アヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)が源泉、根本原因となり回転するパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)
生命は輪廻の全体を通じ、生存から次の生存へと果てしなく死の過程を繰り返します。その原因を作り出す真犯人はアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)であることを修行者ははっきりと知っておく必要があります。
図を見ていただくと中心にアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)があるのがわかります。アヴィッジャー(無明)とは四つの聖なる真理に対する無知のことです。タンハー(渇愛)とは何であれ目の前に現れた楽しい物を渇望することです。ですから修行者はパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の始まりがアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)であることを心に止めておく必要があります。
五蘊が生じる時はいつでも老いと死が続きます。五蘊を作りだした犯人を探さなければなりません。五蘊を作り出す真犯人はアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)であることは明らかです。ですから根本原因を根絶やしにしてその結果が現れないようにしなければなりません。
アヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)の働きを明らかにすることも必要です。既に述べたように、アヴィッジャー(無明)とは四つの聖なる真理に対する無知のことです。タンハー(渇愛)とは何であれ目の前に現れた楽しい物を渇望することです。アヴィッジャー(無明)の働きはそれだけではありません。アヴィッジャー(無明)はサンカーラ(行)が生じる原因と条件を作ります。タンハー(渇愛)はウパーダーナ(取)が生じる原因と条件を作ります。またサンカーラ(行)は因果法則の現在の結果、すなわちヴィンニャーナ(識)、ナーマルーパ(名色)、サラーヤタナ(六処)、パッサ(触)、ヴェーダナー(受)あるいはパンチャカンダ(五蘊)の原因と条件を作ります。
図をご覧ください。過去の因果関係の原因と呼ばれるセクションIにはアヴィッジャー(無明)、サンカーラ(行)タンハー(渇愛)、ウパーダーナ(取)、バヴァ(有)という五つの要素があります。この過去の因果関係の原因からセクションII、現在の因果関係の結果が生じます。ヴィンニャーナ(識)、ナーマルーパ(名色)、サラーヤタナ(六処)、パッサ(触)、ヴェーダナー(受)からなります。そしてこの現在の因果関係の結果とは私たち自身の五蘊に他なりません。
さらによく調べるとセクションIIないし現在の因果関係の結果から、未来の因果関係の原因ないし現在の因果関係の原因が生じます。これをセクションIIIと名付けます。このセクションはタンハー(渇愛)、ウパーダーナ(取)、バヴァ(有)、アヴィッジャー(無明)、サンカーラ(行)からなります。サッチャ(真理)の観点から分類するとこれらはサムダヤサッチャ(集諦)になります。繰り返しますがセクションIIIから未来の因果関係の結果、すなわちヴィンニャーナ(識)、ナーマルーパ(名色)、サラーヤタナ(六処)、パッサ(触)、ヴェーダナー(受)が生じ、これらはドゥッカサッチャ(苦諦)に分類されます。
これで明らかになったと思いますが過去の因果関係の原因から現在の因果関係の結果が生じ、現在の因果関係の結果から現在ないし未来の因果関係の原因が生じます。そして未来の因果関係の原因から未来の因果関係の結果が生じます。未来の因果関係の結果はまた過去の因果関係の原因となり、そこから現在が生じ、現在から未来が生じ、未来から過去が生じるのです。こうしてパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)、輪廻、現象の生滅が永遠に回転を続けることになります。
サッチャ(真理)の観点からみるとサムダヤ(苦しみの生起)を原因としてドゥッカ(苦しみ)が生じ、ドゥッカ(苦しみ)を原因としてサムダヤ(苦しみの生起)が生じるという繰り返しの過程が出来上がります。同様に、終わりのないサイクルの中で過去が現在となり、現在が未来となり、未来が過去になり、過去が現在になります。
無明が原因で人は健全ないし不健全なあらゆる種類の行為を為します。そのために得るのはパンチャカンダ(五蘊)以外の何物でもありません。そして五蘊はドゥッカサッチャ(苦諦)です。単純明快です。繰り返しますがアヴィッジャー(無明)に導かれ、タンハー(渇愛)に突き動かされて、凡夫は自分の物を手に入れるため、あるいは家族を利するためあらゆる行為を行います。そのような行為は間違いなくアパーヤブーミ(悪趣での生存)へと人を導きます。もちろん徳のある行為を為せばより高い生存世界へ導かれるかもしれません。
日常生活に例えてみましょう。何か欲しい物をみるとそれを手に入れたいという欲に圧倒されます。そしてついにはそれを手に入れようとします。もちろん手に入りますが十二因縁に従えば手に入れたのはジャーティ(生)ということになります。手に入れたジャーティ(生)は再びアヴィッジャー(無明)とタンハー(渇愛)に支配されその影響を受けます。
こうしてセクションIがセクションIIとつながり、セクションIIはセクションIIIとつながります。セクションIIIからは再びセクションIVが生じます。このようにパティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)の回転が止まる事なく永遠に続きます。古い回転の輪が終わると新しい回転の輪が始まります。終わりのないプロセスが永遠に続きます。私たちは皆、出口をみつけるチャンスに恵まれないままこの因果関係の中にずっと止まってきました。そうでなければ現在の私たちはいません。
図をご覧ください。読者の皆さんは自分でどのセクションが現在に相当するか確かめてみてください。答えはセクションIIです。そこにはヴィンニャーナ(識)、ナーマルーパ(名色)、サラーヤタナ(六処)、パッサ(触)ヴェーダナー(受)があります。これらはパンチャカンダ(五蘊)に分類されます。ドゥッカサッチャ(苦諦)にも分類されます。
過去の因果関係の原因、すなわちアヴィッジャー(無明)サンカーラ(行)、タンハー(渇愛)、ウパーダーナ(取)、バヴァ(有)に依存してパンチャカンダ(五蘊)が生じます。ですからセクションIはサムダヤサッチャ(集諦)、セクションIIはドゥッカサッチャ(苦諦)となります。そのようなわけでサムダヤ(集)とドゥッカ(苦)の過程だけが存在し、マッガサッチャ(道諦)、ニローダサッチャ(滅諦)は隠れて見えません。この二つのロークッタラサッチャ(出世間の真理)は優位とはならず私たちはそれを欠いています。
正しい道(アーリヤサッチャ:聖なる真理)へと導いてくれる信頼できる師を探そうとする気持ちが無いからです。
読者の皆さんは二つのロークッタラサッチャ(出世間の真理)を得るべく決心していただきたいと思います。故モゴクセヤドーによりサッチャ(真理)についての詳細な説法がなされた今、私たちは二つの真理を心に抱くべきです。そしてマッガサッチャ(道諦)、ニローダサッチャ(滅諦)はブラフマチャリヤ(清浄道)の実践、ヴィパッサナー瞑想の実践により理解するべきだということも忘れないでください。ブラフマチャリヤとヴィパッサナー瞑想により、パティッチャサムッパーダ(十二因縁:縁起)のスポーク、ホイールロッド、リム、車軸、ハブを打ち壊すことができるのです。また、この第九章を繰り返し読み、この教義に精通しそれを理解するようにしてください。