤドーは自身の注釈書の中で次のように説明しています。

アディパティパッチャヤー(優勢という条件)には2通りあります。「アーランマナアディパティパッチャヤー(対象の優勢という条件)」は常に「アーランマナ(対象)」と「ウパニッサヤパッチャヤー(決定における優勢)」に属します、時々「アッティパッチャヤー(存在という条件)」にも含まれることがあります。一方、「サハジャータアディパティパッチャヤー(同時に生じる優勢という条件)」は「アッティパッチャヤー(存在という条件)」に属します。

主要な「ニッサヤパッチャヤー(支持という条件)」、すなわち「サハジャータニッサヤパッチャヤー(同時に生じる支持という条件)」と「ヴァットゥプレージャータパッチャヤー(基盤という先に生じる条件)」はアッティパッチャヤー(存在という条件)の範疇に入ります。ハダヤヴァットゥプレージャータニッサヤパッチャヤー(心臓という基盤において先に生じる支持という条件)の場合は特殊で、マノードゥヴァーラチッタ(イメージなどの精神現象を感じ取る門のチッタ)を支えると同時に、自身がそのチッタの対象になります。そして、アーランマナパッチャヤー(対象という条件)、アッティパッチャヤー(存在という条件)の両方に含まれます。また、ハダヤヴァットゥ(心臓というちったの基盤)がアーランマナ(対象)として特に重要な役割を果たす特殊なケースではウパニッサヤパッチャヤー(決定における支持という条件)にも含まれることがあります。

プレージャータパッチャヤー(先に生じるという条件)の二つの主な種類のうち、ヴァットゥプレージャータパッチャヤー(基盤という、先に生じる条件)はアッティパッチャヤー(存在という条件)に属します。アーランマナプレージャータパッチャヤー(対象という先に生じる条件)はアーランマナパッチャヤー(対象という条件)、アッティパッチャヤー(存在という条件)に含まれますが、ウパニッサヤパッチャヤー(決定における支持という条件)にも含まれる可能性があります。

2種類のカンマパッチャヤー(業という条件)のうちサハジャータカンマパッチャヤー(同時に生じるカンマという条件)はアティパッチャヤー(存在という条件)に属します。一方、別の時間に生じるカンマ(業)はカンマパッチャヤー(業という条件)に属しますが、力が強い場合はウパニッサヤパッチャヤー(決定における支持という条件)にも含まれます。

ヴィッパユッタパッチャヤー(交じり合わないという条件)はアッティパッチャヤー(存在という条件)に含まれます。しかし、ハダヤヴァットゥ(心臓というチッタの基盤)が同時にヴァットゥ(基盤)とアーランマナ(対象)になる場合は、ヴィッパユッタパッチャヤー(交じり合わないという条件)はアッティパッチャヤー(存在という条件)、アーランマナパッチャヤー(対象という条件)に含まれ、ウパニッサヤパッチャヤー(決定における支持という条件)にも含まれる可能性があります。

残ったパッチャヤー(条件)のうち、次の11個は常にアッティパッチャヤー(存在という条件)に含まれます。へートゥパッチャヤー(チッタを支える根という条件)、サハジャータパッチャヤー(同時に生じるという条件)、アンニャーマンニャーパッチャヤー(相互性という条件)、ヴィパーカ(結果として生じるという条件)、アーハーラパッチャヤー(栄養という条件)、インドゥリヤパッチャヤー(能力という条件)、ジャーナパッチャヤー(禅定という条件)、マッガパッチャヤー(道という条件)、サンパユッタパッチャヤー(混じり合うという条件)、アヴィガタパッチャヤー(消え去らないという条件)、パッチャージャータパッチャヤー(後から生じるという条件)です。次の5つは常に、ウパニッサヤパッチャヤー(決定における支持という条件)に含まれます。アナンタラパッチャヤー(近接という条件)、サマナンタラパッチャヤー(連続性という条件)、アーセーヴァナパッチャヤー(反復という条件)、ナッティパッチャヤー(存在しないと条件)、ヴィガタパッチャヤー(消え去るという条件)です。

様々なパッチャヤー(条件)がどのように4つの主なパッチャヤー(条件)の下で細分されるかについて表8.4に模式的に示しました。

第28節 まとめ

イティ テーカーリカー ダンマー カーラムッター チャ サンバヴァー アッジャッタン チャ バヒッダー チャ サンカターサンカター タター
パンニャッティナーマルーパーナン ヴァセーナ ティヴィダー ティター パッチャヤー
ナーマ パッターネー チャトゥヴィーサティ サッバター ティ

このように、3つの時間区分と時間のないもの、内部のものと外部のもの、条件づけられたものと条件づけられていないものはパンニャティ(概念)、ナーマ(精神的現象)、ルーパ(物質的現象)という観点から3通りとなります。

条件関係という図式の中では、条件は全部で24となります。

パンニャッティベーダ(概念の分析)

第29節 簡略化した説明

タッタ ルーパダンマー ルーパッカンドー ヴァ
チッタチェータスィカサンカーターチャッターロー アルーピノー カンダー
ニッバーナン チャー ティ パンチャヴィダン ピ アルーパン ティ チャ ナーマン ティ チャ パヴッチャティ

タトー アヴァセーサー パンニャッティ パナ パンニャーピヤッター パンニャッティ
パンニャーパナトー パンニャッティ ティ チャ ドゥヴィダー ホーティ

ルーパ(物質的現象)は物質の塊に過ぎません。チッタチェータスィカは、(生命存在を構成する5つの塊のうちルーパを除いた)非物質的な4つの塊を構成します。この4つとニッバーナ(涅槃)を合わせた5つは物質ではありません。これらはナーマ(精神的現象)とも呼ばれます。

上記以外に残ったものはパンニャッティ(概念)であり、2通りあります。パンニャピヤッターパンニャッティ(知られる概念=意味)とパンニャーパナトーパンニャッティ(知る概念=名称)の二つです。

第29節へのガイド

この時点で、アーチャリヤ・アヌルッダは4つのパラマッタダンマ(究極の真理)、様々な図式を用いたその分類、因縁の法則に応じたその取り扱いについて説明を終えています。しかし、まだパンニャッティ(概念)については論じていません。パンニャッティ(概念)はサッムティダンマ(俗世間の一般的な真実)に関連したものであり、パラマッタダンマ(究極の真理)とは関係ありませんが、 プッガラーパンニャティ(人の概念)という論述としてアビダンマの中におさめられています。このためアヌルッダ尊者は第8章の最後でパンニャティ(概念)について簡単に論じています。

これらはナーマ(精神的現象)とも呼ばれています:(生命を構成する5つの塊のうち)物質的な現象ではない4つの塊は「ナーマ」と呼ばれます。ナーマはナマナ(屈曲する)に由来します。何故なら、対象を認識する際にその対象に向かって屈曲するからです。またナーマタ(屈曲させる)という言葉にも由来します。何故なら4つの非物質的な現象の塊は互いに相手を認識対象に向かって屈曲させるからです。ニッバーナ(涅槃)の場合は、屈曲させるという意味でのみ「ナーマ」と呼ばれます。何故なら、ニッバーナ(涅槃)はよごれのない状態、すなわちロークッタラ(涅槃を悟った聖者たちの意識における)チッタチェータスィカをニッバーナ(涅槃)に向けて屈曲させるからです。この場合、ニッバーナ(涅槃)はアーランマナアディパティパッチャヤー(対象における優勢という条件)として作用します。5

上記以外に残ったものはパンニャッティ(概念)であり:パンニャッティ(概念)には2つあります。アッタパンニャッティ(意味としての概念)とナーマパンニャッティ(名称としての概念)です。前者はパンニャッティ(概念)が伝える意味であり、後者はその意味を伝えるためにつけられた名前です。例えば、「四足で毛がふさふさした家畜で特定の特徴と特色を持つもの」というのは「犬」という言葉の意味を示す概念です。これに対応する「犬」という名称と観念は、名称としての概念です。アッタパンニャッティ(意味としての概念)は
「知られる」概念であり、ナーマパンニャッティ(名称としての概念)は「知る」概念です。

第30節 パンニャピヤッターパンニャッティ(知られる概念)

カタン タンタン ブータパリナーマーカーラン ウパーダーヤ タター タター
パンニャッター ブーミパッバターディカー ササンバーラサンニヴェーサーカーラン
ウパーダーヤ ゲハーラタサカターディカー カンダパンチャカン ウパーダーヤ
プリサプッガラーディカー チャンダーヴァッタナーディカン ウパーダーヤ
ディサーカーラーディカー アサンプッターカーラン ウパーダーヤ
クーパグハーディカー タンタン ブータニミッタン バヴァナーヴィセーサン
チャ ウパーダーヤ カスィナニミッターディカー チャー ティ エーヴァン
アーディッパベーダー パナ パラマッタトー アヴィッジャーマーナー
ピ アッタッチャーヤーカーレーナ チットゥッパーダーナン アーランバナーブーター
タンタン ウパーダーヤ ウパニダーヤ カーラナン カトゥヴァー タター タター
パリカッピヤマーナー サンカーヤティ サマンニャーヤティ ヴォーハリーヤティ
パンニャーピーヤティー ティ パンニャッティー ティ パヴッチャティ アヤン
パンニャッティ パンニャーピヤッター パンニャッティ ナーマ

「土地」「山」などの用語はそれぞれの要素の移行様式に基づいた名称です。「家」「戦車」「荷車」などの用語は物質が組み合わさった状態を示した名称です。「人」「個人」などの用語は(生命を構成する)五つの塊を示す名称です。「方角」「時間」などの用語は月の状態変化に合わせてつけられた名称です。「井戸」「洞窟」などの用語は、衝撃が無い(空間)という状態を示す名称です。カスィナニミッタ(集中瞑想の対象として使用する円盤のニミッタ)などの用語は、それぞれの要素(地、水、火、風)と心の成長の状態を示す名称です。

このような様々な事物は全て究極的な意味では存在しませんが、(究極の)事物の幻影という形でチッタの対象になります。

こうした事物は概念と呼ばれます。何故なら思考、推測、理解、表現の対象であり、様々な状態に基づき、それを考慮して、それに関連して知られるからです。この種類の概念はこのようにして「知られる」ことから、パンニャピヤッターパンニャッティ(知られる概念)と呼ばれます。

第30節へのガイド

「知られる概念」はアッタパンニャッティ(意味という概念)と同じです。ここで、著者は様々なアッタパンニャッティ(意味という概念)を列挙しています。

土地、山などはパーり語でサンターナパンニャッティ(形という概念)と呼ばれています。事物の形態ないし形状に対応しているからです。(注:円盤などの形を対象にしてそれに集中する瞑想では集中が高まるとその対象のイメージがあたかも本物の円盤のように眼前に現れます。それをニミッタと呼んでいます)。

第31節

家、戦車、村などはサムーハパンニャッティ(集合的な概念)と呼ばれています。事物の集合ないしグループに対応しているからです。

東、西などはディサーパンニャッティ(場所という概念)と呼ばれています。特定の場所や方角に対応しているからです。

朝、昼、週、月などはカーラパンニャッティ(特定の時間という概念)と呼ばれています。時間の区分ないし単位に対応しているからです。

井戸、洞窟などはアーカーサパンニャッティ(空間という概念)と呼ばれています。知覚できる物質が無い特定の空間に対応しているからです。

カスィナニミッタ(集中瞑想の対象として使用する円盤のニミッタ)はニミッタパンニャッティ(ニミッタという概念)と呼ばれています。瞑想に習熟することで得られる精神的なイメージに対応するからです。

第31節 パンニャーパナトーパンニャッティ(知る概念)

パンニャーパナトー パンニャッティ パナ ナーマナーマカンマーディナーメーナ
パリディーピター サー ヴィッジャマーナパンニャッティ
アヴィッジャマーナーパンニャッティ ヴィッジャマーネーナ
アヴィッジャマーナパンニャッティ アヴィッジャマーネーナ
ヴィッジャマーナパンニャッティ アヴィッジャマーネーナ
アヴッジャマーナパンニャッティ チャー ティ チャビッダー ホーティ

タッタ ヤダー パナ パラマッタトー ヴィッジャマーナン ルーパヴェーダナーディン
エーターヤ パンニャーペーンティ タダーヤン ヴィッジャマーナパンニャッティ
ヤダー パナ パラマッタトー アヴィッジャマーナン ブーミパッバターディン
エーテーヤ パンニャーペーンティ タダーヤン アヴィッジャマーナパンニャッティ
ティ パヴッチャティ ウブヒンナン パナ ヴォミッサカヴァセーナ セーサー
ヤターカマン チャラビンニョー イッティサッドー チャックヴィンニャーナン
ラージャプットー ティ チャ ヴェーディタッボー

概念が概念と呼ばれるのは、それにより知るからです。名称や用語などの形で表現されます。この概念には6通りあります。(1)(直接的な)真実の概念、(2)(直接的な)真実ではないものの概念、(3)真実ではないもので形容された真実の概念、(4)真実で形容された真実ではないもの概念、(5)真実により形容された真実の概念、(6)真実でないものにより形容された真実でないものの概念

例をあげると、究極的な意味で真に存在するものを「ルーパ(物質的現象)」「ヴェーダナー(感受)」などの用語で知る場合、それは(直接的な)真実の概念と呼ばれます。

究極的な意味では本当は存在しないものを「土地」「山」などの用語で知る場合、それは(直接的な)真実でないものの概念と呼ばれます。

残りの4つについては、上記の2つを組み合わせることにより理解してください。 例えば、「6通りの直接の智慧(アビンニャー)を持つ人」、「女性の声」、「チャックヴィンニャーナ(眼に見えたという意識)」「王の息子」などです。

第31節へのガイド

「パンニャーパナトーパンニャッティ(知る概念)」はナーマパンニャティ(名称という概念)」と同じです。著者は再び具体例を列挙しています。

(直接的な)真実の概念:ルーパ(物質的現象)、ヴェーダナー(感受)などは究極の真理です。このため、それらを指す概念は(直接的な)真実の概念となります。

(直接的な)真実でないものの概念:「土地」「山」などは究極の真理ではなく、心が作り、概念を通して確立された、世間的な実体です。これらの概念は究極の真実が土台になっていますが、それが伝える意味は究極の実体ではありません。何故なら、それ自身に内在する独自の性質(サバーヴァトー)により存在するものには該当しないからです。

残りの4つについては、上記の2つを組み合わせることにより理解してください: 例えば、「6通りの直接の智慧(アビンニャー)を持つ人」は「真実により形容された真実ではないものの概念」です。「6通りの直接の智慧(アビンニャー)」は究極の真実ですが、「持つ人」は心が作ったものだからです。「女性の声」は真実でないものにより形容された真実の概念」です。声の音は究極の真実ですが、「女性」はそうではないからです。「チャックヴィンニャーナ(眼に見えたという意識)」は真実ににより形容された真実の概念です。「視覚」と視覚に基づいた「ヴィンニャーナ(感覚を感じたという意識)」は究極の意味で存在するからです。「王の息子」は真実ではないものにより形容された真実ではないものの概念」です。王も息子も究極的には存在しないからです。

第32節 まとめ

ヴァチーゴーサーヌサーセーナ ソータヴィンニャーナヴィーティヤー
パヴァッターナンタラルッパンナー マノードゥヴァーラッサ ゴーチャラー
アッター ヤッサーヌサーレーナ ヴィンニャーヤンティ タトー パラン
サーヤン パンニャッティ ヴィンニェーヤー ローカサンケー タニミッター
ティ

ソータヴィンニャーナ(聴覚を感じたという意識)の過程を通して言葉の音を感じ取り、続いて生じるマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神的現象を感じ取る門)での過程により概念が生じている意味を理解します。こうした概念は世俗的な習慣により彩られていることを理解してください。

イティ アビダンマッタサンガへー パッチャヤーサンガハヴィバーゴー ナーマ
アッタモー パリッチェードー

これでアビダンマッタサンガハの第8章、パッチャヤーサンガハヴィバーガ(因果法則についての概要)を終わります。

-dhamma