サッカーヤディッティ(有身見):その原因と結果
サッカーヤのサないしサントーは実際に存在するという意味です。またカーヤは五蘊を意味します。ですからサッカーヤは五蘊が本当に存在するという意味になります。そしてディッティは誤った見解です。この二つを合わせたのがサッカーヤディッティ(有身見)です。
このような誤った見解はなぜ、そしてどのように生じるのでしょうか。五蘊(パンチャカンダ)を自我、私などと人格とみなすことは邪見(誤った見解)と呼ばれます。五蘊を人格とみなしたり、自我、魂、自己、私という概念が入り込んだりした時はいつでも邪見が生じています。三十二ある生命の存在領域にあっては、見(邪見)は最も有害でたちの悪い障害です。全ての障害の中で邪見(ミッチャーディッティ)が最もたちが悪く有害です、とブッダは説かれました。
増支部経典(アングッタラニカーヤ)の中でブッダは次のように説かれました。「二十種類の有身見(サッカーヤディッティ)は生命を善逝(スガティ)に導くことはありません。代わりに悪趣(ドゥッガティ)、苦界(アパーヤブーミ)へと導くのです。小石が決して水に浮かばないように、有身見(サッカーヤディッティ)を持つ人は輪廻(サンサーラ)の中で浮かび上がることができません。」
有身見は六十二種類有る見(ディッティ)の生みの親です。有身見(サッカーヤディッティ)を寄りどころとして全ての見(ディッティ)が生じます。このためブッダは説かれました。「頭に火がついた人、胸を剣で刺された人のように、気づきのある比丘は急いで有身見(サッカーヤディッティ)を取り除くべきです。」
有身見(サッカーヤディッティ)があっても、布施(ダーナ)、戒律(シーラ)、習修(バーヴァナー)により善趣(スガティブーミ)を得ることはもちろんできますが、道果(マッガパラ)を得ることはできません。有身見(サッカーヤディッティ)があると、人は母親、父親を殺し、ひどい場合はブッダを傷つけることにも良心の呵責を感じません。どのような不善法(アクサラダンマ)でも平気でしでかします。デーヴァダッタ(ブッダの従兄弟)が、自分がブッダとなるためにブッダを暗殺しようとしたのもまさにこの有身見(サッカーヤディッティ)が原因です。
アジャータサットゥ王子はデーヴァダッタにそそのかされ、父であるビンビサーラ王がいる限り自分は王になれないと思い、若くして王になりたいという利己的な考えから父王を殺害しました。アジャータサットゥが父王を殺めたのも有身見(サッカーヤディッティ)が原因です。
パターチャーリー(富豪の娘)の気がおかしくなってしまったのも有身見(サッカーヤディッティ)、見.倒(ディッティヴィパッラーサ)が原因です。邪見に導かれ五蘊(パンチャカンダ)を夫、息子、娘、父親、母親とみなして気が狂い、手におえない状況になりました。
有身見(サッカーヤディッティ)のある人は、凧のようなものです。糸の長さまでは上昇しますがその後地面に落ちてしまいます。有身見(サッカーヤディッティ)が糸のようについてまわり、下に引き落とすのです。
ブッダは説かれました。「サマタないし徳行により欲界(カーマローカ)、色界(ルーパローカ)、無色界(アルーパローカ)に生を受けることは出来るかもしれませんが、心にひそむ有身見(サッカーヤディッティ)により悪趣(ドゥガティ、悲惨な存在世界)に落ちる危険を無くすことはできません。」
有身見(サッカーヤディッティ)が元になり、恐ろしく危険な四つの見(ディッティ)が生じます。無作見(アキリヤディッテイ)、非有見(ナッティカディッティ)、無因見(アヘートゥカディッティ)、自在化見(イッサラニンマーナディッティ)です。
無作見(アキリヤディッティ):全ての行動、行為は、身体の行為であれ、口の行為であれ、心の行為であれ、徳の有る行為であれ、徳のない行為であれ、善い行為であれ、悪い行為であれ、道徳的であれ、非道徳であれ、なんら結果を出すことは無く、無益であり、不毛であり、無意味であるという邪見です。
無因見(アヘートゥカディッティ):因果法則を完全に否定することです。言い換えれば、生き物であれ物質であれ現象は偶然の産物であり、物事は原因なくたまたま起こるだけであるという見解です。
非有見(ナッティカディッティ):因果法則も結果としての影響も認めないという見解です。生命も物質も原因なく生じ、善行も悪行もなんら結果をもたらすことなく、無意味で何も生み出さないという考え方です。
因果法則を否定すればそれは結果論を否定することになります。一つを否定すれば他の二つも否定することになります。この邪見のいずれかでも存在するなら、五無間業(パンチャナンタリヤカンマ)を犯すことよりも危険で有害です。ですから意図的であろうとなかろうとこれらの決定邪見(ニヤタミッチャーディッティ)に陥らないように注意しなければなりません。
<訳者注>
五無間業(パンチャナンタリヤカンマ):母親殺しなど、それだけですぐに無間地獄に落ちる結果となる重業