パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)とは何か
パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)はパーリ語で、三つの言葉を組み合わせたものです。パティッチャは「~を原因として」「~に依存して」という意味です。サムは「良く」という意味です。そしてウッパーダは「原因から結果が生じる」「原因に依存して効果が現れる」という意味です。ですから「因果法則」あるいは「再生の循環」として知られています。
因果法則の中には十二の連結があります。終わりの無い輪廻の連鎖の中で生命が生じる過程を現象から現象へと示しています。
パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)はアヴィッジャー(無明)から始まっていますが、アヴィッジャー(無明)は最初の原因ではないことに注意してください。輪廻には始まりがないからです。無明の闇に覆われた生命が輪廻の中を経巡るその起源を見つけることはできません。パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)は再生の繰り返しを教えています。原因は、ある時は原因になり、またある時は結果になります。より正確に言えば、この宇宙の時空間では原因が結果となり、その結果がまた原因になります。
パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の連鎖は以下のごとくになります。
1、アヴィッジャー(無明:真理に対する無知)によりサンカーラ(行:意思を伴った行動)が生じます。
2、サンカーラ(行:意思を伴った行動)によりヴィンニャーナ(識:意識)が生じます。
3、ヴィンニャーナ(識:意識)によりナーマルーパ(名色:心と身体)が生じます。
4、ナーマルーパ(名色:心と身体)によりサラーヤタナ(六処:六つの感覚器官)が生じます。
5、サラーヤタナ(六処:六つの感覚器官)によりパッサ(触:接触)が生じます。
6、パッサ(触:接触)によりヴェーダナー(受:感受)が生じます。
7、ヴェーダナー(受:感受)によりタンハー(渇愛:渇望)が生じます。
8、タンハー(渇愛:渇望)によりウパーダーナ(取:執着)が生じます。
9、ウパーダーナ(取:執着)によりバヴァ(有:生命になること)が生じます。
10、バヴァ(有:生命になること)によりジャーティ(生:誕生)が生じます。
11、ジャーティ(生:誕生)によりジャラー(老)、マラナ(死)、ソーカ(愁)、パリデーヴァ(悲)、ドゥッカ(苦)、ドーマナッサ(憂)、ウパーヤーサ(悶)が生じます。
この教義をパーリ語で暗唱することを強くお勧めします。まだ暗記していない方はできるだけ早くおぼえるようにしましょう。暗記することは教義の意味を把握するのに大変役立つからです。ブッダに対する帰依を行う時にだけ唱える人もいます。もちろんそうしたければそのようにしてかまいません。しかし意味もわからず、ただ唱えるだけでは、ドゥッガティ(悪趣:地獄などの悲惨な生存世界)へ落ちる危険の原因であるディッテイ(見)を払拭することはできません。
この教義が私たち自身のカンダ(蘊)、言い換えればナーマルーパ(名色)そのものであることは容易におわかりいただけることと思います。そうです。そしてそれ以上の意味もあります。いわゆる「あなた」自身の因果関係、ナーマ(名)とルーパ(色)の生滅、言葉を変えれば永遠に続く一連の悲しみと苦しみを示しています。
実際、パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)自体がダンマ(法)とカンダ(蘊)の生滅の繰り返しです。古い現象が次の現象を生みそれが永遠に続きます。そのような生滅という現象をパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)、パティッチャサムッパンナ(縁生の)と呼びます。その働きを開始させる、あるいは止める創造主や神はいません。その働きとはパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)を再結合することです。パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の結合を止めることができる唯一のダンマ(法)がマッガパラ(道果)なのです。そして再結合が起こらなくなればそれはニッバーナ(涅槃)と呼ばれます。
パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の過程はカンダ(蘊)、ナーマルーパ(名色)の生滅に過ぎません。言い換えれば因果法則の過程であり、そこには「私」「私に」「自己」「自我」とみなせるものはありません。カンダ(蘊)、ナーマルーパ(名色)、アーヤタナ(処)の生滅以外に何もありません。
1、サムッティサッチャ(俗諦:俗世間の真理)の観点からみれば人間、人々、生物、生命は広くそのように呼ばれ、またそのように知られています。一方パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の教義はアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)がサンサーラ(輪廻)の始まりであることを示しています。始まりと言っても人間や習慣の始まり、あるいは最初の原因と考えてはいけません。究極の真理においては人間、人類、生物は存在せず、アヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)がサンサーラ(輪廻)の始まりである、というダンマ(法)に行き着くだけです。
2、十二因縁(縁起)の教義はまた、男、女、生き物など、サッムティサッチャ(俗諦)では普通と思われているいわゆる生命が実は果てしなく続くカンダ(蘊)の生滅の過程に過ぎないことを示しています。
3、パラマッタサッチャ(真諦:究極の真理)では男、女、生物といったものは存在しないことをはっきり理解しておく必要があります。パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)は、「これがあればそれが生じる、これが生じたためにそれが生じる、これが無ければそれは生じない」ことを示す法則です。
4、パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)はサンカーラ(行)、ヴィンニャーナ(識)、カンマバワ(業有)、ジャーティ(生)それぞれの結合を示しています。
5、パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)はジャーティ(生、誕生)、老い、病、そして最後に死という止まることのない再生の繰り返しを示しています。言い換えれば木が実をつけ、実から木が生まれ、またその木が実をつけるという同じプロセスが続くように、再生、老い、死が永遠に繰り返されます。
6、パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)は生滅が悲しみと苦しみそのものであることを示しています。
7、それは火と燃料の固まりのようなものです。燃料をくべると火は燃え盛ります。パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)も火と燃料に似ています。燃料が注がれれば絶えることなく火が燃え続けます。
8、アーリヤサッチャ(聖なる真理)の観点から見ればパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)はサムダヤサッチャ(集諦)とドゥッカサッチャ(苦諦)の終わりの無い繰り返しに過ぎません。
9、ヴァッタ(輪転:回転)の観点から見れば三つのヴァッタ(輪転:回転)が永遠に繰り返されます。キレーサヴァッタ(煩悩輪転)、カンマヴァッタ(業輪転)、ヴィパーカヴァッタ(異塾輪転:原因が生じてから時間をおいて生じる輪転)の三つです。キレーサヴァッタ(煩悩輪転)が原因でカンマヴァッタ(業輪転)が生じます。カンマヴァッタ(業輪転)が原因となりヴィパーカヴァッタ(異塾輪転)が生じます。
10、存在するのは時間と空間、すなわち過去、現在、未来の繰り返しです。読者のみなさんはもう良くお分かりと思いますが、現在は未来から見れば過去であり、その未来が再び現在になります。こうしてサンサーラ(輪廻)の止まることのないプロセスが続き、終わりはありません。