第5章 ヴィーティムッタサンガハヴィバーガ(チッタの流れのうち認識過程に関係しない部分についての解説)
第1節 導入の偈文
ヴィーティチッタヴァセーネーヴァン パヴァッティヤン ウディーリトー
パヴァッティサンガホー ナーマ サンディヤン ダーニ ヴッチャティ
生存中の認識過程に現れるチッタについての概要を説明しました。続いて、再生において現れるチッタについてお話しします。
第1節へのガイド
著者は第4章でチッタの流れのうち能動的な部分、つまり生存期間中に生じる認識過程について説明しました。続く第5章では受動的なチッタ、つまり認識過程とは関係なく(ヴィーティムッタ)生じるチッタについて説明します。
導入の偈文の中では、再生の際(サンディヤン)に現れるチッタのみ言及していますが、バヴァンガ(認識過程の間に介在し、生存を自足させるチッタ)、チュティ(死ぬ)という働きについても説明しています。
第2節 カテゴリーの列記
チャタッソー ブルーミヨー チャトゥッビッダー パティサンディ チャッターリ
カンマーニ チャトゥダー マラヌッパッティ チャ ティ
ヴィーティムッタサンガへー チャッターリ チャトゥッカーニ ヴェーディタッバーニ
ヴィーティムッタサンガハ(チッタの流れのうち認識過程に関係ない部分についての概要)においては4組の4について理解しておく必要があります。
(1) 四つのブーミ(存在領域)
(2) 四つのパティサンディ(再生)の仕方
(3) 四種類のカンマ(業)
(4) 四通りの死に方
第2節へのガイド
ヴィーティムッタサンガハ(チッタの流れの内で認識過程に関連しない部分についての概要)は現象世界の地理的な概観から始まります。ブーミ(生存領域)の一覧を示し、それぞれの生存領域に含まれる生存世界を示しています(表5.1参照)。なぜ著者はヴィーティムッタチッタの種類を調べる前に、地理的分布の外観を提示しているのでしょうか。その理由は、アビダンマによれば外的な世界は心の中にある宇宙を外部に投影したものであるとされているからです。チッタの段階的な変化が具体的な形として記録されます。これはアビダンマが哲学的理想主義の手法で外部の世界を心の次元へと縮小しているという意味ではありません。外部の世界は現実であり、そこには客観的な存在があります。しかしながら、外部の世界は常にチッタにより把握された世界です。そしてチッタの種類が目の前に現れる世界の性質を決めます。チッタと外部の世界は相互に依存しており、複雑に絡み合っています。このため生存世界の階層構造はチッタの階層構造を正確に再現し、それに対応しています。
このように対応している関係で、客観的な存在の階層と内部でのチッタの段階的変化の二つはそれぞれが相手を理解するための鍵となります。生命が特定の生存世界に再生するのは前世でその生命が作り出したカンマ(業)ないし意思の力により導かれた結果です。ですから、分析を突き詰めると生存世界は全てが生命の心の活動により形作られ維持されていることになります。同時にこうした生存世界はチッタが新しい人格と環境のもとで成長を続けるためのステージにもなります。
それぞれの生存世界の決め手となるのは特定のパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタで、それがバヴァンガ(認識と認識の間に介在し生存を持続させるチッタ)となり、死をむかえてその生存の過程が終わるまで生涯にわたり流れ続けます。こうして、カーマーヴァチャラブーミ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域に関連する生存領域)のカンマ(業)が熟すると、カーマーヴァチャラパティサンディ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域に関連する、生存と次の生存を結びつける)チッタが作られて、カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)での生存が生じることになります。ルーパーヴァチャラブーミ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域に関連する、微細な物質からなる生存領域)のカンマ(業)が熟すると、ルーパーヴァチャラパティサンディ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域に関連する、生存と次の生存を結びつける)チッタが作られて、ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)での生存が生じることになります。そして、アルーパーヴァチャラブーミ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域に関連する、物質のない生存領域)のカンマ(業)が熟すると、アルーパーヴァチャラパティサンディ(物質でないもの対象にした禅定に関連する意識の領域に関連する、生存と次の生存を結びつける)チッタが作られて、アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)での生存が生じることになります。ブッダは次のように説かれています。「カンマ(業)は畑です。チッタは種です。そしてタンハー(渇愛)が湿気です。アヴィッジャー(真理が分からないこと)に妨害され、タンハー(渇愛)という足枷をはめられた生命は、この三つにより新たな生存世界に生まれます。低級な世界、中級の世界、あるいは上級の世界に生まれます」(A.3:76/I 223)。過去のカンマ(業)により、チッタという種がふさわしい存在世界へ落ち、根をはり、蓄えられたカンマ(業)により育ち、隠された能力により花開きます。
ブーミチャトゥッカ(4つの生存領域)
第3節 概観
タッタ アパーヤブーミ カーマスガティブーミ ルーパーヴァチャラブーミ
アルーパーヴァチャラブーミ チャ ティ チャタッソー ブーミヨー ナーマ
四つの生存領域とは以下の通りです。
(i) アパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存領域)
(ii) カーマスガティブーミ(官能的な至福に恵まれた生存領域)
(iii) ルーパーヴァチャラブーミ(物質を対象にした禅定の意識に関連する生存領域)
(iv) アルーパーヴァチャラブーミ(物質でないものを対象にした禅定の意識に関連する生存領域)
第4節 アパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存領域)
タース ニラヨー ティラッチャーナヨーニ ペーッティヴィサヨー アスラカーヨー
チャー ティ アパーヤブーミ チャトゥッヴィダー ホーティ
アパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存領域)には以下の四通りがあります。
(i) ニラヤ(地獄)
(ii) ティラッチャーナヨーニ(動物界)
(iii) ペーッティヴィサヤ(餓鬼界)
(iv) アスラカーヤ(阿修羅の身体)
第4節へのガイド
アパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存領域):アパーヤの文字通りの意味は幸福(アヤ)が欠如(アパ)していることです。苦痛と悲惨さが幸福よりもはるかに多い生存涼気の総称です。邪悪な行為を犯した者がその行為のために再生する生存領域です。
ニラヤ(地獄):ブッダの宇宙の中では最も低い生存領域で、最も強い苦しみを受ける場所です。ニラヤ(地獄)に住む生命は、自分が行った邪悪な行為の結果として、生まれてから死ぬまで絶え間なく苦しみを受けると言われています。注釈書によればニラヤ(地獄)は大きく分けて8つあり、苦しみはこの順番で段階的に強くなると言われています。
サンジーヴァ、カーラスッタ、サンガータ、ロールヴァ、マハーロールヴァ、ターパナ、マハーターパナ、アヴィーチの8つです。このうちアヴィーチは最も下位にあり最も酷いニラヤ(地獄)とされています。それぞれの地獄は四つの方向に五つずつのある小さなニラヤ(地獄)に囲まれています。したがって地獄の数は全部で168(21x8)となります。
ティラッチャナーヤ(動物界):仏教ではティラッチャナーヤ(動物界)はアパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存領域)に含まれ、邪悪な業の結果として再生する生存領域です。ブッダによれば、邪悪な行為を犯した人はティラッチャナーヤ(動物界)に再生する可能性があります。動物は過去に積んだ善業の結果として人間に再生することがあります。天界の神として再生することさえあります。ティラッチャナーヤ(動物界)には地獄ほどの苦しみはありませんが、アパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存領域)に分類されています。幸福よりも苦しみがはるかに多いこと、善行為を行う環境がないことがその理由です。
ペーッティヴィサヤ(餓鬼界):ペータは餓鬼と訳されることが多く、強い空腹と渇き、その他の苦しみに苛まされ、そこから逃れることが出来ない生命のことです。ペータ(餓鬼)は独自の世界を持たず、人間と同じ世界、森、沼地、墓地などに住んでいます。自ら姿を現さない限り人間には見えません。ただし神の眼をもった人は見ることが出来ます。
アスラカーヤ(阿修羅の身体):アスラは様々なクラスの生命を意味しています。注釈書によれば、アパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存領域)の生存世界としてのアスラカーヤ(阿修羅の身体)は、ペータ(餓鬼)に似た苦しみを受ける精霊のことをさしています。ターヴァティンサという天界の神と戦うアスラ(これもターヴァティンサの神に属します)とは異なりますので注意が必要です。
第4節 カーマスガティブーミ(官能的な至福に恵まれた生存領域)
マヌッサ チャートゥンマハーラージカー ターヴァティンサ ヤーマー トゥスィター
ニンマーナラティ パラニンミタヴァサヴァッティー チャ カーマスガティブーミ
サッタヴィダー ホーティ サー パナーヤン エーカーダサヴィダー ピ
カーマーヴァチャラブーミッチェーバ サンカン ガッチャティ
カーマスガティブーミ(官能的な至福に恵まれた生存領域)には7通りあります。
(i) マヌッサ(人間界)
(ii) チャートゥンマハーラージカ(4人の大王がいる天界)
(iii) ターヴァティンサ(33人の神がいる天界)
(iv) ヤーマ(ヤーマという神がいる天界)
(v) トゥスィタ(喜びに満ちた天界)
(vi) ニンマーナラティ(自ら創造して喜ぶ神がいる天界)
(vii) パラニンミタヴァサヴァッティ(他者に創造させてそれを牛耳る神がいる天界)
(アパーヤブーミを含めた)この11通りの生存領域がカーマーヴァチャラブーミ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域に関連した生存領域)です。
第5節へのガイド
マヌッサ(人間界):マヌッサの文字通りの意味は「鋭い、あるいは良く開発された心を持った者」です。人間の心は大変鋭いため、他のいかなる生存領域よりも容易に、重みのある道徳的、あるいは非道徳的な行為を行うことが出来ます。人間は、心を育てることでブッダになることも出来る一方で、母親、父親を殺すという重罪を犯すこともできます。マヌッサ(人間界)は痛みと楽、苦しみと幸福が入り混じった世界です。しかし、最も高いレベルの幸せを得ることが可能であるという観点から至福に満ちた世界とみなされます。
チャートゥンマハーラージカ(4人の大王がいる天界):残る六つの世界はカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)における天界です。デーヴァ(神)が住んでいます。これらの生存世界では寿命は人間界よりも長く、より多くの種類の官能的快楽があります。もちろんそうした快楽は例外なく一時的で永続することはありません。
チャートゥンマハーラージカ(4人の大王がいる天界)には四つの方角に合わせて四つに分かれています。それぞれが独自の守護神を持ち、異なるクラスの神人が住んでいます。東の方角はダタラッタという神の王がガンダッバという天界の音楽家を支配しています。南の方角ではヴィルーラカがクンバンダという、森・山・隠された財宝の管理をする神人たちを支配しています。西の方角ではヴィルーパッカという神がナーガという竜の形をした神人たちを治めています。北の方角にはヤッカ(精霊)達を支配するヴェーッサバナという神がいます。
ターヴァティンサ(33人の神がいる天界):他者の幸福のために尽くした33人の高貴な心を持った男たちがここに再生し、一人が神となり、残りの32人がその補佐となったという伝説からターヴァティンサ(33人の神がいる天界)という名前が付けられました。この生存世界のチーフはサッカでインドゥラという名前でも知られています。スダッサナという名前の首都にあるヴェジャヤンタ宮に住んでいると言われています。
ヤーマ(ヤーマという神がいる天界)、その他:それぞれの天界は天界の序列に従ってレベルが上がっていきます。ヤーマ(ヤーマという神がいる天界)は多大な幸福に満たされた世界で、スヤーマないしヤーマという神々の王が治めています。トゥスィタは喜びに満ちた世界で、ボディサッタ(ブッダになるために修行を続けている生命)がブッダになる前の生涯を過ごす場所です。ニンマーナラティという天界にいる神々は思い通りに官能的快楽の対象を作り出すことが出来ます。パラニンミタヴァサヴァッティに住む神々はそうした官能的対象を自分自身で作ることはありませんが、従者が自分のために作り出した喜びの対象をコントロールします。
第6節 ルーパーヴァチャラブーミ(物質を対象とした禅定に関連する、微細な物質からなる生存領域)
ブラフマパーリサッジャー、ブラフマプロヒター、マハーブラフマー チャー ティ
パタマッジャーナブーミ
パリッターバー、アッパマーナーバー、アーバッサラー、チャー ティ
ドゥティヤッジャーナブーミー
パリッタスバー、アッパマーナスバー、スバキンハー、チャー ティ
タティヤッジャーナブーミー
ヴェーハッパラー、アサンニャーサッタ、スッダーヴァーサー、チャー ティ
チャトゥッタジャーナブーミー ティ ルーパーヴァチャラブーミ ソーラサヴィダー ホーティ
アヴィハー、アッタパー、スダッサー、スダッスィー、アカニッター チャー ティ
スッダーヴァーサーブーミ パンチャヴィダー ホーティ
ルーパーヴァチャラブーミ(物質を対象とした禅定に関連する、微細な物質からなる生存領域)は16通りあります。
I パタマッジャーナ(禅定の第一段階)に関連した生存世界
(i) ブラフマパーリサッジャ(ブラフマの従者)の世界
(ii) ブラフマプロヒタ(ブラフマの大臣)の世界
(iii) マハーブラフマ(大ブラフマ)の世界
II ドゥティヤッジャーナ(禅定の第二段階)に関連した生存世界
(iv) パリッターバ(小さな光)の世界
(v) アッパマーナーバ(無限の光)の世界
(vi) アーバッサラ(さんさんと輝く光)の世界
III タティヤッジャーナ(禅定の第三段階)に関連した生存世界
(vii) パリッタスバ(小さなオーラ)の世界
(viii) アッパマースバ(無限のオーラ)の世界
(ix) スバキンハ(安定したオーラ)の世界
IV チャトゥッタッジャーナ(禅定の第四段階)に関連した生存世界
(x) ヴェーハッパラ(多大な報償)の世界
(xi) アサンニャーサッタ(認知がない生命)の世界
スッダーヴァーサ(清らかに生きる生命)の世界
(xii) アヴィハ(持続する)世界
(xiii) アッタパ(平穏な)世界
(xiv) スダッサ(美しい)世界
(xv) スダッスィ(視界明瞭な)世界
(xvi) アカニッタ(最高の)世界
第6節へのガイド
ルーパーヴァチャラブーミ(物質を対象とした禅定に関連する、微細な物質からなる生存領域)は16通りあります:ルーパーヴァチャラブーミは生きているうちにルーパジャーナ(物質を対象にした禅定)のいずれかに達し、ジャーナ(禅定)の妨害要因のために怠慢になったり執着したりせず、死の際にもまだそのジャーナ(禅定)にいつでもアクセスできる状態にある人が再生する領域のことです。経典のルーパジャーナ(物質を対象にした禅定)の分類に従って4つの段階に分類されています。経典ではジャーナの第1段階に達した後、ヴィタッカ(対象に注意を向かわせるチャータスィカ)とヴィチャーラ(対象に向かった注意を持続させるチェータスィカ)の二つが同時に捨て去られてジャーナの第2段階へと進むとされており、ジャーナ(禅定)は4段階のみとなっています。このため経典に基づいたジャーナの第2段階は、アビダンマにおけるジャーナの第2段階と第3段階に、経典に基づいたジャーナの第3段階の生存領域は、アビダンマにおけるジャーナの第4段階に、経典に基づいたジャーナの第4段階の生存領域は、アビダンマにおけるジャーナの第5段階に相当します。
四つのジャーナ(禅定)の生存世界それぞれが3つに分かれます。ただしジャーナ(禅定)の第4段階は別で、5つに分かれます。どの生存領域に再生するかを決める原則については第31節で詳しく説明します。
スッダーヴァーサ(清らかに生きる生命の世界)はアナーガーミ(悟りの第3段階を得て、カーマローカ、感覚的な楽しみを追い求める世界に再生することが無くなった聖者)だけに開かれた世界です。スッダーヴァーサ再生した場合、それより下位に再生することなく、そこで最終的な悟りを得て輪廻から解脱します。
第7節 アルーパーヴァチャラブーミ(物質でないものを対象にした禅定に関連する、物質の無い生存領域)
アーカーサンナンチャヤタナブーミ、ヴィンニャーナンチャヤタナブーミ、
アキンチャンニャーヤタナブーミ、ネーヴァサンニャーナーサンニャーヤタナブーミ
チャ ティ アルーパブーミ チャトゥッビダー ホーティ
アルーパーヴァチャラブーミ(物質でないものを対象にした禅定に関連する物質の無い生存領域)には4通りあります。
(i) アーカーサンナンチャヤタナブーミ(空間の無限性という基盤に基づいた生存世界)
(ii) ヴィンニャーナンチャヤタナブーミ(意識の無限性という基盤に基づいた生存世界)
(iii) アキンチャンニャーヤタナブーミ(虚無という基盤に基づいた生存世界)
(iv) ネーヴァサンニャーナーサンニャーヤタナブーミ(認知が無いわけでもあるわけでもない状態という基盤に基づいた生存世界)
第7節へのガイド
これらは四つの生前世界は、死の際に物質でないものを対象にした瞑想状態を保持している人が再生する場所です。ジャーナ(禅定)の四つの段階それぞれに対応した生存世界に再生します。
第8節 人の種類による分類
プトゥッジャナー ナ ラッバンティ スッダーヴァーセース サッバター ソーターパンナ チャ サカダーガーミノー チャー ピ プッガラー アリヤー
ノーパラッバンティ アサンニャーパーヤブーミス セーサッターネース アリヤー
ナリヤー ピ チャ
イダン エッタ ブーミチャトゥッカン
清らかな人々の住む世界にはプトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)、ソーターパンナ(悟りの第1段階を得て、悲惨な生存世界へ再生することが無くなった聖者)、サカダーガーミ(悟りの第2段階を得て、カーマーローカへの再生が1回だけとなった聖者)はいません。
アリヤ(涅槃を悟った聖者達)はアサンニャーブーミ(認知の無い生存領域)とアパーヤブーミ(人間より下の悲惨な生存世界)にはいません。その他の生存世界にはプトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人々)もアリヤ(涅槃を悟った聖者達)もいます。
以上が四通りの生存世界となります。
パティサンディチャトゥッカ(4種類の再生)
第9節 概観
アパーヤパティサンディ カーマスガティパティサンディ
ルーパーヴァチャラパティサンディ アルーパーヴァチャラパティサンディ チャー
ティ チャトゥッビダー ホーティ パティサンディ ナーマ
再生は4通りあります。
(i) アパーヤパティサンディ(人間より下の悲惨な生存世界への再生)
(ii) カーマスガティパティサンディ(感覚的な楽しみに恵まれた生存世界への再生)
(iii) ルーパーヴァチャラパティサンディ(物質を対象にした禅定に関連する生存世界への再生)
(iv) アルーパーヴァチャラパティサンディ(物質で無いものを対象にした禅定に関連する生存世界への再生)
第10節 アパーヤパティサンディ(人間より下位の悲惨な生存世界への再生)
タッタ アクサラヴィパーコーペーッカーサハガタサンティーラナン
アパーヤブーミヤン オッカティッカネー パティサンディ フトゥヴァー タトー
パラン バヴァンガン パリヨーサーネー チャヴァナン フトゥヴァー
ヴォーッチッジャティ アヤン エーカー ヴァーパーヤパティサンディ ナーマ
アパーヤブーミ(人気により下の悲惨な生存世界)に落ちる際には、不善業の結果として生じる、苦しくも楽しくもない状態が伴う、対象を調べるチッタが生じ、その後バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の流れに戻り、チュティ(死ぬ)チッタが生じてその生存が終わります。これがアパーヤパティサンディ(人間より下の悲惨な生存世界への再生)です。
第11節 カーマスガティパティサンディ(感覚的な楽しみに恵まれた生存世界への再生)
クサラヴィパーコーペーッカーサハガタサンティーラナン パナ カーマスガティヤン
マヌッサーナン チェーヴァ ジャッチャンダーディヒーナサッターナン
ブンマッスィッターナン チャ ヴィニパーティカースラーナン パティサンディ
チュティヴァーセーナ パヴァッタッティ
マハーヴィパーカーニ パナッター サッバター ピ カーマースガティヤン
パティサンディ バヴァンガ チュティヴァーセーナ パヴァッタンティ
イマー ナーヴァ カーマースガティパティサンディヨー ナーマ
サー パナーヤン ダサヴィダー ピ カーマーヴァチャラパティサンディッチェーヴァサンカン ガッチャティ
クサラヴィパーコーペーッカーサハガタサンティーラナ(苦しくも楽しくもない状況を伴う、善業の結果として生じる)チッタはカーマスガティ(官能的な楽しみに恵まれた生存世界)において生まれつき目が見えないなどの身体障害を持った人、地縛神、地上に落ちたアスラ(戦闘の神)などのパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあって生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタとして生じます。
8つのマハーヴィパーカ(業の結果として生じる、偉大なる)チッタはカーマスガティ(官能的な楽しみに恵まれた生存世界)のどこにおいても、パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあって生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタとして働きます。
以上の9つがカーマスガティ(官能的な楽しみに恵まれた生存世界)におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタです。
カーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)には既に述べた10通りのモードがあります。
第10~11節へのガイド
パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあって生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタとして]働くチッタンの種類の詳細については第3章、第9節をご覧ください。
生まれつき目が見えないなどの:アーディ(などの)という言葉は、耳が聞こえない人、口がきけない人、精神遅滞者、精神病者、性発達障害、両性具有者、性分化異常者などを含むことを示しています。注釈書によれば、生まれつき目に見えない人とは、功徳が不足しているため視覚を持った目を作る力がない業により生じたパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタにより再生した人とされています。子宮の中での何らかのトラブルにより目が見えない状態で生まれてくる人とは区別されています。後者の場合、ドゥヴィヘートゥカ(チッタを安定させる善根を2つ持つ)、ティヘートゥカ(チッタを安定させる善根を3つ持つ)パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタで生まれた人にも生じるからです。耳が聞こえない人などについても同じ原則が当てはまります。
再生をもたらカンマ(業)にあらかじめそうした障害が生じる性質が組み込まれている場合は例外なくアヘートゥカ(チッタを安定させる善根がない)となります。
地縛神:仏教が示す宇宙観の中では、天界ではなく森、山、神社など地上に近い所に住む神々がいるとされています。ブンマデーヴァ(地神)とも呼ばれています。こうした神々の内、比較的力が強いものはドゥヴィヘートゥカ(チッタを安定させる善根を2つ持つ)、ティヘートゥカ(チッタを安定させる善根を3つ持つ)パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタで再生する場合があります。そうした力のある神々は、功徳が欠けているために生活に困窮する神々を従者として従えることがあるとされています。レディセヤドーはここで地縛神と呼ばれているのは、アヘートゥカ(チッタを安定させる善根がない)パティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタにより再生したそうした力の弱い神々のことであると説明しています。
地上に落ちたアスラ(戦闘の神):このような生命は村や村の近くに住み、村人が捨てた食べ物を食べて生きていると言われています。食物が十分に得られないと人間に取りついたり、人間を苦しめたりするとされています。
既に述べた10通りのモード:再生の10通りの様式はカーマーヴァチャラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域)における10種類のパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタ、すなわちクサラヴィパーコーペーッカーサハガタサンティーラナ(苦しくも楽しくもない状況を伴う、善業の結果として生じる)チッタ2種類と、マハーヴィパーカ(業の結果として生じる、偉大なる)チッタ8種類によって生じます。
第12節 カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)における寿命
テース チャトゥッナン アパーヤーナン マヌッサーナン
ヴィニパーティカースラーナン チャ アーユッパマーナガナナーヤ ニヤモー
ナッティ
チャトゥッマハーラージカーナン パナ デーヴァーナン ディッバーニ
パンチャヴァッササターニ アーユッパマーナン マヌッサガナナーヤ
ナヴテイヴァッササタサハッサッパマーナン ホーティ
タトー チャトゥッグナン ターヴァアティムサーナン タトー チャトゥッグナン
ヤーマーナン タトー チャトゥッグナン トゥスィターナン タトー チャトゥッグナン ニンマーナラティーナン タトー チャトゥッグナン
パラニミッタヴァサヴァッティーナン デーヴァーナン アーユッパマーナン
ナヴァサタン チェーカヴィーサ ヴァッサーナン コーティヨー タター
ヴァッササタサハッサーニ サッティ チャ ヴァサヴァッティス
4つのアパーヤ(人間より下位の悲惨な生存世界)、マヌッサ(人間)、ヴィニパーティカースラ(地上に落ちたアスラ=戦闘の神)には一定の寿命はありません。
チャートゥンマハーラージカ(4人の大王がいる天界)の寿命は、天界の時間で500年、人間の時間に直せば900万年とされています。
ターヴァティンサ(33人の神がいる天界)の寿命はチャートゥンマハーラージカの4倍、ヤーマ(ヤーマという神がいる天界)の寿命はターヴァティンサの4倍、トゥスィタ(喜びに満ちた天界)の寿命はヤーマの4倍、ニンマーナラティ(自ら創造して喜ぶ神がいる天界)の寿命はトゥスィタの4倍、パラニンミタヴァサヴァッティ(他者に創造させてそれを牛耳る神がいる天界)の需要はニンマーナラティの4倍とされています。
パラニンミタヴァサヴァッティの寿命は人間界の時間にして92億、1600万年となります。
第12節へのガイド
一定の寿命はありません:4つのアパーヤ(人間より下位の悲惨な生存世界)の寿命は、その場所への再生をもたらしたカンマ(業)の力に応じて大きく異なります。そのため地獄においても、わずか数日間苦しんだだけで他の生存領域に再生する場合もあれば、数百万年にわたり苦しみ続ける場合もあります。人間界においても寿命は数分から100年以上まで幅があります。また、仏教の宇宙観では人間の平均寿命は時間とともに変わり、最短で10年、最長で数千年になると考えられています。
天界の時間:ヴィバンガ(第10章23節)によれば、チャートゥンマハーラージカ(4人の大王がいる天界)の1日は人間界の50年に相当するとされています。天界の30日が天界の1月に、天界の12月が天界の1年に相当します。ターヴァティンサ(33人の神がいる天界)の1日は人間界の100年に相当し、ヤーマ(ヤーマという神がいる天界)の1日は人間界の200年に相当します。このように段階が上がるにつれて時間の長さが2倍に増えます。
これに基づいて6つの天界の寿命を計算すると表5.2のようになります。
第13節 ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)における再生
パタマッジャーナヴィパーカン パタマッジャーナ ブーミヤン パティサンディ
バヴァンガ チュティヴァセーナ パヴァッティ
タター ドゥティヤッジャーナヴィパーカン タティヤッジャーナヴィパーカン チャ
ドゥティヤッジャーナブーミヤン チャトゥッタッジャーナヴィパーカン
タティヤッジャーナブーミヤン パンチャマッジャーナヴィパーカン
チャトゥッジャーナブーミヤン アサンニャーサッターナン パナ ルーパン エーヴァ
パティサンディ ホーティ タター タトー パラン パヴァッティヤン
チャヴァナカーレー チャ ルーパン エーヴァ パヴァッティトゥヴァー
ニルッジャンティ
イマー チャ ルーパーヴァチャラパティサンディヨー ホーティ
パタマッジャーナ(アビダンマでの禅定の第1段階)の結果(ヴィパーカ)はパタマッジャーナブーミ(経典での禅定の第1段階に達した人が再生する生存領域)におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタです。同様にドゥティヤッジャーナ(アビダンマの禅定の第2段階)、タティヤッジャーナ(アビダンマの禅定の第3段階)の結果は、ドッティヤッジャーナブーミ(経典の禅定の第2段階に達した人が再生する生存領域)におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタです。チャトゥッタッジャーナジャーナ(アビダンマの禅定の第4段階)の結果は、タティヤッジャーナブーミ(経典の禅定の第3段階に達した人が再生する生存領域)におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタです。パンチャマッジャーナジャーナ(アビダンマの禅定の第5段階)の結果は、タティヤッジャーナブーミ(経典の禅定の第1段階に達した人が再生する生存領域)におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタです。しかしアサンニャーサッタ(認知がない生命)は、パティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタにより物質としての形だけが生じます。そしてその後生涯および死の瞬間には物質としての形だけが存続し、そして死に耐えます。
これらがルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)における6つの再生の仕方です。
第14節 ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)における寿命
ブラフマパーリサッジャーナン デーヴァーナン カッパッサ タティヨー バーゴー アーユッパマーナン ブラフマプロヒターナン ウパッダカッポー
マハーブラフマーナン エーコー カッパ パリッターバーナン ドゥヴェー
カッパーニ アッパマーナーバーナン チャッターリカッパーニ アーバッサラーナン
アッタカッパーニ パリッタスバーナン ソーラサカッパーニ アッパマースバーナン
ドゥヴァッティムサ カッパーニ スバキンハーナン チャトゥサッティ カッパーニ
ヴェーハッパラーナン アサンニャーサッターナン チャ パンチャカッパサターニ
アヴィハーナン カッパサハッサーニ アタッパーナン ドゥヴェー
カッパサハッサーニ スダッサーナン チャッターリ カッパサハッサーニ アッタ カッパサハッサーニ スダッスィーナン アッタ カッパサハッサーニ アカニッターナン
ソーラサ カッパサハッサーニ アーユッパマーナン
ブラフマパーリサッジャ(ブラフマの従者)の寿命はカッパの3分の1、ブラフマプロヒタ(ブラフマの大臣)の寿命はカッパの2分の1、マハーブラフマ(大ブラフマ)の寿命は1カッパ、パリッターバ(小さな光)の世界の神の寿命は2カッパ、アッパマーナーバ(無限の光)の世界の神の寿命は4カッパ、アーバッサラ(さんさんと輝く光)の世界の神の寿命は8カッパ、パリッタスバ(小さなオーラ)の世界の神の寿命は16カッパ、アッパマースバ(無限のオーラ)の世界の神の寿命は32カッパ、スバキンハ(安定したオーラ)の世界の神の寿命は64カッパ、ヴェーハッパラ(多大な報償)の世界の神とアサンニャーサッタ(認知の無い生命)の寿命は500カッパ、アヴィハ(持続する)世界の神の寿命は1,000カッパ、アタッパ(平穏な)世界の神の寿命は2,000カッパ、スダッサ(美しい)世界の寿命は4,000カッパ、スダッスィ(視界明瞭な)世界の神の寿命は8,000カッパ、アカニッタ(最高の)世界神の寿命は16,000カッパです。
第14節へのガイド
カッパ:仏教の教科書には3種類のカッパが記載されています。アンタラカッパ(暫定的なカッパ)、アサンケーヤカッパ(計測できないカッパ)、マハーカッパ(偉大なるカッパ)の3つです。アンタラカッパ(暫定的なカッパ)とは、人間の平均寿命が10年から始まって数千年に達し、その後また10年に戻るまでの時間とされています。アンタラカッパ(暫定的なカッパ)20個分がアサンケーヤカッパ(計測できないカッパ)に相当します。そしてアサンケーヤカッパ(計測できないカッパ)4個分がマハーカッパ(偉大なるカッパ)に相当します。マハーカッパ(偉大なるカッパ)の長さについてブッダは、一人の人が硬い花崗岩でできた高さと幅が7ヨージャナ(約11.2km)の山を100年に一度絹の布でこすって、その山が消えるまでの時間と説明されておられます(S.15:5/ii,181-82)。
注釈書によればジャーナ(禅定)の第1段階における寿命に関してはカッパはアサンケーヤカッパ(計測できないカッパ)のことを指し、パリッターバ(小さな光)の世界の神より上に関してはマハーカッパ(偉大なるカッパ)のことを指しています1。
第15節 アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)における再生
パタマールッパーディヴィパーカーニ パタマールッパーディブーミス ヤターッカマン
パティサンディ バヴァンガ チュティヴァセーナ パヴァッタンティ イマー
チャタッソー アールッパパティサンディヨー ナーマ
パタマールッパーディヴィパーカ(物質でないものを対象にした禅定の第1段階の結果)はパタマールッパーディブーミ(物質でないものを対象にした禅定の第1段階に達した人が再生する生存領域)におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタです。他のアルーパジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)についても同様で、それぞれに対応する生存領域でパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタが結果として生じます。これがアルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)における4つの再生の仕方です。
第16節 アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)における寿命
テース パナ アーカーサンナンチャヤタヌーパガーナン デーヴァーナン
ヴィーサティ カッパサハッサーニ アーユッパマーナン
ヴィンニャーナンチャヤタヌーパガーナン デーヴァーナン チャッターリーサ
カッパサハッサーニ アキンチャンニャーヤタヌーパガーナン デーヴァーナン
サッティ カッパサハッサーニ ネーヴァサンニャーナーサンニャーヤタヌーパガーナン デーヴァーナン チャトゥラースィーティ カッパサハッサーニ アーユッパマーナン
アーカーサンナンチャヤタナブーミ(空間の無限性という基盤に基づいた生存世界)の神の寿命は20,000カッパ、ヴィンニャーナンチャヤタナブーミ(意識の無限性という基盤に基づいた生存世界)の神の寿命は40,000カッパ、アキンチャンニャーヤタナブーミ(虚無という基盤に基づいた生存世界)の神の寿命は60,000カッパ、ネーヴァサンニャーナーサンニャーヤタナブーミ(認知が無いわけでもあるわけでもない状態という基盤に基づいた生存世界)の神の寿命は84,000カッパです。
第17節 まとめ
パティサンディ バヴァンガン チャ タター チャヴァナマーナサン エーカン
エーヴァ タテーヴェーカヴィサヤン チェーカジャーティヤン
イダン エッタ パティサンディチャトゥッカン
ある特定の再生における、パティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタは近似しており、同じ対象を取ります。
以上、パティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらすこと)には4つのタイプがあります。
カンマチャトゥッカン(4種類の業)
第18節 機能による分類
ジャナカン ウパッタンバカン ウパピーラカン ウパガータカン チャー ティ
キッチャヴァセーナ
I 機能の点からみると、次の4種類のカンマ(業)があります。
(i) ジャナカカンマ(生存を作り出す業)
(ii) ウパッタンバカカンマ(他の業を支える業)
(iii) ウパピーラカカンマ(他の業を妨害する業)
(iv) ウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)
第18節へのガイド
4種類のカンマ(業):この部分のタイトルであるカンマチャトゥッカというパーリ語の意味はカンマ(業)の4通りの分類です。この節で実際にその4通りの分類を紹介しています。全部で16種類あるカンマ(業)を4通りの分析方法で分類します。
カンマの文字通りの意味は行為ないし行動ですが、ブッダの教えの中では例外なく「意思を伴った行為」という意味で使われています。技術的な観点から見ると、カンマ(業)は善なる(クサラ)、ないし不善な(アクサラ)意思(チェータナー)の事です。意志(チェータナー)は行為のもとになる要素です。ブッダは次のように宣言されています。「比丘たちよ、私がカンマ(業)と呼ぶのはチェータナー(意思)です。何故なら人は意思をもつことで、身体、口、心を通して行為を為すからです」(A.6:63/III 415)。ブッダとアラハッタ(最終的な悟りを得て輪廻からの解脱を果たした聖者)以外は、意思(チェータナー)を伴った全ての行為はカンマ(業)となります。ブッダとアラハッタ(最終的な悟りを得て輪廻からの解脱を果たした聖者)の場合はカンマ(業)の根本原因であるアヴィッジャー(真理に対する無知)とタンハー(渇愛)が根絶されているので、カンマ(業)を蓄積することはありません。しかしながら、ブッダもアラハッタ(最終的な悟りを得て輪廻からの解脱を果たした聖者)も物質としての身体が存続する限り、つまり生きている限り、熟した過去のカンマ(業)を経験しなければなりません。
カンマ二ヤーマ(業の法則)は自立して働きます。意思を伴った行為はその道徳的な性質に応じて相応の結果をもたらします。これは種を植えるとその種類に応じた実がなるのと同じように確実です。カンマ(業)が直接作り出すのはヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタとチェータスィカです。これはカンマ(業)が結果を出すのに適した条件が整った時に生じます。カンマ(業)はまた、生命の身体に相応の物質を作り出します。これはサンマカムッターナルーパ(カンマが作り出す物質)と呼ばれています(第6章、第10節参照)。
機能の点からみると:カンマ(業)はそれぞれ異なる機能(キッチャ)を果たします。そのうちの四つが上に示されています。どのカンマ(業)も条件に応じて、この4つの働きの一つ以上を果たします。
ジャナカカンマ(生存作り出す業)は善(クサラ)ないし不善(アクサラ)な意思(チェータナー)です。その結果として心の状態や物質を作り出します。パティサンディ(生存から次の生存へ再生すること)の瞬間にも生存中にも生じます。妊娠が成立した瞬間に、ジャナカカンマ(生存を作り出す業)がパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタを作り出し、カンマ(業)によって生み出されるタイプの物質が作られて新しい生命の身体となります。ジャナカカンマ(生存を作り出す業)は生存の過程を通じて、他のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタを作り、また感覚器官、性の決定因子、ハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える物質)などカンマ(業)によって生み出される物質を作り続けます。機能を完全に果たす能力を獲得したカンマ(業)だけがパティサンディ(生存と次の生存を結びつける)チッタを作り出すことが出来ます(第22節参照)。
ウパッタンバカカンマ(他の業を支える業)は独自の機能を果たすことはありません。しかし、他のカンマ(業)が何かを作り出す際にそれを支えます。他のカンマ(業)の結果としての苦しみや楽しみが邪魔されることなく、より長い時間続くようにさせたり、他のカンマ(業)が作り出したパンチャカンダ(生命を構成する五つの塊)を強化したりします。例えば、クサラカンマ(善業)の働きによぅて人間として生まれた場合、ウパッタンバカカンマ(他の業を支える業)が生存期間を延長させたり、健康を保ったり、生活に必要な物資が十分得られるようにしたりします。アクサラカンマ(不善業)によって苦痛を伴う病にかかった場合、他のアクサラカンマ(不善業)により薬の効きが悪くなったり、病気が長引いたりします。アクサラカンマ(不善業)により動物として生まれた場合、ウパッタンバカカンマ(他の業を支える業)が別のアクサラカンマ(不善業)が熟するのを促して、さらなる苦痛をもたらしたり、生存期間を延長させてアクサラカンマ(不善業)の結果を長引かせたりします。
ウパピーラカカンマ(他の業を妨害する業)も独自の結果をもたらすことはできません。しかしながら他のカンマ(業)を妨害したり邪魔したりします。他のカンマ(業)の力を弱めたり、カンマ(業)の結果として生じる楽しみ、苦しみを短くしたりします。蓄積された時点では強力なジャナカカンマ(生存を作り出す業)であっても、それに拮抗するウパピーラカカンマ(他の業を妨害する業)が反対に作用して、カンマ(業)の結果を作り出す働きが障害されることがあります。例えば、上位の生存領域に再生させる働きをもったクサラカンマ(善業)がウパピーラカカンマ(他の業を妨害する業)に邪魔されて、下位の生存領域に再生することがあります。恵まれた家庭への再生をもたらすカンマ(業)が恵まれない過程への再生をもたらすことがあります。長寿をもたらすカンマ(業)が生じても短命に終わることがあります。美しい容姿を作り出すカンマ(業)が平凡な容姿を作り出すことがあります。逆にひどい地獄への再生をもたらすカンマ(業)がウパピーラカカンマ(他の業を妨害する業)により、それほどひどくない地獄への再生、あるいはペータ(餓鬼)への再生をもたらすことがあります。
生涯を通じてウパピーラカカンマ(他の業を妨害する業)が作用する場面はたくさん見られます。例えば、人間界ではカンマ(業)により作られたパンチャカンダ(生命を構成する五つの塊)の存続を妨害し、苦しみをもたらすカンマ(業)や資産・財産、家族・友人に関する失敗をもたらすカンマ(業)が熟するのを促すことがあります。人間より下位の生存世界では、ウパピーラカカンマ(他の業を妨害する業)が、再生をもたらすカンマ(業)に拮抗して安楽と幸福を得るのに貢献する場合があります。
ウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)は善(クサラ)ないし不善(アクサラ)なカンマ(業)で自分よりも弱いカンマ(業)にとって代わり、その弱いカンマが熟するのを妨げて自分自身の結果をもたらします。例えば、ジャナカカンマ(生存を作り出す業)の作用により、当初は長生きする予定で人間に生まれた人が、ウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)が生じて早死にすることがあります。臨終に際し、邪悪なカンマ(業)の力によって最初は悲惨な生存世界への再生を予兆する悪い兆しが生じたのに、善(クサラ)なるカンマ(業)が生じて、不善(アクサラ)なカンマ(業)を追い払い、善い生存世界への再生を予兆する兆しが表れ、天界へ再生することがあります。逆に、悪いカンマ(業)が突然現れて、善(クサラ)なるカンマ(業)の作用を断ち切って、悲惨な生存世界への再生をもたらすことがあります。レディセヤドーによれば、ウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)により、眼や耳などの感覚器官の能力が阻害されて、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりすることもあります。性分化の異常が起こることもあるそうです。
注釈書の一つであるヴィバーヴィニーティーカーはジャナカカンマ(生存を作り出す業)とウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)を次の点に基づいて明確に区別しています。ジャナカカンマ(結果を作り出す業)は、他のカンマ(業)の結果を断ち切ることなく、自分自身の結果を出します。一方、ウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)は、まず他のカンマ(業)の結果を断ち切ってから、自分の結果を出します。しかしヴィバーヴィニーティーカーに引用されている他の指導者たちはウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)は、自分自身の結果を出すこと全く無い、という立場をとっています。他のカンマ(業)の作用を完全に断ち切り、もう一つ別のカンマが熟する機会を提供すると説明しています。
ここで挙げた四つの働きを全てを、一つのカンマ(業)が行うことが出来ます。レディセヤドーは故意に殺人を犯す場合を例としてこれを説明しています。ある人が、他の人の命を奪うとします。殺したいという意思が熟する機会を得るまでは、そのカンマ(業)はジャナカカンマ(生存を作り出す業)以外の3つの働きのどれでも実行することが出来ます。他のアクサラカンマ(不善業)が熟するのを支えたり、クサラカンマ(善業)が熟するのを妨害したり、あるいはクサラカンマ(善業)の効果を完全に断ち切ったりすることがあります。機が熟して実際に殺生が行われると、その行為に関連した意思のそれぞれが、悲惨な生存世界への再生を一つずつもたらす力を得ます。その後、そのカンマ(業)は再生をもたらす力を失いますが、続けて他の三つの機能を果たすことが出来ます。それだけでなく、生存中にジャナカカンマ(生存を作り出す業)として働くこともあります。未来に向かって10,000カッパ(カッパ=一つの宇宙が生じて滅するまでの時間)ないしそれ以上にわたって機能を果たす可能性を維持します。
第19節 カンマ(業)が熟する優先度による分類
ガルカン アーサンナン アーチンナン カタッター カンマン チャー ティ
パーカダーナ パリヤーイェーナ
II (再生をもたらす)効果が生じる際の序列の観点から見ると、カンマ(業)には次の4通りがあります。
(i) ガルカカンマ(重い業)
(ii) アーサンナカンマ(死の直前の業)
(iii) アーチンナカンマ(習慣となっている業)
(iv) カタッターカンマ(予備的な業)
第19節へのガイド
カンマ(業)の効果が生じる際の優先度:この節では次の生存をもたらす役割を果たす上で優先されるカンマ(業)の序列について扱っています
ガルカカンマ(重い業)は道徳的に大変な重みをもつカンマ(業)であり、再生をもたらす上でいかなるカンマ(業)もこれにとって代わることは出来ません。善(クサラ)の場合はこのカンマ(業)はジャーナ(禅定)の獲得となります。不善(アクサラ)の場合は基本的な道徳を否定するニヤタミッチャーディッティ(修正がきかなくなった、真理にそぐわない誤った見解)とともに生じる五つの大罪(アーナタリヤカンマ)のことです。五つの大罪(アーナタリヤカンマ)とは父親を殺すこと、母親を殺すこと、アラハッタ(悟りの最終段階を得て輪廻からの解脱を果たした聖者)を殺すこと、ブッダを傷つけること、悪意を持ってサンガ(仏教徒の集まり)を分裂させることです。仮に誰かがジャーナ(禅定)を獲得して、その後五つの大罪の内の一つを犯したとします。彼のクサラカンマ(善業)は邪悪な行為によって阻害され、大罪によるカンマ(業)のために悲惨な生存世界に再生することになります。例えば野心を持ったブッダの従弟のデーヴァダッタはブッダを傷つけ、サンガを分裂させたため超能力を失い地獄に再生しました。しかし、もし先に大罪を犯してしまった場合、その人はその後ジャーナ(禅定)を得たり、マッガ(道)・パラ(果)を得たりすることは出来ません。何故なら邪悪な行為が障害となりそれを乗り越えることが出来ないからです。アジャータサットゥ王はサーマンニャパラスッタ(俗世間を離れることで得られる良い結果についての経)についてのブッダの説法を聞いていました。彼はソーターパンナ(悟りの第一段階で悲惨な生存世界へ再生することが無くなった聖者)に達する条件がほとんど整っていましたが、それに先立って父親のビンビサーラ王を殺害していたため、マッガ(道)・パラ(果)を得ることが出来ませんでした。
アーサンナカンマ(死の直前の業)とは、死の直前、すなわち最後のジャヴァナの過程の直前に行った、ないし思いだした、再生をもたらす能力のあるカンマ(業)のことです。悪人が死の直前に過去に行った善行を思い出したり、あるいは善行為を行ったりすると、恵まれた境遇に再生する可能性があります。逆に善人が死の直前に過去の邪悪な行為のことを考えたり、邪悪な行為を行ったりすると不幸な境遇に再生する可能性があります。このため仏教国では死に行く人に対して、最後の瞬間に善い事を考えるように促す習慣があります。
ガルカカンマ(重い業)がない状態で、アーサンナカンマ(死の直前の業)が行われた場合は、それが再生をもたらす役割を果たします。これは、その人が生存中に行った善行為、悪行為が消えてなくなるという意味ではありません。そうしたカンマ(業)も条件が整えば相応の結果を出します。
アーチンナカンマ(習慣となっている業)は習慣的に行っている行為で、善行為の場合も悪行為の場合もあります。 ガルカカンマ(重い業)、アーサンナカンマ(死の直前の業)が無い場合は、一般的にこのアーチンナカンマ(習慣となっている業)が再生をもたらす働きを担うと考えられています。
カタッターカンマ(予備的な業)とは、上の三つのカテゴリーに入らないけれども、再生をもたらす力を持っているカンマ(業)のことです。ガルカカンマ(重い業)、アーサンナカンマ(死の直前の業)、アーチンナカンマ(習慣となっている業)のいずれも無いときにはこのタイプのカンマ(業)が再生をもたらす機能を担います。
第20節 カンマ(業)が熟する時間による分類
ディッタダンマヴェーダニーヤン ウパパッジャヴェーダニーヤン
アパラーパリヤヴェーダニーヤン アホースィカンマン チャー ティ
パーカカーラヴァセーナ チャッターリ カンマーニ ナーマ
III 効果が現われる時間の観点からは、カンマ(業)は次の4通りとなります。
(i) ディッタダンマヴェーダニーヤカンマ(今生でのみ結果を出す業)
(ii) ウパパッジャヴェーダニーヤカンマ(来世でのみ結果を出す業)
(iii) アパラーパリヤヴェーダニーヤカンマ(来世以降いつでも結果を出す業)
(iv) アホースィカンマ(結果を出す機会がないまま生滅した業)
第20節へのガイド
ディッタダンマヴェーダニーヤカンマ(今生でのみ結果を出す業)は、そのカンマ(業)が作られたのと同じ生涯(今生)でのみ結果を出すカンマ(業)です。その生涯で熟する機会がなければ結果を出すことなく生滅します。アビダンマでは、7つ連続するジャヴァナの中で最も弱い1番目のジャヴァナが作り出すのがディッタダンマヴェーダニーヤカンマ(今生で結果を出す業)であると説明されています。
ウパパッジャヴェーダニーヤカンマ(来世でのみ結果を出す業)は、そのカンマ(業)が作られた生涯(今生)の次の生涯(来世)でのみ結果を出すカンマ(業)です。来世で熟する機会がなければ結果を出すことなく生滅します。7つ連続するジャヴァナの中で2番目に弱い7番目のジャヴァナが作り出すのがウパパッジャヴェーダニーヤカンマ(来世でのみ結果を出す業)です。
アパラーパリヤヴェーダニーヤカンマ(来世以降いつでも結果を出す業)は、そのカンマ(業)が作られた生涯(今生)の次の生涯(来世)以降、条件がそろえば何時でも結果を出すことが出来るカンマ(業)です。7つ連続するジャヴァナの中で2番目から6番目の5つのジャヴァナが作り出すのがアパラーパリヤヴェーダニーヤカンマ(来世以降いつでも結果を出す業)です。輪廻の中での生存が続く限り、誰もこのカンマ(業)の結果を経験しないですませることは出来ません。ブッダやアラハッタ(悟りの最終段階を得て輪廻からの解脱を果たした聖者)でさえも例外ではありません。
アホースィカンマ(結果を出す機会がないまま生滅した業):これは特別なカンマ(業)を指した言葉ではありません。カンマ(業)が作られたのと同じ生涯(今生)ないしその次の生涯(来世)で熟する予定であったものの、条件が合わずに結果を出すことなく生滅したカンマ(業)の総称です。アラハッタ(悟りの最終段階を得て輪廻からの解脱を果たした聖者)の場合、過去に蓄積され将来結果を出すはずだったカンマ(業)はその死とともに生滅し、アホースィカンマ(結果を出す機会がないまま生滅した業)となります。
第21節 熟する場所による分類
タター アクサラン カーマーヴァチャラクサラン ルーパーヴァチャラクサラン
アルーパーヴァチャラクサラン チャー ティ パーカッターナヴァセーナ
IV カンマ(業)の効果が現われる場所の観点からは次の4通りに分類されます。
(i) アクサラカンマ(不善業)
(ii) カーマーヴァチャラクサラカンマ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域に関係する善業)
(iii) ルーパーヴァチャラクサラカンマ(物質を対象にした禅定に関連した意識の領域に関係する善業)
(iv) アルーパーヴァチャラクサラカンマ(物質でないものを対象にした禅定に関連した意識の領域に関係する善業)
アクサラカンマ(不善業)とクサラカンマ(善業)
第22節 アクサラカンマ(不善業)
タッタ アクサラン カーヤカンマン ヴァチーカンマン マノーカンマン チャー ティ カンマドゥヴァーラーヴァセーナ ティヴィダン ホーティ
アクサラカンマ(不善業)は、その行為を行う門の違いにより3つにわかれます。すなわち、カーヤカンマ(身体の行為)、ヴァチーカンマ(言葉の行為)、マノーカンマ(心の行為)です。
カタン パーナティパートー アディンナーダーナン カーメース
ミッチャーチャーロー チャー ティ カーヤヴィンニャーナーッティサンカーテー
カヤードゥヴァーレー バーフッラヴッティトー カーヤカンマン ナーマ
どのような行為でしょうか。それは、殺生、盗み、不適切な性行為です。これらは主にカヤードゥヴァーラ(身体という門)を通して行われるのでカヤーカンマ(身体の行為)と呼ばれます。
ムサーヴァードー ピスナーヴァーチャー パルサヴァーチャー サンパッパラーポー
チャー ティ ヴァチーヴィンニャーナッティサンカテー ヴァチードゥヴァーレー
バーフッラヴッティトー ヴァチーカンマン ナーマ
どのような行為でしょうか。それは、ムサーヴァーダ(真実と異なる言葉)、ピスナーヴァーチャ(人の仲違いさせる言葉)、パルサヴァーチャ(人を傷つけるきつい言葉)、サンパッパラーパ(意味のない無駄話)です。これらは主にヴァチードゥヴァーラ(言葉という門)を通して行われるのでヴァチーカンマ(言葉の行為)と呼ばれます。
アビッジャー、ヴャーパードー、ミッチャーディッティ チャー ティ
アンニャートラー ピ ヴィンニャーナッティヤー マナスミン イェーヴァ
バーフッラヴッティトー マノーカンマン ナーマ
どのような行為でしょうか。それは、アビッジャー(貪欲)、ヴャーパーダ(悪意)、ミッチャーディッティ(心理にそぐわない誤った見解)です。これらは(身体や言葉を使うことなく)主にマノードゥヴァーラ(心という門)を通して行われるのでマノーカンマ(心の行為)と呼ばれます。
第22節へのガイド
この節では10個あるアクサラカンマパタ(不善業が行われる過程)について説明しています。本文に書かれているように、身体を使うものが3つ、言葉を使うものが4つ、心だけのものが3つあります。最初の7つについてはその行為を成し遂げたいという意思そのものがアクサラカンマ(不善業)です。つまり、行為が完全に行われなかったとしてもアクサラカンマ(不善業)になります。しかし、もしその行為を完遂し目的を遂げた場合(例えば殺そうと思った相手が死んだり、盗んだ財産を自分のものにしたりした場合)アクサラカンマパタ(不善業が行われる過程)が完成します。このようにして完成したアクサラカンマ(不善業)はパティサンディ(生存と次の生存を橋渡しして再生をもたらす)チッタとしての能力を獲得します。2
主にカーヤドゥヴァーラ(身体という門)を通して:ここで使われているドゥヴァーラ(門)とは行為に関連し、その行為が行われる媒体のことを示しています。カーヤドゥヴァーラ(身体という門)は身体を使って示すことです(カーヤヴィンニャーナーッティ)。心が作り出した物質的な現象の一種で、身体という媒体を使って心に生じた意思を表現します(第6章、第4節参照)。「主に(バーフッラヴッティトー)」と書かれているのは、例えば人に命令したりするなど、言葉を使って殺生や盗みを行うことが出来るからです。言葉を使ってはいますが、それもやはりカーヤカンマ(身体による業)とみなされます。
アビッジャー(貪欲)、他:最後の3つの行為の過程は、一般的に心の中だけに生じ、言葉や身体を使って意図的に表現するところまで達しません。そのような行為はマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)を介して生じるといわれており、関連するチッタをまとめてアビッジャー(貪欲)等の名前を付けています。
アビッジャー(貪欲)は貪欲というチェータスィカで、他の人の財産を手に入れたいという願望として生じます。アビッジャー(貪欲)は他人の財産に向けられたものですが、その財産を自分のものにしたいという願望を抱かなければ完全な行為とはなりません。
ヴャーパーダ(悪意)は憎悪というチェータスィカです。他の生命が危害を受けたり、苦しんだりするのを望む気持ちが同時に生じると行為が完成します。
ミッチャーディッティ(真理にそぐわない誤った見解)は、道徳の正しさや行為には相応の結果が伴うことを否定するなど、道徳をないがしろにする見解を当然のことと思い込むことで完成した行為となります。スッタピタカ(経蔵)には次の3つのミッチャーディッティ(真理にそぐわない誤った見解)が頻繁に登場します。
(i) ナッティカディッティ(虚無主義という誤った見解):死後はどのような形であれ人格が残ることはないという誤った見解のことです。行為が持つ道徳的な意味を否定します。
(ii) アキリヤディッティ(行為が結果をもたらすことはないという誤った見解):なんらかの行為を行ってもそれが結果をもたらすことは無いと主張し、行為を道徳的に区別することを否定します。
(iii) アヘートゥカディッティ(心の状態には原因が無いという誤った見解):生命の心が汚れたり、清らかになったりすることに原因や条件は無いとする見解です。生命は偶然、運命により、あるいは定めに従って心が汚れたり、清らかになったりするとします。
第23節 ムーラ(チッタを安定させる根)とチッタによる分類
テース パーナティパートー パルサーヴァーチャー ヴャーパードー チャ
ドーサムーレーナ ジャーヤンティ カーメース ミッチャーチャーロー
アビッジャー ミッチャーディッティ チャ ローバムーレーナ セーサーニ
チャッターリ ピ ドゥヴィーヒ ムーレーヒ サンバヴァンティ
チャトゥッパーダヴァセーナ パネータン アクサラン サッバター ピ
ドゥヴァーダサヴィダン ホーティ
その内、パーナティパータ(殺生)、パルサーヴァーチャー(相手を攻めたてるきつい言葉)、ヴャーパーダ(悪意)はドーサムーラ(怒りというチッタを安定させる根)から生じます。カーメース ミッチャーチャーラー(不適切な性行為)、アビッジャー(貪欲)、ミッチャーディッティ(真理にそぐわない誤った見解)はローバムーラ(欲というチッタを安定させる根)から生じます。残りの四つはドーサムーラ(怒りというチッタを安定させる根)とローバムーラ(欲というチッタを安定させる根)の二つから生じます。チッタのクラスに従えば、これらのアクサラカンマ(不善業)は12通りとなります。
第23節へのガイド
厳密には、ヴャーパーダ(悪意)はドーサムーラ(怒りというチッタを安定させる根)の、そしてアビッジャー(貪欲)はローバムーラ(欲というチッタを安定させる根)の一つの形です。ミッチャーディッティ(真理にそぐわない誤った見解)はディッティ(真理にそぐわない誤った見解)の一つの形です。ですからこの3つの行為はそれぞれに対応するチェータスィカと同じものです。残りの7つの行為は、アクサラヘートゥ(不善な、チッタを安定させる根)と共に生じるチェータナー(意思)というチェータスィカと同じものです。しかしながら、例えばローバ(欲)がパーナティパータ(殺生)やアヴィッジャー(嫌悪)の動機となったり、ドーサ(怒り)がカーメース ミッチャーチャーラー(不適切な性行為)の動機となったりすることもあり得ます。アビダンマは、他の生命の命を絶つという行為に駆り立てるチェータナー(意思)、つまりその生命の命が続くことに対するのを嫌悪は常にドーサムーラ(怒りという、チッタを安定させる根を持つ)であるとしています。一方、性犯罪に駆り立てるチェータナー(意思)、つまり違法な相手との性的な快楽に対する欲望は常にローバムーラ(欲という、チッタを安定させる根を持つ)であるとしています。他の4つの行為、アディンナーダーナ(盗み)、ムサーヴァーダ(真実と異なる言葉)、ピスナーヴァーチャ(人の仲違いさせる言葉)、サンパッパラーパ(意味のない無駄話)はローバ(欲)が伴う場合もあればドーサ(怒り)が伴う場合もあります。不全な行為は例外なくモーハムーラ(真理が分からず混乱した状態という、チッタを安定させる根を持つ)です。アクサラカンマ(不善業)12種類のアクサラ(不善業を作る)チッタと同じものです。その場合、チェータナー(意思)というチェータスィカではなく、チッタそのものがカンマと見なされます。
第24節 カーマーヴァチャラクサラカンマ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における不善業)
カーマーヴァチャラクサラン ピ カーヤドゥヴァーレー パヴァッタン
カーヤカンマン ヴァチードゥヴァーレー パヴァッタン ヴァチーカンマン
マノードゥヴァーレー パヴァッタン マノーカンマン チャー ティ
カンマドゥヴァーラヴァセーナ ティヴィダン ホーティ
カーマーヴァチャラクサラカンマ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における不善業)は行為のドゥヴァーラ(門)により、3通りとなります。すなわち、カーヤドゥヴァーラ(身身体という門)に関連するカーヤカンマ(身体の行為)、ヴァチードゥヴァーラ(言葉と言う門)に関連するヴァチーカンマ(言葉の行為)、マノードゥヴァーラ(心という門)に関連するマノーカンマ(心の行為)です。
タター ダーナ スィーラ バーヴァナーヴァセーナ チットゥッパーダヴァセーナ
パネータン アッタヴィダン ホーティ
同様に、ダーナ(布施)、スィーラ(戒律を守ること)、バーヴァナー(瞑想などの修行実践)の3通りに分類することもあります。しかしチッタのクラスにより分類すれば8通りとなります。
ダーナ スィーラ バーヴァナー アパチャーヤナ ヴェッヤーヴァッチャ
パッティダーナ パッターヌモーダナ ダンマサヴァナ ダンマデーサナー
ディッティゥジュカンマヴァセーナ ダサヴィダン ホーティ
それはまた次の10通りに分類されることもあります。(i) ダーナ(布施:財物などを他の生命に分け与えること)、(ii) スィーラ(戒律を守ること)、(iii) バーヴァナー(瞑想実践)、(iv) アパチャーヤナ(尊敬すべき人を尊敬すること)(v)、ヴェッヤーヴァッチャ(作務:仏教を支え広めるための奉仕作業)、(vi) パッティダーナ(自分の徳を他の生命に贈ること:回向)、(vii) パッターヌモーダナ(他の人の徳を自分のことのように喜ぶこと:随喜)、(viii) ダンマサヴァナ(ブッダの教えを聞くこと:聞法)、(ix) ダンマデーサナー(ブッダの教えを他の生命に教えること)、(x) ディッティゥジュカンマ(ブッダの教えを学んで自分の見解を正すこと)
タン パネータン ヴィーサティヴィダン ピ カーマーヴァチャラカンマン
イッチェーヴァ サンカン ガッチャティ
このように(クサラカンマとアクサラカンマを含めた)全部で20種類がカーマーヴァチャラカンマ(感覚的な楽しみを追いもとめる意識の領域に関連する業)として知られています。
第24節へのガイド
行為のドゥヴァーラ(門)により:行為のドゥヴァーラ(門)により分類するとクサラカンマ(善業)は10個になります。カーヤカンマ(身体の行為)は3つで、3つの不善な身体の行為から離れることです。ヴァチーカンマ(言葉の行為)は4つで、4つの不善な言葉を使った行為から離れることです。マノーカンマ(心の行為)は3つで、アビッジャー(貪欲)から離れること、ヴャーパーダ(悪意)から離れること、そしてサンマーディッティ(真理に基づいた正しい見解)です。パラマッタダンマ(究極の真理)の観点から見ると、最初の7つは2つの節制、すなわちサンマーカンマンタ(真理に適った正しい行為)、サンマーヴァーチャー(真理に適った正しい言葉)という2つのチェータスィカと同一です。またこうした節制とともに生じるチェータナー(意思)と同じです。最後の3つは、アローバ(欲から離れること)、アドーサ(怒りから離れること)、アモーハ(しりが分からず混乱した状態から離れること)という3つのクサラへートゥ(善なる、チッタを安定させる根)の一面です。
同様に、・・・の3通りに分類することもあります:ここで挙げられている3通りないし19通りのクサラカンマ(善業)は3つないし10個の徳業(プンニャキリヤヴァットゥ)
として一般に知られています。こうしたクサラカンマを作り出す8つのチッタがマハークサラ(偉大なる、善業を作る)チッタです。
全部で20種類が:アクサラ(不善業を作る)チッタ12種類、マハークサラ(偉大なる、善業を作る)チッタから生じるカンマ(業)のことです。
第25節 ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)のクサラカンマ(善業)
ルーパーヴァチャラクサラン パナ マノーカンマン エーヴァ タン チャ
バーヴァナーマヤン アッパナーッパタン ジャーナガベーデーナ パンチャビダン
ホーティ
ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域)のクサラカンマ(善業)は純粋に精神的な行為です。アッパナー(没入状態)に達した瞑想の中で生じます。ジャーナ(禅定)の要素の違いにより5通りに区分されます。
第26節 アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)のクサラカンマ(善業)
タター アルーパーヴァチャラクサラン チャ マノーカンマン タン ピ
バーヴァナーマヤン アッパナーッパタン アーランバナベーデーナ チャトゥッビダン
ホーティ
同様に、アルーパーヴァチャラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域)のクサラカンマ(善業)は純粋に精神的な行為です。アッパナー(没入状態)に達した瞑想の中で生じます。アーランバナ(対象)の違いにより4通りに区分されます。
第25節~第26節へのガイド
ジャーナ(禅定)の要素の違いにより5通りに区分されます:5つのルーパッジャーナ(物質を対象にした禅定)のことです。
アーランバナ(対象)の違いにより4通りに区分されます:4つのアルーパッジャーナ(物質を対象にした禅定)のことです。
カンマ(業)の結果
第27節 アクサラカンマ(不善業)の結果
エッタ アクサラカンマン ウッダッチャラヒタン アパーヤブーミヤン パティサンディン ジャネーティ パヴァッティヤン パナ サッバンピ ドゥヴァーダサビダン
サッタークサラパーカーニ サッバター ピ カーマローケー ルーパローケー チャ
ヤターラハン ヴィパッチャティ
ウッダッチャ(不穏・興奮)を除くアクサラカンマ(不善業)はアパーヤブーミ(人間より下位の悲惨な生存領域)への再生をもたらします。しかし、12種類あるアクサラ(不善業を作る)チッタは全て、カーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める生存世界)ないしルーパローカ(物質を対象とした禅定に達した人が再生する微細な物質からなる生存世界)における同じ生涯の中で、7種類のアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタを状況に応じて作り出します。
第27節へのガイド
ウッダッチャ(不穏・興奮)を除くアクサラカンマ(不善業):ウッダッチャ(不穏・興奮)を伴うモーハムーラ(真理が分からず混乱した状態という、チッタを安定させる根を持つ)チッタはアクサラ(不善業を作る)チッタの中で最も弱いため、再生をもたらす機能を果たすことが出来ません。それ以外の11種類のアクサラ(不善業を作る)チッタはアクサラヴィパーカサンティーラナ(不善業の結果として生じる対象を調べる)チッタを作り出します。このアクサラヴィパーカサンティーラナ(不善業の結果として生じる対象を調べる)チッタはパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を維持するチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタとして機能し、4つのアパーブーミ(人間より下位の悲惨な生存領域)への再生をもたらし、その生命の生涯を担います。12種類あるアクサラ(不善業を作る)チッタは全て、カーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める生存世界)における同じ生涯の中で、7種類のアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタを作り出すことが出来ます。7種類の内訳は、5種類のヴィンニャーナ(感覚を感じ取る意識)、サンパティッチャナ(感覚の対象を受け止める)チッタとサンティーラナ(感覚の対象を調べる)チッタの7種類です。ルーパローカ(物質を対象とした禅定に達した人が再生する微細な物質からなる生存世界)においては5種類のヴィンニャーナ(感覚を感じ取る意識)のうち鼻、舌、身体の3つが除かれますのでアクサラヴィパーカ(不善業の結果として生じる)チッタは4種類のみとなります。これについては表5.4をご覧ください。
第28節 カーマーヴァチャラクサラカンマ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における善業)の結果
カーマーヴァチャラクサラン ピ カーマスガティヤン エーヴァ パティサンディン
ジャネーティ タター パヴァッティヤン チャ マハーヴィパーカーニ アヘートゥカヴィパーカーニ パナ アッタ ピ サッバター ピ カーマローケー ルーパローケー
チャ ヤターラハン ヴィパッチャティ
カーマーヴァチャラクサラカンマ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における善業)はカーマスガティ(感覚的な楽しみに恵まれた生存世界)への再生をもたらします。そしてその生涯の中でマハーヴィパーカ(偉大なる、業の結果として生じる)チッタを作りだします。しかしまた、カーマーヴァチャラクサラカンマ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における善業)は、カーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める生存世界)ないしルーパローカ(物質を対象とした禅定に達した人が再生する微細な物質からなる世界)のどこにおいても8種類のアヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタを状況に応じて作り出します。
第28節へのガイド
著者は第29節~第30節の中で、それぞれの種類のクサラ(善業を作る)チッタと、それが作り出すことが出来るヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタとの関係を詳細に説明します。
マハーヴィパーカ(偉大なる、業の結果として生じる)チッタは4通りの様式で生じます。そのうちの3つはパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させる)、チュティ(死ぬ)という認識過程に関わらない働きです。残りの1つは認識過程におけるサンティーラナ(対象を調べる)という働きです。これらのヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタはカーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める世界)でのみ熟します。
8つのアヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタとは5つのヴィンニャーナ(感覚を感じ取る意識)、サンパティッチャナ(感覚の対象を受け止める)チッタと2種類のサンティーラナ(感覚の対象を調べる)チッタのことです。サンティーラナ(感覚の対象を調べる)チッタについては認識過程の中でタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタとして生じることもあります。またウペッカー(苦しくも楽しくもない状態)を伴うサンティーラナ(感覚の対象を調べる)チッタについては、障害を持って生まれてくる場合のパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させる)チッタ、チュティ(死ぬ)チッタとして機能することがあります。カーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める世界)では8つのアヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタ全てが熟します。しかし鼻、舌、身体という3つのヴィンニャーナ(感覚を感じ取る意識)についてはルーパローカ(物質を対象とした禅定に達した人が再生する、微細な物質からなる世界)では熟すことが出来ません。なぜならそこに住む生命は必要な感覚器官(鼻、舌、身体)を持たないからです(訳者注:形としての鼻、舌、身体はありますが感覚を感じ取る能力が無いということです)。
第29節 クサラヴィパーカ(善業の結果)とへートゥ(チッタを安定させる根)
タッター ピ ティヘートゥカン ウッカッタン クサラン ティヘートゥカン
パティサンディン ダトゥヴァー パヴァッテー ソーラサ ヴィパーカーニ
ヴィパッチャティ
へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を三つ(訳者注:アローバ、アドーサ、アモーハ)持つウッカッタ(上級の)クサラカンマ(善業)は、同じく、へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を3つ持つパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタを作りだします。そしてその生涯の中で16種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタを生じさせます。
ティヘートゥカン オーマカン ドゥヴィヘートゥカン ウッカッタン チャ クサラン
ドヴィヘートゥカン パティサンディン ダトゥヴァー パヴァッテー
ティへートゥカラヒターニ ドゥヴァーダサ ピ ヴィパーカーニ ヴィパッチャティ
へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を3つ(訳者注:アローバ、アドーサ、アモーハ)持つオーマカ(低級の)クサラカンマ(善業)、そしてへートゥ(チッタを安定させる善なる根)を2つ(訳者注:アローバ、アドーサ、アモーハのうちの二つ)持つウッカッタ(上級の)クサラカンマ(善業)は、へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を2つ持つパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタを作りだします。そしてその生涯の中で、へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を3つ持つヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタを除いた12種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタを生じさせます。
ドゥヴィヘートゥカン オーマカン パナ クサラン アヘートゥカン エーヴァ
パティサンディン デーティ パヴァッテー チャ アヘートゥカヴィパーカン
エーヴァ ヴィパッチャティ
しかし、へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を2つ(訳者注:アローバ、アドーサ、アモーハのうちの二つ)持つ、オーマカ(低級の)クサラカンマ(善業)は、へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を持たないパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタを作りだします。そしてその生涯の中で、へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を持たないヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタを生じさせます。
第29節へのガイド
ウッカッタ(上級の)クサラカンマ(善業):クサラカンマ(善業)は結果をもたらす能力の観点から2つに分かれます。ウッカッタ(上級の)とオーマカ(低級の)です。ウッカッタ(上級の)クサラカンマ(善業)は、煩悩(心の汚れ)が少なくなり清らかとなった心で行われるカンマ(業)です。行為の前後に良い原因が伴います。例えば、正しい方法で得た財物を徳のある人に布施すること、その布施の前後に清らかな喜びを感じることがこれに相当します。オーマカ(低級の)クサラカンマ(善業)は行為の前後に、自分を賞賛する、他の人を軽蔑する、その行為を行った後で後悔する、など煩悩で汚れた心が伴う場合です。
へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を3つ持つパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタ、他:これは4種類のニャーナサンパユッタマハーヴィパーカ(真理を正しく知る智慧が付随する、偉大なる、業の結果として生じる)チッタにより生じます。その生存で生じる16種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタのうち8種類はアへートゥカ(チッタを安定させる根を持たない)チッタで、残りの8種類はマハーヴィパーカ(偉大なる、業の結果として生じる)チッタです。
12種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタ:上記の16種類から、4種類のニャーナサンパユッタマハーヴィパーカ(真理を正しく知る智慧が付随する、偉大なる、業の結果として生じる)チッタを除いた12種類のことです。
へートゥ(チッタを安定させる善なる根)を持たないパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタ:ニャーナサンパユッタクサラヴィパーカサンティーラナ(真理を正しく知る智慧が付随する、善業の結果として生じる、対象を調べる)チッタのことです。
第30節 別の見方
アサンカーラン ササンカーラヴィパーカーニ ナ パッチャティ
ササンカーラン アサンカーラヴィパーカーニー ティ ケーチャナ
テーサン ドゥヴァーサパーカーニ ダサッター チャ ヤターカマン
ヤターブーターヌサーレーナ ヤターサンバヴァン ウッディセー
指導者の中にはアサンカーリカ(駆り立てるものが無い)チッタはササンカーリカヴィパーカ(駆り立てるものがある、業の結果として生じる)チッタを生じさせることはない、逆にササンカーリカ(駆り立てるものがある)チッタはアサンカーリカヴィパーカ(駆り立てるものが無い、業の結果として生じる)チッタを生じさせることはない、と言っています。
彼らの説に従えば、第29節で説明した、段階別のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタの数はそれぞれ、12種類、10種類、8種類となります。
第30節へのガイド
指導者の中には:第29節で説明した内容は古代の先達であるティピタカ・チューラナーガ長老が提案したもので、アビダンマの教師達の間では主流になっています。第30節では、古代スリランカのモーラヴァーピ僧院でアビダンマに精通していたマハーダンマラッキタ長老の学派が採用している、別の見解を紹介しています4。
12種類、10種類、8種類となります:この学説によれば、再生の瞬間および生涯を通じて、アサンカーリカクサラ(駆り立てるものが無い、善業を作る)チッタはアサンカーリカヴィパーカ(駆り立てるものが無い、業の結果として生じる)チッタのみを生じさせる、またササンカーリカクサラ(駆り立てるものがある、善業を作る)チッタはササンカーリカヴィパーカ(駆り立てるものがある、業の結果として生じる)チッタのみを生じさせる、となります。これは、生涯を通じてウッカッタティへートゥカクサラ(上級の、チッタを安定させる善なる根を3つ持つ、善業を作る)チッタは12種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタのみを生じさせるという意味になります。その12種類とは、アヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタ8種類に加えて、元のチッタがアサンカーリカ(チッタを安定させる根を持たない)か、ササンカーリカ(チッタを安定させる根を持つ)かに応じてアサンカーリカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタ4種類ないしササンカーリカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持つ、業の結果として生じる)チッタ4種類のいずれかとなります。第29節で述べた2番目の等級のクサラ(善業を作る)チッタ、つまりへートゥ(チッタを安定させる善なる根)を3つ(訳者注:アローバ、アドーサ、アモーハ)持つオーマカ(低級の)クサラカンマ(善業)とへートゥ(チッタを安定させる善なる根)を2つ(訳者注:アローバ、アドーサ、アモーハのうちの二つ)持つウッカッタ(上級の)クサラカンマ(善業)は10種類のヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタのみを生じさせるという意味です。その10種類とは、アヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタ8種類に加えて、元のチッタがアサンカーリカ(チッタを安定させる根を持たない)か、ササンカーリカ(チッタを安定させる根を持つ)かに応じてアサンカーリカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持たない、業の結果として生じる)チッタ2種類ないしササンカーリカヴィパーカ(チッタを安定させる根を持つ、業の結果として生じる)チッタ2種類のいずれかとなります。3番目の最も弱い等級のクサラ(善業を作る)チッタ、つまりへートゥ(チッタを安定させる善なる根)を2つ(訳者注:アローバ、アドーサ、アモーハのうちの二つ)持つ、オーマカ(低級の)クサラカンマ(善業)はアヘートゥカ(チッタを安定させる善なる根を持たない)パティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタのみを生じさせます。そしてその生涯において、8種類のアヘートゥカヴィパーカ(チッタを安定させる善なる根を持たない、業の結果として生じる)チッタのみを生じさせます。これは第29節に書かれている主流派の見解と同じです。
第31節 ルーパーヴァチャラクサラカンマ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における善業)の結果
ルーパーヴァチャランクサラン パナ パタマッジャーナン パリッタン
バーヴェートゥヴァー ブラフマパーリサッジェース ウッパッジャンティ タダ
エーヴァ マッジマン バーヴェートゥヴァー ブラフマプロヒテース
パニータン バーヴェートゥヴァー マハー ブラフメース
ルーパーヴァチャラクサラカンマ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における善業)に関しては、ジャーナ(禅定)の第1段階をある程度まで培った人は再生してブラフマパーリサッジャ(ブラフマの従者)になります。同じ禅定の第一段階を中程度まで培った人はブラフマプロヒタ(ブラフマの大臣)として再生します。また禅定の第1段階を上級まで培った人はマハーブラフマ(大ブラフマ)として再生します。小さな光の神として再生します。
タター ドゥティヤッジャーナン タティヤッジャーナン チャ パリッタン
バーヴェートゥヴァー アッパマーナーベース パニッタン バーヴェートゥヴァー
アーバッサレース
同様に、ジャーナ(禅定)の第2段階、第3段階をある程度まで獲得した人はパリッターバ(小さな光)の神として再生します。同じ禅定を中程度まで獲得した人はアッパマーナーバ(無限の光)の神として再生します。そして上級まで培った人はアーバッサラ(さんさんと輝く光)の神として再生します。
チャトゥッタッジャーナン パリッタン バーヴェトゥヴァー パリッタスベース
マッジマン バーヴェトゥヴァー アッパマースベース パニッタン
バーヴェトゥヴァー スバキンヘース
ジャーナ(禅定)の第4段階をある程度まで獲得した人はパリッタスバ(小さなオーラ)の神として再生します。同じ禅定を中程度まで獲得した人はアッパマースバ(無限のオーラ)の神として再生します。そして上級まで培った人はスバキンハ(安定したオーラ)の神として再生します。
パンチャマッジャーナン バーヴェトゥヴァー ヴェーハッパレース タダ エーヴァ
サンニャーヴィラーガン バーヴェトゥヴァー アサンニャサッテース
アナーガーミノー パナ スッダーヴァーセース ウッパッジャンティ
ジャーナ(禅定)の第5段階を獲得した人はヴェーハッパラ(多大な報償)の神として再生します。同じ禅定を中程度まで獲得した人はアッパマースバ(無限のオーラ)の神として再生します。そして上級まで培った人はスバキンハ(安定したオーラ)の神として再生します。認知に対する興味を失った人はアサンニャーサッタ(認知がない生命)の神として再生します。しかしアナーガーミ(悟りの第3段階を得て、カーマローカに再生することがなくなった聖者)の場合は、スッダーヴァーサ(清らかに生きる生命)の世界(訳者注:浄居天と訳されています)に再生します。
第31節へのガイド
ルーパーヴァチャラクサラカンマ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における善業):5つあるルーパジャーナ(物質を対象にした禅定)の段階それぞれが、カンマ(業)の結果として、独自に対応するルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における)チッタを生じさせます。そのチッタはクサラジャーナ(善業を作る、禅定の)チッタの事態が作り出す業の結果(ヴィパーカ)です。ジャーナ(禅定)へと登りつめていく、瞑想の準備段階に生じるクサラ(善業を作る)チッタはカーマーヴァチャラクサラ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、善業を作る)チッタです。そしてその結果(ヴィパーカ)はカーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域の、業の結果として生じる)チッタであり、ルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタではありません。ルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタは、パティサンディ(生存と次の生存を結びつけて再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を維持するチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタ、の3つの働きしかしません。これは、ルーパーヴァチャラヴィパーカ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、業の結果として生じる)チッタはヴィーティムッタ(認識過程とは別に生じる)チッタとしてしか生じないことを意味しています。チッタヴィーティ(認識過程)に生じるヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタは全てカーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタです。ただし、ロークッタラ(涅槃を悟った聖者の意識の領域)におけるパラ(果の)チッタは例外です。
クサラジャーナ(善業を作る、禅定の)チッタは、それぞれの段階に応じたルーパローカ(物質を対象にした禅定を獲得した人が再生する微細な物質からなる世界)への再生をもたらします。しかしながら、ルーパローカは経典に記された4段階の禅定レベルの区分法に応じて構築されており、ここで示している五段階の禅定レベルの区分とは異なります。このためアビダンマにおける禅定レベルの5段階のうち、2段階と3段階は共に経典に記されている4段階の区分法での第2段階に相当するルーパローカへ再生するとされています。
ルーパローカの下位3段階は、それぞれが3つの領域から構成されています。禅定の熟達度に応じて、限定的、中程度、上級の三つに区分されています。とは言ってもジャーナ(禅定の)チッタそれ自身はこのような3段階に区分されることはありません。ジャーナ(禅定の)チッタを決めるのはどのチェータスィカが付随するかであり、低級、中級、上級といったジャーナ(禅定)の熟達度によって変わることは有りません。しかしながらジャーナ(禅定)の熟達度はチッタが再生をもたらす際の能力に影響します。このため、ジャーナ(禅定)の熟達度に応じた三つの異なる生存領域が存在します。一人の瞑想者が複数のジャーナ(禅定)を得た場合は、その生涯の最後にまだ保持していた最も高いレベルのジャーナ(禅定の)チッタが再生(パティサンディ)をもたらす働きを担います。表5-4をご覧ください。
ジャーナ(禅定)の第5段階を獲得した:この生存世界を区分する原則は、これまで述べた三つの生存世界の原則とは異なります。この世界では、通常の手順でジャーナ(禅定)の第5段階を得た人は、プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人)であれ、ソータッパンナ(悟りの第1段階を得て、悲惨な生存世界への再生が無くなった聖者)であれ、サカダーガーミ(悟りの第2段階を得て、カーマローカへの再生が1回のみとなった聖者)であれ、アナーガーミ(悟りの第3段階を経て、カーマローカへの再生が無くなった聖者)であれ、全てヴェーハッパラ(多大な報償)の世界に再生します。限定的、中程度、上級というジャーナ(禅定)の熟達度による違いはありません。しかしながら、プトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人)の一部は、チッタとサンニャー(認知)が全ての苦しみの原因であると考え、サンニャー(認知)に対する強い嫌悪からジャーナ(禅定)の第5段階に達します。そのような人のジャーナ(禅定)の第5段階のチッタには、サンニャー(認知)を止めたいという強い願望が浸透しているため、アサンニャーサッタ(認知がない生命)の世界へ再生します。そしてそこで、動きのない単なる物質としての身体を得て、死を迎えて他の世界へ再生するまでそこに存在します。命はあっても何もできない状態です(第6章、第28節参照)。(訳者注:無想有情と言われている生命です。この状態になると徳を積むことも何も出来ないのでそこにだけは再生しないように注意する必要があると言われています。)
しかしアナーガーミ(悟りの第3段階を得て、カーマローカに再生することがなくなった聖者)の場合はスッダーヴァーサ(清らかに生きる生命)の世界に:スッダーヴァーサ(清らかに生きる生命)の世界(訳者注:浄居天と呼ばれています)は5つあります。そのどれに再生するかは、パンチャバラ(5つの能力)のどれが優位であるかにより決まります。サッダー(ブッダとその教えに対する確信)が強いアナーガーミはアヴィハ(持続する)世界に再生します。ヴィリヤ(努力するエネルギー)が強い場合はアッタパ(平穏な)世界に再生します。サティ(今の瞬間に対する気づき)が強い者はスダッサ(美しい)世界に再生します。サマーディ(集中)が強い場合はスダッスィ(視界明瞭な)世界に再生します。智慧が強い人はアカニッタ(最高の)世界へ再生します。スッダーヴァーサ(清らかに生きる生命)の世界へ再生するのはアナーガーミだけですが、アナーガーミであれば必ずそこに再生すると決まっているわけではありません。スッダーヴァーサ(清らかに生きる生命)の世界は、ジャーナ(禅定)の第5段階を得たアナーガーミだけに門戸を開いており、第4段階以下のジャーナ(禅定)しか得ていないアナーガーミはルーパローカのどこか別の場所に再生する、そう言ってよいかと思います。しかしながら、アナーガーミは全てルーパローカに再生します。何故なら彼らは、人をカーマローカ(感覚的な楽しみを追い求める世界)へ再生させる原因となる、カーマラーガ(官能的快楽に対する欲望)というサンヨージャナ(足枷)を根絶しているからです。
第32節 アルーパーヴァチャラクサラカンマ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における善業)の結果
アルーパーヴァチャラクサラン チャ ヤターッカマン バーヴェートゥヴァー
アールッペース ウパッジャンティ
アルーパーヴァチャラクサラカンマ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における善業)を獲得した人は、それに応じたアルーパローカ(物質でないものを対象にした禅定を得た人が再生する物質の無い世界)に再生します。
第32節へのガイド
つまり、空間の無限性という基盤(アーカーサンナンチャヤタナ)をもとにしたジャーナ(禅定)を獲得し、死の瞬間においてもティーナ(怠惰)などのニーヴァラナ(集中の障害となるチェータスィカ)に邪魔されることなく、禅定を保ち続けた人はアーカーサンナンチャヤタナブーミ(空間の無限性という基盤に基づいた生存世界)に再生します。他のアルーパジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)についても同様で、死の際に維持していた最も高いジャーナ(禅定)に応じた世界に再生します。
ルーパーヴァチャラ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における)チッタの場合と同様に、アルーパーヴァチャラクサラ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における、善業を作る)チッタは、それぞれ対応するヴィパーカ(業の結果として生じる)チッタを結果として作り出します。そしてそのヴィパーカチッタはそれぞれに関連するアルーパブーミ(物質でないものを対象にした禅定を得た人が再生する物質の無い世界)においてパティサンディ(生存と次の生存を結びつけて再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を維持するチッタ)、チュティ(死ぬ)チッタ、の3つの働きしかしません。
第33節 結論
イッタン マハッガタン プンニャン ヤターブーミ ヴァヴァッティタン
ジャネーティ サディサン パーカン パティサンディッパヴァッティヤン
イダン エッタ カンマチャトゥッカン
こうして、マハッガタプンニャン(偉大なる徳)は、ブーミ(生存領域)に応じて、パティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらすこと)の時点とそれ以外の生存期間中に同様の結果をもたらします。
これが4通りのカンマ(業)です。
チュティパティサンディッカマ(死と再生の過程)
第34節 死をもたらす4つの原因
アーユッカイェーナ カンマッカイェーナ ウバヤッカイェーナ
ウパッチェーダカカンムナー チャー ティ チャトゥッダー
マラヌッパッティ ナーマ
死が訪れる仕組みは1)寿命が尽きる、2)業(ジャナカカンマ=生存を作り出す業)の力が尽きる、3)寿命と業の力の両方が尽きる、4)ウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)が作用する、の4通りあります。
第34節へのガイド
死が訪れる:死は正式には一つの生存の範囲内で働くジーヴィティンドゥリヤ(生命力)が絶たれることです。
寿命が尽きる:この種の死は寿命が厳密に規定されている生存領域に住む生命に起こります(第12,14,16節参照)。人間界の場合も、高齢者が自然の成り行きで死ぬ場合がこれに相当します。もし寿命の限界に達してもジャナカカンマ(生存を作り出す業)の力が衰えずに残っている場合は、その業の力により同じ生存領域やさらに上の領域に再生することがあります。これはデーヴァ(神)の場合にみられます。
ジャナカカンマ(生存を作り出す業)が尽きる:これは、ジャナカカンマ(結果をもたらす業)の力が尽きたために、普通の寿命がまだ残っていて、寿命を伸ばすのに好都合な条件がそろっているのに起こる種類の死です。寿命と業の力の双方が同時に終了した場合は、寿命と業の力の両方が尽きる死と言われます。
ウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)が作用する:これは、寿命が尽きる前に強力なウパガータカカンマ(他の業を破壊する業)がパティサンディカンマ(再生をもたらす業)を断ち切ったために死ぬ場合を指します。
最初の3つは時宜に適った死(カーラマラナ)、最後の死は時宜に反した死(アカーラマラナ)と呼ばれています。オイルランプを例にしてそれぞれの死を説明すると、ランプの芯が尽きて火が消える、オイルが尽きて火が消える、ランプの芯とオイルが同時に尽きて火が消える、突風などの外的要因で火が消える、となります。
第35節 死の際に現れる兆候
タター チャ マランターナン パナ マラナカーレ ヤターラハン
アビムキーブータン バヴァンターレ パティサンディジャナカン カンマン ヴァー
タンカンマカラナカーレ ルーパーディカン ウパラッダプッバン ウパカラナブータン
チャ カンマニミッタン ヴァー アナンタラン ウパッジャマーナバーヴェ
ウパラビタッバン ウパボーガブータン チャ ガティニミッタン ヴァー カンマバレーナ チャンナン ドゥヴァーラナン アンニャタラスミン パッチュパッターティ
死に行こうとしている人には、死に際してカンマ(業)の力により、状況に応じて、以下の3つのうちのどれかが6つの感覚門(ドゥヴァーラ)のどれかを通して自然に現れます。
(i) 次の生存で再生をもたらそうとしているカンマ(業)
(ii) カンマ(業)の兆候:過去にそのカンマ(業)を行った際に認識した形、あるいはそのカンマ(業)を行う際に用いた道具などです。
(iii) これから再生しようとしている生存領域の兆候:これから得ようとしている状態の象徴、あるいはそこで生存が始まったすぐ後に経験する象徴などです。
第36節へのガイド
死に行く人の心に現れる3種類の対象についての説明は第3章、第17節を参照してください。これは、死に行く人のジャヴァナ(認識過程の中心にあり、流れるように対象をとらえて、業を作り出す1連のチッタ)の対象であり、チュティ(死ぬ)チッタそのものの対象ではないことに注意してください。生涯最後のチッタであるチュティ(死ぬ)チッタは、終わろうとしているその生涯におけるパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタおよびバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させる)チッタと同じ対象をとります。その生涯最後のジャヴァナの過程の対象は、次の生涯のパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタおよびバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させる)チッタの対象となります。そして、それが今度は次の生涯最後のチュティ(死ぬ)チッタの対象になります。
第36節 死ぬ時の心
タトー パラン タン エーヴァ タトーパッティタン アーランバナン アーラッバ
ヴィパッチャマーナカカンマーヌルーパン パリスッダン ウパッキリッタン ヴァー
ウパラビタッババヴァーヌルーパン タットーナタン ヴァ チッタサンターナン
アビンハン パヴァッタティ バフッレーナ タン エーヴァ ヴァー パナ
ジャナカブータン カンマン アビナヴァカラナヴァセーナ ドゥヴァーラッパッタン
ホーティ
その後、このようにして現れた対象(アーランバナ)に注意を向けながら、チッタの流れが絶え間なく続きます。それは、清らかであれ不浄であれこれから熟そうとしているカンマ(業)に協調し、これから再生しようとしている状態に歩調を合わせます。そしてチッタの流れの大部分がその状態へと向かっていきます。あるいは再生を作り出すカンマ(業)そのものが感覚門(ドゥヴァーラ)のどれかに再現されます。
第36節へのガイド
再現されます:つまり、カンマ(業)そのものが、過去に行った行為の記憶イメージとしてではなく、あたかもその時点で行為が行われているかのように現れる(アビナヴァカラナヴァセーナ)ということです。
第37節 死とパティサンディ(生存と次の生存を結びつけて、再生をもたらすこと)
パッチャーサンナマラナッサ タッサ ヴィーティチッタヴァサーネー
バヴァンガッカイェー ヴァー チャバナヴァセーナ
パッチュッパンナバヴァアパリヨーサーナブータン チュティチッタン
ウッパッジトゥヴァー ニルッジャンティ タスミン ニルッダヴァサーネー
タッサーナンタラン エーヴァ タターガヒタン アーランバナン アーラッバ
サヴァットゥカン アヴァットゥカン エーヴァ ヴァー ヤターラハン
アヴィッジャーヌサヤパリッキッテーナ タンハーヌサヤムーラケーナ
サンカーレーナ ジャニーヤマーナン サンパユッテーヒ パリッガヤマーナン
サハジャーターナン アディッターナバーヴェーナ プッバンガマブータン
バヴァンタラパティサンダーナヴァセーナ パティサンディサンカータン
マーナサン ウッパッジャマーナン エーヴァ パティッターティ バヴァンタレー
死に瀕している人は、認識過程の終了ないしバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の消褪とともに、現世の締めくくりとしてチュティチッタ(死ぬチッタ)が生じて滅します。
チュティチッタ(死ぬチッタ)が滅した直後にパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタが生じて、次の生存が始まります。このパティサンディチッタは状況によりハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える物質的基盤)に支えられる場合とそうでない場合があります。そして先に説明した通りに獲得した対象を認識します。パティサンディチッタはアヴィッジャーヌサヤ(真理が分からないという潜在的な心の汚れ)とタンハーヌサヤ(渇愛という潜在的な心の汚れ)に包まれたサンカーラ(意思を伴った形成作用)により生じます。パティサンディチッタは、生存と次の生存を結びつけ、それを修飾する精神的な要素と一体となり、関連するチッタやチェータスィカを先導し、そのよりどころとなります。それがパティサンディチッタという名前の由来です。
第37節へのガイド
死に瀕している人:バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)の流れが中断し、バヴァンガがチッタッカナ(チッタが生じて滅するまでの時間)1個分振動して停止し、その後生涯最後の認識過程が始まります。パンチャドゥヴァーラ(5つの感覚門)のいずれかに現われた物理的なアーランバナ(認識対象)を認識する過程、あるいはマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)に現われた精神的なアーランバナ(認識対象)を認識する過程のいずれかが生じます。ジャヴァナ(認識過程の中心にあり、流れるように対象を捉え、業を作りだす一連のチッタ)は通常ならばチッタッカナ7つ分続きますが、この最後の認識過程においてはジャヴァナ自体が弱いため5つ分だけで終了します。ジャヴァナが本来持っている、再生をもたらすカンマ(業)を作る能力はこの最後のジャヴァナにはありません。そして再生をもたらす過去のカンマ(業)のチャンネルとして働きます。このジャヴァナの後にはタダーランマナ(対象を記憶にとどめる)チッタ2つが続いて生じる場合と、タダーランマナチッタが全く生じない場合があります。また認識過程最後のチッタの後にバヴァンガが生じる場合もあります。そして最後にチュティ(死ぬ)チッタが生じて、現在の障害を終える役割を担います。チュティチッタが滅すると、生命力も断たれます。身体は生命活動のないただの物質の塊として残ります。そして死体が朽ち果てて塵となるまでその状態が続きます。
チュティチッタ(死ぬチッタ)が滅した直後に:チュティチッタ(死ぬチッタ)が消滅した瞬間に、新しい生涯のパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタが生じます。このパティサンディチッタは、直前の生涯最後のジャヴァナの過程で得たアーランバナ(認識対象)を認識します。このチッタは物質のある世界(訳者注:カーマローカ、ルーパローカ)ではハダヤヴァットゥ(心臓というチッタを支える物質的基盤)に支えられます。しかし物質の無い世界(訳者注:アルーパローカ)の場合はパティサンディチッタを支える物質的基盤はありません。そしてこのパティサンディチッタはサンカーラ(意志を伴う形成作用)、つまりその前の生涯におけるジャヴァナで作り出されたカンマ(業)により生じます。そのカンマ(業)は、アヴィッジャーヌサヤ(真理が分からないという潜在的な心の汚れ)とタンハーヌサヤ(渇愛という潜在的な心の汚れ)という、生存の繰り返しをもたらす二つの潜在的な心の汚れに根ざしています。パティサンディチッタには精神的な付随物、つまりチェータスィカが伴います。パティサンディチッタはチェータスィカを先導しますが、それはパティサンディチッタがチェータスィカの先を行くという意味ではなく、パティサンディチッタが、チェータスィカが働くための場所ないし土台として機能するという意味です。
第38節 カーマーヴァチャラパティサンディ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、生存と次の生存を結び付け再生をもたらす)チッタの対象
マラナーサンナヴィーティヤン パネーッタ マンダッパヴァッターニ パンチェーヴァ
ジャヴァナーニ パーティカンキタッバーニ タスマー ヤダー
パッチュッパンナーランバネース アーパータン アーガテース
ダランテースヴェーヴァ マラナン ホーティ タダー
パティサンディバヴァンガーナン ピ パッチュッパンナーランバナター ラッバティ
ティ カトゥヴァー カーマーヴァチャラパティサンディヤー
チャドゥヴァーラガヒタン カンマニミッタン ガティニミッタン チャ
パッチュッパンナン アティータン アーランバナン ウパラッバティ カンマン
パナ アティータン エーヴァ タン チャ マノードゥヴァーラガヒタン ターニ
パナ サッバーニ ピ パリッタダンマブータネーヴァーランバナーニ
死の直前の認識過程においては、力の弱いジャヴァナが5つしか生じません。そのため、現在の認識対象が生じて感覚の経路に入っている間に死んだ場合は、(次の生存の)パティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)もまたその対象を取ります。カーマーヴァチャラパティサンディ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、生存と次の生存を結び付け再生をもたらす)チッタの場合、6つの門(ドゥヴァーラ)のいずれかで感知したカンマニミッタ(業の兆候)ないしガティニミッタ(再生しようとしている生存領域の兆候)が対象となる時には、その対象は現在のものである場合と、過去のものである場合があります。しかし、(対象としての)カンマ(業)は常に過去のものであり、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)でのみ感知されます。(カーマーヴァチャラパティサンディチッタの)対象は全て、限定された現象です。
第38節へのガイド
そのため、現在の認識対象が生じて感覚の経路に入っている間に死んだ場合は、・・・もまたその対象を取ります:死の際に捕捉された対象は次の生存のパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタとバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり、生存を持続させるチッタ)数個分が生じるまで存続していることがあります。その場合はこれらのチッタもまた同じ対象を捕捉します。
カーマーヴァチャラパティサンディ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、生存と次の生存を結び付け再生をもたらす)チッタの場合:パティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタの対象がカンマ(業)である場合、当然ながらそれは過去のものであり、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)で補足される精神的な対象となります。対象がカンマニミッタ(業の兆候)の場合は6つのドゥヴァーラ(門)のいずれもそれを捕捉することが出来ます。そしてそれは過去のものもあれば現在のものもあります。対象がガティニミッタ(これから再生しようとしている生存領域の兆候)の場合は指導者によって意見が分かれています。ヴィバーヴィニーティーカーの著者を含めた一部のコメンテーターたちは、ガティニミッタは現在現われている目に見える形であり、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)で捕捉されなければならないとしています。彼らはアーチャリヤ・アヌルッダ尊者がテキストに書かれた次の言葉に基づいて解釈しています。「対象がカンマニミッタ(業の兆候)の場合は6つのドゥヴァーラ(門)のいずれもそれを捕捉することが出来ます。そしてそれは過去のものもあれば現在のものもあります。対象がガティニミッタ(これから再生しようとしている生存領域の兆候)の場合は、それはマノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)で知覚され、現在のものとなります。」レディ・セヤドーを含む他のコメンテーターたちは、その解釈を視野が狭く、無理があると批判しています。「アーチャリヤ・アヌルッダ尊者は、ガティニミッタ(これから再生しようとしている生存領域の兆候)は過去、現在いずれの場合もあり、6つのドゥヴァーラ(門)のどこんでも現われうる、という広い見方を持った上で上のような見解を示したに違いない」と主張しています。アビダンマのテキストではガティニミッタ(これから再生しようとしている生存領域の兆候)は現在の目に見える形であり、マノードゥヴァーラ(イメージなどの精神現象を感じ取る門)に現われるという表現が良く使われています。しかし、これは通常の現われ方を示したものであり、他の現われ方、例えば地獄のうめき声や天界の音楽や香りなどを否定するものではない、それがレディ・セヤドーの意見です。
第39節 マハッガタパティサンディ(禅定の意識に関連する、生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタの対象
ルーパーヴァチャラパティサンディヤー パナ パンナッティブータン
カンマニミッタン エーヴァーランバナン ホーティ タター
アルーパッパティサンディヤー チャ マハッガタブータン パンナッティブータン
チャ カンマニミッタン エーヴァ ヤターラハン アーランバナン ホーティ
ルーパーヴァチャラパティサンディ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタの対象は概念であり、常にカンマニミッタ(業の兆候)となります。同様に、アルーパッパティサンディ(物質でないものを対象にした禅定に関連する意識の領域における、生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタの場合、状況に応じてマハッガタブータ(禅定の意識に関連する状態)ないし概念が対象となり、それは常にカンマニミッタ(業の兆候)です。
アサンニャーサッターナン パナ ジーヴィタナヴァカン エーヴァ
パティサンディバーヴェーナ パティッターティ タスマー テー
ルーパパティサンディカー ナーマ アルーパー アルーパパティサンディカー
セーサー ルーパールーパパティサンディカー
アサンニャーサッタ(認知の無い生命:無想有情)は、パティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)の過程で、生きてはいても何も出来ないただの物質となります。これはルーパパティサンディ(物質だけの再生)と呼ばれます。アルーパブーミ(物質で無いものを対象にした禅定を得た人が再生する物質の無い生存領域)の場合はアルーパパティサンディ(物質が無い、心だけの再生)と呼ばれます。残りは全てルーパールーパパティサンディ(物質と心の再生)と呼ばれます。
第39節へのガイド
ルーパーヴァチャラパティサンディ(物質を対象にした禅定に関連する意識の領域における、生存と次の生存を結びつけ再生をもたらす)チッタの対象は、パティサンディの際のジャーナ(禅定)の対象となるニミッタ(物質を対象にした禅定が確立した際に現れる、その対象そっくりのイメージ)です。それが概念でありカンマニミッタ(業の兆候)と考えられています。アルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の第1段階、第3段階の対象、つまり無限の空間という概念と無という概念はそれぞれに対応する生存領域のパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタの対象となります。アルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の第2段階、第4段階の対象はそれぞれ、アルーパッジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)の第1段階、第3段階のチッタであり、マハッガタ(禅定に関連する崇高な)と言われる状態です。これらは全てカンマニミッタ(業の兆候)です。アサンニャーサッタ(認識の無い生命)にはチッタはありませんのでパティサンディの際にいかなる対象もとりません。アサンニャーサッタ(認識の無い生命)は生きていても何の活動もしない、生命力を保持した物質的現象、つまり有機的な物質です。
第40節 パティサンディ(再生)における決まり
アールッパチュティヤー ホーンティ ヘーッティマールッパヴァッジター
パラマールッパサンディ チャ タター カーメー ティヘートゥカー
ルーパーヴァチャラチュティヤー アヘートゥラヒター スィユン サッバー
カーマティヘートゥンハー カーメースヴェーヴァ パネータラー
アヤン エッタ チュティパティサンディッカンモー
アルーパブーミ(物質でないものを対象にした禅定を得た人が再生する、物質の無い生存領域)で死を迎えた生命はより高いアルーパブーミに再生することはありますが、もとの生存領域より下位のアルーパブーミに再生することはありません。なおカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)にティヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根を3つ持って)に再生することもあります。
ルーパブーミ(物質を対象にした禅定を得た人が再生する、微細な物質からなる生存領域)で死を迎えた生命はアヘートゥカ(チッタを安定させる善なる根を一つも持たない)として再生することはありません。カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)においてティヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根を3つ持つ)として生存した人は死後いかなる生存領域にでも再生する可能性があります。残りの生命(つまりヘートゥを2つ持つ生命、ヘートゥの無い生命)はカーマブーミにのみ再生します。
これがチュティ(死)とパティサンディ(再生)における手順です。
第40節へのガイド
再生がどのように決まるかについてはプトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人)とまだアラハッタ(最終的な悟りを得て輪廻からの解脱を果たした聖者)に達していないセカー(涅槃を悟り、輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者)とでは大きく異なります。ここではまずプトゥッジャナ(涅槃を悟っていない普通の人)がどのような手順を踏んで再生するかについて説明し、その後セカー(涅槃を悟り、輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者)についても説明します。
アルーパブーミ(物質でないものを対象にした禅定を得た人が再生する、物質の無い生存領域)の生命は、その生涯でのパティサンディ(再生)のレベルと同じかそれよりも高い段階のジャーナ(禅定)を得る可能性があります。しかし現在のレベルより低いジャーナ(禅定)を得ることはありません。このため、死んだ後、現在よりレベルの高いアルーパブーミに再生することはありますが、もとの生存領域より下位のアルーパブーミに再生することはありません。しかしながら、そうした生命も(死に際し:訳者注)ジャーナ(禅定)が崩れてしまうと、ウパチャラサマーディ(ジャーナに近い集中状態)の力によりカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)に再生します(第9章、第4節参照)。その場合、ティヘートゥカ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根を3つ持つ)カーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタ3種類のうち1つを伴って再生します。
アサンニャーブーミ(認知の無い生存領域)で死を迎えた生命は、ヘートゥ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根)を3つないし2つ伴うカーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタと共にカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)に再生します。ルーパブーミ(物質を対象にした禅定を得た生命が再生する生存領域)で死を迎える場合はそれがどこであっても、アルーパジャーナ(物質でないものを対象にした禅定)を得た生命はアルーパブーミ(物質でないものを対象にした禅定を得た生命が再生する物質の無い生存領域)に、ルーパジャーナ(物質を対象にした禅定)を得た生命はルーパブーミ(物質を対象にした禅定を得た生命が再生する微細な物質からなる生存領域)に、カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)への再生を促す強いカンマ(業)を作った生命はカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)に再生します。ルーパブーミ(物質を対象にした禅定を得た生命が再生する微細な物質からなる生存領域)からカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)に再生する場合は、ヘートゥ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根)を3つないし2つ伴うパティサンディ(生存と次の生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタにより再生が生じます。
カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)においてへートゥ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根)を3つ持って死んだ生命はどの生存領域にも再生できます。そうした生命はどのようなカンマ(業)でも作ることが出来るからです。カーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)においてへートゥ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根)を2つ持つか、1つも持たずに死んだ生命はカーマブーミ(感覚的な楽しみを追い求める生存領域)にのみ再生します。その場合、2種類あるアヘートゥカサンティーラナ(チッタを安定させる根を持たない、対象を調べる)チッタのいずれか、あるいはへートゥ(チッタを安定させる根)を2つないし3つ持つカーマーヴァチャラヴィパーカ(感覚的な楽しみを追い求める意識の領域における、業の結果として生じる)チッタのいずれかにより再生します。
セカー(涅槃を悟り、輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者)の場合は、優れたチュティ(死の)チッタから、劣ったパティサンディ(生存と生存を結びつけ再生をもたらす)チッタへと堕落することはありません。涅槃を悟った聖者たちは全てへートゥ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根)を3つ持つチュティ(死ぬ)チッタにより死にます。なぜならへートゥ(アドーサ、アローバ、アモーハというチッタを安定させる善なる根)を3つ持たなければ、マッガ(道)、パラ(果)を得ることは出来ないからです。セカー(涅槃を悟り、輪廻からの解脱を目指して修行中の聖者=アラハッタ以外)は現在と同じか、より優れた生存領域に再生します。彼らは現在と同じか、それより優れたパティサンディ(生存と生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタを獲得します。もちろんアラハッタ(最終的な悟りを得て、輪廻からの解脱を果たした聖者)のマッガ(道)、パラ(果)に達した聖者は死後いかなる生存領域にも再生しません。
この章の最後の表5.7をご覧ください。
第41節 チッタの連続性
イッチェーヴァン ガヒタパティサンディカーナン パナ
パティサンディニローダーナンタラトー パブティ タン エーヴァーランバナン
アーラッバ タッダ エーヴァ チッタン ヤーヴァ チュティチットゥッパーダー
アサティ ヴィーティチットゥッパーデー バヴァッサンガバーヴェーナ
バヴァンガサンタティサンカータン マーナサン アッボッチンナン ナディーソートー
ヴィヤ パヴァッタッティ パリヨーサーネー チャ チャバナヴァセーナ
チュティチッタン フトゥヴァー ニルッジャティ タトー パラン チャ
パティサンダーダヨー ラタチャッカン イヴァ ヤターッカマン エーヴァ
パリヴァッタンター パヴァッタンティ
そしてこのように再生した生命は、パティサンディ(生存と生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタが滅した直後に続いて、パティサンディチッタと同じタイプであり、パティサンディチッタと同じ対象を取るチッタが川の流れのように絶え間なく連続して生じます。このチッタの流れは認識過程が生じない限り、チュティ(死ぬ)チッタが生じるまで続きます。こうしたチッタは生存(生命)の基本要素であり、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり生存を持続させるチッタ)と呼ばれます。それは生涯の終わり、死に際してチュティ(死ぬ)チッタに変わり(その生涯での)チッタの流れが止まります。その後、同じ順番でパティサンディ(生存と生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタが生じ、バヴァンガの流れが生じます。まるで牛車の車輪が回るように同じ過程が繰り返されます。
第41節へのガイド
パティサンディ(生存と生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタが・・・絶え間なく連続して生じます:パティサンディ(生存と生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタの後にバヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり生存を持続させるチッタ)が16個連続して生じます。その後マノードゥヴァーラーヴァッジャナ(イメージなどの精神現象を感じ取る門に意識を向ける)チッタが生じ、続いてジャヴァナ(認識過程の中心にあり、流れるように対象を捉えて業を作り出す一連のチッタ)が7つ連続して生じます。このジャヴァナ(バヴァニカンティジャヴァナ)の中で新しい生存への執着が生じます。生涯最初となるこの認識過程は、パティサンディ(生存と生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタと同じ対象を取ります。このジャヴァナを構成するのは、ローバムーラ(欲というチッタを安定させる根を持つ)ディッティガタヴィッパユッタ(真理にそぐわない誤った見解が付随しない)アサンカーリカ(駆り立てるものがない)チッタです。これが終わるとバヴァンガが再び現れて滅し、認識過程の介在が無い限りバヴァンガの流れが続きます。このようにして妊娠の成立から死までチッタの流れが続き、死んだ後も次の生存へと持続します。まるで「牛車の車輪の回転」のように繰り返されます。
第42節 結論
パティサンディバヴァンガヴィーティヨー チュティ チェーハ タター
バヴァンタレー プナ サンディバヴァンガン イッチャヤン パリヴァッタティ
チッタサンタティ
パティサンカーヤ パネータン アッドゥヴァン アディガントゥヴァー パダン
アッチュタン ブダー スサムッチンナスィネーハバンダナー サマン エッサンティ
チラーヤ スッバター
現生と全く同じように、次の生存においてもパティサンディ(生存と生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタ、バヴァンガ(認識過程と認識過程の間にあり生存を持続させるチッタ)、チッタヴィーティ(認識過程)、チュティ(死ぬ)チッタが生じます。そしてそれが終わるとまたパティサンディ(生存と生存を結びつけ、再生をもたらす)チッタが生じ、こうしたチッタの流れが何度も繰り返されます。
智慧のある弟子たちは、生存のアニッチャ(無常)を理解し、死のない状態(ニッバーナ=涅槃)を悟り、執着という足枷を完全に断ち切って平穏を得ることを強く望みます。
イティ アビダンマッタサンガへー ヴィーティムッタサンガハヴィバーゴー ナーマ
パンチャモー パリッチェードー
これでアビダンマッタサンガハ(アビダンマの概要)の第5章、ヴィーティムッタサンガハヴィバーガ(チッタの流れのうち認識過程に関係しない部分についての解説)を終わります。