パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の車輪のスポーク、ハブ、車軸、ホイールロッド、リムを解体し破壊する方法
皆さんは車の車輪を見たことがあると思います。車輪の中心にはアクセルボックスないしハブがあります。それはアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)をよく象徴しています。スポークは4本あり、(1)カーマ プンニャービサンカーラ(欲福行)(2)ルーパ プンニャービ サンカーラ(色福行)(3)アプンニャービ サンカーラ(非福行)(4)アーナンジャービサンカーラ(不動行)を表します。車輪のリムはジャラーマラナ(老死)を表します。車輪を強化し長持ちさせるためにこの四本のスポークを一方の端でリムに、そしてもう一方の端をアクセルボックスにピッタリとはめて、はずれてばらばらにならないようにします。このようにアクセルボックス、ホイールロッド、ハブ、スポーク、リムの五つの部品が組合わさっていわゆる車輪が出来上がります。次の生で世界の王、天界の王になろうと布施、持戒による徳行を行った場合、パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)ではそれはプンニャービサンカーラ(現福行)でありそれ以外の何物でもありません。一方、自分あるいは家族のためにあらゆる悪行為を行えば、それはアプンニャービサンカーラ(非福行)であり、地獄、畜生などの下層世界(アパーヤブーミ)へと人を導きます。ルーパーヴァチャラブーミ(色界の地)(ブラフマローカ:梵天界)での生存を目指してサマタを実践すれば、それはただのルーパプンニャービサンカーラ(色福行)です。またルーパヴァチャラ(色界)を修した修行者が、アルーパヴァチャラブラフマローカ(無色梵天界:ルーパが存在せず四つのナーマカンダ(名蘊)のみの世界)へ再生しようとルーパを嫌いアルーパヴァチャラジャーナ(無色界禅定)を実践すればそれはアーナンジャービサンカーラ(不動行)と呼ばれます。
プンニャービ(現福)であろうがアプンニャービ(非福)であろうがアーナンジャービ(不動)であろうが、サンカーラ(行)を行えば、輪廻の旅の中で上昇あるいは下降してもジャラーマラナ(老死)の境界を越えることはありません。言葉を変えればサンカーラローカ(行の世界)ないし三十一ある生存領域の中から出ることはありません。たとえルーパーヴァチャラブーミ(色界の地)に昇ることができたとしても、ジャラーマラナ(老死)を乗り越えることはできません。サマタによりアルーパジャーナ(無色界禅定)を得たとしても最後は一緒で、ジャラーマラナ(老死)の境界を越えることはできません。
サンカーラ(行)の領域の中では何をしてもジャラーマラナ(老死)の支配から逃れることはできません。このようにどのような生存領域に再生してもジャラーマラナ(老死)は避けられません。ですから、来世でより良い地位を得ようとクサラサンカーラ(善行)を行っても、それはジャラーマラナ(老死)の門に至るだけです。ジャラーマラナ(老死)から逃れる出口はありません。
アクサラサンカーラ(不善行)、非道徳的で不健全な活動、身体、口、心の行為はスポーク(アパーヤブーミ:悲惨な世界での生存)の一つを構成します。
間違った指導によりルーパローカ(色界)がニッバーナ(涅槃)である、あるいはアルーパローカ(無色界)がニッバーナ(涅槃)であると信じ込んでしまった人はジャーナ(禅定)とアビンニャーナ(神通智)を精力的に実践します。ジャーナ(禅定)を修した人がドゥッカ(苦)を原因としてルーパ(色)に集中し、アルーパジャーナ(無色界禅定)を得たとしてもそれもまたスポークの一つ(アルーパブーミ:無色界での生存)に過ぎません。
図をご覧ください。ホイールロッドはアーサヴァ(煩悩)を象徴します。パーリ経典では「アーサヴァ サムダヤ アヴィッジャー サムダヨ(煩悩が原因で無明が生じる)」となっています。このアーサヴァ(煩悩)というホイールロッドを、すでに車輪にはまっている四本のスポークであり、アクセルボックスにはめる必要があります。これで車輪は完成し回転できるようになります。車輪が回転すると当然ながら、あるスポークは左にあり、別のスポークは下にいきます。また、あるスポークは左にあり別のスポークは右にあります。スポークがどこにあろうとリムから離れることはできません。俗世間の普通の人がブラフマローカ(梵天界)、デーヴァローカ(天界)、マヌッサローカ(人間界)にたまたま再生したとしてもサンサーラ(輪廻)から脱出することは出来ません。このサンサーラ(輪廻)の車輪は後ろにパンチャカンダ(五蘊)を引きずりながら絶えず回転しています。ですからパンチャカンダ(五蘊)がどこに着地しても最後はジャラーマラナ(老死)で終わります。
サッチャ(真理)の観点からもう一度みてみましょう。ドゥッカサッチャ(苦諦)に過ぎないカンダ(蘊)が生じる条件を整える犯人はアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)です。そしてアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)はサムダヤサッチャ(集諦)です。ですから輪廻の全体を通じて私たちの旅の伴侶となるのはサムダヤ(集:苦の生起)とドゥッカ(苦)であり、マッガサッチャ(道諦)とニローダサッチャ(滅諦)が欠けています。そのためサムダヤ(集)とドゥッカ(苦)の領域から逃れることができないのです。
確実に言えることは、私たちはマッガ(道:苦しみを無くす道)とニローダ(滅:苦しみが無くなった状態)を意図的に避け続けてきたということです。貴重な時間を、パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)が回転する期間を延ばすことに費やしてきたと言えます。
ドゥッカ(苦しみ)の持続時間の延長と呼んでも良いでしょう。
もう一度図をご覧ください。アヴィッジャー(無明)、タンハー(渇愛)、ウパーダーナ(取)はキレーサヴァッタ(煩悩輪転)です。俗世間の普通の人は結果的にカンマバワ(業有)になってしまうあらゆる行為を為します。そしてそのカンマバワ(業有)が原因でヴィパーカヴァッタ(異熟輪転)ないしパンチャカンダ(五蘊)が生じます。こうしてカンマヴァッタ(業輪転)がカンマヴァッタ(業輪転)を生み出します。このようにしてサンサーラ(輪廻)の繰り返しが始まり、果てしなく続きます。
サッチャ(真理)の観点からは、サムダヤサッチャ(集諦)とドゥッカサッチャ(苦諦)が交互に繰り返します。
もう一度ヴァッタ(輪転)の観点から見れば、そこにあるのはキレーサヴァッタ(煩悩輪転)、カンマヴァッタ(業輪転)、ヴィパーカヴァッタ(異熟輪転)の繰り返しです。
時間と空間の観点からは過去、現在、未来の交替と見なすことができます。
注意しなければならないのは、パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の鎖を断ち切らない限りサンサーラヴァッタ(輪廻輪転)から逃れられないということです。パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の鎖が再結合すればそれだけドゥッカ(苦)が長引くということです。
サンサーラ(輪廻)を短くしようと願うなら、三つのヴァッタ(輪転)から脱出する道を探し、サムダヤ(集:苦しみの原因)とドゥッカ(苦)を克服しなければなりません。
現世で私たちは説法を聞いたり、書物を読んだりしてパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)とサッチャ(真理)に関連した多くの智慧を得ることができます。このようなまたとない機会に恵まれた今こそパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)という車輪のリム、アクセルボックス、ホイールロッド、スポークを粉砕する決断をすべきです。
本気でサンサーラ(輪廻)から逃れようと思っても、単に願うだけではマッガパラ(道果)を得ることはできません。ヴィパッサナー瞑想(聖なる八正道)によってのみアヴィッジャー(無明)をヴィッジャー(明智)に、タンハー(渇愛)をアローバ(不貪)に変え、最終目標である解脱を果たすことができるのです。
次の章からは解脱への道をお話しします。
<脚注>
カーマブーミ(欲界)、アパーヤブーミ(悪趣)、ルーパブーミ(色界)、アルーパブーミ(無色界)